TOP

名前の距離

 黄金の砂塵が輝く。乾いた風に舞い、空へ消える。塗りつぶしたような紺碧の空には真っ白な太陽が浮かび、地上を強く照り付けていた。木屑散る木造の家、コンクリートの壁、行き交う人々。全てのものを平等に照らしやがて辺りは白濁とした熱に染まり、視野はおぼろげなものとなっていった。

 その中でぽつんと浮かぶ赤いマント。太陽よりも鮮やかに輝くと、風のように飛び跳ねた。それは少女の形を作り、幼い顔立ちを浮かび上がらせ、少女には不釣合いの黒い塊――ルガーP90を生み出す。両手に構えたそれはすでに熱を失っているが、獲物を狩った匂いはまだ残っていた。

 その姿をやや離れたところでぼんやりと見る男がいた。寝癖交じりのぼさぼさの黒髪、しわだらけの青いシャツ。背中を丸め、口には甘い香りを放つ煙草をくわえ、垂れた目で少女を眺めている――幾分か渋い顔立ちで。男は、苦い味がいつまでも口の中を転げまわっているような表情のまま片手を軽くあげ、煙と共にため息をついた。

「ねえ!ねえってば!待ってよ!」

 少女は飛ぶように駆け抜けると、男の元へ一直線に向かう。男はというと、壁にもたれかかったまま少しだけ目をそらしていた。まるで他人です、と言わんばかりに。

「待ってってば、いっきー!デザートシーブスの残りがいたんだから!気づかなかったの?僕を置いていかないでよ!」

 近づけば近づくほど、少女の顔立ちが幼いことに気づく。少女はどう見ても10代半ばに到達するかどうかだ。対する男は20代の半ばを過ぎようとしているところだ。二人の年齢は定かではなかったが、最低でも10歳は離れているに違いなかった。

 男の悩みはそこにある――そうだ、男は悩んでいた。今更解決することでもないが、少しでもよい方法はないかと考えを巡らせる。

「いっきーってば!」

 癖の強い髪を揺らし、少女はぴょんぴょんと跳ねた。しかもこの少女、小さい。男と頭一つ以上違うだろう。

「いっきー!」

 男を呼んでいるに違いないが、男は反応できないでいた。代わりに、周囲にいる人々がひっそりと聞き耳を立てて好奇のまなざしを向けている。本人たちはこっそりだろうが、男からすれば痛いほど視線を感じる。見るなら堂々と――否、それはそれで遠慮したいが、とにもかくにも問題は少女の発言にある。

「いっきー!」

 男はようやく口を開く。どこかよそよそしい声で、ひっそりと言った。

「……その呼び方……どうにかなんねぇのか……?」
「え?」



             名前の距離



 イツキとタイザー、正確には10歳離れている。イツキは25歳、タイザーは15歳。イツキは年相応に見えるだろうが、タイザーはどうひっくり返って見たところで10歳ほどにしか見えない。場合によっては15歳に見えなくもないが、それにしてもとにかく幼い、小さい。丸い瞳にそばかすの鼻頭、小さなくちびる、頬は柔らかそうな丸みを帯びている。癖の強い茶色の髪はタイザーのステップに合わせて楽しそうに揺れ、赤いマントもふわりと風になびいている。その動作は全てイツキの眼下で行われ、表情は見えにくい。それほど小さい。

「ねえ、いっきー」

 タイザーは歩きながら上目にイツキを見る。そうしないと見えないわけだが、その仕草も幼い。人々の視線が再び強まる。

「あのなあ……さっきも言っただろ。呼び方、どうにかしてくれないか……?」
「だから、何の事?」
「俺の名前だ、なーまーえ」
「いっきー?」
「それ、それだ……」

 タイザーが愛称を言う度に人々の視線が集う。この街は商店が多いせいだろうか、規模は小さいが人並みはそこそこある。表通りは行きかう人で賑わい、砂の声よりも人のざわめきのほうが大きいほどだ。他の街では滅多に見られない光景である。だからこそ人の目が痛い。

 イツキはまたも煙と共にため息を吐き出すが、タイザーはわかっていないようだ。歩きながら小首を傾げ、不思議そうに瞬きを繰り返した。

「えー?いっきーって呼び方が嫌なの?今更だよ」

 二人が出会ってすでに数十日。名乗った時からタイザーはイツキを「いっきー」と呼び、まとわりついている。そもそも、こうしてくっついてくる事が全ての元凶に違いないのだが、彼女を一人にすると泣き始め、途方もないほど悲しい声でわめくのだ……それこそ今更となってしまったが、捨てることはできないでいた。

 さておき、この愛称がイツキの悩みの種だ。それは以前から持つ悩みなのだが。

 タイザーの足がぴたりと止まり、軽く上を見る。古びた木製の看板が風にはためき、軋んだ音を立てている。先ほど取った宿屋だ。商人がよく利用するのだろう、佇まいは立派で砂に負けずと木の光沢を放っている。内装も同じく、シンプルだがきれいに整っていた。

「お帰り、お嬢ちゃん」
「ただいま!」

 宿屋の亭主がひょっこりと顔を出す。昼を過ぎたこの時間帯に宿を取りにくる人はあまりいない。亭主も暇なのだろう、片手にコーヒーカップ、テーブルにはクッキーのかすが転がっていた。そのまま食べつづけ、暇をつぶせばいいものを、亭主はイツキにあの視線を投げつけた。イツキは反射的に頬を歪めたが亭主は気づいていないようだ。

「ところで、お嬢ちゃんと兄さんは兄妹かい?」

 とは聞いてきたが、欠片も思っていないだろう。何せ二人の共通点は「青い鳥」という以外まるでない。特に外見は似ていない。

 イツキは半笑いのまま、何か言い出しそうなタイザーを無理やり前に進ませ亭主という罠から逃げた。ここで何も言わないのも、亭主の妄想を膨らませてしまうだけだが言ったところで通じないため、とりあえず黙るという選択肢を取る。

 二人はそのまま部屋に入ると、ソファに腰掛けた。

「つまりは、そういう事だ」
「いっきー……ちっともわかんないんだけど……」
「お前はいいよなぁ……。気づかねえってのが一番いいよな……」

 イツキとタイザーの共通点はあまりにもなかった。年齢も身長も何もかも違う。兄妹かと言えばまるで血縁を感じさせない。そうなると――二人はただの旅の共に過ぎないのだが――ロリコン、という視線が投げかけられるのだ。しかもタイザーは幼い。10どころか15歳ほど離れて見えるのかもしれない。となると、イツキは犯罪すれすれの事をしている……ような気になってしまうのだから恐ろしい。現に未成年拉致だが(この世界に未成年という概念はほとんど存在しないのだが、言葉だけある。法律はないに等しい)。

「つーことで、呼び名」
「えー。いっきーが呼びやすくていいのに」

 タイザーは小さな子供のように頬をふくらまし、くちびるを尖らせる。心底不満のようだが、イツキも引き下がれない。

「イツキでいいだろ。呼び捨てで」
「やだよ。言いにくいもん。言いにくいから、いっきーにしたんだよ」
「言ってるうちに慣れるだろ」
「……イツキ」

 タイザーはしぶしぶ言ってみるが――よくよく考えれば、呼び捨てもロリコン対象に入ってしまうのではなかろうかと疑念がよぎる。年の離れた、他人の男女が呼び捨て……確かにロリコンから脱出できていない。他人はやはりそう認知してしまう可能性が高かった。

「いや、他の言い方はねえのか?」
「他?他って何?」

 何でそんなこと、とタイザーは無言で訴える。イツキも口に出せるものではなかったので黙ったが、タイザーもそれ以上何も聞かずとりあえず考えてくれた。

「あ、年離れてるから、お兄ちゃんは?」
「兄……」

 イツキは三人兄弟の末っ子なので兄と呼ばれた事が一度もない。それはそれで新鮮だ。いっそ、似てはいないが兄妹に見せるというのも一つの手段だ。

「イツキ兄ちゃん」

 とはいえ、やはり似てない二人だ。危ない趣向が混じりそうな気がしてきたイツキであった。

「……やっぱり却下だ」
「もう、なんなんだよ!変ないっきー!やっぱりいっきーでいいでしょ!」
「いや、何かあるはず……」

 どうしてもそこから抜け出したいイツキだが、呼び方というのはそんなにあるものではなく、よくよく考えてみたが結局脳内でもたった二つの選択肢を並べただけで終わってしまった。

 と、タイザーが急に手を叩いて立ち上がった。丸い瞳が輝き、どこか悪戯っぽく笑っている。

「じゃあ、これは?」
「なんだ?」
「お父さん!」

 がらり、とイツキの中で何かが崩れる。だらしがない、しっかりしてないと言われても老けているとは言われたことはない。確かに、それなら多少外見が違えど好奇の目からは逃れられるだろう。

「だが、却下!俺はんなに老けてねえっ!」
「いっきーのわがままっ!」
「わがままはお前の専売特許だろっ」
「僕がわがまま!?わがままなんて言ったことないもん!」
「嘘言えっ。泥棒の始まりだぞ、ってすでに盗賊泥棒だけどな」
「泥棒じゃないよ!シーフラフネス!」
「知らねえのか?シーフラフネスは盗賊を狩る盗賊って言われてるんだぞー」
「知ってるけど、泥棒じゃないもん!盗賊でもないもんー!それに、いっきーは誰のお金で食べてるの!?僕のお金だよ!」

 タイザーの口が「あ」と形を作ると、小さな指先をイツキに突きつけ叫んだ。おそらく、好奇の目どころか誰もが逃げそうな呼び名を言う。

「ヒモ!いっきーのこと、これからヒモって言うからね!」
「う、うるせぇ……っ」

 甲高い声で告げられるその言葉は酷く残酷だが当たっているため何も言えない。そうなると、今までの選択肢の中で最も近い正解は「ヒモ」ということだが。

「ああ、もう、いい……。やめだ、やめ!」
「じゃあ、いっきーでいいよね?」
「……好きにしろ……」
「最初からそう言えばいいのに」

 少女はそう締めくくり、勝ち誇るように胸をそらして仁王立ちした。完全にタイザーの勝利だ。まさかこんなにも選択肢がないとは、とイツキは先ほどのタイザーと同じ笑みを浮かべた。これで鬱憤を解消するしかない。

「その点、お前はいいよなあ。チビ、ガキ、胸なし、わがまま、いろんな呼び方があるしなあ。特に胸はねえなあ」

 勝利に満ちた顔にヒビが入る。タイザーは瞬時に怒りのまなざしを向けると、ご主人様の叫びに答えるようにルガーP90を二丁手に滑らせた。

 そしていつものように「撃つよ!?」の叫びと同時に銃声が轟き、最終的にはタイザーが何もかも勝利するのであった。


おわり


TOP