28・居場所に泣く 暗闇に、酷く恐怖した時期があった。 「あらあら・・・・・・またいっこちゃんが泣いてる」 「イツキはいつまでたっても泣き虫だなあ」 そうやって、兄と姉はあやしてくれた。もうすでに両親の姿はなかった。年の離れた兄姉が親代わりだった。 影が蠢いていて怖い。光の反対側で揺らめくモノが人に見えて仕方がなかった。そのまま伸びて自分の首を掴みそうで、絞め殺されそうで怖い。全ては被害妄想なのに、怖い。 今思えば、暗闇は覚えていない父と母の幻影だったのかもしれない。両親がいれば、こんなに恐ろしくなかったのかもしれない。 飢えていたのだろうか。今となってはわからない。わからないままここまで来てしまった。もう、求めることしかわからない。 「だめよお。男の子は、強くなきゃ」 無理だよ。俺は弱い。 「怖がらなくも、兄ちゃんや姉ちゃんがいるからなー」 俺の逃げ場。欲しい場所。 俺は逃げてるんだ、いつも。俺はいつも欲しがってるんだ。安心する場所を。 どうしようもなく、畏怖しているから。だから求めるんだ。 Heaven? 耳鳴りがするような静けさ。高揚している内部が余計に騒がしく聞こえる。 血が駆け巡る音。波打つ心脈。叩き殺す心臓の音。全てが楽器となり、複雑な不協和音を奏でている。 振り返らなくてもわかる。こんな不快な思いをさせるのは、ただ一人。強く、厳しい彼女だけだ。 「・・・・こんなことだろうと思ったわ」 暗闇に浮かぶ、妖艶な鞭。 それに対し、鋭くナイフが光る。 「出て行くの?また探しに行くの?・・・・イツキ」 暗闇がようやく薄く幕を一枚はがす。キシュリーは静かに弟を見て、イツキは笑いながら姉を見た。 「やっぱりばれたか」 へへ、と笑うとナイフを姉に突きつけた。刺すのではない。逃れて求めるための最後のあがきだ。キシュリーは何も動揺せず、ただため息をついた。 「あたしを誰だと思ってるの?・・・・イツキ。あんたは無理、そう言ったわよね?」 「ああ」 隙という隙がなかった。全ての空気が固まり、ブロックのようになり部屋中を押し留める。密着した空間に吐き出される息は、どんどん濃密になっていく。 「暗くて怖い・・・そう泣いてたあんたが」 「もう怖くねえよ。ガキじゃねえんだ」 「嘘ばっかりしかいわないのね。・・・あんたは怖いのよ。怖いから逃げる・・ここを出る。結果、まだ聞いてないでしょ?」 「・・・・・・・・・」 「あんたはいつまでたってもガキなのよ」 す、と舞うように鞭がしなやかに空中を踊り、キシュリーの手の内に戻ってくる。 「ブルーヘブンとは何なの?そこまでして、あんたとタイザーちゃんは何を手に入れたいの?」 イツキは答えず、じっと暗闇の目を姉に向ける。影が揺れた。過去の幻影、幼いころ見た影の形をしていた。 「何をそんなに怯えてるの?」 怯えてる?イツキは頭の中で反芻させる。 俺が怯えているもの。 発病していることか?兄のように死ぬことか?全てを失うことか? 俺が欲しいもの?兄貴?アイラ?・・・・・両親?女? 「俺は・・・・・・」 目を瞑る。微笑む。自然と出た表情だった。心は穏やかだった。 「確認したいんだ。俺の欲しいもの、求める人は誰か」 すっと目を開け、姉を見て困ったように肩をすくめる。 「俺は優柔不断だから、わかんねえんだ。・・・・ブルーヘブンはその人の一番求める人となり、一緒にいてくれる最高の女のような鳥さ・・・・。だから、会えばわかる。会ってあいつが変化した姿・・・俺の求める答え・・・。それを、はっきりさせたいんだ」 だから。イツキは鋭く光るナイフを姉の喉下に焦点を当てる。 「追わせてくれ・・・・・・・」 キシュリーの口がわずかに動く。 「やっぱり・・・・・」 かすれた声。震えながらイツキを見る。ぱし、と鞭がしなり、イツキのナイフに対峙する。 「あんたは怖がりね・・・そうやって、場所がないと怖くて仕方がない・・・・」 月が隠れた。イツキのナイフは鈍くなり、キシュリーの鞭は暗闇と同化した。 鋭く光るのは双方の目。限りなく闇に近い深淵の瞳孔。 「どうしようもない、子供ね・・・・自分の欲しいものもわからないなんて」 キシュリーの頬が少しだけ動いた。厳しさは解けない。 「・・・・・・でも、行かせない。あんたは、あんたは・・・・あたしの最後の家族なのよ!?もし、もし、兄さんのように死んだらどうするの!」 キシュリーの目の前で、弟が闇に沈む。前兆のような不吉さに、ただ怯える。わからない不安ばかりが体を駆け巡り、泣きたいぐらいの痛みを走らせる。なぜここに全ての理由がないのだろうか。押しとどめるものは何もない。お互い、防ぐ術はない。 「俺は死なない・・・・絶対に・・・兄さんみたいに、死ぬもんか」 ナイフに力がこもる。イツキにはわかる。兄が手に入れたものを、今理解した。死に怯え続けた兄が願ったもの。 兄は。アイラシェリという人物に恋をして。 ブルーヘブンに魅入られて。 アイラシェリを願い。手に入れ。 でもそれは本物じゃない。 でも幸せは本物。悦楽の思いは本物。 だから吸われるように死んだ。天国へ。 でもそれは全てじゃない。兄は一体何をしてしまったのか。アイラシェリとは、ブルーヘブンとは。渦中にあるものは何一つわかっていない。イツキの心の中のように。 「俺は確かめるだけ・・・・・確かめたい・・・」 どうしようもない後悔の念と不安。そうさ、俺は怖い。 「ただ、会いたい・・・・何かに」 何を求めているか?ブルーヘブン、おまえ自身だ。 「だから、俺は行くよ」 「おんなじ・・・・・おんなじように、また行くのね・・・」 キシュリーの瞼がゆっくり落ちた。諦めた声をしていた。 「あたしにはわからない。あんたが・・・あんたたちが求めるものが。・・・・・ねえ」 キシュリーはくちびるだけゆがめて笑う。瞳は酷く落ち込んでいて壊れてしまいそうだった。 「あたしは、家族じゃないの?あんたの、姉として、失格なの?」 イツキは目を反らさずゆっくり首を振る。 「家族だよ。りぃ姉は、俺の唯一の肉親だ。強すぎるぐらい強い、あんたは姉以上に最高の人だよ」 イツキも同じ笑みを浮かべる。姉弟はよく似ていた。 「・・・・・・やっぱりわからないわ。だから・・・・あんたが鳥を追うなら。あたしはあんたを追う」 キシュリーの瞳が、ようやくやわらかく光った。 「あんたが、道を失わないように。落ちてしまわないように、見ててあげるわ。・・・・・唯一の、家族として」 鞭を持つ腕が滑り落ちる。うなだれた顔は髪に隠れてわからない。光のないところで、キシュリーは踵を返した。 「・・・・・行きなさい・・・・・」 キシュリーは消えた。闇にすべりこむように、気配が消える。 「・・・・・・ありがとう・・・・りぃ姉・・・・」 イツキもナイフを下ろし、軽く微笑んだ。 再び静けさを取り戻した廊下を、イツキは小走りに向かった。 「おーい、タイザー」 ノックもせず入ると、タイザーは巣に丸まる小鳥のように静かに丸まって眠っていた。眠る顔は、普段以上に幼さを増す。なんて平和なことだろう、とイツキは苦笑した。 「起きろー」 気持ちよさそうに寝ていたが、何の躊躇もなく揺さぶり起こす。今はそれどころじゃない。 「むー・・・・・・」 タイザーはベットの中でもぐもぐ動くと、目を擦ってイツキの方向に体を向けた。とろんとした茶色い目は、少し赤かった。 「タイザー」 「う〜・・・・・?・・・・・いっきー・・・まだ眠いよお・・・」 毛繕いするようにもう何度か目を擦ると、重たそうに体をゆっくり起こした。 「何〜・・・?」 「行くぞ」 イツキは立ち上がると、タイザーの服や荷物を抱えた。 「ここにあるので全部か?」 「う〜・・・・?」 まだ寝ぼけているのか、首をかしげながらぼーっとイツキを見ている。それでも質問の意味はわかったのか「それで全部だよ」と脳みそが溶けそうなほどゆっくりしゃべって、枕に顔をうずめた。 「じゃあ、いくか」 イツキは荷物を左手に抱えると、またベッドに戻り、反対の手でタイザーの腰を掴んだ。 「へ・・・・・?」 そのままよいしょ、と肩にかける。 「・・・・・ぐ・・・重い・・・・やっぱり片手はきついな」 「え?え?え???」 軽くはね、安定した姿勢に直す。タイザーは目をぱちくりとさせながらイツキの背中をぼんやり見つめた。そしてはたと状況に気づいた。 「い、いっきー!何なんだよっ」 ようやく覚め、じたばたと暴れ始める。イツキは顔を引きつらせながらも、タイザーの背中をなだめた。起きたばかりの背中は異様に暖かかった。 「あーほら、落ち着けって。・・・・・行くんだよ」 「行く?」 「また、探しに。ブルーヘブンを探しに、な」 「で、でも・・・・いっきーの・・・・・・検査・・・・それから決めるって・・・・」 「んなもの、健康に決まってるだろ?俺の体だぞ〜俺が一番わかる。それにな」 きい、と窓が開く。深い闇夜に月が煌々と浮かんでいる。明日も晴れるだろう、だが窓?とタイザーは首をかしげた。 「空を飛ぶ鳥は、逃げていく」 窓の縁に足をかける。嫌な予感がつま先から脳天までぐぐっとせり上がる。タイザーはさらに足をばたつかせると、これから起きそうなことに早くも涙を浮かべながら叫んだ。 「い、いっきー!ちょ、ま。まって!ここ二階・・・・〜〜!!」 タイザーの訴え虚しく、イツキはそのまま軽くぴょん、と飛び降りた。案の定な出来事だったが、タイザーは声にならない悲鳴を上げた。 加速するスピードと時の止まる無重力。何もかもが飛ばされていく。 そして着地。二人分の体重があるにもかかわらず、イツキの足音は軽やかだった。 「い、いっきーのばか!!」 タイザーは力なく叫ぶと、怖かったのか小さな体は必死にイツキの首元にしがみついて震えていた。 くすくす笑いながら、イツキはそのまま街の出口へ向かう。砂が自然と出口へ後ろから誘う。 「お、降ろして!ばかいっきー!」 からからと今度は軽く高らかに笑った。 「お前の足じゃあ、とってもじゃねえが追いついちまう」 「誰に?」 「キシュリーさ」 「は?」 イツキは振り返らず、姉の姿を思い出す。哀しげに笑っている。でも大丈夫だろう、姉は強い。そして優しい。だからこそ、追いつこうと走ってくる。油断すれば、捕まるだろう。 「キシュリーも追ってくる。それに、ブルーヘブンは逃げる」 「ど、どうしてキシュリー姉ちゃんが?」 イツキは答えず、素早い足取りで街を突き進む。砂が舞うが、気にならない。出口はもうすぐそこだ。 「とにかく、早く行くぞ〜」 「や、やだあ〜!!降ろして!僕、まだ着替えもしてないし、そ、それにこのままって・・・!」 砂煙が二人を隠す。タイザーの悲鳴とイツキの笑い声だけがいつまでも楽しそうに夜空に響いていた。 濃い闇夜の中、キシュリーは屋根の上にいた。誰も気づかない、深い深いところでぽつんと。 弟は笑いながら出て行った。それを、見失わないためにここにいる。 そして、決断せねばならない。もう二度と家族を失わないように。悲痛な思いで、亡くしたくなどない。 「あたしは、あの子を追うわ・・・・・どんな手を使っても」 一人つぶやいたはずの声は笑い声と重なった。抑揚のあまりない、落ち着き払った笑いだ。 「・・・・嫌われても、ですか?」 キシュリーの影からすっともう一つの影が浮かぶ。造形美を思い出させる、筋骨隆々とした肉体と赤い髪。 「もう家族が死ぬところは見たくないからね・・・・・」 キシュリーは振り返り、にっこり笑う。 「おかしいと思う?9thちゃん」 「いいえ」 9thはキシュリーから数歩離れたところからイツキを見る。もう二人の姿はない。砂だけがまだもくもくと白く浮かんでいる。 「・・・あなたたちのボスちゃんに伝えて」 「ブルーヘブンのことですか?」 「ええ。麻薬であるブルーヘブンを追求して欲しい・・・ボスちゃんの依頼、受けるわ」 「わかりました」 「9thちゃん、よろしくね。あなたは、イツキと縁があるみたいだから」 9thは無言で苦笑いを浮かべ、肩をすくめた。 「・・・・・あーあ・・・・人間、わがままにできてるわよねえ。自分のために、自分が満足するために欲しいだなんて。強欲ね・・・・」 なぜか9thはあきらめたように目を細め、口もとに笑みを飾り立てた。何も言わないが、わかっている。 「・・・・・そうね・・・・今更、変えれないわよねえ・・・・・」 キシュリーは目を瞑って笑った。そしてぐっと伸びをすると青ざめた月を見上げた。 月は羽ばたくように滑らかな光を放っている。その傍を、羽ばたく音がかすめた。 「鳥・・・・・」 まるでブルーヘブンの夢のように。 いつまで、照らす。
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