21・孤独な少女

 僕は捨てられた。
 お母さんからも。お父さんからも。弟にも。
 みんなに見放された。

 僕は一人だ。

 でもブルーヘブンは僕を一人にしなかった。あの日、僕を招待した青い鳥は。

「追いかけておいで」

 言い残して、ブルーヘブンは行ってしまった。僕は追いかけた。一人で。手を伸ばしながら、ずっと一人で追いかけた。空を見ているうちに、僕は一人でいることに慣れた。広い砂漠の上で眠ることを覚えた。

 そしていっきーに出会った。僕と同じ思いを持つ人が、ようやく現れた。ブルーヘブンを追い求める寂しい人が。

 いっきーは僕を一人にしなかった。きっと、いっきーもわかってる。ブルーヘブンを追う人がどういう人かを。

 せめて、せめてブルーヘブンが見つかるまで、僕は一人じゃないと思った。

 でも・・・だから。僕は人といることを、人の温かさをまた取り戻してしまった。一人でいることが怖くなった。それを思い出してしまった。


 それでも僕は、一人だ。




          Heaven?

 腰をさすりながら起き上がると、9thは相変わらず鋭い灰色の瞳でイツキを睨みつけていた。
 砂漠の乱闘に乗じて逃げたことをお互い忘れてないから気まずい。だがこれは誤解を解くチャンスでもある。イツキは涙をぬぐうと、軽く手を挙げた。

「よ、よお、9th」

 9thは眉間に力を入れる。整った端正な顔立ちは怒っても美しいものがある。

「イツキ・・・・どうやら、腐れ縁みたいね」

 そんな二人を見て、キシュリーはくちびるに指を当て、不思議そうに首をかしげた。

「9thちゃん。いっこちゃんと知り合いだったのお?」
「そういうあなたこそ・・・・この人と知り合いなんですか?」

 なぜか9thは敬語だった。態度も、キシュリーと一歩も二歩も引いた、かしこまった態度だ。まるで上司と部下のように二人は話す。キシュリーは傭兵だから何かとつながりがあるのかもしれないが、一度もドラッグコントロールの話題は出なかったように思う。今になって、姉がどういう風に働いているか聞いておけばよかったと思った。

「あらん、いやあねえ・・。知り合いも知り合い、あたしといっこちゃんは実の兄弟よお」
「え?」

 イツキとキシュリーを交互に見る。髪の色は違うが、垂れた黒い目、口元、そしてどことなく飄々として掴めないところなど似ているところが多い。年は離れているようだが、こうしてまじまじと見るとそっくりだった。

「確かに・・・似てますね」
「で、9thちゃんは?何でこの子を知ってるのお」
「まあ・・・・大して深い知り合いではないです」
「あ、まさか」

 じと、と嫉妬の色を隠しつつイツキを睨む。それだけで十分怖いのだが。

「いっこちゃん。昔の彼女とか?それとも一晩の付き合い?あたしだって手え出したことないのに・・・!」
「ちげーって!・・・っておい!何鞭出してんだよっ」

 いつの間にか取りだした鞭を手でゆっくりぽん、ぽん、と叩く。今からイツキをしばきそうな態度に、イツキは引きつり笑いを起こしながら両手を挙げる。タイザーのせいで、すぐに降服するくせがついてしまっている。

 このままでは地獄の鞭めぐりが待っている。イツキは顔を引きつらせ、呆然と眺める9thに急いで振り向いた。

「9thっ」

 助けを乞うオーラを懸命に発する。さすがの9thも呆れながら目を瞑った。

「・・・・・私の捜査上にたまたま彼がいたんです」
「それに俺は巻き込まれただけだ!」

 キシュリーは吟味するように、イツキに殺気だった瞳を、9thにはやさしい目線を送る。二人とも嘘を言っている目ではない。イツキに至ってはいよいよ懇願する勢いだ。

「・・・ふうん。まあいいわ。9thちゃんは嘘つかないもんねー」

 9thは困ったように「ええ、まあ」と表情を変えず、ほとんどくちびるを動かさないで言った。

「そんなにかしこまらなくていいのよお」
「そういうりぃ姉こそ、どうして9thを知ってるんだよ」
「今ドラッグコントロールに依頼頼まれてるのよお。・・・受けるかどうか考え中だけどお。それで9thちゃんにいろいろ仲介役頼んでるのよお」
「はあ?ドラッグコントロールが何で傭兵なんか頼むんだよ。自分たちだけで十分実力あるだろ、9th」
「回答は控えさせてもらうわ」
「りぃ姉」
「さあ?」

 キシュリーはふっくらとしたくちびるに人差し指を乗せた。秘密、というわけだ。これ以上の追及は無駄なので、このことは忘れることにした。

「・・・・・・じゃなかった!9th、タイザー見なかったか?」
「あのちびちゃん?見なかったけど」
「くそ・・・・どこに行ったんだ・・・・・・」

 そこで初めて9thに表情が見られた。どうやら笑っているらしい。

「あらあら。振られちゃったようね」
「ああ?どうしてそうなるんだ」
「あら、違ったの」
「いっこちゃん、幼い子趣味じゃないもんねえ。と、いいつつ結構かわいがっててお姉ちゃんヤキモチ。タイザーちゃんは別なのねえ」
「違うし!んなこと言ってる場合じゃねえだろっての・・・ったく・・・どうしようもねえガキだな・・・・」

 ぼりぼりと激しく頭をかく。キシュリーはそんな弟を見ておかしそうに少し笑ったが何も言わなかった。

「・・・・で。9thちゃんどうしたのお?今日はもう出番はないはずよ。あ、まさか!やっぱりあたしとデートしてくれるとか?でも今の時間だったら中途半端だけど、夕飯の支度までに軽く一発・・・」
「や・め・ろ!この変態女っ」

 素早くイツキは姉の頭をはたいた。このまま暴走したらそれこそ地獄のキシュリー巡りが待っている。

「いったー!何よ!!」
「何よ、じゃねえよ!この発情女っ」
「あんたに言われたくないわよ!このたらし!女好き!巨乳星人!」
「んだと!?でけえ胸は男のロマンだ!」
「しばきがいのある女の子も女のロマンよ!」

 9thはそれを遠目で見る。どっちもどっちね、などと心の中でため息をつきつつ。

「いいの?タイザーちゃん」

 は、とイツキは顔を上げた。ようやく我に返り、ぐるりと踵を返す。

「いっけね。ちょっと外見てくるわ」

 駆け足でそのままぶち破るようにドアを開けて出て行く。賑やかな弟をやれやれと見つつ、キシュリーは腰に手を当てた。

「困った弟よねえ・・・・。で、9thちゃん。どうかしたのお?」

 和やかだった空気が一変し、9thの瞳のような冷たさが足元から襲う。キシュリーは姉の瞳をやめ、伝説とまで呼ばれた傭兵の瞳へと色を変える。二人の間に鋭い殺気が満ちた。

「大したことではないんですが、最近「マルアス」という賞金首があちこちで出没しているのをご存知ですか?」
「ええ。もちろん」

 9thに表情はない。仕事用の顔だ。均整に整った顔立ちにキシュリーはうっとりしながら耳を立てる。

「どうやらこの街に入ったようです。・・・・出すぎたまねかもしれませんが、一応報告に」
「んふふ。気遣ってもらえて嬉しいわあ」
「ボスの司令もありますから」

 キシュリーはくちびるをとがらせた。

「あらつれない。あなたの一存で決めたわけじゃないのねえ。ま、いいけどお。お茶入れてあげる。もう冷めちゃったから、もう一度入れないとねえ」

 ぱちん、と弾けるように二人の殺気が消える。とはいえ、まだ張り詰めたものは解けない。それでもキシュリーはにこにこと笑顔を浮かべながらも、すっかり冷めてしまった三つのカップをトレイに乗せた。

 懐かしい数だ。昔はずっとこの三つのカップを出していた。まさかこんな些細なことで懐かしんでしまうなんて。9thにわからないようにキシュリーはそっとつぶやく。

「なんだか懐かしいわね・・・・・・。兄さん」







 あんなに明るかった街並みが黒い影と化す。濃厚な太陽がどろり、と砂漠の向こうに沈みかけていた。人々は吸い込まれるように家路につき、足もとから寒さが絡みつき始める。一番寂しい時間帯だ。

「タイザー・・・・・」

 タイザーは意外と早く見つかった。小さな体は家から少し離れた、家と家の隙間のような暗がりで消えてしまいそうなほど小さく小さくうずくまっていた。あまりに小さかったので見逃してしまうところだった。
 その姿を確認できただけでイツキは安堵の息を鼻から漏らした。

「タイザー、どうしたんだ。家に戻るぞ」

 タイザーは膝を抱え、頭を伏せたまま動かない。首すら振ることも頭を上げることもしない。もしかするとタイザーじゃない別の人かもしれないと少し思ったが、このくせ毛を間違えるはずがない。やれやれ、とイツキはため息をついて頭をかいた。

「姉貴の言ったこと気にしてるのか?お前を放り出すとか、何とか」

 やはり反応はない。微動だにしない体は泣いているのかすらわからない。

 イツキはゆっくりとタイザーの隣に座った。それでも彼女はぴくりとも動かない。

 苦しいほどの沈黙。太陽が落ちていく音すら聞こえてきそうなほど、二人の間に沈黙が流れる。遠くの空に映る深紅と朱の交る空が痛々しく砂漠に溶けて行った。イツキはぼんやりと眺め、薄く瞬き始めた星を数えた。




「僕は一人だ」

 どれくらい経ったか。もう日は地面に溶ける寸前だった。あたりもうっすらと靄がかかったように薄暗くなってきた。寒さもついに全身を支配しはじめる。

「僕は、いつも一人だ」

 タイザーは膝に顔を埋めたまつぶやく。イツキはそれを黙って聞くしかなかった。どんな独白でも、今は聞いてやることしかできない。いや、それが最善だと思っている。

 タイザーは両肩を強く抱きしめ、さらに小さく丸まった。

「僕はお母さんとお父さんに捨てられたんだ」

 タイザーの瞼に今でもこびりつく光景がある。時々それが夢に出てうなされた。

 眠っていても・・・起きていても。瞬くたびに残像が浮かぶ。

「僕たち家族は旅をしながら生きてきた。僕とお母さん、お父さん、生まれたばかりの弟・・・・・。僕たちは、砂漠をなめてた。遊牧民族みたいに生きるのが、かっこいいと思ってた。・・・本当に、ばかだったんだ」

 みんな生き生きしていた。砂漠の砂のように囚われない生き方。父と母が望んだ生き方。

 何も知らない、両親。砂漠の厳しさを理解していなかった。

「最初のころはよかった。自由で、楽しかった。でも、砂漠には怖い生き物が潜んでたんだ。・・・デザートシーブス・・・どんな生物よりも恐ろしい生き物。・・・盗賊たちがいることを、僕たちは軽く思ってた」

 この砂漠の先に何があるだろう。毎日顔を変えるこの砂の行き先は。走る、走る、ひたすら走る。そして手を伸ばした先に・・・彼らはいた。気がつくと囲まれていた。人間と思えない醜悪な笑みを浮かべて。

 全ては唐突な出来事だった。不運な遭遇だった。父は全員を守るように両手を広げ、母は幼い弟を落とさないようにぎゅっと抱きしめる。

 でも、タイザーは。

「僕は捕まって人質にされた。・・・僕をこのまま渡すか、それとも僕の代わりに持ち物全て置いていくか。・・・僕、両親のあんな醜い笑顔、初めて見たよ」

 タイザーは置いてかれた。

 両親は恐怖のあまり、混乱していた。自分が助かることしか考えてなかった。タイザー一人残して、家族は消えた。砂と共に風のように消えた。残ったその場に、数分前までつないでいた手も絆もなくなっていた。

 涙はでなかった。呆然とした。そして知った。何もなかったことを。

「僕は愛されてなかったんだ。・・・人間なんて、生まれるのも死ぬのも。・・・・そもそも僕という人は一人しかいないんだ。・・・・僕は、一人ぼっちだった」

 自分を慰めるために、呪文のようにつぶやく。

 デザートシーブスさえいなければ。

 まだ、偽りでも家族がいた。

「僕、どうしていいかわからなかったよ。ただ、盗賊たちが掴む腕が異様に痛かった。暴れても、泣いても、叫んでも解けないんだ。・・・・死にたくなかった」

 どうしようもなく寂しくて、寂しくて、寂しくて。孤独の砂に埋もれそうになって。

 涙も止まらない。いつの間にか流れていた、透明な雫は何もうるおしてはくれない。乾いていく、体が心が。解き放たれていく。心に潜んでいた殺意が。

「気がついたら、僕は盗賊たちの腰に差してある銃を無我夢中に奪ったよ」

 冷たくて重い感触がタイザーを慰める。

 引き金は言った。優しい声で。

 ・・・・・撃ち殺せ。

「そして撃った」

 襲い来る盗賊たちを、タイザーはただ撃った。何の恐怖も、躊躇もなく。ただ悲しいだけ。満たされなんてしない。帰ってくるものは誰もいない。

「初めて。初めて人を撃った。僕、何も怖くなかった。・・・どうしてか、楽しかったよ。でも、僕一人じゃ勝てるはずなかった」

 やられる。盗賊の銃がタイザーを飲み込もうとした。黒い穴が小さな体を吸い込もうと狙う。

「そこに来たんだ。お父さん・・・・・・ううん、ブルーヘブンが。そして僕の代わりに、盗賊を殺した」

 盗賊は面白いほど簡単に倒れた。呆然と眺めるタイザーを青い鳥がかすめていく。

「言ったんだ。・・・・あいつは・・・・・僕を・・・・・」

 タイザーから嗚咽が漏れた。涙をずっと堪えていたのだろう。喉が破れてしまいそうな痛みがあった。

 イツキはその先の言葉を知っている。ブルーヘブンの台詞。

 追いかけておいで。

 そうやってあいつは招待する。悲しみにふせるものたちを。もう一度、出会いたいが為に。己の孤独を癒すために、招待された者たちは追いかける。

「僕は一人だ・・・・!早く、早くブルーヘブンを見つけるんだ!!」

 少女はただ涙を流す。孤独につぶれそうな自分を、小さな肩を小鳥のように震わせ、必死に抑える。

「・・・ブルーヘブンがいれば、僕は一人じゃないんだよ・・・・。だから、いっきーなんていなくても平気だもん・・・僕、ずっと一人で探してきたもん・・だから、平気・・・今さら一人になっても・・・」

 イツキはわかっている。その台詞はイツキにではなく、自分に言い聞かせていることを。そうやって寂しさをどこかへ押しやろうとしていることを、わかっている。わかっているからこそ、知っているからこその「ブルーヘブン」なのだ。

「ブルーヘブンは僕のものだ・・・!いっきーなんか、ずっと、ここにいればいいじゃん・・・!お姉さんもいるんだし!」

 タイザーの求める思いはわかった。イツキの持っているものを、暖かく持っていたものをタイザーは失ってしまったのだ。

「いっきーなんて嫌い・・・・もうお金出さなくて済むもん・・・・」

 でもイツキにだって欲しいものはある。あやふやで形になっていない、悲鳴のような痛々しいものが欲しいと。まだわからない何かが欲しくて、だからさびしくて。ブルーヘブンに見破られ、こうしてここまで来た。

 今さら引き返せない。

 イツキは自分でもわからず、苦笑した。

「ひでえ言われようだな、俺・・・・。じゃあどうしてそんなに泣いてるんだ?寂しがり屋のくせに無理すんじゃねえよ」

 まだ上げない頭をぽんぽんと軽く叩く。その手をタイザーははたき落とした。

「無理してないもん!泣いてなんかないもん!泣いてなんて・・・!」
「じゃあ顔を上げろ」
「・・・・やだ」

 イツキはしょうがないなと笑みを浮かべながらタイザーの頭に手を乗せる。柔らかい髪の毛が指の隙間を絡みつく。

「・・・・どっからどこまで聞いたか知らんが、俺はまだ旅を続けるよ」

 手を延ばし、追いかける。愛しい人。欲しいのは誰?

「のんびり、ブルーヘブンを探す。諦める気はねえよ。・・・その間の路銀、期待してるからな」

 ぽんぽんと頭を軽く叩くと、イツキは重そうに腰を上げて背を向けた。太陽はしがみついているが、空はすでに夜になっていた。

「この街は危険じゃないが、早めに帰って来いよ〜」
「ま、まって・・・・」
「ん?」

 イツキは振り返らず、その場に止まる。砂がきらりと舞った。

「本当に・・・旅、続けるの?いっきー、続けるの・・・?」

 小さな手が、小さな体がイツキにしがみつく。

「僕は・・・一人・・・?僕は、ブルーヘブンがいたら、一人じゃない?それとも・・・・・」
「お前は一人じゃないさ。ブルーヘブンがいなくても、な。言ったろ?路銀期待してるぞって」
「・・・・・いっきー・・・・・これからも僕と旅してくれるの?」
「ああ」
「一人で、いなくていいの?」
「もちろん。一人でいたきゃあ一人でもいい。いつも通り旅したきゃあ、それでいい。俺はただのんびり行くだけさ」

 小さな手に力がこもる。とても小さくて、すぐにでも折れてしまいそうで、必死にしがみつく手はすぐ離れてしまいそうだった。

 僕の拙い手は、しっかりつかまえていられるだろうか。僕は、ちゃんと繋いでられるだろうか?

「いっきー・・・ごめんなさい。ありがと・・・・」
「ほらほら、俺の背中で泣くなって。鼻水つけるなよー」
「鼻水出てないもん・・・・ばか!」

 タイザーはばしっと叩くと、イツキから離れた。

「僕、先に行くからね!」
「はいはい」

 イツキは笑いながら小さな背中を見送る。もう彼女はこれで大丈夫だ。そしてタイザーは少し鼻を鳴らすと、涙を拭った。

 日は完全に裏側へと溶けた。今日もまた闇が街全体を毛布のように包む。冷たい砂風が立ち上がり、目の前を霞ませる。

 それは予感だったのか。イツキは空を見上げる。

 鳥の羽ばたく音。砂の舞い上がる音。か細く消えていく。

 まるで、人が倒れるように。 静かに。

 胸がきしむ。体内が、震える。 

「・・・・・・・・・・・」


 それは銃声。






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