一足先に宿についたアンジェは、案の定イツキとタイザーがいないことに口をへの字に曲げた。 おそらくどこかで捕まっているのだろう、と勘が言う。それは根拠なき思考から出てきたものではなく、数ある経験の中から抜粋、それを細かく砕いて導き出した一種の答えのようなものだ。ちなみに捕まっている、というのはどこかで油を売っている、の意だ。 アンジェはふいっと空を見上げた。深い夜空に瞬く星はあまり見当たらない。 どうしようかしら、と困ったように内心でつぶやいてみるが顔には違う感情が表れている。 ウエイトレスをやっている時に見せる、お客用の満面の笑みではなく、どことなくほくそ笑んだ子供の顔。悪戯をする前に胸をくすぐるあのくすぐったい感情が溢れそうになる。 「・・・・アンジェ?」 呼ぶ声に我に返り、アンジェは振り返ってなるべく笑みを消そうとしたが、頬が引き攣る。 「何でこんなところに?仕事の帰りか?」 聞きなれた声にアンジェは頷こうとして―やめた。後ろから現れた男は首をかしげ、アンジェの目の前に立つ。 「ああ・・・やだ。こんなところで会っちゃうなんて・・。近いものはあるけど・・・ちょっといいかしら?」 イツキたちに見せる姿よりもさらにフランクに、彼を見上げる。 「・・・・麻薬の売人についてなんだけど・・・」 Honey & honey 8 ばん、と扉が勢いよく開ける。そっと開けて入るのが本来の「侵入」スタイルかもしれないが、タイザーはそういった静けさなど生憎と持ち合わせていない。彼女はまだそれに気づいていないが―とにかく勢いだけはあった。 その勢いのおかげで、ネズミが逃げた。 「ひゃあ!」 ハムスターと比喩されるタイザーだったが、実はネズミの類は苦手だった。小さな溝色の塊はちまちまと素早く、目まぐるしく動いてはあちこちに隠れ、逃げ、タイザーの足元に絡みついては「ちう」と小さく悲鳴をあげて、やはり逃げた。 「・・・・・・・」 タイザーは声をあげることもできず、ぷるぷると震えながらその場に立ちつくすしかできなかった。今まで張り詰めていた糸が一気に絡まってしまい、タイザーは何か思う前に涙が溢れそうになった。 しかし急いで首を振り、文字通り気を取り直す。 ネズミのことをなるべく遠くの頭に放り込むと、改めて敵の気配を追った。 先ほどまでしていた、人独特の匂いのような、かさりと肌に触れる空気のようなものがあった。あったと過去形にしてしまうのは今はいないように感じるからだ。いくら気配を消す、という芸ができたとしてもやはりどことなく肌や髪に触れる「気」というものはある。 タイザーはひくひくと鼻を動かし、グリップを握りしめた。 「逃げた・・・・?」 だとして、逃がすような「鼻」ではない。リストに掲載された人物を逃す目でもない。 タイザーは頭を動かし、目を動かし、自分の周りにあるものありとあらゆるものに自分を巡らせる。 かた、と何かが動いた。 「・・・・窓?」 唯一ある窓にカーテンが挟まっている。タイザーは近寄って触れると、ゆっくり窓を開いてみた。 一方、バーの周りでイツキは奮闘していた。 「くそっ・・・・何で増殖してやがるんだ・・・!」 イツキとて一応戦うことはできる。ナイフの類だったら兄や姉のお墨付きだ。この物騒な世の中、多少の戦闘はできるのだが。先ほど自分でも思ったように、多勢に無勢、元より体力のないイツキにとってこの長期戦はへたばるばかりであった。それになぜかどこからともなく男たちは湧いてくる。倒れては現れ、倒れてはまた現れる。終わりのないループを感じ、イツキは軽くめまいを覚えた。 イツキは一旦、身を潜めようと離脱を考えたが、天は安息というものを彼に与えないつもりらしい。 虚しくもイツキの考えは四散した。 男たちの目と黒い穴が一斉にバーの屋根に集中した。イツキも思わず目を追い・・・顎が外れそうになった。 「タ、タイザー・・・?」 バーは二階建てになっているが、そんな高さはない。二階部は恐らく倉庫か何かに使っているのだろう。通常の二階建てよりはわずかに小さい。とはいえ、落ちれば足の骨一本は折れる可能性は大いにある。 イツキは思わず青ざめ、そして銃声に泡を吹きそうになった。 今まで散々戦い・・・この状況を作ったのは他ならぬ小さな少女・タイザーだ。 その少女がなぜか屋根の上にふらりと立ち上がり、撃ってくださいと言わんばかりに闇夜にぽん、と浮かんでいる。 それを逃すほど男たちは優しくないようだ。 乾いた音がいくつも重なり、重厚な不協和音を醸し出す。 「ひゃあああああ!」 銀色の閃光、弾けるオレンジの光。少し遅れて黄色い悲鳴。 今度は違う意味で、タイザーはダンスを踊るのだった。それも、鉄板ダンスを。 「くそっ・・・・」 イツキはいよいよ苦虫をつぶした苦渋に悩まされ、ナイフを握る。弾と違ってナイフの予備はそうあるものではない。いちいち刺しては手元に戻す、その作業を繰り返しているほど暇はないだろう。かといって銃は恐ろしいまでにコントロールできない。思わず逃げたくなるイツキだったが、相棒を見捨てるほど非情な性格はしてなかった。 とりあえずナイフを翻す。漆黒でもよく映える鉛色は空に線を残し、銃を乱射する男の一人に突き刺さる。呻き声が上がる前にまた別方向へ、かいくぐりながら足払いを決める。黄色い砂塵が音なく舞い上がり、視界をふさいで行くがイツキにとってそれは難にならない。 「ひゃあ、ひゃあ、ひゃああ!」 しかしそれでも攻撃はタイザーへと注がれている。いくらイツキに多少の注意がいったとはいえ、倒しやすいのはタイザーの方だ。 「タイザーめ・・・どーしてあんなところこ昇ったんだ・・・・。っち・・死んでくれるなよ」 屋根の上は他に誰もいない。追いかけられている様子もない。ただ一人、屋根に昇ってわあわあと悲鳴をあげているだけだ。 「うあ!」 銃声が届き、イツキは急いで頭を伏せた。これが夢だったら楽だったのに、とついに逃避行まで始めてしまう。 イツキはため息をバネにもう一度立ち上がり、ナイフを飛ばし続けた。すると男が呻きながら口を開いた。 「狙いはなんだと・・・」 「だから、知らねーって言っただろ・・・俺だってわけわかんねえんだ・・・」 だんだんと何のために戦ってるかわからなくなる。イツキはめまいを起こしながらも男の足にナイフを突き立てた。戦う理由はないが、死なないようにするためには戦わなければならない。 うずくまった男は苛立ちながらイツキを睨み、もう一度問いかける。 「俺たちに何の用だ。薬ならもうないぞ」 「・・・・薬はどーでもいいんだけどな。俺たちは賞金首を狙ってるんだ。お前たちのボスか?」 答えを聞く前にイツキはもう一度銃弾をかいくぐり、ナイフを飛ばした。 男は痛みにうずくまりながらも、眼光鋭くイツキを見据える。 「賞金首の名は」 「ああ・・・・えー・・ディンゼ、だったな」 「・・・・そいつならもういない」 男たちは何かに観念したように息をつき、顔を伏せた。呆気なく答える男にイツキは首をかしげた。 「んなこと言っていいのかよ」 「元よりお前たちのことなんぞ知らん。賞金稼ぎだったらなおさらだ」 ドラッグコントロールだったら条件は違うが、と男はつけたしながらナイフを引き抜いた。しかし立ち上がる様子はない。 「ディンゼは俺たちと商売をする前に姿をくらました。どうなったかは知らん」 男の口調はとげのあるものだった。偽りかどうかはわからないが、ディンゼらしき人物がいない様子やどうにも人数が多いところをみるとあながち嘘ではない。 「・・・・じゃあ、あのガキがただ先制攻撃しただけか?」 「ああ、そうだ。あんなチビに挑まれるほど、俺たちはそういう組織でもなんでもない。・・・いい加減に止めてくれ。このままじゃ、銃の金がかかりすぎる」 「・・・ごもっとも。ただ、あんたたちが銃をおろしてくれない限り俺たちも止まれない」 「しかし止まればまた撃つのだろう?」 男の言うことはよくわかる。お互いばかばかしいこともわかっている(何せ喧嘩の発端が小さな少女なのだから、余計)。 イツキは簡単に端的に「もしも」の話を出す。 もし、ディンゼがここに来なかったことが事実だとして。彼らのボス(生憎全員黒くて誰かどうだかわからないが)と取り巻きがここで待っていたとしよう。しかし待っても待っても取引先は来ない。来ないからそろそろ帰ろうかと撤収するのと同時にディンゼを探す。ディンゼは麻薬の売人だが個人のため、簡単に警備軍もしくはドラッグコントロールに身を捧げて自分の組織をばらす・・・そういう可能性もある。そうすれば小さな組織だろうと大きな組織だろうと打撃を受ける。その前にディンゼはどういう事情があれ、探す必要があるだろう。そうなればこのバー中心に組織は人を散らして捜索させる。人がこうも多い理由は何となくわかり・・・そうしてピリピリと苛立っている中にわけもわからない少女が参上。その後の展開は見ての通り・・・・十中八九、タイザーが勘違いして銃を乱射しまくったのだろう。 度胸がある以上に迷惑な話だ。 イツキは男たちに憐れみすら覚え、申し訳なくナイフを拾った。 しかしチキ、というシリンダーとトリガーのほくそ笑む声はやまなかった。 「・・・だが、ここまで被害が出たんだ。もちろん、おとしまえは付けてくれるんだろうな?」 頭に黒く冷たい物が当たった。イツキに覚えのある冷汗が流れおちる。そうだ。どのみち、結局はこうして堂々巡りで鉛玉は頭を狙う。 「生憎、そういう言葉は知らねえんだよな・・・・」 それでもイツキはいつもの調子を崩さず、姿勢も崩さず、それでも緊張する。 いつの間にか他の男たちも集っている。 ありとあらゆる眼球がイツキを映しこみ、銃は今か今かと待ち構える。 イツキは内心で舌打ちする。まだ心に余裕がある。 根拠はない。しかし何かあるはずだ。 イツキは普段から全く回していない脳をぐるりと回転させ―答えは勝手に出た。 「警備軍だ!」 男たちの声が一斉に動揺に変わった。 銃はどこに向けていいか分からず、男たちの体も右往左往へと揺れ動き始める。 イツキはその間をかいくぐり、一旦戦線を抜けようとして何かにぶつかった。少し柔らかい感触、そして落ち付く匂い。イツキの最も好きな感覚だ。 「はい、イツキくん」 「あ、アンジェ・・・・?」 そこに立っていたのは先ほど別れたアンジェだった。彼女は状況に似合わずにこにこと笑って手を振っていた。 「よかった。生きてて」 「ぶ、物騒なこと言うな・・・・」 「本当のことじゃない。蜂の巣にならなくてよかったわ」 「そう・・だな・・。と、ところで・・・こいつらは?」 イツキは場の空気が一転したバーの周りを見回し、いまいち飲み込めない様子で首をかしげた。 いかつい男たちは情けなく頭を垂れ、襟にバッチを付けた人たちに取り押さえられている。その中で一際大きく、凛々しい顔をした男が「一人も逃すな!」と吠えて彼らを指示していた。 アンジェは嬉しそうに目を細めると、誇らしげに胸をそらした。 「私の旦那、警備軍なのよ。ほら、そこで指揮取ってる。さっき、偶然会ってね・・・どうやら麻薬の売人を捉えたらしいの。そいつが今バーに買い手がいるっていうのを吐いたらしくって。じゃあついでにイツキくんたちを助けてあげようと思ったのよ」 「ついでね・・・そりゃー助かった。・・・ん?売人・・・?」 「えっと・・・二人が追ってた、例の・・・」 イツキはうずくまって頭を抱えた。 「・・・・・なんだよ、それ・・・・・」 「あはは、泣かないで。仕方ないじゃない・・・先に捕えちゃったんだから。賞金はでないけど、ほら・・怪我なかったし・・」 「俺の苦労は一体・・・・・つーか、あのガキめ・・・・」 「あなたを悩ませるタイザーちゃんは?いないけど・・・」 「あーすっかり忘れてた」 イツキはふらふらよれよれになりながら立ち上がり、屋根の上を見つめた。 タイザーは呆然と警備軍と捕らわれ行く男たちを眺めていた。 「タイザー、終わったぞー」 「ど、どういうこと?」 「警備軍に先を越されたってやつだ」 「え・・・・じゃあ、それって?」 「賞金首も捕まった」 「そんなあ・・・・」 タイザーはイツキと同じくその場にしゃがみこみ、情けない声を上げた。 「ったく・・・文句を言いたいのは俺の方だ・・・」 「あらー、タイザーちゃんってばあんなところによく昇れたわねえ・・・。一歩間違えば落ちちゃいそうなのに」 「戦は盲目ってやつだな。タイザー、降りてこーい」 「・・・・・・」 イツキの問いかけにタイザーは黙っている。黙ってぼんやりとし・・・ 「降りれない・・・・」 「は?」 「た、高いよう・・・・!」 「はあ・・・・」 敵がいなくなったことにより、覇気も気力も随分そがれてしまったらしい。 タイザーは元の、年齢よりも幼い顔に戻ってしまった。 大きな瞳に涙が溜まり、小さなくちびるは戦慄いている。 「怖いよーーー!」 「昇ったなら降りれるだろ!」 「ち、違うもん・・・だって、窓から、よじ登って、ここまで来たんだもん・・・・」 タイザーは窓を指差すとみるみる涙をため、こぼし始めた。 窓は確かに屋根とつながっているが、少し飛び出た形になっている。それに出入りするために作られたのではないらしく、窓のところにベランダはない。つるっとした壁面にあるだけだった。昇る時は屋根の縁を掴んで上に上がれるが、降りる時は上からロープをたらして入らなければ恐ろしい。何せ足をとどめておく踏み場はないのだから。 イツキは改めてタイザーがここを昇ろうとした勇気に乾杯・・・いや、完敗した。 「あんのガキ・・・・・」 「まあまあ、イツキくん。・・タイザーちゃん!お姉さんが受け止めてあげるから、そこから落ちてらっしゃい!」 「無理だよおおーーー!!」 しかもタイザーの目線から、イツキたちのいる地面までは遠くないとはいえ暗く、深い泥沼に見える。 タイザーはみるみる半狂乱になっていき、ついには大泣きし始めた。先ほどの威勢はどこへやら、ぴいぴいと盛大な泣き声が闇夜にこだまする。 「泣くなって!いいから、落ちて・・・・」 「いっきーのばかああああ!」 「なんだ、それは!」 「そんなの無理だもん、無理・・・うああああん!!」 「あー!!どうすりゃーいいんだっ」 イツキは腹立ちながらも泣きたい気持ちになった。 「イツキくん、落ち着きなさいって。そうね・・・・いい考えないかしら・・・。・・ちょっと、警備軍のところに行ってくるわ!」 アンジェは頼もしい笑顔と共に颯爽と一群の中へ駆け、残されたイツキは非常に情けなく嗚咽どころじゃなく大泣きするタイザーを見上げた。 「助けてよおお!怖いよお!」 「いーい機会だ。これに懲りたら無理やり首突っ込もうとするんじゃねえぞ!元はと言えばお前が勝手に始めた問題で・・・」 「ああああん!いっきーの意地悪ーーー!!変態!金なし!垂れ目!ひょろひょろ!ノーコンーーー!」 「何どさくさにまぎれて悪口言ってんだ!」 「ばかああああああ!」 タイザーの叫びが絶頂に達した時だった。 小さな体が 「れ?」 「タイザー!」 落下した。
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