小さな体がぽろりと、クッキーのカスよりも軽く落下していく。

 地面との距離はそう遠くない。たとえ落ちたとしても・・・いや、落ちようによっては叩きつけられて怪我どころでは済まされないだろう。

 警備軍たちも気づいて「あ」と叫んだが―


「きゃあああ!!・・・あ・・」


 唐突に途切れた悲鳴に皆目をつむる。最悪の事態を想像し、最良の状態を祈りながら。

 しかしそれは事なきを得ることとなる。

「・・・はー・・あ」

 深い安堵の息が静まり返った辺りにこだました。目を瞑った一人であるイツキも含め、全員が恐る恐る目を開き・・


「・・・あれ?」


 イツキは首をかしげた。

「きゃあ!きゃあ!ひゃあ!」

 いろいろな意味で悲鳴をあげるタイザー。

 イツキはさらに首をかしげ、かしげ、かしげ・・・彼女が逆さまになっていることにようやく気付いた。

 彼女は空中で止まっていた。

 髪を逆立て、めくりあがるスカートを必死に抑え、マントに顔を隠されながら。そして華奢な足の先には・・・手が伸びていた。

「あー・・助かった」

 その先にあるのは指揮官を取っていた警備軍の顔があった。アンジェの夫だ。彼は安堵しつつも顔を引きつらせていた。

「よかったなあ、お嬢ちゃん」
「あ、あ、ちょ、早くこの状態を何とかしてえええーー!」

 落ちる時よりも倍の悲鳴をあげ、タイザーはスカートを押さえて喚いた。



            Honey & honey 9



「こんの・・・・」

 イツキは珍しく怒りに震えていた。イツキという男の感情はそうころころと変わりはしない。常ににやにやと捉え所のない猫のような顔から少し発展するぐらいの表情の動き方だ。それが今は完全に怒っている。誰もが怒っているとわかるほどに怒っていた。

「ガキ!」

 震えた怒りの拳がタイザーの茶色い頭に落とされた。

「痛い!」
「痛い、じゃねえよ。ったく、どんだけ迷惑かけてるんだ」
「だって・・・」
「だって、じゃねえよ」
「・・・・・ごめんなさい」
「俺じゃなくて、アンジェたちに言えよ」

 イツキはタイザーの小さな肩をぐっと掴むと、アンジェと警備軍を指揮し、タイザーを助けた男の前に放り出した。タイザーはよろめきながら二人の前に立ち、恐る恐る顔を上げた。

「ごめんなさい・・・」
「ふふ、いいのよ。無事だったんだし、ねえ?」

 アンジェの夫も頷き、しかしどことなく呆れて腕を組んでいた。

「俺が手を伸ばしたからよかったものを・・・これからは気を付けてくれ」
「はい・・・」

 タイザーは小さな体をさらに縮めてしょぼん、と肩を落とした。その肩にアンジェは手を乗せ、笑顔を向けた。

「無事でよかったわ、タイザーちゃん」
「アンジェ姉ちゃん・・・・」

 タイザーは安心したように息を漏らし、アンジェにしがみついた。その光景に男二人は呆れる他できなかった。

 落ちるタイザーの落下を止めたのは、これから二階部から屋根に出ようとして身を乗り出した警備軍の手だった。彼はたまたまと言っていいほど、屋根に登ろうとして伸ばした手をタイザーの足に切り替え、見事キャッチした。タイザーは真っ逆さまのまま助かったのだが、スカートやマントも真っ逆さまになるため、とても恥ずかしい姿を警備軍たちに見せてしまったのだった。

 その後タイザーは引き上げられ、抱えられて戻ってきて・・すぐにイツキに怒られた。イツキがタイザーを怒る、という状況は今までにあまりない状態なので知ってる人が見れば目を点にしてしまうかもしれない。

 その一人であるアンジェは楽しくてたまらないのだろう。タイザーをあやしながらもにやにやとどことなく怪しい笑みを浮かべている。

「さあ、タイザーちゃん。宿に帰りましょう」
「待って・・・。・・賞金首って・・」
「それがね・・・残念だけど、タイザーちゃんがここに来る前にバーを出ててね・・しかも運悪く旦那・・警備軍が捕まえちゃったの」
「う・・じゃあやっぱり」

 アンジェは察して首を振り、タイザーは顔を青くした。

「そんなあ・・・お金・・・・」

 タイザーは安堵の涙から落胆の涙に変えた。

「ごめんね、タイザーちゃん。旦那の代わりに謝っておくわ・・・」
「結局・・・慣れねえことはするなってやつだ」

 イツキはタイザーの頭を小突き、ぐったりと息を吐いた。

「・・・・いっきー。もう怒ってない?」
「腹減るからやめた」

 イツキの表情はいつのもの顔に戻っていたが、疲れている様子は抜けなかった。

 それもそのはずだろう。

 疲れた頬に白い光がほのかに差す。

 群青のスクリーンに緩やかな朱が差し込み、まどろんだ黄みが辺りを暖かく包み始めた。

「うあ・・・朝日・・・・」
「わあ〜」

 先ほどまで見せていた反応の色はどこへやら、タイザーは嬉々と朝日を遠く見つめる。

 冷たい静けさは一気に解放され、暖かい騒がしさ、乾いた砂が舞い上がる。

 いつもの砂漠が顔を出し、日が昇り切ると同時に辺りはすっかり騒がしい砂塵の空となった。

 警備軍の男はアンジェに近寄ると「先に帰る」と小さくつぶやき、警備軍たちはぞろぞろと撤退した。情けなくお縄頂戴となっていかつい男たちを引きつれて。一種異様とも言える光景だが、新鮮な朝日がそれを中和する。

「さて、イツキくん、タイザーちゃん。帰りましょうか」
「ああ、そうだな」
「眠いよー」
「誰のせいだ、誰の・・・・」

 がっくり肩を落とすイツキの背中をタイザーは小突きながらも、それでもどことなく申し訳なさそうに口を曲げて一足先に前へ進んだ。




 その後、朝ごはんでもと誘うアンジェを断るよりも先にイツキとタイザーは倒れるようにベッドに埋もれた。よっぽど疲れていたのだろうか、一見すると死体のように見える二人にアンジェは面白そうに笑うのだった。鳥の巣に守られるようにして眠る二人はとても穏やかでアンジェは少し羨ましく思った。

 結局二人が起きたのは昼過ぎてからだった。

「おはよう、二人とも。よく眠れた?」

 その問いに二人はぼんやりしながら頷き、開いているテーブルについた。昼過ぎてから大分たつので、人の出入りはほとんどなく、アンジェも暇そうにテーブルを拭いている。

「今日もプリン?」

 イツキは力なく笑ったが、首を振った。

「いや・・・・もう次の街に行く。・・・・麻薬関係が絡むとみょーーーな事が起きるからな・・・これ以上滞在はできねえ」
「でも疲れてるんじゃない?」
「しーーぬほど疲れてるさ・・・でもこれ以上の疲労はいらねえからな。さっさと次行くよ・・・」
「えー。せめてプリンだけでも食べようよう」
「あのなあ・・・おちおちしてると、ややこしいことが起きるぞ。麻薬は組織うんたら、売人なんたらは面倒なんだ。警備軍が捕まえたとしても、まだ捕まってねえ人たちだっているはずだからな。それよりもさっさと次の街行って、デザートシーブス適当に狩って金にした方がいいだろ・・・・どーせ、賞金首はもういねえんだし」
「ええー・・・」
「わがまま言うんじゃありません〜・・」

 タイザーは頬を膨らませたが、力なく顔を伏せた。
 それよりもアンジェの方ががっかりとしていた。笑みは浮かべているものの、眉間は震えていた。

「それは・・・残念ね。せっかく街に馴染んできたのに」
「ああ、残念だ。アンジェも口説けなかったしな・・・人妻っていう言葉は中々いい響き・・・ってえ!」
「へんったい!!撃つよ!?」
「散々撃っただろ・・・」
「このやり取りも見れなくなるなんて。やっぱり残念ね」

 じゃれる二人にアンジェはますます顔を曇らせる。

「街に留まるのもいい案だが・・・俺たちは目的があるからな」
「そうだよ。ブルーヘブンが待ってるんだ」
「ブルーヘブン・・・何度聞いても不思議な言葉ね。・・・また遊びに来て」

 イツキとタイザーは同時に頷くと、少し未練がましそうにじわりじわりと腰を浮かした。

「じゃあ」
「またねー!!」

 ようやく立ち上がり、二人はアンジェに背を向ける。アンジェもようやく笑顔を取り戻し、手を振った。

 消える二人と揺れる扉ををじっと遠く見つめながら、何度も何度も。


 しばらくして再び扉が揺れた。とてもよく見なれた顔・・・警備軍であり、自分の旦那である人物。彼は疲れたように目をこすり、二人のことを尋ねた。アンジェはがっかりした様子を見せたが、笑っている。

「あの二人見ると、ちょっと前のことを思い出しちゃって・・・。懐かしいな、傭兵時代」
「そうだったなあ・・・」
「私も何か追いかけてたっけ・・・」
「また傭兵に戻るとか言わないでくれよ?」
「ふふ・・・わからないわよ?と、言いたいところだけど。それはないわね・・・向いてないし。せめて噂に聞くルードウィップぐらい力があれば・・戻るかも」

 彼は頭をかき、アンジェは彼の脇腹を小突いて笑った。






 
「・・・・プリン、もっと食べたかったなあ・・・」

 街を出るところになって、タイザーは振り返った。活気帯びている街はどことなく楽しそうだ。鬱陶しく思える砂塵も今はきらめきながら踊っている。どれととっても後ろ髪を引かれる光景だが、タイザーは前を向いた。

 対するイツキはいつも通り、背中を丸めてポケットに手を突っ込んでのらりくらりと歩いている。顔もいつもと変わらず、飄々としていた。それでもどことなくがっかりして見えるのは・・気のせいなのかもしれない。

「げ、まだ食う気だったのかよ」
「だっておいしかったもん。毎日食べても飽きなかったよ」
「そうかあ〜・・・?俺はもう勘弁だな・・・」
「甘党なのに?」
「限度があるんだよ」
「ふうーん・・・」

 タイザーは首をかしげ、イツキは嫌そうに舌を出し、二人は街を出た。

 一歩踏み出せばそこは一面、黄金の海。照り返す光は眩く、行く先を消してしまう。

 タイザーは大きな瞳を細め、嬉しそうに微笑んだ。

「ブルーヘブン、次の街にいるかなあ?」
「さあな」
「いっきーは何でブルーヘブン探すの?」
「・・・・さあな。お前は?」
「秘密だよ」
「じゃあ俺も秘密だ」
「けち」
「・・・・・・」

 タイザーはふふ、と笑い声をあげると一足先に黄金の海に飛び込んだ。

 まるで鳥のように、ふわりふわり。

 青い空に溶け込むように。


 イツキは小さな背中を見つめ、砂の道を歩み始めた。


おわり


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