「あ、おかえりー」

 街の光は弱弱しく呼吸を繰り返し、消えていく。徐々に微弱になる光と共に街の生気は失われていくようだ。それでも宿屋というところは不思議だ。人が集まるところだろう、決して人の気配を忘れない。

 それでもやはり薄暗く、日が沈む物悲しさに似た哀愁を帯びている。

 そうした静寂の中にタイザーは一人ぽつんと備え付けのソファに腰かけていた。

 ぱ、と花が満開に咲いたように太陽にきらめく彼女も、さすがのこの空間では落ち着いて見える。いつもの天真爛漫さは街の光と共に消えうせていた。

 タイザーは「遅い」と口をとがらせると足をぱたぱたと動かした。
 イツキは無言で頭をかくと、猫背をさらに丸めてため息をついた。

「あのなあ。食堂で待っててやったんだよ」
「あ、そうなんだ」
「・・・・それだけか?」
「うん、今のところ」

 イツキは片目をつむると、とりあえず・・・ため息をついて「やれやれ」と煙草をくわえた。イツキの吸う煙草はいつも甘い匂いを辺りに満たし、彼の気だるさを際立たせる。甘いとはいえ、煙草のヤニ臭さは絡んでくる。タイザーは顔をしかめたが何も言わなかった。

「アンジェのところは行ったか?飯は食ったのか?」
「ん?・・・んー・・・そういえば、もう夜なんだよね・・・。・・・・ううん、まだ」
「飯食わねえと、余計に胸が減るぞ〜」
「う、うるさいな・・!余計にってなによ・・っ。そんなことないもん」

 タイザーは言いながらソファから降りる。ぎ、と古びた黒い床は苦しそうにうめいたが彼女は気にせずどすどすとイツキの元に近づいたかと思えば、通り過ぎた。

「おやすみ」

 それだけを言うと、タイザーは少し重い足取りで部屋に入って行った。



            Honey & honey 4



 絶対に変よ、とアンジェは繰り返し繰り返しイツキに言った。タイザーが食堂を飛び出して行って、こうして宿屋に帰るまでの間延々と。あまりに繰り返し言うので、イツキの頭の中ではすでに「へにょ」と妙な誤変換された台詞しか聞こえない状態になっていた。

 まだ耳がぼわんと膨張している、とイツキは煙草のフィルタを軽く噛みながら耳に指を突っ込んだ。甘い味が口中を満たすがプリン地獄に遭っているため、煙草の甘さは歓迎できなかった。

「くそ・・・・・」

 軽く舌打ちすると火もつけずポケットにしまい込んだ。また吸えるかどうか不安だったが、吸う気になれないのでしかたない。次に甘いものを口に入れたら胸やけどころか病院に運ばれそうなほどの胃痛で死にたくなるかもしれなかった。

 イツキはよれよれとソファに近づき、どっしり座った。誘うソファは思った以上に柔らかく、イツキの体にぴったりと沿う。包み込まれる感触が安心感と疲れを体の芯から引きずり出す。

 ここ数日、プリンしか食べてない体はそろそろ限界だと訴えていた。こうして座った瞬間に噴き出る疲労感と胸やけが何よりの証拠だ。かろうじて果物は摂取できてるものの、やはりイツキとて男だ。肉や魚などのタンパク質も取りたいところだった。

「それどころか、女もいねえよ・・・・」

 イツキはいつの間にか呟いていた口をふさぎ、顎を撫でて目をつむる。瞑るとじんわりと瞼に映るうっすらとした光を闇が食らっていくのがわかる。完全に瞼が暗くなれば眠気という女と同じぐらい魅惑的なものが怪しく手まねき、頬を撫でて耳元で何かを囁く。落ちていくその瞬間はたまらなく恐怖だが、擬似的な死にも似た感覚は妙な高揚と安心を同時にもたらす。

 イツキに欲しいのはその瞬間だったが・・・・腹が減っているせいか、眠気すら来てくれない。

 女にも眠気にも見放されたか、とイツキはぼやいて結局目を開けた。

 思考はすでに止まっているので、ぼんやりと光のある方向だけを見つめる。

 小さな虫が羽音を立ててじりじりと光に飛び交い、時折大きく旋回しては闇に消える。姿のなくなった虫はイツキの耳をぷん、とかすめると再び光に舞い戻る。不規則でいて規則的な動きは見ていれば苛立つが、今のイツキには興味の対象に入らない。


「いっきー」


 ぷつん、と夢うつつの世界からイツキは舞い戻るのを意識的に実行した。そして目だけを横に移すと「なんだ」と一言だけ返した。

 いつもの赤いマントはなく、華奢な姿がしっかりとわかる水色のワンピースだけだった。マントのないタイザーは先ほど見た姿よりもさらに覇気なく見える。

 タイザーは無言でうつむくと、ちまちまと小股でイツキの元に近寄り、隣のソファに座った。ぽす、と音と共に羽毛の匂いがたちこめた。

「寝ないの?」
「腹が減って寝れねえんだよ」
「ふうーん。あんなにプリン食べたのに?」
「あんなんで足りるか。俺が食いたいのは肉だ、肉。あと女。・・・とびっきりの女がいればなあ・・・あー畜生」
「・・・・変態」

 タイザーはため息混じりにつぶやくと、ずぶずぶとソファに小さな体を沈めた。食われるように埋まる姿をイツキは軽く笑いながら横目で見る。

「で?何か言いたいことでもあるのか?」
「・・・・・別に」

 タイザーはくちびるをとがらす。子供っぽいしぐさだが、目は表情がない。

「・・・・情報」
「んあ?」
「集めてきたよ。いっきーが何にもしないから、僕集めてきたんだから」
「そりゃー御苦労さん」
「・・・・もう!それだけ!?僕、結構がんばったんだから」

 ほお〜とイツキは顎を撫でながらにやにやと顔を緩ませた。意地悪な猫を彷彿とさせる表情はいやらしいという言葉しか浮かばない。タイザーは軽く眉間にしわを寄せると、「何?」とさらにくちびるを尖らせた。

「じゃあお兄さんがご褒美をやろうか?」
「いらない!」

 タイザーは激しく首を振るが、イツキのにやけは止まらない。

「ほおー、とびっきりなちゅーをくれてやるぞ〜」
「いらないいらない!!」
「遠慮はいらねえぞ、タイザーちゃん。減るもんじゃないしなあ・・・」
「だから、いらないってば!!減っても減らなくても同じだよ、変態!」

 タイザーはほのかな光でもわかるほど頬を赤らめ、上気させながらも懐をさぐろうと無意識に手を動かすが、銃はマントの中に入れたままなのだろう。タイザー愛用の黒い護衛は出てくることはなかった。イツキは「冗談だ」とにやにやと笑ったまま前のめりになって喉を鳴らした。

「もう・・・変態と話すのは疲れるよ。・・・だから、もう・・・何話していいか忘れちゃったよ」
「そりゃあ大変だ。思い出さねえとぼけるぞ」
「ぼけない!・・・思いだしたもん。・・・・あの賞金首、本当にバーにいるみたいだよ。連日顔を見せてるって聞いてきた。アンジェ姉ちゃんってすごいね・・・どっから情報貰ってるんだろ」
「さあな」

 二人はソファによりかかり、くすんだ天井を見上げた。蜘蛛の巣があちこちにはびこっているが、不思議と不衛生な印象はない。

「それでね。・・・・いっきー、寝れないんだっけ?」
「さっきから話がぶつ切れだぞ」
「いいの。・・・ねえ、寝れない?」
「いや、眠くなってきたから遠慮する」
「僕、まだ何も言ってないよ」
「今から行きたいとかって言うんだろ」
「あたり」

 タイザーは人差し指を天井に向ける。イツキはため息も出ないぽかんとした口のまま、髪をかきあげた。

「やめとけ。バーはもうしまってるだろ」
「それがね、今からが活動時間みたいだよ。昨日、町はずれで集団を見たっていう人がいたもん。僕たちが感じた集団もきっとアタリだったんだよ。そう思うと、やっぱり悔しいなあ・・・捕まえておけばよかった」
「おいおい・・・余計にやめとけ。つーか、やめたい。しかもなんだよ、その集団ってやつは・・・・」
「アンジェ姉ちゃん言ってたでしょ。とりまきって」

 イツキはずるずると身をまかせ、ソファに埋まっていく。だらしがないを通り越し、大丈夫かと問いたくなるほど力の抜け切った状態だ。今にも床に倒れそうなイツキにタイザーは白い目を向ける。

「いっきー。ちょっと、しっかりしてよ」
「無理だ」
「なんだよ、それ!もうもう!行こうよ!僕だって、プリン以外のものも食べてみたいもん。アンジェ姉ちゃんがね、ここのコーンスープが美味しいって言ってたから食べてみたいもん」
「ところで」

 イツキは足を器用に動かし、姿勢を徐々に直していく。虫みたい、とタイザーは小声でつぶやきながら「何」と首をかしげる。

「スープとかの液状ブツな食べ物は「食べる」なのか「飲む」なのか。はっきりしねえと思わねえか?」
「・・・・・いっきー。行きたくないからって話をそらさないでよね」
「いいや、重要な問題だ。食うか飲むかはっきりしねえと、怖くて寝れねえ」
「馬鹿なこと言ってないでよね。・・・寝れないんだったら、行こうよ。今ぐらいの時間だよ、見たっていうの」

 ぼりぼり、と髪をかく音がやけに大きく響いた。イツキは目を泳がせ、蜘蛛の巣を追う。二人は沈黙したが、静寂は訪れない。タイザーの大きな瞳が大声で「行こう」と訴えるのだから。

 イツキは唾を飲み込み、蜘蛛の巣から目を離した。

「・・・・様子を見るだけだぞ」
「やった!じゃあマントと銃持って来るね!あ、逃げちゃだめだからね!絶対に、ぜったーーーいにここにいてよ!」
「へいへい・・・・」

 タイザーは飛び上り、羽飛びながら階段を駆け上る。あまりにどたどたした音が響いたので誰か起きてこないかとイツキは少し身をこわばらせたが、誰も出てこなかった。それもそうだ。もう熟睡していてもおかしくない時間なのだから。イツキも、本当ならこの時間は寝ている。タイザーだったらさらに早い時間に寝ている。

 なのに出かけるとは、とイツキは煙草が吸えない胸をさすった。





 夜ともなると乾ききった砂粒にも多少の湿度が含まれる。風も夜は休憩しているのだろうか。歩くたびに頬をかすめるのは夜露と多少の黄色い光だけだった。

 薄闇のスクリーンは星空をまぶし、静かに歓喜する。静寂というのは恐ろしい。全ての五感を開花させ、特に聴覚を敏感にしてくれる。

 砂粒がじゃり、と軋んだ。舞い上がらずただつぶやく。

 一定のリズムを刻む心音が足音と絡む。音楽の始まりを予感させる音の静かなせめぎ合いは気分を高揚とさせていく・・はずだった。

「ったく・・・何が楽しくて・・」
「ご飯のため、でしょ」
「そもそもこんな方にいるのか?」
「多分」

 曖昧な単語にも関わらず、タイザーは自信たっぷりにはっきり言葉にした。多分の意味をわかってないんじゃないか、とイツキは体を丸めながらぼんやり思ったが、そんなこと考えたところでどうかなるわけでもなかったのですぐにやめた。

 じゃり、じゃり、と砂音が立つたびにイツキの気分は下降していく。そして進むたびに光は微弱になり、消えていく。ひしめき合う家々は徐々にばらつきはじめ、余計に不安を駆り立てた。

「いいか?見るだけだからな。そもそも俺たちは賞金稼ぎでも傭兵でもねえ、単なる一般市民なんだ」
「いっきーは一般市民にもなれない遊び人でしょ。僕はシーフラフネスだよ」
「ほお〜?じゃあこの間は何で捕まったんですかねえ?」
「う・・・それは・・・・」

 タイザーは言葉に詰まるが、足は歩みを止めない。

「ブルーヘブン絡みだとかマルアスがいるとかで勝手にほいほいついて行った揚句、変なヤローたちにナニかされそーになったり・・・」
「う、う、うるさいな!」
「学習能力って言葉を知ってるか、チビスケ」
「知ってるよ!チビスケってなんだよ!」

 ヒステリックな叫びが夜空を劈く。薄闇では声がいつもの倍だ。イツキはあわてて彼女の口をふさぎ、辺りを見回した。幸い、誰もいなかったがもしかして数件は明かりをつけたかもしれない。

「いっきー、今日は何だか意地悪だよ!」

 タイザーはイツキの手を引っぺがし、大きな瞳で睨んだがいまいち迫力はない。イツキは「うるせえ」と言いながら頭を小突く。

「あのなあ、近くにその賞金首とやらがいるんだろ?だったらもっと静かに行けよ」
「わ、わかってるよ・・・・。じゃあいっきーも意地悪しないでよ」
「してねえって」
「ご飯食べてないからいらいらしてるんだよ・・・もう・・・・」

 タイザーはくるりと前を向き、大股で前に進む。表情は見えなかったが、おそらくふてくされているだろう。

 しょんぼりしたり怒ったり笑ったりとにぎやかいやつだ、とイツキは内心ぼやいて彼女の小さな影を追う。

 砂粒は相変わらず静かに地面に埋まり、明かりは心細く背を照らす。民家は限りなく消え、代わりにコンテナや空き家、ごみくずなどの人の気配がまるでしない塊ばかりが転がる通りに出た。

 明らかにアヤシイ場所に二人は苦笑した。

「・・・・ベタってやつだな」
「でもこれって案外見つからないんだよね」

 二人は気配を探りながら歩く。

「この時間って普通は人通らないしね。だから麻薬とか、取引ってできるんだって。どっかで教えてもらったよ」
「へえ・・まあそうだろうな。盲点ってやつなのかなんなのか・・・。でも残念ながら匂いがするな。ばればれってやつだ」
「だね」

 二人は同時に頷き、鼻を動かす。

 イツキのポケットから甘い匂いがじんわり滲み、砂粒の乾いた粉の匂いがあたりをかすませ、夜露の清涼な湿り気が頭を冷やす。雨に似た匂いは夜の顔。

 しかしその中に明らかに異質なものが混じっていた。

 苦い草をすりつぶし、いぶしたような香ばしさ・・・それでいて甘い匂い。イツキの放つ煙草の匂いとは違う、シロップ原液のようなただ気だるいだけの甘さ。

 タイザーは小動物のようにひくひくと鼻を動かすと、そっと壁に体を預けた。イツキも隣に立ち、目配せる。闇夜とはいえ、この中を歩いてきた瞳はすでに辺りを明るく映している。

「ビンゴってやつか?」
「うん。匂いが違うもん。・・・・五人ぐらいいるかも」
「わかった。・・・よし、帰るか」
「えー・・・」
「えー、じゃありません。言っただろ?今日は探るだけだって。いることがわかれば儲けものだ。また明日、もう少し早い時間に探りにくればいい」

 タイザーはぐっと上で睨み、「でも」と言葉を続ける。

「まだ顔を見てないよ。気配だけじゃ、本当に賞金首かわからないよ!」

 タイザーはまたしてもヒステリックに叫ぶが、今度はトーンを押さえている。それでもかすかな悲鳴だけでも夜は通してしまう。イツキはやや焦りながらも彼女の頭を押さえこむ。

「だめだっつてんだろ・・・ごちゃごちゃ言ってねえで、帰るぞ」

 タイザーは威嚇するように唸ったが、イツキは全く動こうとしない。小さな手は行きたそうに彼の服をつかんだが、それでも動かなかった。

「・・・わかった。でも明日いなかったら怒るからね」
「なんで俺に怒るんだ」
「だって、いっきーがここで止めるからだよ」

 小さな手がぎゅうと服を握りしめる。

「へいへい、わかったわかった・・・。いい加減、妙な奴に会う前に帰るぞ」

 タイザーは無言で頷き、壁から離れた。

 月はうっすらと笑うように浮かび、ほのかに空を照らしている。ぼんやりと緑の縁取りが淡い幻影を生む。


 その下には二つの影とは別にもう一つの影が生まれようとしていた。





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