12・天国を口にする者 最初に訪れたのは、後悔の念。次に襲ったのは、恐怖。 タイザーは何よりも大切なルガーP90を握りしめ、くちびるを噛んだ。引き金がちりちりと反応する。 銃を放つ理由はない。まだ敵か味方かわからないのだから。少なくてもマルアスは・・・賞金首だが、違う。小さな本能がそう伝えている。彼は恐ろしい人物に映るが、ブルーヘブンを追う者。味方ではないが、敵でもない。 考えるべきはもう一人の男だ。 一体何を握っているのだろう?ブルーヘブンの何を知っているのだろうか。 タイザーは再び両手に力を込めると、そろりと歩きはじめた。 Heaven? タイザーはマルアスを追い、一人飛び出したことをすぐに後悔した。 そもそも、酒を飲んだのが間違いだった。アルコールはタイザーを高揚させる代わりに、判断力と反射神経、射撃力を奪った。銃を持つ手が柔らかすぎて、餅にでもなったように力が入らない。緊張する頭がより、思考力を奪った。 追いかけた先にマルアスはいなかった。代わりに、対峙していただろう男がタイザーを待ち構えていた。 「ガキ。何のようだ?」 女子供も容赦なく切り捨てるだろう・・・・それほど、男は殺気立っていた。爪を立てるオーラに、タイザーは一瞬飛び上がる。男自身に恐怖を感じたのと同時に、自分が気配を察知できていなかったという焦りも来る。タイザーはなるべく表に感情を出さないように努めたが、余計に緊張が顔をほてらせてしまい、逆効果だった。 「・・・・・・・・・」 どう切り出していいものか。ぎり、と奥歯をかみ締めながらルガーP90に手を添えた。引き金は軽い。男よりも素早く撃つことは可能だろう。すでにセットしてある銃をタイザーは構えようとして、叫んでしまった。ルガーP90よりも思いシリンダーの動き。黒い穴がじりじりとタイザーの眉間を狙う。 「妙なまねはするな」 男は恐ろしいほど静かにつぶやいた。シリンダーが徐々に動いていく音だけがやけに響く。 タイザーは唾を飲み込み、ゆっくり手を下に降ろした。 「何かは知らんが」 男に表情はない。人形のようにぴくりとも表情が動かなかった。能面のような男の顔に気をとられていたのか。やはり酒のせいだろうか。 「!?」 黒い影がタイザーの後ろを襲い、体は文字通り硬直させられた。両脇を固められ、振りむくこともできない。 「バーにいたガキ・・・・なぜ俺たちを追いかけようとする。・・・・さてはブルーヘブンか?」 「知ってるの!?」 タイザーはもがきながら必死に叫んだが、やはり男の顔は動かなかった。抜け出すこともできず、タイザーの頭は混乱していくばかりだ。ついには声も出せず、体から力が抜けていく。 脱力していく小さな体に男は鼻で笑うと、タイザーの後ろを取る男に顎を向けた。後ろの男は頷くと、手を翻してタイザーを地面に落とし、引きずった。ぞり、と嫌な音が暗い足元から聞こえる。 「ちょ、ちょっと、や、・・・・離してよ!!」 引きずられる力の方が強いのか、タイザーは動くことすらできなくなっていた。血の気が徐々に下がっていく。 ここにイツキがいたら、多少状況はよかっただろう。そう思うと、余計にあの場にいなかったイツキが憎い。 じたばた動きながら、にやにや笑うイツキの顔を思い浮かべる。助けてほしいという気持ちよりも苛立ちが込みあがる。女を連れ込まれた時の気分と同じだ。そう考えると・・・タイザーの頬に少し活力が戻った。 「離せ!離してよ!!」 「うるさい」 ぐら、と転地がさかさまになるような、夢に落ちていくような気持ちの悪い浮遊感が襲った。アルコールが全身を浸していく、揺らめく感覚に似ている。ふわりと飛ぶ体にタイザーは自然と力を抜き、意識はぷっつり堕ちた。 突然、店内に流れるジャズが消えた。かすれたレコードの音もない。 「お客様。閉店時間です」 「・・・・・・・・」 イツキは煙草をくわえ頬杖をしたまま、店内をぐるりと見回した。 タイザーは帰って来ない。いろいろな心配要素がイツキの肩に圧し掛かるが、とりあえずここにある問題から解決しなければ進むことができない。煙草をもみ消し、多少引きっているだろう作り笑顔を浮かべる。こうなれば最終手段しかない。 「・・・あのさあ・・・・俺、金持ってないんだよね〜・・・ツレが持っててさあ〜」 マスターは表情を崩さぬまま、最後に磨いたグラスを棚にしまった。 「それでさ〜」 「当店でのツケはお断りしてます」 やたら丁寧な言葉で返されてもイツキは笑顔を崩さない。ここで引いたらおしまいだ。 「いいじゃねえかよ〜なあ」 「お断りです」 マスターはてきぱきと無駄のない動作でカウンターを拭く。顔が映り込むほど、丁寧に磨き上げていく。 イツキはパン、と思いっきり両手を合わせると、カウンターに額を付けてひたすら懇願した。これでだめだったらどうしようと思いつつ。 「絶対だ。絶対、後で返す。・・・・タイザーが見つかったら」 「今日はもう閉店です」 「明日返すからよお〜!」 ダダをこねる子供のようにその場で手足をばたつかせる。 「なあ〜・・・・・・」 本当に子供のように、潤んだ瞳を上目遣いにマスターを見る。マスターは気味悪く思っているのか、目をあわそうとせずに「そこに誰も存在していない」ように今度は床の掃き掃除を始めた。 こうなれば更なる最終手段だ。これがだめだったら・・・改めて、金のない自分に嫌気がさした。 イツキは懐を探り、適当なものをカウンターに置く。白熱灯だけになったカウンターでも、それはよく映えた。 「俺のタカラモノ。・・・・十分だよな?」 初めてマスターは、目だけだが反応を返した。ぎょろりと大きな瞳がイツキを睨む。 「・・・明日、必ず」 「うっし」 ようやくイツキはその場から離れることができた。素早く立ち上がると、扉を蹴破った。音楽の消えた店内に鈴の音が騒がしく響く。 どうしてか嫌な予感が先ほどから拭えない。明日から生活する金がない・・・そういう心配ではなく、静けさに突然現れる幽霊のようなさざめき。 微妙にざわめく胸を不安に思いながら、砂を蹴り飛ばした。 冷たい。暗い。体が、重い。嫌な三拍子がタイザーを襲う。 どうやら眠ってしまったらしい。うまく開かない、熱い瞼をゆっくり開いてみたが、何かかぶさっているように瞼は半分までしか開かなかった。 周りが暗いのか、はたまたタイザーの脳内がまだ寝ぼけているのか、辺りはやけに黒く沈んでいた。月明かりの下にある砂漠だってもう少し明るい。 もしかして夢なのだろうか、記憶が曖昧だ。そもそもいつ眠ったのか記憶になかった。 「ガキが起きたみたいだぞ・・・・・・・・」 静かな声が、低く這うようにタイザーの耳に入った。イツキの声ではない。初めて聞く声だ。なおさら、ここがどこだか不安に思えてきた。なのに体は自由に動かない。 「どうするんだこれ」 また違う声が聞こえる。 「さあ?売るんだろ・・・」 さらに違う声。数人の男たちの声が代わる代わるタイザーに届いた。 「ガキ」 丸太のように太い足が突如、暗闇に浮かび上がる。タイザーは体をびくりと震わせたがどうやら幽霊ではないらしい。ぼんやりしていると今度は大きな腕が浮かんで伸び、タイザーの髪の毛をむしるようにねじりあげると顔を無理やり上に向かせた。 「いたっ・・・・・・・痛い痛い!!何するんだよ!!」 大きな瞳がさらに見開かれる。タイザーはようやく、自分がどんな姿か把握できた。 お気に入りの赤いマントがない。いつもそこにルガーP90をしまっていたので、取られたのだろう・・・いや、それどころではない。体を動かそうとして、愕然とした。 腕、さらには縄抜けできないようにわきの下と頑丈なロープが巻きついている。タイザーの腕ほどあるので解くことはまず無理だろう。 「何だよこれっ・・・・・・・」 タイザーの瞳にじんわり涙が浮かぶ。もがけばもがくほど、腕のロープは食いつき、髪の毛は引き千切れそうだった。 その姿を、男は無言で見ていた。表所のない男・・・マルアスと対峙していた、情報屋らしき男だ。そしてタイザーを捕らえた張本人。 「・・・・・・ブルーヘブンをなぜ知っている・・・・・」 男の声は、静か過ぎるほど小さかった。それなのに深く強く部屋に響く。 「離して!」 「ブルーヘブンを、なぜ知ってる?」 「!!」 茶色い髪がさらにねじり上げられた。扱いが徐々に乱暴さを増しても、男の声は変わらない。 「・・・・・・・・・」 頬に涙が一筋流れた。痛みと恐怖が入り混じる。男はつまらなさそうに鼻を鳴らすと、手を離した。タイザーの小さな頭は思い切り下に落ち、重い音が時響きのように鳴った。床はむき出しのコンクリートらしい。それは理解できたが、痛みで声を失った。 「まだこのヤクの出所は知られてなかったはずだ・・・・・」 とたんに襲ってきた恐怖に、タイザーの体は知らずのうちに震え始める。無力な体は何もできないことを悟ったのだ。 「ガキ。もう一度聞こう。どうしてブルーヘブンを知ってる?どこで情報を得た?」 タイザーは小さな口を動かしたが、声がでない。忘れてしまったように、喉が引き攣る。しかし容赦なく降り注がれる殺気に、言わなくては殺されると本能が震いだし、ようやく声を出した。 「・・・・ブルーヘブンは・・・・薬じゃない・・・」 「薬じゃない??何いってんだ、こいつ」 「立派なヤクに向かって薬じゃないとはなあ・・・・・・・・」 「それとも、こいつより強力なヤクを使ってるから、こいつじゃあもうトリップできないとか?」 げらげらと、蛙の合唱のように嫌な笑い声が部屋中に響いた。男の他にまだ数人いるらしいが、彼らはそこから動く気配はない。 「黙れ」 タイザーを締め上げる男はここのボスなのだろう。 男たちは逃げるようにお互い固まり合い、黙った。男は振り向き、タイザーを覗き込む。 「・・・・・・・薬じゃない?」 「そう・・・ブルーヘブンは、単なる青い鳥で・・・・・・」 「青い鳥だと?」 男の表情が少し動いた。眉の間が神経質に痙攣する。 「青い鳥か。マルアスの野郎と同じ・・・・」 「そうだよ!青い鳥!招待を受けてないやつらなんかにはわからないんだ!」 上半身を反らし、涙でいっぱいになった目で懸命ににらむ。これが精一杯だ。 「招待・・・?ガキ、詳しく話せ」 タイザーは答えず、代わりに舌をだした。 「・・・・そうか」 「!!」 岩石のような手がタイザーの頭に降りかかる。コンクリートと手に挟まれ、衝撃で視界が消えた。遅れて、ゴングの音が頭に鳴り響き、吐き気と痛みが込みあがった。つぶれた悲鳴と共に、タイザーは小さな体を丸めた。 「招待・・・・・・招待か・・・・・・・」 男はそれ以上攻撃せず、手を退けて立ち上がった。 「どうするんすか?あのガキ」 「女とはいえ、ガキなんて相手にできねーしな」 「今すぐうっぱらいますか?」 「いや。どうせなら有効活用しようか。・・・・・お前たちを「招待」してやろう、青い世界に」 ことん、と青い瓶が置かれた。切れかけた白熱灯の下でも透通るコバルトブルーを机に映り込ませる。きらきらと水面のようにテーブルの上で揺らめいた。 「ま、まさか・・・・・・」 「そう。これがお前らのやりたがってた「ブルーヘブン」だ」 男たちは喉を鳴らした。やけに大きく響く。 「くれてやる」 放り出すと、群がる蜂のように男たちは一斉に瓶を割り、貪り始めた。男はそれを軽蔑の眼差しで見ると、タイザーに向いた。相変わらず表情は乏しい。 「お前のいうブルーヘブン・・・・求めた姿を見せる麻薬じゃないのか?こいつを食えば、求めたヒトになる・・・・違うか?」 タイザーは意識朦朧とする脳内を必死に揺さぶり、男を見上げた。 「それを証明してやるよ。どこまでこれが効くか・・・見ものだな。せいぜい、体張って効能を知るんだな」 男が言いえると同時に、部屋の中が静寂に包まれた。 いや、タイザーだけがそう感じてるのかもしれない。 あまりに体内が不安でざわめいているから、体の外の音が聞き取れないでいるのかもしれない。 男は消え、ブルーヘブンを口にした者だけがこの場に呆然と立ち尽くす。薬は徐々に聞いているのか、放心状態だった男たちの目が唐突にオレンジ色に光った。閃光の眼差しは焦点の合わない空中に放り出され、瞳の奥は喜々とたぎっている。どこか純粋に見える目は子供のようだが、口もとはだらしがなく開かれたままだった。 「はは」 ふいに男の一人が笑った。 「見える・・・・・・・」 「そこにいたのか」 ようやくここに来てくれた、ここにいてくれるんだね、会いたかった、早くここへ・・・・。 輝いていた瞳が闇に飲まれた。呂律の回らない口が愛しそうに言葉を紡ぐ。ゆっくりと優しく、語りかけるように。手を伸ばした目線の先には誰もいないが、その下にはうずくまるタイザーの体がある。男たちは小さな体を見つけると、嬉しそうにほころんだ。服用した全員ではないが、数人、タイザーを熱く見つめる。残った数人は、這い蹲うように倒れて芋虫のようにもぞもぞ動いていた。そこには苦しみが刻まれていた。 「・・・・・・・・・・?」 よほど頭を強く打ったのか、意識に霞がかかる状態は回復できない。ただ嫌な予感だけはする。彼らが「何を」見ているのか、「何」を対象としているのか。 そしてこれからどんなことが起こるのか。 早く逃げたい、ここから消えたい。それなのに体は動かない。顔を動かすことすらできず、タイザーは呻いた。予感がしているのか、涙は勝手にあふれ出ている。 「・・・・・・・・・・女だ」 「俺の、女がそこにいるぞ」 苦しむタイザーとは正反対に、男たちは恍惚とした笑みを浮かべてふらふらと小さな体へ向かう。 「探していた」 「求めていた」 ありとあらゆる手が暗く伸びる。捕まったらおしまいだ。きっと、おしまいだ。 タイザーは体をくねらせ、ゆっくり後ろに下がった。 異様な様子に吐き気を覚える。怖い、怖い、怖い。恐怖と言う恐怖が全身をくまなく襲う。 「来るな・・・・・・・」 ようやく開くことのできた口からこぼれる言葉は酷く頼りない、か細いものでさらに不安感を呼び起こす。 「来るな・・・・・・・!」 男たちは止まらない。声も届かない。 「嫌だ・・・・・!!」 ブルーヘブン。 どうして君は違う招待状を作ったの? 偽りの、夢を。偽りの、ヒトを。 もう一度出会わせる・・・・・? 麻薬で得るのは、違うもの。それは天国じゃないよ。 「来ないで・・・・!!」 助けて、いっきー・・・・・・・・・!
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