22・The black moon

 息が遠い。鼓膜が突き破れそうな沈黙。

 獣が追いかけてくる。

 マルアスは一人、壁に溶けるように身を隠す。

 死ぬわけにはいかない。捕まるわけにはいかない。

 そうやって、自分に言い聞かせながらサブマシンガンを握り締める。

 俺が天国に行きたいのは、そこが楽園であるからではなく。俺の目指す天国は、遥か彼方。

 届くはずのない、夢の国。

 ありえるはずのない、落ちたものの世界。

 唯一裁いてくれる、愛しいものがいる世界。




          Heaven?


 静まり返った夜の街に獣たちは静かに息を弾ませる。高揚とした呼吸の乱れ、弾けそうな心音、逆流しそうな血液。全ての高まりが、町中に行き渡っている。

「やばいな・・・・」

 5thは呼吸を整え、少し目を瞑る。月は隠れることなく、照らしている。5thのつるつるした頭も、鈍く光っていた。

「・・・・はあ・・・」

 壁にもたれ、頭を撫でる。
 マルアスが町を出た気配はない、と鼻が言う。5thは勘が強く、特に鼻は効く。過信しているわけではないが、はずれたことはない。今はそれを信じるしかない。どちらにしても情報はないのだから。

「・・・・く・・」

 ぎりぎりと奥歯がきしむ。その音すら、大きく空に登るようだった。
 どうする。どうやって奴を捕まえる?
 ひたすら心音が問いかけるが答えは見つからない。頭を抱え、うなってみてもだめだった。

「あっはっは。どうすっかねえ・・・・」

 心の中で笑ったつもりだったが、思わず口に出てしまいさらに笑い声を上げた。5thはズボンのポケットに手を突っ込み、小さなマイクを取り出した。

 やれやれ、とまず一息。スイッチを入れる。雑音がやや混じっているが、通信はできるようだ。とんとん、と二回ほど叩く。鈍いエコーが返ってくる。その向こうで女の声がした。

「あーあー。聞こえるか?」
「ええ、しっかり」
「今、どこにいる?」
「キシュリーさんの家」

 近いじゃねえか、と5thは引きつった笑みを思わず浮かべる。

「気づいてるんだろ?」
「もちろん。5th、片付けれるでしょ?」
「そうもいかなくなったぞ・・・・。また出た」
「マルアスじゃなくて?」
「ああ、例の」

 影が揺らいだ。月影に浮かぶ黒い人影はビロードのように。そして曖昧にうごめく。
 5thは気配を緩め、ゆっくり構える。

「・・・・悪い、客が来たみてえだ」

 来る。頭の奥の冷たい部分が静かにささやく。

 5thは身構えた。ドラッグコントロール内で武器を使わず素手で戦うのは9thの他に5thもだった。鉄のような体をもって、敵に直接手を下す。そうすることによって裁きはより強く相手をつぶすことができると信じている。

 一部も隙のない体に向かう影。それは巨体を持つ5thにとってネズミのようなもので・・・油断が生じた。

「どわ!!」
「ひゃあ!!」

 影は集合したが、瞬時に分散した。磁石のようふ吹っ飛ぶ大きな5thの影、対峙するように小さい影。

「あ・・・・・・」

 小さな影が指を差す。知っているような声だ、と5thは小さな顔を凝視しする。徐々に月が彼女の顔をはっきりと映し出す。それは向こうも同じで、5thの顔が徐々に浮かび上がったと同時に目を丸くした。

「あ〜!!」
「しいいー!!」

 5thは急いで小さな口を押さえる。ごつごつの塊のような手は口どころか顔も隠してしまった。息苦しそうに小さな手足がばたばた動く。

「・・・・・っと」

 遅れて、細い影がぬっと現れた。彼女のことを考えれば、次に彼が出てくることはわかっている。

「あ?・・・・あー・・・えっと、5th?」
「お、おう。久しいな、イツキさんよお・・・・・」
「む〜!!」
「タイザーちゃんも・・・・」

 イツキは何度か瞬きをしながら5thを見て、ゆっくり視線を下に落とす。

「・・・・・・・タイザー。何やってるんだ?」
「むうう!!」

 顔全体を抑えられ、タイザーはただもがく。暗がりで詳しくはわからないが、顔色がおかしいことはわかる。

「お、おお。すまなかったな」

 それに気づいて、5thはようやく手を離した。崩れるように、タイザーはよれよれとしゃがんだ。鼻も押さえられたらしく、ぜいぜいと呼吸を荒上げてしきりに酸素を取り入れている。

「ごめんごめん。平気か?タイザーちゃん」

 5thは急いでしゃがみ、ひいひいと喉を鳴らすタイザーの背中をさすった。

「だ、大丈夫じゃないよ!!」
「だから、しいいー!!」

 人差し指を急いで立ててタイザーの口をもう一度塞ぐ。タイザーはこくこくと小さな頭を上下に動かす。

「よし・・・・。ちょっと静かにしてくれよ」
「何かあったのか?」
「いやあ、なあ・・・・・・」

 5thは頭を撫でながら立ち上がる。あまりに大きくたくましい体格なので月が隠れてしまう。

「ちょっと仕事でな。・・・・・そういうお前さんたちも」
「まあ俺は・・・・・」
「里帰りだよね」
「う、う〜ん・・・・まあそうっちゃそうだが・・・・」

 イツキは嫌そうに頬を引きつらせ、髪の毛をいじった。

「へえ。お前さん、ここ出身かあ。じゃあキシュリーさんも知ってるわけだ?」
「あはははははは」

 一本調子の声のトーンで低い笑い声を上げる。タイザーは冷や汗を浮かべるイツキを見て不審そうに眉をひそめた。イツキがあまり言いたくない理由はわかっているので、仕方なく代わりにタイザーが口を開いた。

「キシュリーさんは、いっきーのお姉さんだよ」
「おう!?へええ!何だおまえ、キシュリーさんの・・・ほお・・・まあ言われてみれば似てるなあ・・・目元とか」
「女好きとか」

 タイザーはぴっと指を立てて、イツキを少し睨んだ。イツキはまた乾いた笑いを浮かべ、さらに激しく髪をいじった。

「んなことはどーでもいいだろ・・・。で、5thはなんでだ?」
「おお、そうそう」
「・・・・お話は終わったかしら」

 マイクが雑音混じりに低く響いた。どうやらため息をついたらしい。5thはマイクの向こうのことをすっかり忘れていたので大きい体に似合わず、びくっと肩を震わせた。

「おおう!すまんな。ちょっと知り合いが・・・・・」
「イツキとタイザーちゃんでしょ。聞こえてるわ」
「おお!?」

 5thはまた飛び上がった。いかつい割に5thのリアクションはコミカルでタイザーは笑った。

「何だ何だ?いろいろ驚かせすぎだぞ?9th、知り合いか?」

 マイクの向こうからまた雑音が大きく響いた。嫌がってるなあいつ、とイツキは少し顔を引きつらせた。

「まあ色々あったのよ。それで。「例の」から台詞を聞いてないんだけど」
「おお。そうだったそうだった」

 5thはちらりとイツキを見る。イツキは頷き、立ちあがった。

「さ。帰るぞ、タイザー」
「え?う、うん・・・・・。で、でも・・・・変な気配が・・・折角追いかけてきたのに」
「それはこいつらの仕事だろ?俺たちは関係ねえから帰る。・・・・だろ?5thさんよ」
「相変わらずいい気配りで嬉しいね。そうしてくれると助かるな」
「んじゃー帰るわ。ほら、タイザー」

 よれよれの細い手でタイザーのマントを掴むと、彼女は不服そうに頬を膨らませながらも頷いた。だがまたマイクが響いた。イツキは今度こそ顔を引きつらせる。

「いっこちゃん。いるのお?」

 今度は甘ったるい声だ。イツキはその姿勢で硬直する。

「ちょうどいいわあ。ちょっと、仕事してきてえ」
「やだ」
「子供みたいなこと言わないのお。・・・・ちょっと怪しい気配がするのよお。たぶんマルアスだと思うの」
「マルアス?この街にいるのか?」
「そうなんだ。この街に潜伏中で、今追ってる・・・追われてる?んだよな」

 イツキは目線で「呑気だな」と訴えるとマイクに目を移した。

「んなの、姉貴がやりゃあいいだろ。何も俺に・・・・」
「あたしはあたしの仕事があるの。・・・あんたのだ〜いすきな「ブルーヘブン」の服用者が現れたみたいなのよお。今から、あたしと9thちゃんはそっちに向かうの」
「なんだって?」

 イツキとタイザーはマイクにかじりついた。

「それなら、僕たちがそっちに行くよ!」
「だ〜め」

 即座に甘い声が返ってきて、タイザーはくちびるを尖らせた。

「危ないわ。・・・それに、あたしもいろいろ見ておきたいのよお」
「でも・・・・」
「そうだぞー。お前、またまわされるぞ」

 タイザーは横目でイツキを見て、口を閉ざした。さすがのおてんば娘も薬のブルーヘブンは恐ろしいようだ。

「で。5th。「例の」の続きは?」

 ぴりっとした9thの声に変わった。黙っていた5thはやれやれと肩をすくめた。

「・・・・・・例のブルーヘブンっていう薬の服用者が街にいるようだ、と言いたかった・・・・」
「甘いわねえ〜。ここはあたしの街よお。変なのがいたらすぐにわかるんだからねえ〜・・・・じゃね〜。いっこちゃんたち、がんばってー」

 ぷつっと潔くマイクが切られた。三人は肩を落とし、それぞれの理由にため息をついた。

「・・・・ということだ。よろしくな、イツキ。タイザーちゃん」
「・・・・姉貴の言うことに逆らったら生きて帰れねえからな。・・・で?目星は付いてるのか?」
「まあな。といいたいとこだが。さっきから見失ってよお」
「だめじゃん」

 イツキとタイザーは同時にあきれた口調でつぶやいた。5thは怒ることなく、ただ苦笑した。

「しょうがねえだろ?相手はあのマルアスなんだからよお・・・・・。姿だけでも発見できればいいんだが・・・・。とりあえず、二手に分かれて探すか。いいな?」
「わかった。見つけたらどうする?」
「そうだな・・・・何かしら派手な方法で知らせてくれ!あと、無理はするなよ!見つけるだけでいいからな!」
「派手・・・?なんだそれはって・・・おいおい・・・」

 イツキは困ったように手を掲げたが、5thは大きい図体にも関わらず空を飛ぶように姿を消してしまった。からんと屋根が鳴り、似つかわしくない小さな足音を立てて行ってしまった。彼なりに気を使って行動しているのだろうが、大きな体は隠せない。

「あれじゃあ見つけてくれといわんばかりだな・・・・・・」
「ねえ、いっきー。マルアス、捕まえるの?」
「んあ?まあそうだな。一応賞金首だからな・・・」

 タイザーは口をすぼめ、視線をずらして下を向き、何か言いたそうにスカートの裾を握り締める。イツキは首をかしげてタイザーを見る。

「どうした?」
「あ・・・うん。・・・い、一応恩人だから・・・・あれかなって」
「ああ、そうだったな。・・・・ま。見つけてから決めるか。俺もあいつは悪いやつじゃねえと思うしな・・・ブルーヘブンの話も聞きてえし」

 タイザーは頷き、手を離した。

「しかし、ドラッグコントロールがどうして賞金首なんか追うんだろうな?」
「あ。そういえばそうだね」
「だろ?名前通り、麻薬取締りのはずだがな・・・・」

 イツキは腕を組み、視線を泳がせた。心当たりは「ブルーヘブン」のみ。
 ブルーヘブンの「薬」も追うと言っていたことを思い出す。そうなると、繋がりがあるとして捕らえられるのだろう。もしくは、麻薬に関わる犯罪を犯して「賞金首」になった。

 しかし、イツキの目から見てだがそうには見えない。麻薬をやっているような顔をしていなかったし、オーラもない。

「ふむ。・・・ま。とりあえず見つけますか」
「うん!」

 タイザーはルガーP90を取り出し、低いそばかす鼻を動かす。

「こっちの方からするよ!」
「おう」

 タイザーは足取り軽く、地面を蹴る。小さな体がふわりと駆けた。その後ろでイツキはだらだらと歩く。

「もう!いっきー早く来てよ!」
「あー・・・・」

 ぼりぼり、と頭をかきながらやはりだらだら歩く。

「面倒」
「もう!!」

 タイザーは折角進んだ体をイツキのところまで戻し、イツキのよれよれの裾を引っ張る。イツキは嫌そうに振りほどいたが、再び小さな手が掴んだ。

「ほらほら〜」
「ちょ、おいおい・・・・」

 わずかな力しか込めてないのに、イツキはふらふらと千鳥足で2、3歩よろめいた。タイザーは構わずずるずると無理やり引っ張って走らせる。

「待て待て!・・・けほっ・・・・・・」

 砂にでもむせたか、苦しそうに咳き込むイツキを見てタイザーはやはり頬を膨らました。

「も〜・・・・何なんだよ!!」
「うるへ〜・・・・げほげほっ・・・」
「運動不足?それとも風邪?」
「単にむせただけだ・・・・・げほっと・・・う、ううん・・・・・ん・・・」

 大きく深呼吸し、胸を抑える。タイザーは半眼で睨み、やはり運動不足だよと心の中でつぶやいた。

「いっきー、なんだか最近やせたもんね!そんなひょろひょろだから咳き込むんだよ!」
「んなことねえ・・・それに体格は関係ねえよ。・・・さあ、いくぞ」
「うん!」

 タイザーは大きく頷き、もう一度鼻を動かした。くりくりとした大きな瞳が獲物を捕らえようとぎらぎらと奥底から本能をむき出す。

「もう・・・・いっきーのせいでわからなくなっちゃった・・・・・あ・・・・」

 ふ、とタイザーは振り返る。

「黒い・・・・塊・・・・」
「んあ?」
「・・・・・・・・」

 イツキも振り返る。

 そこにあるのは黒い塊。全てが黒く、空気より静か。何の感情も、色も見えない。単なる黒。

 イツキはへらっと笑う。親しみをこめて。

「よお。マルアス」


 無情にも、サブマシンガンが二人を覗いた。






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