1・辛い女

 ―♪The inside of a brain is out of order. You said. It loves.
It is playing a trick. That fellow would surely strike medicine.♪ It is getting drunk with the world.
―Therefore, it says. It whispers about the love which was wrong to me.・・・・・




          Heaven?


 乾いた鈴の音がかすかに響く。店内は騒がしく、下世話な話題に花を咲かせる男たちのだみ声によってすぐにかき消されたが。だが過敏なマスターはじろりと入り口を見た。

 マスターは渋い顔で客をにらむ。口元を隠すほどたっぷりした白いひげが何か言いたそうにピクリと動いた。

「あーあー・・・今日も収穫なしか。―親父、グラスホッパー」

 マスターは無言で戸棚から一本、瓶をわし掴むと突っ込むようにグラスの中に注いで出した。イツキは渋い顔をしてそれを受け取る。焼けつくアルコールの匂いが早くも喉を焼いた。

「親父・・・これ、ウイスキー・・・・。俺が頼んだのは、クレームドカカオとクレームドメンテとさらに生クリ〜ムがシェイクされたやつなんだけど」
「うちにそんなふざけたやつはねえ。あるのはウイスキー、テキーラ、ビールのみだ」
「あっそ」

 しかたなくウイスキーをなめる。黄金色の液体は容赦なく喉を攻撃する・・・それも悪くない。
 グラスを回し、頬杖をつく。あたりを見回と、脂ぎった男たちがビールをがぶ飲みしていた。みんな陽気に酔って真っ赤な顔して笑いあう。

「なんだかなあ・・・」

 一見楽しそうな光景も、時として妨害となる。雑音ともとれる声にげんなりしながら、またちびりちびりグラスをなめた。

「折角のジャズが台無しじゃねえか」

 かすかに、本当にかすかにジャズが耳に届く。それは首を絞められた子供のようにかすれた声。崩れた音程でらりったように唄う。イツキにはそれが心地よく感じられた。

 イツキは気を取り直すと、黙々と働くマスターを上目に見つめた。

「ところで親父。この辺で鳥見なかったか?あおーくてきれーな鳥」
「知らねえよ」
「あー、なんつーか、鳥?鳥か、あいつ。んーまあ、とにかくきれーな青いやつさ」

 マスターは答えなかった。あきれてるのかうんざりしているのか。どことなく狂った調子で言うイツキに一瞥もくれようとしない。

 イツキはやれやれと肩をすくめた。本当はマスターがやりたかった仕草だ。

 仕切り直すように懐から緑色の箱を取り出した。香ばしくも気だるい甘さが辺りに広がる。お気に入りの、誰にも理解されない甘い煙草。軽く振り、煙草を加える。そして銃。

「・・・・・・」

 再びマスターはにらんだ。イツキはひひっと声を出して笑う。

「これ?趣味いいだろ?ライターさ。つっても、もうすぐ売りに出しちまうんだけどね。金がねえってのは大変だよなあ」

 引き金を引く。ちりりっと素早く火がうつる。息を深く吸い込み、煙を味わう。甘ったるい煙がくすんだ天井にふわりふわりと細く昇り、かき消えた。四散した後も甘く、マスターは何度目かの苦悶の呻きをあげた。

「おいあんた」
「青い鳥知ってるのか?」
「その煙草吸うならトイレで吸ってくれ」
「・・・・・・・」

 どこのバーでもそうだ。誰も理解してくれない。

「この甘さがいいんだけどな・・・」






 まるで牢屋のように灰色の壁、壁、壁。スプレーの落書きのせいか、シンナーの匂いが鼻をつく。所々に下品な落書きがあるが、これらはいつ描かれたのだろうか。妙に子供じみた落書きたちは見ているだけで、ただでさえ低いテンションをさらに低迷させる。

「ひでえよな・・・・」

 イツキは誰に言うわけでもなく、しぶしぶ煙草を吸う。甘い匂いでなんとか匂いも気にならずにすむが、場所が場所だ。

 酒を飲みに来たのにトイレに来たのか。まったく、と心の中でため息をつく。同時に煙が、虫がはいずりそうな扉を叩きつけた。

「やれやれ」

 煙草をくわえたまま便器から立ち上がる。

「・・・・・・・・」

 懐に手をいれる。冷たい感触。氷よりも、何よりも冷たくて重い「鉛」の感触・・・それを確かめると、頭が扉より頭が出ないように便器に乗る。中腰のままそっと息を潜める。


 音もなく灰が落ちた。


 床にふわりと落ちる前に、目の前の扉が唸りを上げた。激しく蹴倒される扉は猛獣のように牙をむく。


 唐突に開く白い視界と、黒い塊・・・正体は女だ。女は目の前にいるであろう「標的」に目を射る。


「動くな。・・・・!?」


 扉を蹴破ったと同時に彼女は頭に「標的」の姿を描いていた。身動きもできないでたじろぐ男の姿は・・なかった。代わりに火のついたままの煙草が床で静かに横たわるのみ。

「・・・どこに・・・・」
「ここは男子トイレだぜ?」
「?!」

 女の後ろに彼はいた。いつの間に、と声を出すのも惜しい一瞬に、女はひじを彼にめがけて突進させた。

 風を切るような素早い肘鉄を紙のようにひらり、と彼はよける。するとまたしても女の視界から男は消えた。

「なんなの・・・」

 二度も視界から消える男の姿に女は決して苛立たず、冷静に辺りを探る。体は動かず、冷たく光る瞳だけが宙を分析する。右、左、後・・は、と女は上を見る。

 まるでコマ送りのように。止まっているかと思うぐらい、彼はゆっくりと舞い降りる。これなら避けれる・・・だが重力でも働いているのだろうか、体は動かない。時間は平等に流れているらしく、女の体もまたゆっくりと強張っていった。

 彼が着陸した瞬間、時間は元の早さを取り戻した。女は息をのみ込む。何よりも大きく見える銃口が女を見つめていた。目を見開いたまま、女は硬直する。

 嬉しそうに引き金がちきりとささやく。イツキは余裕の笑みを浮かべると転がる煙草を踏みつけた。

「なーんてな」

 引き金を絞る。乾いた音と共に飛び出したのは弾丸ではなく、火だった。しかし女は脱力することなく、彼を睨みつけた。声はまだなく、代わりにイツキが口を開いた。

「あんた、何者だ?」

 所在をなくした女の手首をつかむ。思った以上に彼女の手は固い。

「・・・・・」

 女は手を振り払うというよりも引きちぎるように引いた。簡単に離れた手にイツキは残念そうに口を曲げた。

「力あるな。・・・・・丸腰のくせに誰と戦おうとした?」

 女はイツキをにらむ。鋭い灰色がかった瞳はナイフよりも鋭利な武器に見え、イツキの背筋は自然と震えた。

 短い赤茶色の髪、たくましい体つき。胸まで筋肉ではと疑うほど彼女の四肢は鍛えられてた。隙などどこにもない。まるで豹のようなしなやかさ。対峙できたのが不思議なほど獰猛なものを背負っている。

 俺が勝てたのは運だな、とイツキは人知れず冷汗を流した。

「・・・・・ヤクの場所は?」
「・・・はい?」

 彼女は今にも食いちぎりそうなほどイツキを眺め、整ったくちびるから静かに声出した。声は瞳や体同様、鋭利なものだった。

「ヤクよ。知ってわね。もうここの存在はバレてる。さっさと言ったほうが身のためよ」

 ほとんどくちびるを動かさずに言い放つ。よほど訓練された人間なんだろう―それはわかった。しかしヤクのことは一切知らない。

「おいおい。人違いだ」
「・・・・なら五つも並ぶ個室でなんでここを選んだのかしら?」

 ゆっくりとナイフのような手がイツキに向けられる。イツキは顔を少し引いて両手を軽く上げた。

「俺のラッキーナンバーは2だから」

 女のしなやかな手が鞭のように横を区切り、視界がブレた。

「!?」

 イツキは驚いてジャケットを見た。かまいたちのようにぱっくりと破れている。

「おいおい!これ、俺の一張羅なんだぞ?」

 女は手をゆっくり自分のもとに引きつつ、もう一度同じ質問をした。イツキの抗議はまるで聞いていない。

「だから、知らねえって!そもそもヤクって・・・」
「ドラッグよ。どういう名で通ってるかまだ知らないけど、私は薬って言ってるの。早くしなさい」
「め、命令口調は嫌われるぞ。女はもっと甘いほうがいい・・・」
「もう一度攻撃するわよ。今度は喉に」
「あー!わかったわかった!でも知らねえもんは知らねえんだ。なんなら荷物でも見ろよ」
「・・・・・・・」

 女はイツキをきつく見据えると、ゆっくり手を伸ばして肩をつかんだ。女はイツキの顔を見ながら気を緩めることなく、あちこちまさぐる。ただの身体検査だが、どうしても顔の筋肉がたるんでしまう。

「いーいねえ・・・・女にまさぐられるってのは・・・いて!つ、つねるな・・」

 ふらつくイツキを無視し、女は見つかったものたちを取り出して並べていく。

「・・・・財布、鍵、果物ナイフが三つ、銃が二つ・・・・あら、ちゃんと避妊のことは考えてるのね」

 コンドームをつまんで意地悪そうに女は笑う。

「はらませるのは趣味じゃないんでね。よかったら今使う?」

 獣のような視線でイツキを射す。冷徹な目に自然と頬が引き攣った。

「冗談だ。ま、どうせならもっとやわらかい女がいいけどな。あまーいあまーい、アイスクリームみたいな女」
「よかったわ、好みに合わなくて。・・・でも本当に違うのね。出てこない・・・症状もない・・・・」
「最初から言ってるだろう」
「・・・・男は疑え、我が家の家訓」
「正しいよ、それ。―で、何で俺をやってるやつだと?」

 女は壁にもたれ、足と手を組んだ。

「・・・・・言う義理はないわ」
「いいじゃねえか。暇な俺への土産話に。なんだったら手伝ってやってもいいが?」
「・・・・・・」

 イツキとそれほど背の変わらない女は彼を見下すように見つめると、少し鼻から息をもらした。

「本当に暇人なのね。―まあいいわ。存在を知っててもらったほうがやる人も減るだろうから。・・・・・私は「ドラックコントロール」。麻薬取締り班の一員」

 その名にイツキはぴくりと反応する。

 麻薬取締班、ドラッグコントロール。子供でも知っている有名な組織だ。街を保護する警備軍とは違い、麻薬に通じる者だけを排除する特殊な軍隊。

 イツキはなるほど、と内心頷いた。彼女独特の鋭さはそういったところから来ているのかと納得する。

「ここで売買が行われてるからいっちょ捕まえてこい、か・・・・」
「そんなところね。で、あなたはどうしてここにいたの?そして何者」
「俺は単なるしがない遊び人さ。ここにいたのはマスターがこの煙草のにおいを嫌うから追い出された、それだけ」

 煙草を取り出してくわえ、火をつけて笑ってみせる。

「・・・なるほどね」

 甘い匂いに顔を少ししかめたが、彼女はそれ以上文句は言わなかった。イツキはそのまま吸い続ける。

「で、だ。暇な俺はあんたを手伝おうと思うんだが?」
「断る」

 瞬殺。彼女の手刀のように早い回答にイツキは苦笑いを浮かべる。

「暇なんだよ。それに、もしかしたら俺の探し物も見つかるかもしれねえ」
「探し物?」
「答える義理はないさ」
「・・・・そうね。・・・一応一般人は巻き込むなって言われてるの。残念ね」

 そりゃ残念、と二人は同時に肩をすくめて、イツキは煙草を捨てた。

「なら俺におごる義理はあるだろ?間違えたお詫びかねて」
「・・・・・ナンパ?」
「だから、俺は甘い女が好みなんだって。あんたみたいに辛い女は苦手。―で?」
「・・・・それくらいならいいわ」
「なら店を変えようぜ」
「どうして?やっぱりヤク―」
「ここにはグラスホッパーがないからさ」
「とことん甘いものが好きみたいね・・・・」
「ああ。べたべたの甘党。・・・あんた、名前は?俺はイツキ」
「私は―9thよ。残念ながら本名はいえない」
「そういう組織だったな。・・・わかった。じゃあ、行きますか」

 二人はトイレから出る。店内は相変わらず男たちがビールをがぶ飲みし、笑いあっていた。


 ジャズはかすれながらも何かを伝えたくて、訴え続けていた。二人はそっと耳を傾ける。


―♪The inside of a brain is out of order. You said. It loves.
It is playing a trick. That fellow would surely strike medicine.♪ It is getting drunk with the world.
―Therefore, it says. It whispers about the love which was wrong to me.・・・・・


「思うんだけど」

 出口の扉を押しながら9thはつぶやく。

「歌って一種の麻薬みたいよね」
「ああ、俺もそう思うぜ。耳に入って脳内を支配する、最高のドラッグだな」


 ―♪The inside of a brain is out of order. You said. It loves.
It is playing a trick. That fellow would surely strike medicine.♪ It is getting drunk with the world.
―Therefore, it says. It whispers about the love which was wrong to me.・・・・・


「そういうところは、気が合いそうね」


 乾いた鈴の音が響いた。でも二人が出て行くのを誰も見てはいなかった。





<<−− TOP −−>>