17・曖昧な記憶のように

 最後に見たのは青い鳥。空に溶けるように羽ばたいた。
 手を伸ばせば届きそうなのに。
 雲よりも遠く、月よりもはるかに遠く。
 絶対に届かない。
 夢、だったの?薬が見せた、麻薬が見せた甘い夢?




          Heaven?


 とめどなく溢れる思いのように吐き気は止まらない。流れ行く便器の水をただ茫然と眺める。渦巻く先は真っ暗闇で何も見えない。
 胃の中はもう何も入っていないはずなのに、止まることはない。
 体中が軋んで痛い。骨というほねが悲鳴を上げている。体内で何が起こっている?・・・理由は、何となくわかっている。

「・・・・・・・・」

 イツキは軽く頭を振る。飲みすぎだ。単に、飲みすぎただけだ。

「あんながぶ飲みするの久々だからな・・・・・・・・・」

 もう一度水を流すと、唾を吐き出しティッシュで口を拭った。まだくらくらと余韻の残る頭を抱え、イツキはようやくトイレから出た。

「あ・・・・・・?」

 店内はどことなく落ち着きがなく、先ほどまであったバカ騒ぎのようなにぎやかさではなく、よそよそしい静けさがささやいている。

「どうしたんだ?」

 近くにいた女に声をかけてみる。女は視線を合わさず、腕を組んで柱によりかかった。

「さっきの男、ドラッグコントロールだったのよ・・・・危うく、逮捕されるところだったわ」

 すっかり酒の抜けきったため息をついた。

「んで?そいつは?」
「さあ?おちびちゃんに聞いてみたら?あっちで寝てるわよ」

 くい、と親指をカウンターに向ける。タイザーは青い顔をしてカウンターに突っ伏していた。

「おい・・・・・・大丈夫か?」

 軽く揺さぶると、タイザーは苦しそうにうめいて頭を振った。

「お前も吐いてこい。ちったあ楽になるぞ」

 タイザーは起き上がらず、ぐぐもった声で「いやだ〜」とつぶやいてまた頭を振った。

「いいから、ゲロってこい」
「やだよお・・・・気持ち悪いもん・・・・」
「あのなあ・・・それを解消するために吐くんだぞ」
「やだやだあ」

 首を振る元気もないのか、消えそうなか細い声を漏らして動かなくなった。イツキはやれやれ、とやはり回復し切れていない頭をかいた。

「で?さっきの男は逃げたのか?」

 タイザーは無言でメモを出す。近くのバーらしい名前が書いてある。まだ飲む気かよ、とあきれながら酒臭い息を吐いた。

「ここに来い、か・・・。しょーがねえなー・・・面倒だが、行ってくるか・・じゃあ、お前は宿屋に戻ってろ。ちょっと行ってくる・・・」

 重い腰を上げ、メモをポケットに突っ込んだ。気分はさえないが、仕方ない。これでブルーヘブンに近づけるのならいくらでも無理してやる、と今日のイツキはどこかヤケだ。

「じゃあな。ちゃんと休めよ・・・って、おわ!」

 振り返ろうとしたが、小さなな手がイツキ服をしっかり握り締める。いきなりひっぱられ、バランスを崩したが慌ててカウンターに手をついて転ぶのを免れた。

 よれよれと体制を整え、引きつる頬を抑えながらタイザーを見下ろす。

「あ、あのなあ・・・・・・・・」
「僕もいくううううう〜・・・・・」

 イツキ以上によれよれのふらふらでタイザーは上半身を起こす。顔は青ざめ、瞳は必要以上に潤んでイツキに訴えかける。

「僕も〜・・・・・」
「んなふらふらしたガキ連れて行けるかよ!」
「やだあ〜」

 しっかり服を握ったまま、首を振る。

「う」

 タイザーは慌てて口元を押さえる。

「気持ち悪いよお・・・・・・」

 そのままぼろぼろと泣き始めてしまった。苦しいけど行きたい、気持ちがせめぎ合うが体は付いていけない。
 イツキは「あー」とどうしていいかわからないが、とりあえず小さな頭をゆっくり撫でた。酔っているらしく、頭は随分熱かった。

「あー、よしよし。・・・・・・・・ちょっとあんた」
「?」

 近くにいた女は「私?」と指を指す。イツキは頷くと、タイザーの両肩に手を乗せた。

「ちょっとこのガキの世話してくれねえか?なーに、ちょっとの間だ。頼むよ〜」

 タイザーはしきりに首を振っているが、イツキはそれを抑えるように頭を掴む。
 女はハムスターのような少女を見て、少し笑った。

「しょうがないわねー。ま、楽しいのがいろいろ見れたから見てあげるわ」
「おう、ありがとな」

 ぽんぽん、と頭を叩いてそのまま女に押しやる。タイザーはそのまま女に抱きとめられ、トイレに駆け込んだ。

「さて」

 これでひとまず大丈夫だろう。イツキは見送ると、頭を抱えて外に出た。







 低いジャズがゆっくり流れる薄暗いバー。人々の境界線はとても危うく、どれもが夢うつつのように曖昧に浮かび上がる。酒に浸るにはちょうどいい静けさだ。

「よお」

 その中で5thの姿は目立つというより浮いていた。大きな風貌につるつるのスキンヘッド、似合わないピンクのアロハシャツという見た目以上に陽気な笑顔がこの場所に相応しくない。だが嫌味がなく、心地よさがあった。

「おう。遅かったな」
「まーな・・・・・」

 見ると、5thはウイスキーを飲んでいた。イツキはげんなりとした顔をして隣に座って頬杖をついた。

「まだ飲むのかよ」

 5thはちらりとイツキを横目で見ると、グラスを一気に傾けた。

「あんなの序の口だぜ?だらしがないなあ」
「・・・・・・・・・・・」
「俺の飲み友達はもっと飲むぞ?」
「あんたたちの消化酵素と一緒にしないでくれ・・・・・・・・」

 カウンターについた手の甲に重たい頭を乗せる。5thは明るく豪快に笑うと「まあそれもそうか」とよれよれのイツキの背中を叩いた。

「ぐえ」

 イツキの頭ほどある大きな手に押され、イツキのひょろひょろの体はつぶれるようにカウンターに倒れた。5thはぎょっとしてイツキを起こした。

「大丈夫かよ!」
「あ、ああ・・・・・・・・・」

 引きつった笑いを浮かべながら手を上げる。

「力の加減っつーものを知ってくれよ・・・」
「悪りい悪りい。どーにも、なあ、あっはははは。しっかし、ふらふらだなあ。吐いてもまだ抜けきらないか?」
「まあ・・・調子が悪いだけさ」

 イツキはまた同じように頬杖をついてマスターに水を頼む。水だけを頼む客でもマスターは嫌な顔しない。

「酒は?」
「冗談だろ?」
「いや、結構本気。奢ってやろうと思ったけどな。・・・・・・あんた、灰皿はいるかい?」

 隣においてあった灰皿を目の前に差し出すと、イツキは軽く首を横に振った。

「吸う気になんねーからいい・・・・・・・・・・・」
「そうか」

 言って、灰皿をどける。

「で、だ。ようやく本題に入ろうじゃねえか?そういやあおめーさん、名前は?」
「イツキ」
「イツキ、ね。覚えておこう。俺は5th」
「ああ・・・・・・」
「おや、動揺しねえな?」
「さっき聞いてきたしな。まあ、それにそれほど遠い存在じゃねえからな・・・・・」

 くちびるを湿らすぐらいの少しの水を口に含む。水とはいえ、飲む気になれない。

「・・・それに、売り手でもない買い手でもないヤツがあんなに固執するはずねえだろ?」

 よくよく考えればそうだったんだよな、と実は今思ったことだ。我ながら頭の回転の鈍さに苦笑する。そしてもう一つ心につけたす。もしくは青い鳥に招待されたもの。だが麻薬と言ってる時点でやはり違うのだろう。
 5thは顎を撫で、ウィスキーを一口含んだ。

「それもそうだよなあ・・・・。で、どうして「ブルーヘブン」を求める?イツキさんよ」
「・・・・・・・・ん」
「説明できねえか?」
「なんとも、しにくいってやつだ。・・・・なあ。ブルーヘブンは麻薬なのか?」

 5thは少し水っぽくなったグラスをかき回し、「それこそし難いなあ」とつぶやいた。

「民間人には言えねえってやつか?」
「どうだろうなあ・・・・。それを聞くってことは、実は詳しくないのか?」
「・・・それこそ説明し難いってやつだ」
「じゃあ徐々に情報交換と行こうか。その方が説明できるだろ?」

 グラスを置くと、ごつく短い指を立てて「これと同じの」とマスターに注文する。

「最初に言わせてもらうとだな。俺は正直、情報が漏洩するのはいいと思う。・・・これは人の受け売りだが、情報は多けりゃ多い方がいい・・・そのためには、藪をつつきまくるより餌という餌をばら撒いて情報を拡張、おびき寄せる方がいいと思うんだよな」
「・・・・そのために、情報を漏らして新たな情報を得ろうと?今みてえに」
「まあ、そういうこった。なんだ・・・あれか?あれ・・・・ほら。釣りっぽいやつ」
「海老で鯛を釣る?」
「おおう」

 5thはイツキを指差し「それだそれ」と嬉しそうに笑った。イツキもつられて笑い、なんだか明るいやつだと思いながらまた水を飲んだ。調子は大分戻ってきた。

「勘のいいやつは好きだよ。・・・・ということだから言うが」
「変なやつだな。確かに情報は得られるかもしれねえが、でもそれは間違った情報もつることになるんだぞ?それこそ勘がなけりゃあ、ただかく乱にあうだけだ。混乱するぜ?本当のものが見えなくなる」
「へえ〜案外と頭の回る兄さんだな。ますます好感が持てるよ」
「そりゃどうも。・・・で?」
「ま、ドラッグコントロールを過信してるわけじゃないが、こっちも情報をいろいろもってるからな。厳選はある程度できるはずだ」

 イツキは頬をつく手を変え、顎を乗せた。

「ドラッグコントロールならふるいの網目も細かいから確実なものは得られるかもしれねえけど。それにこうやって情報くれる方が楽で嬉しいしな」
「だろ?なら決まりだ。おめえさんもいろいろ言えよ」
「答えれる限りな・・・・・・・」

 5thはにっと笑い、一口飲む。この男は底と言うものを知らないらしい。飲んでも飲んでもスキンヘッドの肌はけろっとしている。よくもまあこんな男を相手にしていた、とイツキは今さらながら冷汗が流れた。

「さてさて。じゃあまず。どうしてブルーヘブンを知った?」
「・・・・一番答えにくいところから来たな・・・・」
「ルートに繋がるのか?」
「いいや。・・・まず言わせてもらうぜ。俺・・・・いや、あのチビガキ含めた俺たちが知る「ブルーヘブン」は薬じゃねえよ」
「薬、じゃない?」

 からん、とグラスが涼しげに鳴る。5thはグラスを置いてイツキを見る。顔がドラッグコントロールの幹部になっている。

「どういうことだ?」
「鳥だ。青い鳥。俺たちを招待する、青い鳥」
「????」

 イツキは大きく息を吸い、肩をすくめる。

「言っておくが、俺は薬をやっちゃいねえよ。酔ってもねえ。言ってることは本当だ。鳥。青い青い、鳥・・・」

 5thの顔は緩まない。やはり招待を受けてる人間じゃない。

「まあ一応、信じておこうか。で?その鳥と麻薬の接点は?そうそうこんな名前付けないだろ?」
「そこなんだよ。俺も疑問に思ってる」
「知らないのか・・」
「ああ。・・・なあ、いつからその麻薬は飛び交うようになった?」

 5thは大きく骨ばった顎をさすり、少しうなった。

「最近の部類だな・・・・・・・。LSDや大麻、スピードみたいに前々からあるやつとはネームバリューも違ってなあ・・・知っているやつが極端に少ない。主立って出てきたのはつい最近。俺たちの汲み取った情報はそれの少し前。ささやかれ始めたのは、数年前・・・二年ほど前だったか・・・」
「二年・・・・」

 イツキはぼんやり、白熱灯が赤く反射する酒棚を見つめた。頭がぼんやりしているせいか、目の前はあまり見えない。おぼろげに光を反射している。遠いな、とつい手を伸ばしそうになる。

「二年、ね・・・・・・」

 二年前の今頃は。二年と・・・少し前。
 イツキは目をゆっくりおろす。

 そう、今頃は。まだ旅という文字を知らない子供のように、ただのんびり暮らしていた。

 暮らせていたのを自ら壊した。普通の生活がこんなにも儚いなんて、知っているはずなのに、脆く崩れたことに愕然した。周りは許しても・・・いや、知らないだろう。許せない。あの頃の自分も、今も自分も許せない。

 それなのに救われたいと、甘えている。砂の向こうに行けば記憶は消えると思っている。

「そう、二年ね・・・・・・・」

 イツキは目を開け、水を飲んだ。

「で?効能は?」
「他のやつとはやっぱり違うんだな、これが。これを服用したものは、全てが全てじゃないらしいんだが、心の中で一番「会いたい」やつを見せてくれるらしい。ただ、この「会いたい」やつを見るためにはその対象にならなくてはいけない人物・・・・・まあようは映像を見せるスクリーンみたいな役目をする人間が欲しい」

 この話からすると、タイザーは服用したやつらの「スクリーン」の役目をしてしまったらしい。あんなガキまわして何が楽しいんだと思ったが、これで合点がいく。

「だがやっぱり薬だよなあ。ひとたび飲めば異様な興奮状態に陥って、理性が消える。この効能が消えると、狂ったように欲しがる。依存、なんてもんじゃねえぞ」

 それは初耳だった。

 狂ったように求める。それはイツキたちも同じかもしれない。

 単なる青い鳥を一心不乱に捜し求め、いずれは向かう「天国」を夢見て追いかける。第三者から見れば自分もタイザーもマルアスも狂人見えるかもしれないが、それでも求める。麻薬とかわらない。

「・・・・出始めた場所は?」
「それはまだわかってないんだよ。ま、麻薬なんてそんなもんだろ?この「麻薬」というのも、いつの間にか浸透しちまった言葉だしな・・・・・。それで?青い鳥は何を見せる。何で探してる?」

 イツキは軽く息を漏らしながら笑った。とても寂しそうに。薄暗い天井に飲み込まれて溶けてしまいそうなほど、陰鬱とした笑いだった。5thには見えないかもしれない。暗い顔はテーブルを見つめる。

「・・・さあな・・・・。俺はそれを確かめるために追いかけてるのかもな・・・・」

 5thはあきれたようにまゆをひそめた。

「酔狂だな」
「なんとでも」

 イツキは残りの水を飲み干した。5thも一気に飲み干す。

「ただこれだけははっきり言えるな。俺とブルーヘブンが出会ったのも・・・そう・・・・、二年前ぐらいだ」
「そうか。何かあったに違いねえな。・・・おっと、麻薬の方だがな」
「ああ・・・・・・」

 ジャズがふっと切れた。

「閉店か」

 5thは立ち上がり、代金をカウンターに置く。

「ごちそうさん。・・・・・ま、ちょっと歩きながらもうちょっと話そうや」
「ああ」 

 イツキも立ち上がる。

「う・・・」

 立ちくらみか。イツキはカウンターによろめいた。

「おいおいおい!大丈夫かよ!」
「あ、ああ・・・・平気だ」

 軽く手を振ると、ゆっくり体を起こした。体中が寒い。血が凍結してしまったかと思うほどだが、頭を振ると軽く血の巡りが戻った。

「真っ青だぞ?貧血か?」
「あー・・・・・あんながぶ飲みしねえからなあ・・・調子狂ってるだけだ」
「そうか?もっと太れよ、兄ちゃん。そうすればもっと飲めるぞ!あっははは」

 ばしばし叩くと、イツキはよろけながら外に出た。






 月は随分と遠くに消えてしまった。失望しそうな暗がりだけが広がる中、男二人は影のようにふらりと砂の道を歩く。

「もう一つぐらい、教えておこうか」

 5thは大きな体をさらに大きく伸びをする。全く酔っていないようだ。ここまで来ると勲章でもあげたい。対するイツキは相変わらずふらふらのままで、砂に埋もれてしまいそうになる。5thは幾分かドラッグコントロールとしての顔を取ると、苦笑した。

「おいおい、気を付けてくれよ。・・・で、その一つだが。麻薬の成分のことだ。・・・ねえんだよ」
「ない?」
「大体の麻薬の成分ははっきりしてるが・・・・・ブルーヘブンはまるでわからない」
「どういうことだ?」
「そのまんまさ。まだ発見されていない成分なんだ。どの成分にもない、わけのわからないもの。症状はわかってるからいいが・・・それでも特定できないと、対策が練れねえんだよなあ」

 5thの声はイツキに届かない。羽の音が邪魔をする。
 まるで羽ばたく鳥のように、青い鳥のように正体はわからず。ただひたすら人々を招待する。不穏な心音が体内を駆け巡る。なぜか青い鳥が浮かんでは消える。「彼女」と共に。

 ブルーヘブン、お前がまいたのか?人を、人々を招待するのがお前の役目なのか?

 それをして、一体どうなる?

 ・・・・俺たちの目的は「ブルーヘブン」を追うこと。ならブルーヘブンの望みは?

 あいつは言う。追いかけておいで。

 追いかけておいで、馬鹿な人たち・・・・・

 追いかけて、握り締め、抱きしめて。

 何を望む。欲しいものは一体・・・・・。

「全てが曖昧なんだよ、これが」

 パチン、と記憶が爆ぜた。青い幻影が消え、暗闇だけが空虚に広がる。

「・・・俺の求める青い鳥も曖昧さ」
「そうかあ」
「そういうことだ。色々とありがとな。助かった。俺こっちだから」
「こちらこそ」

 その倍以上ある手を5thも上げる。

「タイザーちゃんによろしくな。・・・また会おう。きっと、会わざる得ない状況になると思うからな」
「薬に関われば、な。・・・・ったく、あんたらドラッグコントロールとはいや〜な縁があるな」
「ほう?知ってるやつでもいるのか?」
「まーな・・・・・」

 じゃあ、とお互い言い合うと二人はそれぞれ反対の方向へ進んだ。





 他の店から光が消え始める。先ほどまでいた酒場も、消える手前だった。
 イツキは急いで店内に入ると、女とタイザーはまだそこにいた。

「あら・・・・・。ほら、帰ってきたわよ」
「よ。すまなかったな・・・・って」

 イツキは脱力したように肩の力をすとんと落とした。

「寝てるし・・・・・・」

 世話をしてくれた女はくすくす笑いながらタイザーの頭を撫でた。

「かわいい子ねえ〜。ずっとあんたの名前、呼んでたわよ」

 からかうようにイツキとタイザー、交互に見る。

「にくいわね〜、いっきーくん?」
「はは・・・・・・」

 乾いた笑いを浮かべ、頬を引きつらせた。

「ま、ガキは寝ちまったし。・・・・お礼に、ど?」

 イツキは滑り込むように女の隣に行き、肩に手を乗せる。女はにやりと笑ってその手にそっと手を添えた。

「この子がいなかったらよかったわね。おかげでそんな気分じゃないわ、また今度」
「ちぇ・・・・・・」

 女の体はするりと逃げてしまった。タイザーは寝ていても邪魔ができるらしい。

「さ、この子がまた泣き出す前に帰ったら?」
「そーする・・・・・・」

 やれやれとため息混じりにタイザーをカウンターから起き上がらせる。熟睡しているのか、起きる気配はない。ぐにゃぐにゃの体は熱っぽい。

「しょーがねえ・・・・・・・」

 しぶしぶ背中に乗せる。どことなく酒の匂いが頬をかすめた。
 あの時、タイザーが助けてくれなかったら今頃5thと仲良く情報交換はできなかっただろう。今回ばかりは仕方ないと、思っておくことにして体勢を整えた。

「あはは、まるで親子亀ねえ。おもしろい」
「見物料取るぞ?」
「あげてもいいぐらいかわいいわ」

 どーもというべきか少し迷い、代わりに笑ってみる。
 イツキは「じゃ」と泣く泣く踵を返し、そのまま外に出た。瞬間、電気は消えた。

 完全に暗くなった空は間違いなく明日晴れを示すように、星がくっきりと浮かんでいる。砂埃も巻き上がらない、清らかな空気。

 風もない静かな空気を頬で感じつつ、イツキはタイザーを背中に乗せたまま宿屋へ向かう。すっかり保護者のような役割になっちまったなとぼやくが、内心はどことなく穏やかだ。

 このまま平穏なら。それでいいかと。ブルーヘブンなんて忘れて。

 その方がいいのかも。

 しかし。

 それは。

 ただ寂しいだけ。曖昧なだけ。

 ブルーヘブンを追わなかったら曖昧なまま、しこりとしていつまでも氷は残るだろう。

 冷たく。沈むように。

 責めるだろう。






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