16・Ready? ざー・・・・・・・・きゅ、きゅ。蛇口のしまりが悪い。たったそれだけのことで腹が立つ。 「もうもう!」 マントからハンカチを出し、乱暴にぎゅうぎゅうと手を拭く。 「もう!」 ハンカチを戻すと、薄汚れてよく見えない、落書きまみれの鏡に自分の姿を映す。茶色いくせ毛がぴょこぴょこはねている。それを水で抑えながらも、タイザーはなお怒る。 「も〜・・・・」 ある程度直ると、ふうと大きくため息をついた。とはいえ、怒りは納まらない。 イツキの女癖の悪さはもうわかっているので、まあ少しむっとするものを感じつつも、ある程度許せるものも、やはり怒れるものは怒れるが、今日の怒りはまた別のところにもあった。 「もーやだあ・・・。こんな汚いとこ・・・・」 ぐるりとトイレを見渡す。全く掃除されていないトイレは荒れ放題で、妙な異臭が漂い床という床も汚れて下の色が消え、壁という壁はぼこぼこに穴が開きいてる上落書きされていた。 「どうしていつものバーとかじゃないの・・・。もー」 こういうところの方が情報がある、とイツキは言っていたが本当だろうか。半信半疑である。 トイレから脱出すると、先ほども盛り上がっていたが、店内は異様なほど熱気に満ちてさらに盛り上がっていた。 「あ、おじょーちゃんこっちこっちい!」 見知らぬ女がタイザーを呼ぶ。不審に思いながらもそろりそろりと近寄ると、女はとろんと酒にまどろんだ瞳で微笑んだ。 女は指を向こうへ向けた。タイザーは口をへの字に曲げながらそちらを向くと、見たことのない光景があった。 「・・・・何やってるの・・・?いっきー・・・」 タイザーのつぶやきはざわめきに消えた。 Heaven? 空のジョッキが勢いよくテーブルを叩く。同時に歓声も沸いた。 「親父!もう一杯だ!」 店の亭主は嬉しそうにスキンヘッドの男の前に新しいジョッキを置くと、イツキも負けてられないとばかりに勢いよくジョッキを叩いた。 「親父!こっちもだっ」 「はいよ!!」 なみなみと注がれたジョッキを思いきり掴むと、喉にぐんぐん押し込む。何杯飲んだかわからないが、喉は炭酸と麦の味で麻痺している。注ぎ込んでも注ぎ込んでも味がどころか、何を体内に入れているかわからなくなってくる。くわえてアルコールがどこかのスイッチをオフにしてしまった。感覚と言う感覚が馬鹿になってきた。 「ほ〜お・・・・・なかなかやるみてえだな?兄ちゃんよ」 対戦相手はイツキを横目に見ると、一気に流し込んでまたおかわりを頼んだ。三白眼はさして変わらず、呂律も変わらない。これだけ飲んだと言うのにまだ酔っていないのだろうか。 「そういう・・・・・・そっちこそ・・・・」 胃から喉からあふれ出しそうなビールの泡を必死に抑えつつ、イツキもおかわりを頼む。 「どうやら、俺の勝ちになりそうだな?」 うっぷうっぷと泡に埋もれそうなイツキに対して、男は余裕の笑みを浮かべてまた一気に飲む。 「つぶれる前に、名前を聞いておこうか??」 「つぶれねえよ!親父、次だ!」 新たに注がれたビールを一気に飲んだ。それを見て男は口笛を吹いて喜んだ。皮肉ではなく、心底喜んでいるようだ。 「ははっ、なかなかいい根性だ!そこまでしてブルーヘブンが知りたいか?」 意識が朦朧とするのか、イツキは焦点の合わない目でさらに飲み続ける。 「ほお・・・・・知りたいか・・・・・なかなか根性のある買い手だな」 「買い手じゃ・・ねえ・・・・。あれは・・・・・・俺の・・・」 青い鳥。絶対捕まえる。そして願いを、胸の中の寂しさを埋める。 「そろそろ、限界か?」 男は余裕の笑みを浮かべて、テーブルに突っ伏しそうなイツキを見下ろした。その間にも、ビールは男の喉を通った。 「はいは〜い!」 突然、突き刺さるような甲高い声が店内に響いた。二人は同時に振り返って見ると、先ほど集団にいた女の一人が嬉しそうに手を振り上げて振っていた。 「ここでえ、新しく賞品を加えようと思いまーす!」 女は酔っているのか、よれよれと千鳥足で二人に近寄った。 「情報交換だけじゃつまんないよねー!?」 見守る酒場の客たちは全員総立ちになって「おー!」と叫んだ。女は嬉しそうににこにこ笑うと、振り上げた手と反対の手をまた同じように振り上げた。その先に小さな手が、体があった。 「だよねー!だから、この子を賞品にしようと思いまーす!!」 イツキは目を丸くした。 酔っていてもそれが何かすぐわかった。 「タ、タイザー?!お前、何やってんだよ」 「いっきー、助けてよ!こ、このお姉さんがいきなり・・・・!は、離せ〜!!」 じたばたと動くが、女は意外に力があるのか、離すことはなかった。 「勝った方がこの子の飼い主〜!!」 「僕はペットじゃない!!」 タイザーの声は野次馬たちの盛り上がる声に消えてしまった。 「いいぞ〜!」 「がんばれよ〜兄ちゃんたち!!」 全員、嬉しそうにひしゃげた声で大笑いした。 「じゃ、そゆことで〜」 全員の反応のよさに満足したのか、女は嬉しそうに二人に手を振ってタイザーと共に席に付いた。タイザーは何か文句を言っているようだが、二人には聞こえない。 突然のことにスキンヘッドの男は頭を撫でると、ちびりとビールをなめた。 「う〜ん・・・・俺は子供をペットにする趣味はないんだけどなあ」 「俺もねえよ」 イツキはため息をつきながら、同じようにビールを飲んだ。なぜよりによってタイザーなのか、もっといい女はいなかったのかと思わずぼやきそうになる。 「でも知り合いじゃないのか?名前、呼んでたみたいだが・・・」 「まあ・・・一応・・・・」 「ほ〜ん・・・」 何かを含んでいそうな相槌を打つと、また一気に飲み干した。 「はあ〜、子供が趣味ですか〜。・・・俺は適当に熟した女が好みですから〜・・俺が勝ったとしても、あれはやるよ」 にやにやとしながらイツキを見る。イツキは引きつった笑いを浮かべながら「そりゃどうも」と小さくつぶやいた。 「あとなあ、誤解ねえように言っておくが。俺はガキとやる趣味はねえ!俺も熟した、い〜い女が好きでね。甘くて、胸のでかーい女」 「ほお。熟し加減については何も言わねえが、残念だな」 男はにやにやしながら首を振る。 「俺はぴりっとした脚のきれーな女が趣味だ。スレンダー系ってやつ?嗜好は合わないみてえだな」 「だな。女の取り合いはせずに済みそうだ」 二人は同時に飲み干し、おかわりと叫んだ。 そんな二人をはらはらしながらタイザーは見ていた。一体何にあせりを覚えているのかわからないが、とにかく落ち着かない。 「ほらほら。おじょーちゃんも座ったら?」 タイザーを捕まえた女は開いている椅子をぺしぺし叩いた。 「いいよ。別に・・・・・・」 「あはーん?」 女は酒臭い息を吐いて、目をとろんと半眼にさせた。タイザーは思わず身を引くと、女はにやりと笑った。 「心配なんだあ〜?」 「誰が誰をだよ!」 「まだ何も言ってないわよー」 むうっと無言で頬を膨らませる。 「もう、かわいいー」 女も含め、周りの野次馬たちも笑った。 「・・・・なんであんなこと、してるの?」 「あら。知らない?なんでも、「ぶるーへぶん」とかいう薬の情報を聞きたいんですって」 「ブルーヘブン!?」 「あら、おじょーちゃんも知ってるの?なんだかーお互い知ってるみたいなの。その薬のこと。ええと、だから・・情報交換?するらしいわ」 あの男も招待を受けたのか?ちらりとスキンヘッドの男を見たが、どうにも違うような気がした。 イツキもマルアスも自分も、同じ「匂い」がする。ブルーヘブンをとらえようとする、どことなくほの暗くて寂しい匂いが。 その匂いはしないし、彼は「麻薬」としてのブルーヘブンを知りたがっている。いつかの出来事を思い出して、タイザーは思わず両肩を抱いて身震いした。薬に浸された人間の手が体中に蘇る。 売り手だろうか、買い手だろうか。 どうちらにしても、薬関係にもどことなく思えない。イツキの倍以上大きい筋骨隆々とした体つきと飲みっぷりは健康そのものに見える。麻薬に浸された人間とも違った。 「・・・・・・・う〜ん?」 一通り悩んでみたが、男の正体に検討もつかない。 しかし、イツキがピンチだということはよくわかる。真っ赤な顔をして、垂れ流すようにビールを飲んでいる背中は「限界」と訴えている。 だが勝てば情報が入る。一歩、確実に近寄る。例え麻薬でも、ブルーヘブンという由来ぐらいは聞けるかもしれない。 「・・・・・・・・・・・・」 とはいえ、どうしていいものか。タイザーは腕を組みながらじっとイツキを見守った。 ジョッキを洗うスピードについていけないため、流し台にはごろごろと無造作にジョッキが転がっている。店の亭主は少し唸ると、ちらりと樽を見た。 「う〜ん」 店の亭主は唸りながら二人を見る。太った二重あごをさすり、もう一度唸った。 「あのよお」 申し訳なさそうに声をかけるが、二人は無我夢中に飲み続けている。 「おいって!」 大き目の声を張り上げると、二人はようやく顔を上げた。 「なんだ?」 「あのよお・・・・・。もうビール、ないんだよ・・・・」 「何!?」 スキンヘッドの男は驚いて立ち上がる。イツキは思わず転げそうになったが、なんとかテーブルにしがみついた。 「残り一杯ずつしか出せねえんだよ」 野次馬たちも聞こえたのか、勝負をどうするかざわめいている。 「そうか〜もうねえのか〜・・・・・飲んだ数も同数だしなあ・・・・・」 スキンヘッドの男は刻んだ数を数えると、困ったようにあごをさすった。 「じゃあよ〜・・・・残りの一杯、早飲み対決ってのは・・・・どうだ!?」 野次馬たちに問いかけると、勢いよく「おー!」と声が返ってきた。 「あんたも、それでいいいよな?」 「・・・・・知らねえ・・・・」 イツキの顔色は明らかにおかしかった。毒でも放ちそうなほど、緑色に変色している。 「お、ダウンか?」 男は嬉しそうに笑うと、ジョッキを片手に立ち上がった。イツキの前にもジョッキは用意されたが、イツキは座り込んで頭を抱えたまま動かない。 「それじゃーしかたねえよな。悪いが、この勝負俺の勝ちだ」 男は余裕の笑みを浮かべ、口のはしを吊り上げるとジョッキに口をつけた。 「待って!」 甲高い声が響いた。 男は一瞬止まると、野次馬集団からちょろりと逃げ出したネズミのように小さい子供を目に捉えた。男はいったん止まると、子供を目で追った。 「僕が相手だ!」 タイザーはイツキの前に置かれたジョッキを勢いよく掴むと、顔より大きいグラスを傾けて一気に流し込んだ。 わあ!とあたりに歓声が響き渡る。 「・・・・・・・くは!」 男は唖然としてタイザーを見る。ジョッキには一滴も残っていない。 「う〜・・・・・・・」 次第にイツキと同じ顔色になるが、なんとか持ちこたえてその場に踏ん張って立つ。 「僕の勝ちだ!」 びし、と人差し指を男に突きつける。 「くく・・・・・・・・・」 男はつるつるの頭に手を当てる。 「あっはははは!!い〜い根性してる子供だ!将来、大物になれるよ」 男は最後の一杯を飲み干すと、ジョッキを捨てた。 「子供じゃない!僕はタイザーだ」 「タイザーちゃんね。君に免じて、ちょっとだが教えてやろう」 「ちょっとって、どういうことだよっ。僕が勝ったのに・・・」 「まあ、理由は後で教えてやるよ。それより、そこの兄ちゃんは平気か?」 イツキはまだ頭を抱えている。目は何とか上を見ているが、虚ろだ。 「ちょっとゲロってくるわ・・・・」 この数時間ですっかり脱力してしまった体を持ち上げ、おぼつかない足取りでトイレに向かう。タイザーは心配そうに手を伸ばしたが、イツキは行ってしまった。 「タイザーちゃん、ここは交換にふさわしくない場所だから場所を変えようか。後でここにおいで」 懐からメモを取り出すと、素早く書き記し、机に置く。 「わかったよ。・・・・・・おじさん、名前は?」 ぴく、と男は頬を引きつらせる。 「まだおじさんじゃないよ・・・・・俺は・・・・あー・・・・」 男は体に似合わず人懐っこい笑みを浮かべた。 「俺は5th。ドラッグコントロールの一員さ」 「ドラッグコントロール!?」 「そ。って・・・・・お前ら引くなよ〜!」 今まで楽しそうに騒いでいた野次馬客たちは、波が引くように一斉に男・・・5thから引いた。 「別に今は取り締まりしてねえしな。次はするけど」 やれやれ、と5thは立ち上がり「後で」とつぶやいて店から出て行った。からんと鈴が鳴った。 「薬・・・・・・・」 ブルーヘブンは本当に薬だったのか。青い瓶に入った、ビー玉のような薬。 あれが、本当に求めていたものか。騙されていたのか。何を探していたのか。 青い鳥・・・・・。 「う」 思考と共にアルコールが脳まで到達し、全身を酔わせる。 「う〜・・・・・・」 結局聞かなければ何もわかるはずがない。 そう思ったのを最後に、タイザーはカウンターに突っ伏した。
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