27・砂の日々

 いつからだろう。煙草が、不味い。
 食事をするように、女を抱くように、浴びるように吸っていた俺の甘い煙草。
 煙草はうまい、という味覚とは違った。確かにうまい・・・・が、何かが違う。

 ・・・・・なければ不安になる。

 吸っていることで、不安を吐露していたんだと思う。甘さを取りこんで、胸にある寂しさを埋めていたのかもしれない。何でだろう、今は理由がわからない。

 ・・・・・・吸えない。




          Heaven?


「い〜〜〜や〜〜〜だ〜〜〜〜!!!」

 家中にイツキの声が響き渡った。白い壁がびりびりと振動し、タンスが揺れた。

「・・・・・・・・・」

 タイザーの目が、口が、頬が引きつる。でもどうすることもできないので、影でこっそりと顔をのぞかせていた。
 イツキは再び悲鳴を上げると、ぴし!、とキシュリーの鞭がうなった。

「言うこと聞かない子はしばくわよお!」声と共に鞭も唸る。
「やめろよ!俺はそっちの趣味はねえっ」
「弟なんてしばいてどうすんのよ!喚いてないでちゃんと、こっちへ来なさい〜!」

 姉弟の激しい攻防戦にタイザーはただため息をつく。誰がどう子供だって?思わずそう聞きたくなった。
 イツキは柱にしがみつき、まるでサルのようだった。キシュリーはどこかの女王のようにイツキに鞭を浴びせる。

 実は・・・イツキは病院に行きたくないと叫び、キシュリーは無理やり連れて行こうと奮闘しているのだった。

「もう!あんたいくつよっ。病院が嫌だなんて、最近の子供も言わないわよ!」
「うるせえ!嫌なもんはいくつになっても嫌なんだ!!」

 二人は一歩も引かない。中々いい攻防戦だが、内容としてはどうなんだろうとタイザーは頬をかく。

「・・・・・・・」

 キシュリーは肩で息をすると、何か思いついたように舌なめずりをした。とたんにいやらしく表情がゆがむ。

「ああら。せえっかく、かわい〜いナースさんがいるのにい?」

 イツキの耳がぴくりと動いた。

「じゃ、あたし独り占めしちゃお〜」

 嬉しそうに身をくねらせ、頬を赤らめる。イツキの頭の中でも同じ光景が浮かび、もやもやと形が生まれる。

「ナース服のおねーさんたちか・・・!」

 イツキの目が光る。キシュリーは違う意味で目を光らせ、イツキを放り出した。





 結局、イツキは「ナース」という特殊な職業に惹かれ、病院に行くことになったが入ってすぐに来たことを後悔した。期待していた分、落胆も激しい。

「そうだ・・・・・忘れてた・・・・・」

 小さな病院のナースは全員中年のおばさんばかりだった。

「そうだよな・・・・ここは俺の故郷だもんな〜・・・・・忘れてた・・・・・・」

 がっくり肩をおろす。そう言えば小さい頃からすでにおばさんばっかりだったっけ・・・と後悔の色を隠せない。

「いっきー・・・・・病院に来る理由が不純だよ・・・」
「うるへ〜・・・・・不純だろうと何だろうと、ナースは心のオアシスだ!」
「・・・そんなに主張しないでよ」

 二人はそれぞれの理由でため息をついた。

「つーかよ、なんでお前までついて来たんだ?・・・・・・ははあ」

 イツキはあごに手を当てながらにやにや笑う。タイザーは一瞬むっとしたが、すぐに俯いた。

「さては、心配してるな?」

 からかうようにぽんぽんと頭を叩く。だが、タイザーからいつもの覇気はなく、落ち込んでいた。

「・・・そうだよ・・・・」
「・・・・・・・・・」

 ぽつりと零れる言葉は重くイツキに沈みこむ。タイザーはそれきり何も言わず、俯いたまま足をぶらぶら動かした。イツキも何も言えなくなり、お互い無言のまま待合室のソファーで待った。






 キシュリーは一人、家にいた。今日は仕事を入れていなかったので、やることが全くなかった。こういう時、やることがないというのは苦痛だった。

「・・・・・・・・・・」

 無言で写真を見る。幼い三人が眠る写真。幸せそうに眠っている。眠ることを仕事とし、楽しみにしていた子供の頃。明日は何があるんだろうと期待に緊張しながら、それでも睡魔に耐えきれず眠ってしまっていたあの頃。

「今は、眠るのが怖い」

 小さく声に出し、写真を抱える。とても冷たい。

「いつから?・・・・・・」

 両親が死んでからか。兄が死んでからか。弟が、青い鳥を目指してからか。

 目を瞑ればそこは一人。誰も見えない。

 誰もいない。消えていく。視界から全てが。

「・・・・・まだ決まったわけじゃないわ」

 首を振り、写真をそっと置いた。写真の中の三兄姉弟はいつまでもいつまでも、形がかわることなく幸せそうだった。

「写真って、残酷」

 瞼を下ろすように、写真を下に倒した。







 イツキの名が呼ばれた。イツキはタイザーを残し、一人病室に入った。付いていくとしがみついたが、そっと離してきた。

「よお、先生」
「傷もう治っているよ」

 先生はイツキを見ることなく、ビールで肥えた腹を机と椅子に挟まれながら鉛筆を滑らせる。

「違げえって。今日は・・・・・・なあ」

 イツキは古びた椅子に座るとうつむいた。長くなった黒髪が垂れ、顔が隠れた。

「兄貴・・・・・さ・・・・・・どんな感じだったんだ?結果を、聞いたとき」

 ぎし、と椅子がきしんだ。白衣に身を包んだ腹がイツキを向く。

「・・・・・俺・・・・どんな顔していいかわかんねんだよ」

 イツキの顔は完全に隠れている。一体どんな顔で話しているのか、検討がつかなかった。ただ、台詞は酷く怯えていた。死刑囚のようだった。

「・・・・・・どういうことだね・・・・・」

 覗き込むように先生は尋ねるが、イツキは動かない。長くなった黒髪が表情をさらに隠す。

「姉貴が言ってた。これは男のみに遺伝する病気だと。詳しくは知らねえ・・・・どういう症状が出るのか・・・・苦しいのか、痛いのかも」
「君は、それを知るために来たんじゃないのか?」
「・・・・・・・・・・・」
「最初から言っておくが、すぐにわかるわけじゃない。しかも、なっていたとしても我々が気づかないかもしれない。・・・・まあ、検査を受けるのは懸命な判断だ」

 イツキはようやく顔を上げ、力なくへらへら笑った。うまく笑えなかった。

「まず簡単なところで、血液検査をやろう」
「え〜!」

 イツキは口を尖らせる。

「俺、注射嫌い〜」
「いくつだね・・・・君は・・・・・・・・・」
「え〜・・・・・・・・・十歳〜?」
「・・・・・今の十歳は注射でわめかないぞ」

 無理やり腕を掴むと、やはり同じようにでっぷりと恰幅のよいナースがゴムで腕を縛る。

「や〜めろって〜!」

 じたばたと抵抗したが、情けないことにナースのほうが力が強かった。

 固定されたまま、ゆっくり針が入る。イツキは瞬き一つできないで、肌に食い込む針を凝視していたが。



 待合室で一人待つタイザーは引きつった。周りにいた人たちもびっくり驚いて診察室に振り向く。冷たい廊下に情けない悲鳴が何度も何度もこだまする。

「・・・・・今の、いっきーの声・・・・・・」

 タイザーは何だか恥ずかしくなり、きょろきょろとあたりを見回したり俯いてみたりしたが、扉から転がるようにイツキが飛び出た。さらにタイザーは驚いて、肩が飛び上がらせた。人たちの目線が痛い。

「えっと・・・どうしたの?」

 イツキは這うようにソファーに座り、くちびるをかみながらタイザーを見つめた。

「あいつら、酷いんぜ!」
「???」
「こーんな」 

 親指と人差し指を引き寄せる。

「ふっとーい針で血い抜きやがったんだ!」

 タイザーは力なく、やはり引きつった笑いを浮かべた。

「・・・・・もしかして今の声・・・・・注射が嫌で・・・・」
「注射は敵だ!」
「・・・・・えー・・・」
「さあ、帰るぞ!」

 タイザーはきょとんと大きな目で瞬きをする。

「え?もう?結果は??」
「結果はまだまだ先。さ、んなことはどーでもいいから帰るぞ」

 注射の跡を抑えながら、涙目でイツキは立ち上がった。そしてそのまま玄関へと足早に向かう。

「待って!」

 タイザーも急いで付いていく。後ろから笑い声が聞こえて、タイザーはまたも恥ずかしくなった。






 照りつける太陽の日差しに向かい、イツキは大きく伸びをした。

「あ〜いーい天気だ・・・・」

 ふう、と息をつくと手を下ろした。

「どっか遊びに行くか?行きたがってただろ」

 タイザーは無言で首を振った。街並みを歩くうちにタイザーの覇気は失われてしまった。何を考えているか、その目を見ればすぐにわかる。

「・・・・・あのなあ」

 くせの強い茶色の髪に手を乗せる。ぴょこんとはねた髪の毛はいつも通り柔らかかった。

「まだビョーキと決まったわけじゃねえんだ。んな辛気臭い顔するな」

 しかしタイザーは目を半分伏せたままだ。イツキと目を合わそうとしない。それを見てイツキは少し笑い、髪の毛をこれでもかとかき回した。

「な・・・・」
「心配ご無用ってな」
「もう!やめてよね!ぐしゃぐしゃに・・・・・・」

 イツキの手をはがすと、案の定髪の毛は絡まって膨らんでしまった。

「もうもう!」

 手で急いで直すが、上の方はどうなっているかわからないので、困ったように手当たり次第に髪を手でとかす。髪は返って膨張し、もしゃもしゃに絡まっていく。

「兄貴はな、昔から体が弱かった。だが俺は風邪もあんまり引かないぐらい丈夫だった」

 タイザーの手を退かすと、くすくす笑いながら仕方がなくタイザーの髪の毛を直す。

「・・・それは、いっきーがばかだからだよ」
「ばかじゃねえよ、失礼な。とにかく。結果が出次第、決めよう」
「・・・・・ブルーヘブンも?」
「・・・・・・ああ、そうだな・・・」

 会話が途切れた。髪も直った。

 無言の時は家路に着くまで続いた。

 イツキはタイザーの背中を眺めながら、ぼんやりと青い鳥のことを考えた。何も浮かばなかった。次に兄のことを浮かべてみた。幸せそうな顔しか思い出せない自分に苛立つ。

 体内は相変わらず穏やかで、心ばかりがもやもやと煙草の煙のようにくすんでいる。

 病気ではないような気がした。何かが狂っている。螺子が足りない。

 何も手に入れないまま、死にたくはない。怖い。何もない。兄もアイラシェリもいない。

 ただ、青い鳥いる。共に追いかける小さな相棒と共に、その道の先にいる。



 ブルーヘブンに取り込まれるように死ねるなら。

 それも、いいかと。

 ブルーヘブン。






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