りんりんりん、と頭に警報のような音が鳴る。

 ねずみがにわに、とらえろタイザー。

 警報は次第に歌に。歌は警報。危険の合図、そして憎むべき敵がいる証拠。

 タイザーはずっと鳴り響く心音と歌に耳を塞ぎ、そっと振り返った。

 光が縫う隙間もない、一面の闇には砂漠の砂しか入り込めない。冷たい影が伸びるだけ。

 あの先にいる。誰かがいる。でも、それ以上踏み込めない。

 確かな危険が、タイザーの胸に宿った。

 タイザーはそっと銃に触れ、冷たい感覚を指に灯した。



            Honey & honey 5



 無意識のうちにタイザーは銃を握りしめていた。砂のつぶてがつま先から頭までゆっくり当たり、びりびりと全身を痺れさせていく。心音が風と重なり、溶けていく。

「・・・なんだかどきどきする」

 タイザーはつぶやき、足を徐々に遅めた。イツキも足を止め、振りかえった。

「俺に?」
「違うよ!」

 タイザーは小声で怒ると、一歩イツキに近寄った。

「いっきー・・・なんだか、いるよ。なんだか、危険・・・」

 大きな瞳が震えながら辺りを見回す。空に星はあまり出ていない。かといって、かすんだ夜空ではない。透明だが、月が弱いため濃厚な藍色に染まっている。月が見える時に見せるモスグリーンの軽やかさはなく、じっとりと水を含ませたカーテンのように重そうだ。

 くせの強い髪がぴょこんと跳ねた。敵を警戒しての威嚇だろうか、とイツキはタイザーを違う生き物に捉えて一人笑った。

「何笑ってるんだよ・・・!本当に危険なんだからね!」
「わあった、わあった・・・んなに怒るなよ」
「怒ってないもんっ」
「そうか?難しいお年頃で」

 イツキは軽口をこぼし、仕方なく辺りを見回した。

 砂粒は夜露に濡れておとなしく地面に吸いついている。時折、自分の軽やかさを思い出したように数粒舞い上がるだけだ。昼間のにぎやかさに比べれば、耳鳴りよりも静か。

 その間をくぐり、二人は気配を探る。昼間よりも簡単だと思った作業は、思いのほか神経を使った。砂以上に夜の闇は重苦しく、人や物を隠すだけでなく音までもこっそりと覆いかぶさって消してしまう。

 衰弱していくような静けさだけが、通り過ぎていく。

 イツキは音をたてないように息を吐き出し、少し背中をそらした。やや緊張していた背中は大げさな音を立てて鳴った。その瞬間、タイザーは振り返り半眼でイツキを睨んだ。

「もう!ちゃんと探してる?」
「してる、してる。つーか、眠い」
「寝ちゃだめだからね!」
「へいへい。・・・でも、こうしてても仕方ないだろう?出てきて色々始まるよりか、宿屋に戻った方がいいと思うが。とりあえず帰りながら探ればいいだろ?」
「それも・・・そうだけど」

 タイザーはくちびるをとがらせると、少し目を伏せた。イツキはこっそりため息をつくと、小さな頭を軽く小突いた。またぴょこん、と柔らかい茶色の毛が跳ねる。

「お前、いい加減執着しすぎだぞ?何かあんのか、恨みでも」

 彼女は答えず、黙ってうつむく。夜が手伝い、表情はまるで闇に埋もれる。

 イツキはぼさぼさの髪をかきあげ、「言いたくなけりゃーそれでいい」と小さくつぶやき、前に進んだ。タイザーは付いてこない。

 徐々にタイザーの温度が離れるが、しばらくして彼女は走ってイツキの隣に立った。何も言わなかったが、これ以上拗ねたり沈んだりする気配はなかった。見ると表情は通常の、幼い子供のくりくりとした顔に戻っていた。

 気性が激しい、とイツキは心の中で舌打ちをするとだんだんと襲ってくる睡魔と格闘し始めた。普段ならもう寝てる時間だな、とあくびをかみ殺した。

 街頭すら眠る表通りに差し掛かる瞬間、砂粒が何粒か舞い、ひとりでにきらめいた。

 普段なら見逃してしまう、一瞬の動きがスローに進む。

 イツキはタイザーを見た。彼女の瞳もまた、きらめいていた。発光する瞳はどんな情報を映しているのだろうか。今のところイツキの瞳にはない。

「あ・・・・」

 驚きと警戒の声が思わずこぼれ出た。

 イツキはその声がタイザーのものだと認識できず、何となく首をかしげ、前方を凝らした。

「ああ」

 イツキの声もタイザーと似ていた。ようやく二人の目の前が一致する。

 タイザーは見開き、口を開けた。

「アンジェ姉ちゃん・・・・」

 多少自身なく、か細い声で言うと、目の前で蠢く影は嬉しそうに輪郭を浮かびあがらせた。すると今まで曖昧だったものが全て取り払われ、細部にわたってその人物を映し出す。

 アンジェは片手を上げると「やっぱり」と嬉しそうな反面、困ったように顔をしかめた。眉間は情けなくより、瞳は二人を交互に映している。

 三人とも気がゆるみ、同時に息をついて軽く笑った。

「よお、アンジェ。奇遇だな」
「奇遇、ねえ・・・」
「違うよ、いっきー」

 タイザーは自信満々に口を吊りあがらせ、イツキの服を引っ張った。

「アンジェ姉ちゃん。僕たちのこと探してた・・・ううん、もしかして付けてた?」

 アンジェは瞳を丸くすると、まじまじとタイザーを見た。年齢よりも大分幼く見える彼女の瞳は大人が見せる強さよりも固く、柔軟なのに鋭い。

 アンジェは両肩をすくめると、嬉しそうに笑って腰に手をあてた。

「正解。よくわかったわねえ」
「へへ、だって僕、シーフラフネスだよ!気配を探るのは得意なんだから」
「すごいわ・・・」

 アンジェは吐息を漏らし、呆れたように目をたらした。そして次はイツキを見て、もう一度肩をすくめる。イツキもまた、肩をすくめて苦笑した。

「すごいわね、あなたの相棒」
「さすが小動物ってところだろ?」
「何それ!」

 タイザーは掴んだままのイツキの服を思い切り伸ばし、「小動物じゃない!」とそれこそ威嚇するように体を逆立てた。イツキは苦笑いをさらに深め、ゆっくりと手から服を引きはがした。残念ながら、服は一部だけ山のような形をしながら伸びてしまった。

 イツキは一張羅なのにとぼやきたかったが、また伸ばされそうなので黙った。代わりに口に手を当て、こっそりとため息をつく。

 タイザーはため息に敏感に反応しながらも、アンジェに向く。その瞬間にはもう、表情はいつもの幼い顔だ。これにはアンジェも驚き、そして笑った。

「アンジェ姉ちゃん、どうしてここに?危ないよ」
「ふふ、ありがとう。でも心配だったのよ。もしかして二人が危ない目に遭ってるんじゃないかって。情報があんなのだったし・・・」
「でも、危ないよ」

 アンジェは口元に手を当てると、目を細めた。あまりに慈しみながら笑うため、タイザーは言葉を区切って口を結んだ。

「かわいくて素敵ね、タイザーちゃんって。でも大丈夫なのよ。私ね、昔これでも傭兵やってたのよ。腕は・・・まあ、その微妙だったけど」
「え、そうなの?」
「そうよ。旅しながら仕事してたんだけど・・・旦那と知り合ってからはこの町に住んで、傭兵もやめて・・・それでウエイトレスになったの。だからタイザーちゃんを見てて・・・なんだか疼いちゃって」
「そうなんだ・・・だから情報集めもできるんだね」

 タイザーは納得したのか、何度も首を縦に振った。アンジェも満足そうにゆっくりと一回頷くと「さて」と両手を合わせた。

「帰りましょうか。危ないからね、本当に」
「あー、助かった。アンジェがいなきゃあ、こいつ、何してたかわからんしな」
「なんだよ、その言い方!僕、何もしないもん」
「どうだか」

「いっきー!」

「なんだよ、怒るな・・・」
「違うってば!」

 影が生まれる。笑う者を捕えようと、ゆっくり確実に地面を這う。徐々に伸びていく黒い線にタイザーの顔は青ざめ、何が起こりそうなのかアンジェもわかったのか、くちびるを震わせた。

 一人わかっていないイツキは、二人の顔を見て体をこわばらせた。

「おい・・・何か、あるのか?」
「匂い・・・離れたと思ったのに・・・」

 自分を疑うような、責めるような口調でタイザーはくちびるを噛んだ。拳は震え、それでも素早く銃を取り出す。黒光りする二つの銃は、やはり何かを警戒していた。

 アンジェも無言で銃を取り出した。口径の短いものなので威力は期待できないが、武器には違いない。

 三人の足が徐々に早まる。影に捕らわれないよう、逃げながら。

「いっきー、何か来るかもしれないよ」
「・・・よくわからねえが・・・まあ、わかった」
「こんなときでもふざけてないでよね!いっきーも警戒してよ!」
「お、おう」

 イツキはタイザーに気圧されると、しぶしぶナイフを取りだした。イツキも気配に敏感な方だが、二人の感じているちくちくした空気はまだない。

 いつの間にか空には雲が出ている。時折月の顔を撫で、取りこもうと無理やり包む。それでも光は絶えず溢れ、地上をやんわりと照らす。

 ちゅん、と何かが鳴いた。

 小さな鳥がかわいく鳴いたような、一瞬の音。

 ぞわりと背中にムカデに似た這いずりが襲った。

 悶えたくなる、痛みとむずがゆさ。

 月が女の肌のように煌々と照る。

 影が深まる。黒く、地面に吸いつく。

 ナイフを持つ手が軋んだ。

「確かに・・・・」

 イツキの体にもようやく、二人が感じているものが伝わる。とたんに喉が干からび、渇きを覚えた。

「走った方がいいか?」

 どちらに聞くわけでもなく、イツキはつぶやく。

「ええ、そうね。まだ姿が見えてないからわからないけど・・危ないわ」
「僕もそう思う。・・・銃声も聞こえたし・・・・」

 タイザーの銃が舌舐めずりながら軋む。喜んでいるのだろう。月明かりを弾いて、小さな手に収まっている。

「よし・・・・」

 小さな足が地面を蹴る。

「お、おい!」

 飛び跳ねた小さな体を、イツキはそのまま横から掻っ攫う。華奢なわき腹が一度バウンドし、放れないよう、もう片方の手で固める。

「きゃあ!」

 突然の出来事にタイザーは叫び、とにかく手をのばす。そこにあるのは暖かい塊であり、慣れた匂いのする紺色のシャツ。タイザーは大きく目を開くと、状況が飲み込めないままもがいた。

「は、は、放してっ!」

 そう言いながらもタイザーはイツキの体にしがみつく。

「お前・・・今、どこに行こうとした?」

 イツキはタイザーを抱えながら走り、隣でアンジェが笑う。

「どこって・・・え?倒しに行くんじゃないの?」
「逃げる方の「走る」だ・・俺はヘーワ主義だからな。これ以上のことはごめんだ」
「なにそれっ!」
「はは、そうよ、タイザーちゃん。夜は何かと不便だし、人数いそうな気配が・・・」

 空砲。ちゅん、と地面をなじる。足元が踊り、もつれる。

「きゃあ!」

 タイザーは再び叫ぶと、転げ落ちないようにイツキの首にしがみつく。

「ぐ、ぐるしいんですけど、タイザーちゃん・・・」
「だ、だって・・・」

 茶色い瞳がはるか向こうを示す。

 月明かりに呼ばれ、蠢くモンスターのように影が集合する。

 まだ声になりきらない小さなもがきが何か訴える。


 誰だ!そこで何をしている!警備軍か?ドラッグコントロールか!待て!殺してやる!


 タイザーは唾を飲み込み、きゅ、とイツキの服を握った。

「な、なんだか増えてるよ・・・・」
「だろ?ぜってー、やばい」
「私もそう思う。多勢に無勢どころか、薬やってる人間ってとことん獰猛だし・・・下手すると痛覚ないやつまでいるのよ。とりあえず撤退した方が・・・」
「そんなこと言ってたら、いつまでも倒せないよ!」
「うわ、耳元で叫ぶな!」

 タイザーは黄色い声で突発的に叫び、イツキは軽いめまいを覚えた。アンジェはもう笑う余裕がないのか、前を向いて走っている。タイザーの言うことは聞き入れない方向のようだ。

 それはイツキも同感だ。こうして子供を抱きかかえてる状況はあまり楽しいものではないが、正解だったと、痺れてきた腕に笑う。

「じゃあ・・・・」

 タイザーの目が光ったように見えたのは幻覚か。

 イツキは横目で彼女の横顔を見ると、頬を引きつらせた。





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