紗が流れるように空は砂を纏う。流れるカーテンと共に、どこか遠くへ行ってしまいそうな焦燥がそこにある。 だがその部屋にはぬくもりしかなく、穏やかな時間だけが過ぎて行く。冷たい空とは無縁のものがここにあった。 イツキは規則正しく上下するベッド――タイザーを覗きこむと、呆れるように軽く息をついた。丸まって眠るタイザーは小動物のようで、寝ている顔も平和そのものを映し取ったかのように見える。とはいえ、今はまだ昼前だ。先ほど起きたばかりであり、朝食を食べてまだ数時間と経っていない時刻のはずだが、タイザーはすっかり熟睡していた。 腹が減ったのでそろそろと思い、覗いてみたらすでにこうして寝ていた。いつ寝たかわからないが、そういえば朝食の時も珍しくこくりこくりと船をこいでいた気がする。タイザーは目覚めもよければその後の行動もはっきりとできるため、そうした寝ぼけはほとんどないのだが、たまにこうしたことがある。昼間寝たり夕方寝たりと、寝てる時間の方が多いのではと疑ってしまう。よほど疲れているのか、成長期なのか。一応年頃なので後者ということにし、イツキは何事もなかったように赤いマントの中にあるピンク色の巾着を手に取った。 「おーい、タイザー。腹減ったー」 いつもの音量で問いかけるが、反応はない。一応起こしたからな、という言い訳を心に付け加えると、イツキは数枚のコインを物色し、部屋から出て行った。一刻も早くまともなものを食べたかったのだ。何せ昨日は野宿だったのだから。 そんなイツキをタイザーはなんとはなしに感じながら、やはりイツキはのんびりとだらけていて――誰よりも平和に時を過ごしていると思うのだった。 手を伸ばせば届きそうなほど空が近く、藍色に染まる空には宝石のような星たちが輝いていた。タイザーは思わず手のひらをかざし、その中に星を入れてみた。もしこれが願いを叶えてくれる素敵な宝石だったらいいのに、と思う反面、すでに願い事は叶っている気がして、ふと笑ってみた。 次の街は思っていたより遠く、野宿となってしまったのだが、運よくオアシスがあった。規模は小さいが水たまりもあり、イツキの背ほどしかないが一応木もある。乾燥が激しいのか、木の表面は硬化していたが触れてみるとしっとりとしたぬくもりが感じられた。久しぶりに感じる青い香りにタイザーはもたれかかりながらゆっくりと深呼吸をする。 その隣ではイツキがブランデーを舐めている。アルコールの匂いと木の匂いは不思議と合い、まるでバーにいるようである。これでジャズがあれば、ここは最高の空間だ。 「いっきー。干し肉食べる?」 「つまみ程度にな……」 少し苦い顔をしながらそれでも受け取ると、口に運んで顔をしかめた。案の定の表情にタイザーは笑い、自分も食べた。固いが噛めば噛むほど肉の脂やうまみがにじみ出る。とりわけおいしいという代物ではないが、不味くはない。 「お前ってすごいな……。心底羨ましいよ」 こりこりと食べる姿を横目で見ながら、イツキはついに降参したのか干し肉を断念した。その分アルコールをふくむと、幾分か赤い顔になりながら息を吐く。青い匂いはすっかりアルコールに変わっていた。 「僕はおいしいと思うんだけどな……。それに、旅のヒツジュヒンだよ?今までどうしてたの?」 「俺はなあ、そんなサバイバルじみたことはやらねえの。金がある時はもっといい非常食を買ってたし、金がねえ時は優しい女に貰ったり」 「む」 相変わらず女の事しか考えてないようで、呆れる以上に腹立たしい。タイザーは思いっきり干し肉を口に放り込むと、放り込みすぎた事に後悔しながらもがんばって咀嚼した。イツキが思っている以上にはおいしいと思いながら。 「野宿になっちまった時は、しょーがねえから寝てたしな。生憎、干し肉とは縁のない旅をしてたってわけだ」 「いっきーってやっぱり甘いよね」 「そうそう、俺は甘いもんでできてんの」 軽く頷きながらもブランデーを舐め、飽きたのか満足したのか蓋をしめて懐にしまった。垂れた黒い目はますます垂れ下がり、瞼は眠ることしか考えていない。ずるずると体がだらしなく崩れ、大きな欠伸を一つした。 「そういうお前こそ、よく旅できたな……」 「僕はいっきーと違うんだから。干し肉も食べたし、野宿もしたし……色々経験してるの」 「その割に処女なんだろー?」 「いっきーってどーーーしてそっちに話を持って行くの!?もう、信じられない!!起きてても変態だし酔っぱらっても変態だし、いつだって変態すぎる!」 「それこそ、俺ですから」 イツキはもう一つ大きな欠伸をすると、瞼を閉じてしまった。 「ま、ガキの寝込みを襲う奴はいねえよな」 「ガキじゃないって何度言わせ……」 言葉が急速に消える。イツキは信じられないことにたった数秒のうちに眠ってしまったのだ。心地よさそうな寝息と共に顔がみるみる弛緩していく。その平和そうな顔ときたら、タイザーの怒りなど太刀打ちできないほどだ。 「……あのね」 イツキが寝ているとわかっていながらも、タイザーは独白した。 「僕が子供だって事は僕が一番わかってるの。でもね、それでも危ない目に合いそうになったのは一度とか二度とかじゃないんだからね。だから僕は「僕」だし、強くなろうとがんばったし、それに…」 息を吐くと、白い砂が浮いた。イツキは自分の手を枕にしてすっかり熟睡している。めでたい、としか言えない。 「いっきーは知らないかもしれないし、気づいてないかもしれないけど。僕、野宿の時は寝ないんだよ」 イツキから目をはずすと空を見上げる。澄み渡った空気に広がる星は日々の瞬きに似ている。 「ずっと、こうして起きてるんだよ。多分他の旅人もそうなんだよ。だからね、いっきーのこれって異常なんだから。本当に……信じられない」 出会った時もそうだった。砂漠の真ん中で寝ていられるのは神経の図太いデザートシーブスしかないと思うほどに。 「いっきーって甘いよ。甘過ぎる。それこそ気づいてないかもしれないけど、いっきーってすごーく平和だよ。どうしてブルーヘブンを追ってるかわかんないぐらいに」 いくらため息をついてもイツキが起きることはない。いつでもそうだ。例えデザートシーブスが襲いに来ようと呑気に寝ている。それこそ一度や二度ではなく、あったというのに。銃が何度吼えようとイツキは気づかない。 「夜は長いんだからね……」 夜が怖かった。闇にまぎれて襲う敵はデザートシーブスだけでなく、過去の幻影も妄執も襲ってくる。それらはまるでタイザーを苛むように圧し掛かり、喉をつぶす。小さいくちびるは悲鳴すら形にできず、ひたすら小さく丸まり、とにかくやり過ごすしかない。布団を出てしまえばそこは底のない沼が広がっているという妄想に取りつかれ、足すら出せなかった幼い時のように。朝になれば何もかも消えると信じ、丸くなって震え続ける。 今日もそうして過ごさなければならない。それでも――役に立たないとはいえ、イツキがいる夜は一人の時とは違った。オアシス、という言葉がしっくりくるほど、タイザーの胸に生ぬるい水が心地よく満たされる。穏やかすぎる時は暖かく、安堵させるには十分な効果があった。 イツキが起きていればと考えたが、こうして寝顔を見ているのも嬉しかった。砂漠の世界には孤独だけではなく、こうしたぬくもりもあるということを思い出させてくれるからだ。 ――僕は一人じゃない。 その事実だけがタイザーを支えてくれる。孤独がたわむ。 そうしていくうちにゆるりゆるりと空が白み、朱に染まりながら青く青く、いつもの空を映しだすのだった。 おわり
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