23・頬を伝うもの

 おいで。
 おいで。
 おいで、馬鹿な人たち。
 追いかけて。どこまでも。
 来て。
 寂しいから。泣いてしまうから。




          Heaven?


 光のない黒い瞳孔は二人を品定めし、吼えることなく下に落ちた。タイザーの目が丸く光り、大人しく腕に帰るサブマシンガンを見つめた。殺気は、ない。

「よお」

 イツキはもう一度声をかける。現れた黒い塊は動かない。
「追われてるんだってな」

 マルアスは何も言わないで、じっと佇んでいる。ぴくりとも動かないその体はタイザーの言うとおり、黒い「塊」に見えた。今にも飲み込みそうな、真っ黒の塊。

 サブマシンガンは下におろされたが、隙は全くない。おそらく、二人が今動けば黒い塊は一部の隙なく、目の前のものを蜂の巣に変えてしまうだろう。

 つつ、とタイザーの頬から汗が流れた。茶色のくせ毛が綿のようにふわりと揺れる。

「・・・・俺を捕まえるか」

 低く、マルアスはつぶやく。雫を落とすような声に、さすがのイツキも背筋を撫でられる。

「どうしてそう思う?」
「ドラッグコントロールのやつと一緒にいたからだ」

 下でサブマシンガンが唸った。

「待てよ。・・・ま、確かに言われてはいるがな。・・・ちょっと来いよ」
「・・・罠でもあるのか」
「はは、まさか。あったとしても、その時は撃てばいい。それだけさ」

 獣じみた目がイツキとタイザーを交互に移る。タイザーは喉を鳴らしくちびるを噛んだ。怖いのか、無意識にイツキの背中に隠れている。

「そんなに警戒するなよ。いいじゃねえか、ちょっとぐらい。・・・・ブルーヘブンを追いかけてる同士、ちょっと話でもしようぜ」

 イツキは踵を返し、マルアスに背を向けたがサブマシンガンは吼えなかった。イツキはいつものにやにやした笑いを浮かべ、ちらりとマルアスに向いて目だけで「付いて来いよ」と合図を送った。

 マルアスは少し躊躇したが、黙ってイツキの後ろを追った。撃つ気はないようだが、隙はない。殺意はなくても恐ろしいものには間違いなかった。

「ま、待ってよ・・・!」

 タイザーはイツキがどこにいくのか知らない。おろおろしながらも付いていくしかないので急いでイツキの元に走った。





 大通りからはずれ、昼間でも人通りの少ない裏通りへ、さらに細い道へと入っていく。店ばかり並ぶ道の裏なのか、ごみ箱や袋が散乱していた。通常の街だったら薬物中毒者がたむろしているだろうが、ここはキシュリーが取り締まる街だ。こんな薄汚れた裏通りにも人はいなかった。

「よっと」

 その一軒、古い木の扉にイツキは手をかけ、がたがたゆすった。随分ととりつけが弱いらしく、すぐに扉は外れた。

「よっし。外れた」
「い、いっきー。いいの・・・?」
「んあー?あー。いいんだよ」

 入るように促し、マルアス、タイザーの順に入った。そしてイツキも入ると再び扉を元に戻した。妙に手慣れていた。

「電気電気っと」

 手元を探り、電気をつける。付いても薄暗く、目が慣れるに少し時間を要した。

 そこはバーだった。内装は少し古く、カウンターやスツールは塗装がはげ、棚もあちこちにささくれのようなものができている。それでも埃やゴミなどないところを見ると、ちゃんと営業しているようだ。煙草とアルコールの燻った匂いが残っている。

「まあ、座れよ」

 イツキはカウンターに入り、スツールを顎で指した。マルアスはゆっくり座り、タイザーは少し離れてよじ登るように座った。

「酒でも飲むか?」

 手馴れた様子でウイスキーを取り出すと、タイザーは身を乗り出して首を振った。

「いっきー!勝手に飲んじゃだめだよ!それにここどこ?」
「ここは昔っからあるバーだよ。俺は昔ここで働いてて・・・」
「は、働いてた・・・・・・?」

 タイザーはこれでもかと疑いの目をイツキに向け、じーっと穴が開くほど見つめる。イツキは頬を引きつらせ「はは」と軽く笑って「何疑ってんだよ」と低い声でつぶやいた。

「俺だって働けるっつーの・・・。だからよく知ってんだよ。ここの裏口、立て付けが悪いから鍵かけてもああやって開いちまうんだ」

 手馴れた動作でグラスを取り出す。薄暗い白熱灯に照らされたグラスには指紋一つない。透き通るようなガラスだった。

「う〜ん、懐かしい」
「でも勝手に入るのはよくないよっ。見つかっちゃうよ?」
「それは大丈夫だ」

 氷をいれ、ウイスキーを注ぐ。滑らかな茶色い液体は氷を撫でるように滑る。からん、と涼しげな音が店内に響いた。

「あーやってドアはずして、女連れ込んでたけど見つからなかった・・・・・・って」

 いつの間にかタイザーのルガーP90がイツキの脳天を狙っている。イツキはウイスキーを注ぎながら丸い冷や汗を浮かべた。

「・・・・変態。・・・・撃つよ」
「し、しかたねえだろ・・・・。家には姉貴いるし、ホテルなんてねーし・・・・・」
「そういう問題じゃないよ!変態!」
「うるせーぞ。・・・・・ほら、これでもやるから大人しく座ってろ」

 マルアスの前にウイスキーを、タイザーの前にオレンジジュースを置く。

「おとなしーく座ってたら、オレンジ切ってやるぞー」
「ばか!いらないよっ。子供扱いしないでよね・・・」

 タイザーは頬をふくらませ、ルガーをマントの中に納めた。「もうもう!」といつも通り怒りながらもぺろぺろとオレンジジュースを飲んだ。おいしいらしく、タイザーの口は収まった。

「・・・・・どういうつもりだ」

 イツキは自分にもウイスキーを注ぎ、くちびるを湿らせた。

「いいから飲めよ」

 勧めてもマルアスは手をつけないで、じっと睨みつけるようにイツキを見た。

「なぜ俺を匿う」
「匿ってるつもりはねえが・・・だから言ったろ?ブルーヘブン同盟。それに俺は賞金首とかそういうのに興味はないね。あんたを捕まえろっていうのも姉貴が言っただけだしな」

 グラスを揺らし、なだらかな液体を眺める。黄金の水面に熱い白熱灯がゆらりと映り込む。

「それに俺は・・・・いや、俺たちはブルーヘブン以外に興味はないはずだ。・・・違うか?」

 マルアスは黙って水面を見続けた。たぷん、と揺れる液体は心地よい芳香を放っているが、マルアスが口を付ける様子はない。

「なあ。あんたと通称「ブルーヘブン」の服用者が一緒にこの町にいるっつーことは、だ。何か情報を探りに来たんじゃねえか?」

 マルアスは答えない。くちびるも、体も、呼吸すら止まったように動かない。警戒の気配もとけていず、辺りの空気はピアノ線を張り巡らしたように触れた途端切り裂かれそうな空気になっていた。肌が痛む。

「結局、あれは何なんだ?」

 岩のようにふさがっていたマルアスのくちびるが動く。

「・・・・・お前たちは、何も得ていないのか」
「ちょっとだけだな。元々そういう情報掴むの知らねえからな。・・・・・で?何か収穫はあったのか?」
「言う必要はない」
「かってーこと言うなよ。匿ってやったんだ。しかもウイスキーもおごり。・・・どうだ?それぐらいの情報はいえるだろ?」

 イツキはグラスを置くと、ふらふらと奥へ行った。薄暗い店内なので奥に何があるか二人からは見えなかったが、イツキは迷うことなく何か作業している。 

 じじ、と羽が擦りあうような雑音。入り混じる雨の振るような雑音。


♪The kind which snow dropped. it will bud, if spring comes -- ・・・
・・・ ♪Gentle snow It is my kind without killing.


 ジャズが流れる。かすれた声をして、わずか細く。

「雰囲気、あっていいだろ」

 再びグラスを持ち、手を揺らした。

「・・・・・ブルーヘブンという薬を追ってきた」

 ようやくマルアスもグラスを取った。しかし取るだけで口はつけない。もてあそぶようにただぐるぐるとかき回す。涼やかな氷の音がジャズに混じる。

「やつらはこの町・・・・・いや。どの町にも必ず数人、いた」
「それほど出回り始めたのか」

 壊れているのか。音楽は狂ったように同じフレーズを繰り返した。
 ことん、とカウンターに小瓶が置かれた。青く、鱗のような光がカウンターに移る。

「これは・・・・・・・・」

 イツキは手に取り、白熱灯に照らした。ビー玉のような薬に目を細める。

「それ!」

 びくっとタイザーの体が震えた。

「ブルー・・・・・ヘブン・・・・・・」

 かすれたつぶやき声を出し、小瓶から目をそらしてマルアスに向ける。怯えた瞳に気づいたのか、マルアスは目を瞑った。どこまでも表情のない人物だ。

「薬に興味はない。その薬も、所詮偽者だ。俺たちの求める鳥ではない。・・・・だが」

 繰り返すフレーズ。何かを探すように。

♪The kind which snow dropped. it will bud, if spring comes -- ・・・
・・・ ♪Gentle snow It is my kind without killing.

「正式名称を聞いて、興味が湧いた」
「正式?」
「ブルーヘブンの「涙」それが正式名称だ」
「涙・・・・・?」

 小瓶をカウンターに再び置く。青い光が反射した。

「そして、これを振りまいたのは・・・ある者は仲間から、友人から、恋人から・・・死んだ、ものから」

 氷が鳴る。頭に突き刺さるような音に聞こえた。

「それらは皆、求めた「姿」。自分の望む者から与えられたもの。・・・そして麻薬の効果も同じだ」

 イツキの喉がなった。

「・・・・なあ。これって、もしかして・・・・。ブルーヘブン本人が振りまいてるのか?」
「可能性としては、高い」
「でも俺たちと招待の仕方が違う。俺たちは麻薬なんて受け取っていないぞ」
「わかっている。それに意図がわからない」
「ブルーヘブンが「招待」する理由・・・・・麻薬の理由・・・・」

 くいっとウイスキーを放り込む。喉を滑る液体は熱く胸を焼いていく。

「わかんねえな」

 グラスを置き、しげしげと小瓶を眺めた。何の変哲もないが、タイザーは怯え続けている。目をそらし、決して小瓶を見ようとしない。傷はすぐに治ったが、受けたトラウマはそう簡単に消えるものではない。いくら無邪気なタイザーとはいえ・・いや、無邪気だからこそ精神に受ける影響は大きい。イツキは改めて薬の怖さを知った気がした。

「欲しい姿を見せる麻薬・・・・狂ったように薬を求める、か。・・・俺たちと大差ねえな」

 イツキは小瓶の蓋を開け、一粒取り出した。青く透き通った丸い薬。まるで空を取り込んだようにひんやりとただ青い。

 く、と指に力を込めると粉々に砕けてしまった。儚いな、と三人はふと思う。

「これを飲めば、今だけだが俺たちの望む者が見えるのか?」
「・・・・試してみればわかる」
「だ」

 カウンターが揺れた。見ると、今まで黙っていたタイザーが机を思い切り叩いて震えていた。

「だめだよ!やだよ!もうしまおうよ!やだよ!」

 これでもかと首を振り、潤んだ瞳でイツキを見た。

 その目にあるのは恐怖と体に染みついた痛みとブルーヘブンの服用者とのことを切実に語っている。タイザーは弱弱しくうなだれ、くちびるをかみ締めた。

「待てって。これを飲めば少しはわかるかもしれない。・・・・どう思う?マルアス」

 マルアスは答えず、ちらりとタイザーを見てまたカウンターのどこかに目線を戻した。

「ちょっと舐めるだけ、やってみるか」

 砕けたかすを集め、手に乗せる。塵になっていても青いガラスのようできれいだった。

 タイザーは吸いこみそうな悲鳴をあげ、再び振り「やだってば!」と叫んだ。イツキの手は一旦止まったが、やめなかった。

「それに薬の成分、わかってないんでしょ!?怖いよ!体に悪いよ!」
「・・・わかってない?」

 マルアスは初めて、タイザーと顔をしっかり合わせた。タイザーも今にも零れおちそうに涙をせり上げた目でじっと見つめた。

「そうだよ!そう言ってたもん!だからやめ・・・・あ〜〜〜!!!!!」

 タイザーがイツキに目を戻した時、イツキの舌先が薬の粉を絡め取っていた。ほんの少量、ごくごくわずかな量をイツキは口に含んでしまった。電気に照らされ、口の端が青く光った。

「・・・・・・やだよう・・・」

 タイザーは食い入るようにイツキを見る。イツキは動かず、カウンターの木目を目だけで追う。曲が繰り返される。同じフレーズばかりを何度も何度も、羽音を立てながら体内に侵食する。

「大丈夫か」

 マルアスは覗き込むようにイツキを見る。やはり動かない。額に丸い汗がみるみるせり上がる。

 繰り返すメロディー。かすれた声が脳を冒す。耳障りな雑音がダンスを踊り、体内に響く心音は心臓の壁を殴りつける。

 ぽた、と木目に汗が落ちた。イツキの肩が小刻みに揺れた。痙攣した、という表現の方が正しいのかもしれない。くく、と空気が抜けたような笑い。

「はは・・・・・はは・・は・・・」

 イツキは目を覆い隠し、狂ったメロディーに乗せて笑い始める。

「いっきー!」

 タイザーはスツールから飛び降りて、カウンターの中に急いで入った。

「いっきー!早く水飲んで!水飲んで目、覚ましてよ!」

 急いで水を目の前に置くが、イツキは笑ったまま目を塞ぐ手をはずさない。

「タイザー、ちょっとどいてろ・・・・・・」

 ひいひいと笑いながら手を振り、タイザーは一瞬身震いしてから逃げるようにカウンターから出た。

「・・・・まいったな」

 ようやく笑い声が収まった。倒れるようにカウンターに両手を付き、また少し笑いながら小瓶を見た。

「とんだ薬だ・・・・・これ」

 脂汗が引いていく。同時に幻影が消える。目の前にあった、欲しくてたまらない後悔の塊が消える。安堵と共に涙が出そうになった。弱い自分を見たようだった。

「何を見た」
「何を見たの・・・・?」
「本当、これは少量でいいな。・・・・いや、もう飲みたくねえな」

 マルアスとタイザーを交互に見て、瞬きを何回か繰り返して水を飲む。体は寒かったが、目の前にあるのは見なれた光景と人物。恐ろしい影はなく、懐かしい形もない。現実をこれほどにまで暖かいと感じたことはなかった。よかった、目が覚めてとイツキはもう一度笑った。

「・・・全く。やっばいぐらい即効性の強い薬だな」
「ねえ・・・・何が見えたの?」
「お前も飲むか?」
「いらないよ!もう・・・何だよ・・・僕、心配したんだから・・・」

 イツキは肩をすくめてもう一口水を飲んだ。タイザーはまだ怯えながらも「ばか!」と怒って遠巻きにイツキを睨んだ。その声にイツキは再び安堵した。ここは過去じゃない、現在だ。

「・・・・見えたよ。いろいろとな」
「何見たのってば」
「だからいろいろと、だ。いろいろな・・・・。・・・これはどっちかってーと・・・・望む者じゃねえかもな」

 タイザーは首をかしげ、不安げにイツキを覗き込む。

「強く、思う者。俺の中で一番強く残っている者だ。・・・・いるだろ?こいつだけは忘れれないってやつ」
「望む者ではないのか?」

 イツキは曖昧に頷き、水を飲み干した。

「どうだろうな・・・望んでいるのかもしれねえし・・・とにかく、最悪だな・・・・」

 首を振り、瞬きをする。冷や汗はどこかへ消え、狂うほどの笑いもおさまっていた。何もかもがようやく数分前に戻る。

「これはある人間にとって、恐怖の薬だな」
「どうして?」
「もし一番強い印象を持つ者が・・・例えば親の敵だったりしてみろよ。間違えて殺しちまいそうになるだろ。・・・その、なんだって言ったか?スクリーンとなる他の、対象となる人物を、さ」
「だが、大抵のやつは望む者だと言った」
「普通は望む者が一番自分の中で強い者だろ」
「ならば・・・・・・お前は違うのか」

 イツキは無言で肩をすくめて軽く笑った。
 気がつけば、ジャズは消えていた。さざ波のようにゆっくり上下に砂嵐の雑音が店内に張り付いている。

「いや。確かに望む者だったさ。欲しくてしょうがなかった・・・・」
「ならなぜ」
「それと同時に、・・・・いや。何でもないさ。これはあんたがもってろよ。折角の戦利品だろ?」

 マルアスに手渡すと、素早く懐にしまった。ようやくタイザーから安堵の息が漏れた。

「ねえ、これからどうするの?マルアス、どうやって逃げる?」
「お。そうだったな。どーすっか。朝方まで待つか?」
「その必要ないわ」

 三人は同時に入口に目を向けた。

「姉貴っ・・・・・」

 ぱし、ぱし、と鞭を手で打ちながらキシュリーはモデルのように一直線に歩いてくる。

「帰ってこないと思ったら・・・・」
「どうしてわかった?」

 あんたの実姉なのよ、とため息混じりに台詞を吐き出した。そして「とうの昔にばれてるんだから」と付け加えられたイツキはげんなりと肩を落とした。とすれば、今まで連れ込んでたことも丸見えだったわけだ。恥ずかしいというかこればかりは参ったとしか言えない。

「・・・・なあ、姉貴。逃がしてやってくれないか?」
「そうもいかないわ。どんな理由でも、賞金首は賞金首なのよ」

 がた、とマルアスはスツールを蹴るように立ち上がり、サブマシンガンを抱えた。その姿にキシュリーは面白そうに形のよいくちびるをゆがめて笑った。

「あらん。やる気満々ねえ」

 鞭が虚空を描く。薄暗くてもわかるしなやかな動き。

「りぃ姉!」
「どうしてかばうのよお」
「いいだろ、別に・・・・。それにまだ暴れてねえだろ?」
「残念だけどお。何だかすっごく怒ってるのよねえ。ブルーヘブン服用者ちゃんたちが。マルアスに奪われたって」

 イツキとタイザーはばっとマルアスの懐を見る。瞬間、キシュリーはきつく目を細めた。

「麻薬か・・!」
「その通り。暴れちゃって大変なんだからあ」

 意味深な笑みを浮かべ、くちびるを舐める。いちいちの動作は妖艶だが、背中から浮かびあがる気配は強く痛い。気を緩めば、例え弟でも飲みこまれてしまうだろう。

 イツキは唾を飲み込み、カウンターから出た。

「だったらそっちに回ってればいいだろ」
「あっちは9thちゃんと5thがいってるからいいのよお。あたしは手が開いたからあんたを探しにきただけ・・・たまたまマルアスがいたのよお。運、悪いわねえ」

 甘ったるい声を撫でるように出しながらもう一度鞭をしならせた。

「さあ覚悟・・・・・」

 言い終える前にマルアスは床をえぐるように蹴り、キシュリーの隣を殴った。幸い、キシュリーの体には当たらなかったがよろけた。その瞬間を縫うようにして扉が切り裂かれた。爆音じみた音がエコーし、その場に虚しく残る。

 キシュリーは裂かれたドアを眉間にしわを寄せて睨みつけた。妖艶さは消え、殺気だけが露となる。

「意外と素早いのねえ・・・。あたしは追うから、あんたはもう帰りなさい」

 マルアスとは対照的に、キシュリーは軽やかにその場から消えた。ふわりと砂混じりの風が吹き、レコードの雑音もいつの間にかその姿を消した。白熱灯が揺れ、現実と幻想の間をあやふやにする。まるで先ほど見た夢のように、イツキは吐き気のする浮遊感を覚えた。

「いっきー、どうするの!?」

 タイザーの声が再び現実へと引っ張り戻す。イツキは額を拭うと、舌打ちした。

「このままやられても目覚め悪りいからな。・・・・・行くぞ」
「うん!」

 二人は頷き合うと、空っぽになったバーを後にした。





 切り裂く雷鳴のように、大雨の嵐のように、サブマシンガンと鞭は互いに吼え、絡み合っていた。
 空には重たい雲が立ち込めていた。雨が降りそうだった。その音に誘われるように。

「あ・・・・・」
「え?」

 イツキの体が少しよろけた。タイザーは支えるようにイツキの体を持った。

「わ、悪りい・・・・」
「ちょ、ちょっといっきー!まだ薬が抜けてないの?」

 イツキは頭を抑え、首を横に振った。顔には脂汗が少しだけ浮いていたが、月がないのが幸いし、タイザーに見られることはなかった。疼く体内も何とか抑えれそうだ。

「いや・・・その、なんだ。立ちくらみだ・・・・・」

 頭を振り、再び駆ける。

 止める方法など考えていなかった。どうして止めたいのかもわからない。ただ、何となく「なくなる」のはいやだと思っていた。

 それは昔から。イツキはただ、そう思っているだけだ。

「姉貴!」
「近寄らないで!」

 サブマシンガンが、吼える。牙を向いて、獲物を引きちぎろうと。一部の隙なく。

 透視するように、かいくぐっていく。ほんのわずかな、キシュリーの隙を縫って。

 雨のような弾丸がキシュリーの体に降り注ぐ。いくつかは砂に埋もれ、いくつかは壁をえぐった。

 キシュリーは舌打ちすると、鞭を握りしめた。

「ばかっ・・・・声かけて・・・・・・!」

 どうする。

 狂ったメロディーが吹き上がる。同じリズムで、同じ声で、繰り返し、繰り返しただ歌う。

 火花が散る。漆黒の闇で鮮やかに瞬く。・・・・避けきれない。

「りぃ姉・・・っ」

 はじけるような音だった。内側が破裂するような、あっけない音。

「・・・・あ・・・・・・・」
「う・・・・・・」

 イツキの肩が揺れた。

「俺・・・・・・ばかやったかもな」

 どうしようもなく溢れる熱い塊がわき腹に走る。イツキはぐっと握りつぶすように抑える。

「悪りい・・・・・姉貴」

 そのままイツキの体は崩れた。じんわりと、侵食するように赤い液体が地面をぬらしていく。その液体を砂はどんよくに吸収し、辺りに散らばる。

「や・・・・・・・」

 声にならないタイザーの悲鳴を最後に、イツキの意識は線を切るようにとたんに途切れた。



 朝日が、昇る。






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