13・What drug shows 一方、時を同じくしてイツキも冷汗を流していた。 砂塵が静かに舞い、イツキは唾をゆっくり喉に押し込んだ。少しだけじゃりっとしていて気分が悪くなりそうだったが、それどころではない。気を緩めたらおしまいだ。 「く・・・・・・・」 わんわんわんわん! 「うわ!!ほ、吼えるなっ」 わんわんわんわん! 「わ、だ、だから・・・何も持ってねえよ!」 実は動物はとても好きなイツキだが、飢えた犬は怖くて近寄れないものがある。それというのも以前、餌と間違えられて腕を思い切り食いつかれたからだ。いくら飢えていたからとはいえ、腕と餌を間違えることはないだろう・・・イツキはそれ以来、血眼な犬に近寄らないようにしている。 「・・・・・たく・・・・泣きてえのはこっちだよ・」 しつこく追い回される犬をようやく巻くと、イツキは一息ついてあたりを見回した。月すら眠りたくなるような夜更けに人の気配はある方がおかしい。 宿に戻ったが、タイザーはいなかった。宿付近やバーももう一度覗きこんだが、やはりいない。突然の失踪にさすがのイツキも首をかしげ、真剣に悩んだ。 「まさか誘拐?あんなガキをか??・・・・・俺には信じられねえな」 とはいえ、世の中変わった性癖の人や趣向の人がいる。ないとは言い切れない。 「・・・・・・ま、それはさておき」 足を止め、笑ってみる。犬に追いかけられたと同じぐらい、冷汗が背筋を撫でる。 「・・・・・・迷った・・・・」 Heaven? 全ての世界から遮断する、けたたましい音がタイザーの鼓膜で踊った。まるで爆音だ。 それがタイザーの体内で響いた音と知ったのは、意識が再び朦朧として失いそうになってからだった。 「会いたかった・・・・・・・」 優しい台詞とは裏腹に、男の手がタイザーの目を覆うように押し付けられた。二度三度とコンクリートに打ち付けられ、タイザーの体はすっかり動かなくなっていた。蠢くこともはおろか、体を動かそうと言う思考回路すら成り立たない。 「会いたかった・・・」 「会いたかった」 「会いたかった」 「会いたかった」 恐怖で狂ったように叫んでしまいたかった。なのに口は開いても声はでない。 「ふう・・・・・・!」 違う男の手がタイザーの喉を絞める。自制ができないのか、男たちの手は異様なまでに震えていた。 そしてタイザー自身も震えていた。とぐろを巻くのは男たちの手か不安か恐怖か。全ての畏怖の念がタイザーの小さな体にまとわり付いて侵食していく。 助けを呼びたくても、涙が流れるだけ。涙でしか叫べない。 抵抗したくても、震えるだけ。ただひたすら心の中で、もがくだけだ。 助けて 助けて 頼りないイツキの姿が懐かしい。幻覚でも蜃気楼でも妄想でもいい、思い出していないとすがりついていないと、ぐちゃぐちゃに崩れて狂ってしまいそうだ。 水におぼれるような息苦しさを覚え、タイザーは動かない手を幻覚に伸ばした。 いっきー・・・助けて・・・! 暗がりに対峙する二人の表情はまるで「無」だった。何もない黒い部屋にマルアスは一人待ち続ける。コンクリートで固められた室内の温度は冷たかったが、どこか高揚する意識にはちょうどいい。 「待たせたな」 マルアスはゆっくりと顔を上げた。男の表情のなさは自分と似ていて不愉快だが、これからもらう情報のことを思い、ぐっとこらえる。マルアスの心情を知らず、男は青い瓶を弄びながら目の前に座った。 「ブルーヘブンは」 「これだ」 男は瓶をテーブルに置くと、無造作につついた。ぐわん、とバランスを失った瓶は狂うように踊り、ゆっくり倒れた。 青いビー玉のような玉が弾かれたように一斉に散らばる。まるで降り注ぐ雨のように、テーブルから落ちていった。 「これは」 「お前が言っていた鳥じゃない」 「ヤク、か。・・・俺はヤクをくれとは言っていない」 目をつむる。全身黒に染まるマルアスの体は完全に闇と同一のものとなった。黒い岩は殺気をにじませたが、対峙する男はぴくりとも反応しない。 「だが、俺の知るブルーヘブンはこれだ。会いたい人に出会わせてくれる、ハッピードラッグのことさ」 「確かに・・・・それはあっている」 「それに、だ。「会いたいものにあえる」という効能は立証されている・・・いや、立証中か?」 「・・・何?」 「確かめるか?」 「ヤクはやらない。俺が欲しいのは鳥だ」 二人の声は淡々と響き、転がり続ける玉だけがけたたましく笑っている。 男は一粒、手にとってまじまじと見つめた。青い瑠璃色の玉は宝石のように強い光を秘めていた。 初めて、男は笑った。けなすような笑みだった。 「とりあえず確かめてこいよ。この目で確認してこい。そうしたらお前も気が変わる」 「どういうことだ・・・・・・・」 男は玉を落とした。にちゃり、と口元だけが醜く歪む。 「言っただろう。立証中だ、と。丁度いい実験体が入ってな、今実行中だ・・・・よく効いてる」 「どうやって・・・」 「まあ、聞け。これがおもしろい。こぞって、大の男たちがガキをまわしてる」 マルアスの瞳が強く光った。 「メスガキが、愛しいヒトに見えるんだろうなあ・・・・後であいつらにガキとやってた、と言ったら・・・多少、いい笑い話にはなるだろう」 最後の一粒がテーブルから落ちた。 「しかも薬の効果か?異様な興奮状態に入っている。愉快を通り越してグロテスクな光景さ」 「胸クソ悪い・・・・・・」 「あ?」 マルアスはブルーヘブンを蹴り飛ばした。壁にぶつかった瓶はあっけなく破裂した。 「お前は、偽者の天国で満足できるのか?」 「なんだ、お前。いきなり・・・・・とりあえず落ちつけ」 蛇がにらむよりも強く、苦しい歯軋りと共に手に銃が装備される。殺意は膨らみ、ガラスのように破裂しそうだ。 「めでたいな」 サブマシンガン―H&K・MP5が今か今かと、黒い瞳で男を狙う。 「ガキを平気でいたぶる豚野郎は気に食わん。この話、なかったことにしてもらおう」 「ま、待て。待つんだ。こいつの出所を知りたくないのか?」 「青い鳥以外、興味はない」 「じゃあ・・・・・」 男の声に、初めて焦りと恐怖の感情が入り混じる。しかしそれを逃すマルアスではない。 「黙れ」 殺意が放たれた。男は逃げる間もなく、弾丸という糸で壁に縫いつけられる。銃の音が無慈悲に響き、マルアスの顔を男の体を連射する。 弾薬が虚しく滑り落ちた。魂が浮かぶように、銃から煙が吹き上がる。 鮮やかな血が部屋一面に彩られた。黒い空間に鮮血は何より美しく浮かび上がった。 「俺が欲しいのは本物の天国だ」 偽者の天国は押しつぶされた。衝撃で転がり、全て血だまりに沈む。 マルアスは男の存在を忘れ、その場を去った。 圧迫する静寂。無音だ。 のけぞることすらできない。抵抗を許されない沈黙。 思考すら、圧迫されて回転することを許さなかった。 タイザーの耳は、もう何も聞き入れなかった。恐怖はとうに消えうせた。頭がどこにもない、体もどこにあるのだろう?思考をはじめとする全てが「放棄」されていた。 滴がぽたりと床を湿らせる。どこから来た液体だろうか?ないはずの頬が濡れる。 涙すら抵抗をやめているのに、この液体は一体。 「・・・・・・・・?」 ゆっくりと思いだしながら、感覚が戻ってくるのがわかる。頭が、手足が、体がその場に現れはじめる。一番最初に感じたのは、冷たさ。次に感じたのは重さ。 「・・・・・・・・・・・」 黒い固まりが上から降ってくる・・・・そんな気がした。いきなり天井が落ちてくるような、プレッシャーだ。 「・・・・・あ・・・・う・・・!」 しかしそれが人の顔だと認知されると、タイザーはこれでもかともがいた。完全にパニックに陥っている。茶色い瞳は暗がりで何度もおぼれ、明るい所を求めようとした。 だが、体は動かなかった。なぜ動けないのか・・・感覚を思い出し、事の成り行きを思い出したタイザーの頭はとても耐えきれるものではなかった。より深いところで混乱し、もがき・・・激しい異臭と粘着質な液体が自分にまとわりついていることに気づいた。 よく見ると、タイザーの全身は赤かった。赤いマントをはずされたはずなのに、真っ赤に濡れていた。 目を見開き、周りを見る。 男たちが倒れていた。タイザーを掴もうとする手足はどこにも見当たらず、男の頭部だけが無造作に転がっている。いや、それどころではない。ほとんど原型は留めていない。 真っ赤な血肉。溢れる花のように、タイザーを囲んでいた。 「!!!!!」 肉塊と化した男たちに不快感が胸を襲い、タイザーはその場に嘔吐した。さらに異臭が立ち込めていることを思い出し、胃の中がなくなるまで吐き続けた。恐怖と理解できない状況に混乱し、もう出ないと言うのに黄色い酸だけがあふれ出る。 止まらなくなった体に黒い塊がそっと触れた。タイザーは顔を上げようとしたが、嘔吐が止まらずそのまま繰り返した。 「・・・・・・・・・・しぶといな」 静寂に響く、しっかりとした声。 「生きてるな」 少し、知っているような声だった。押しつぶすような低い声だったが、不思議と恐怖は感じられなかった。 不意に体が軽くなった。黒い塊ははロープを見せ付ける。タイザーを拘束する縄はもうどこにもない。 ようやく嘔吐の止まったタイザーは顔を上げた。 「・・・・・・・・・マル・・・ア・・ス・・・」 「無理をするな。この先、出なくなるぞ」 声がつぶれて出なかった。どうしてここにいる、とか、この場はどうなったのか、とかいろいろ聞きたいことがあるのだが、酸でやられた喉は一言もしゃべらせてはくれない。 「・・・・ブルーヘブンのことを聞きにきた・・・・薬だったがな・・・・・・」 察したのか、マルアスは淡々とつぶやいた。 H&K・MP5を分厚い懐にしまうと、タイザーの傍にしゃがんだ。吐き続けた体はようやく止まり、荒い呼吸を繰り返す。 今にも羽ばたきそうなサブマシンガンを見て、マルアスがここにいた男たちを肉塊に変えたことを悟った。 「運のいいやつだ」 ひょい、と軽々タイザーを肩に乗せる。 「よかったな。まだ未遂だ」 タイザーは泣いた。それは嘔吐による涙か、恐怖による涙か、安心感による涙かはわからなかったが、狂ったように泣き続けた。マルアスは始終黙っていたが、大きな肩はとても温かかった。 月は異様に大きく、町全体を包む。済んだ夜空のスクリーンは月を煌々と鮮やかに映し出し、美しさを超えて不気味に見えた。 イツキは煙草の煙で隠そうとしたが、煙はあっという間に掻き消えてしまった。 気がつくと、フィルターぎりぎりまで火が迫っていた。それを落とし、揉み消す。地面には似たような吸殻が数本、ねじり込まれていた。そこだけ甘い匂いが充満している。いい加減、この匂いにも飽きてきた。 ようやく戻れた宿屋の外で、イツキは待つことしかできないでいた。ぼーっと、すりつぶれた煙草たちの残骸を見る。我ながら情けないが、下手に動くよりもこちらの方がいいと思えたが妙に落ち着かない。やはり行動を起こし、街中を探す方がいいのだろうか・・・自分の優柔不断さにそれこそ飽き飽きしていた時だった。 「・・・・・・!?」 不意に暗闇が襲う。あれだけ大きく見えていた月がかけらも見当たらない。起きているつもりが目でもつむってしまったのだろうかと思ったが、鼻を突くような異臭がイツキを叩いた。イツキは大きく見開き、急いで立ち上がった。 「・・・・あんた・・・」 目の前にいたのは、月をも隠すほどの大柄の男だった。 「・・・・・ええと・・マルアス・・??」 マルアスは頷く代わりに、肩のものを下ろした。砂の前にころりと小さな体が転がった。 「タイザー!?」 イツキは駆け寄ると、急いで小さな体を拾い上げた。タイザーの意識はなかった。 「な・・・・・これ、血まみれ・・・・・・何があったんだ・・・・・?」 血で濡れているだけではなく、タイザーの服は酷く破れていた。体中に傷もある。何より酷いのは頭で、ぶよぶよとした塊がいくつもできていた。何が起こったか、どう解釈していいかわからず、イツキはただ呆然と眠るタイザーを眺めた。とりあえず無事と言えば無事と解釈していいのだろうが。 「呑気なものだな。ブルーヘブンにやられた」 マルアスの声はどことなく怒りに震えていた。表情こそ変わらないものの、口元は歪んでいる。 「はあ?なんだって?」 「慌てるな。・・・細かく言えば、ブルーヘブンという麻薬をやった連中に犯されかけた。そいつらを俺が殺した」 イツキの垂れた目が鋭く流れる。その先にぐったりとイツキに寄り添うタイザーの姿がある。 「ブルーヘブン・・・・・麻薬だって?俺たちは青い鳥を・・・」 「ああ、そうだ。・・・詳しくは知らん。ただ、そういう麻薬が出回っている」 イツキは9thの言葉や行動を思い出した。 ドラッグコントロールの幹部が踊り出て探している麻薬、そして薬を使用した人々。それに間違われる自分たち。 しかし自分の知っているブルーヘブンは鳥だ。麻薬ではない。決して、幻覚ではない。 マルアスは何か汲み取ったのか、頷いた。 「俺もわかっている。俺たちは幻を追いかけてるわけではない」 「だな。でもわかんねえな・・・どういうことなんだ?ブルーヘブンなんて名前、そうそう付けられるもんじゃねえぞ」 「そうだな」 マルアスはイツキたちに背を向ける。 「少なくても、招待されたものか・・・・・ブルーヘブン本人が絡んでいることは間違いないだろう」 「そうだな。俺たちも調べてみるさ。・・・・・ありがとうな。しょーがねえガキだが、これでも一応相棒なんでね。助かったよ。でも、どうして助けた?あんた・・・本当に賞金首なのか?」 マルアスは肩をすくめる。背中だけだが、初めて表情を見たような気がした。 「・・・・俺には妹がいる。・・・」 妹と姿が重なって見えたのか。イツキはその先の台詞を待ってみたが、マルアスの硬い口からは何も出てこなかった。 「・・・・・・・賞金首に間違いはない。・・・・俺は、罪を犯した。それだけだ」 その台詞を最後に、マルアスは闇に消えた。 イツキは見送ると、タイザーを抱えて部屋に戻った。 付着していた血液はタイザーのものではなかったが、随分と酷いものだった。どうやったらここまで血まみれになれるのだろうか。プールにでも飛び込んだのだろうかと、想像しそうになって首を振った。気味悪いことは考えないようにしておきたい。 血をある程度拭い、軽く頬を叩いた。今日はもう起きないかもしれないと思ったが、彼女は案外早く反応を返した。何度か呻くと、震えながら瞼が開いた。 「?!」 完全に開かれた瞬間、タイザーの瞳孔は見る見る収縮し、瞬間移動したかと思うほど俊敏な動作で部屋の角に逃げた。普段の彼女からは想像もつかない、怯えきった姿にイツキは少し動揺した。 「おいおい・・・・俺だ、俺」 タイザーは震えていた。まだ、悪夢から覚めていないのだろうか。瞳はどこも見ていない。 「来ないで・・・・・!」 「おいおーい、俺だって。いっきーさんですよー」 「あ・・・・・・・・・・」 警戒していた瞳孔がようやくしぼみ、元の愛くるしい丸い瞳に戻った。 「いっきー・・・・・・・」 「よお」 イツキはタイザーの側に寄る。拒絶の色はない。代わりに頭を抱え、うつむいた。 「いっきー・・・僕、どうしたんだっけ・・・変なやつが・・ブルーヘブン・・・・・・僕、僕・・・・!!」 震えが大きく刻まれる。 「大丈夫だ。マルアスが、ここまでつれてきてくれた」 イツキはそっと、タイザーの頭に添えた。イツキの手だとわかっているはずなのに、彼女はびくんと痙攣した。小さな見るに耐えないほど、体も中身も傷ついていた。 「もう、大丈夫だ。・・・早く助けてやれなくて、ごめんな」 「いっきー・・・・・」 包み込む暖かい声。タイザーの胸にじんわり広がり、枯れたと思っていた涙が再びあふれた。 「怖かったよ・・・・・・怖かったよう・・・・・!」 タイザーはイツキの胸に飛び込んだ。衝撃でイツキはよろけたが、しっかり受け止め、ゆっくりと頭をなでた。 「怖かった・・・・・・・」 小さな腕が、手が、体が、必死にイツキを握り締める。 「すっごい怖かったんだから・・・僕、どうしていいかわかんなかったんだから・・・・!」 「よしよし、これからは一人で行動しないこと。いいな?」 イツキの胸の中で、小さな頭は何度も頷いた。 「さ、さ。わかったらさっさと風呂に入る!」 ぽんぽん、と軽くタイザーの背中を叩く。しかし彼女は離れない。 「ほーれ、早くしねえと、匂いが染み付いちまうぞ。それともあれか?」 イツキの声がいつもの軽々しい、おどけた口調に戻る。 「一緒に入る?」 「・・・・・っ!!ば、ばか言わないでよね!」 イツキに一発食らわせると、タイザーはいつも通り怒りながら風呂場に向かった。もうこれで大丈夫だろう。イツキはにやにや笑いながら背中を見送ると、血がついてしまった服を脱いだ。 「・・・ブルーヘブン・・・・・・・麻薬、か・・・・・・」 夢を、見させられたのだろうか。天国など、偽りの世界なのだろうか。 はたして、「彼女」は存在したのだろうか。麻薬による、夢だったら・・・・・・・?イツキは否定したくて首を振る。 「あれは、本物だ・・・・・・・・」 あの日のことも。小さな体から溢れるぬくもりと同じ。 暖かな、ブルーヘブン。 たった一つの道しるべ。全部を知りながらも誘う、青い鳥。
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