38・家族 小さな小さな村。小さな小さな体を走らせる。 見たことある風景。見たことある人。 風化に耐える小屋のような家たち。懐かしい匂い。 そして。なお建ち続ける、懐かしい扉。 手を伸ばして、下ろす。だがここで始めなければ終われない。あの背中に帰れない。 ためらいがちに扉に手を当てる。木のぬくもりが痛い。 なんて言おうか。そっと入ってしまおうか。 「・・・・・ごめんください・・・」 自分でも驚くほど余所余所しい声。この家に馴染まない。 途方もない時間を過ごした気がした。 「はい」 声がした。 人が住んでいる。 僕がいた家に。 Heaven? 飛び出しそうな心臓を押さえ、タイザーは扉の前に立つ。何も考えずに声を発してしまったが、はたして冷静に保ってられるか、倒れそうな体を必死に立たせて待った。 扉の奥からはぱたぱたとスリッパで走る音が近づき、ついにタイザーの目の前に立った。 顔を上げるのに数年分の体力を要した。一生分と言ってもいい。体がばらばらに弾け飛びそうでたまらなく痛かったが、このまま逃げかえればどこにも行けなくなってしまう。あの隣に帰れなくなる。 だから全身を震わせて顔をぐっと上げた。そこにどんな顔があっても、逃げださないように足も踏ん張った。 「あの」 「どちらさまでしょう?」 タイザーのありとあらゆる予想は全部切り捨てられた。 走ってきた人物は、まるで見たこと無い女の人だった。40代ぐらいだろうか。少しくたびれたエプロンと無造作に束ねた髪から家庭の香りがした。思わず凝視してみたが、記憶の波に引っかかりはい。まさか自分の母親の顔すら忘れたのかと思ったが、それも違う。 「あ、あの・・・・・ここに住んでいる人は・・・・・」 「あ・・・・ああ」 女は一瞬ぱちくりと瞬きしたがすぐに微笑みを浮かべた。だがほんの一瞬だけ、影が見えたのは気のせいだろうか。彼女はタイザーの腕をとると、一層笑みを強めた。 「ここの子のお友達ね。入って入って」 ここの子、というのは弟のことだろうかとタイザーはうすらぼんやり考えた。残念なことに、自分よりも小さかった弟のことはうまく思い出せない。 「え、ぼ、僕・・・」 かといって、両親に会う勇気は・・・踏ん切りがついたと思っていたが、再び出足が震えた。 「大丈夫大丈夫。遠慮しないで。私はここの住人ではないけれど、みんな喜ぶわ」 「・・・え・・で、でも」 女は何も言わずただにっこりと笑うだけだ。結局されるがままに、タイザーは中に入らされることになったが、何の心の準備もないので脳味噌が沸騰寸前だった。目の前がぐわんぐわんと揺れる。でも足だけは彼女に引っ張られてるせいかずりずりと奥まで行く。 何でこんなに混乱することが、とぐるぐると目を回しているうちに扉の前についた。 「さあ、この部屋よ。お父さんもお母さんも・・・一緒に、ね・・・」 心臓が飛び上がる。まさかこんな日が再び来るとは思っていなかっただけに、そしてどうしてもあの時の光景が浮かんでしまうために、涙が出そうになった。 だが泣いている暇はない。そうしているうちに青い鳥も、暖かい居場所も失ってしまう。 きい、と扉がゆっくりと開いた。震える足を一歩、また一歩と進ませる。あまりに慎重すぎて、転んでしまいそうになった。それでも、よろける体をなんとか立たせゆっくり顔を上げる。 久しぶりの家族。何年も経ってしまった。何年しか経っていない。 かつて何よりも欲しいと思っていた家族。思い描いていた家族の顔、顔、顔・・・。 「・・・・・・え・・・・」 タイザーは我が目を疑った。眼前に広がる光景にめまいを覚える。 ふわりと亜麻色の髪が揺れた。小さかった弟。あんなに小さくて小さくて、言葉すら発することのできなかった赤ん坊はタイザーそっくりの少年に成長していた。くせ毛、そばかすの付き方まで似ている。まるで自分がそこにいるような錯覚を覚え、タイザーはがっくりとその場に膝をついた。 目の奥が痙攣する。それなのに、母と父の姿を追った。 あれから数年経ったことがよくわかる。両親の髪にいくつかの白髪、目じりにしわがいくつか刻まれている。基本的な部分は変わりないが、ちょっとしたところに歳月を感じた。 タイザーの心が時間を逆走し、また現実へと戻ってくる。 「どうして・・・・・」 体が動かない。どうして、こんなことになっているか理解できない。四肢がもげおちそうだ。 「どうして・・・・・」 言葉は虚しく四散する。わずかな沈黙の後、規則的な吐息がすうすうと空間を満たし始める。 「これは・・・」 アイラシェリの姿が閃光のように瞬いた。 封じ込められたように眠る姿・・・タイザーの家族も、死んだように眠っていた。恐ろしいほど何も反応なく、ひたすら昏々と。 「・・・知らなかったのね・・・・」 先ほどの女が顔を出した。随分と懐かしく感じる。タイザーの心が、この場に戻ってくる。 女はぎこちなく口元を弛めると、タイザーに同情の混じった目を向けた。 「もうどれくらい経つかなあ・・・・。ここの一家、旅人だったのよ。しばらくは帰って来ないって聞いてたのが突然帰ってきて・・・それも真っ青な顔して。悪い病気にでもなったかと思ったわ。・・・それは当たってたみたいでねえ・・このお父さんがまず初めに倒れて、いきなり昏睡状態になってしまったの」 その後、お母さんも弟君も後を追うように・・・と女は付け足して、目線をそらした。 嘘だ。ああ、なんて酷くおもしろい嘘だろう。 眠っている。 アイラシェリのように。 全く同じ。変わらない姿。そこだけが見事に静止している。 「お医者さんはわからないと言っていたわ。それでも生きているしね、このままも可哀そうだからね・・・今は近所の人と交代交代で世話を見てるのよ」 最初に願ったのは。父親の姿だった。 優しくて、穏やかで、いつも嬉しそうに笑っている父親。誰よりも好きだった。 その父が最初に倒れた。 もう何年か。ブルーヘブンとの出会い。 「お茶入れてくるわね」 女だけが正常に動いていた。彼女が去った後も、タイザーはただ茫然と眺めていた。 「・・・・どうして・・・・?」 涙は出てこない。痛みの衝撃でえぐれた傷から血が出てこないように、ショックで涙が出ない。 「お母さん・・・・・」 母親は少し苦手だった。いつも厳しく、しっかりした人。それでも沢山褒めてくれた。父の次に欲しいと願った。 弟。あの時は小さすぎてどうしていいかわからなかった。両親を取られたようでさびしかったけど、可愛いと思っていた。手をつないで歩いたこともあった。まだ上手に歩けなかったから、よく転んでいた。母の次に欲しいと願った。 家族が欲しいと願った。 どういうことだろう。 歌が。歌が聞こえる。 You must take care. Do not fall down. Is your important one with a risk very lost in it? Are yours wanting it obtained? It wishes and however, any wish is dangerous also in any. 「僕は・・・・・」 ほんの一滴の期待があった。甘い甘い一滴。砂糖よりもハチミツよりも甘い甘い、強い願望。 もしかすると受け入れてくれるかもしれない、再び家族になれるかもしれないという思いが。あの時に戻れると、本当の姿になれるのかもしれないと思った。 それは無残にも消えた。痛みはなかった。痛む部分はどこにもなかった。その証拠に、涙はまだ出ない。 胸の中が空っぽだ。青い空がぽっかり浮かんでいる。 タイザーの中で明確な何かが芽生えた。いや、それは最初からあった。 それがようやく形を成してタイザーの体を満たしていく。なんて苦しくて、なんて甘い甘い感情だろうか。 はっきりした。わかったよと、脳内で叫ぶ声が聞こえる。 「これで言いたいことが言えるよ」 タイザーは虚ろに三人の親子を見る。記憶が薄らいでいく。日差しで影が消えていく。 「さようなら。さようなら・・・・・・僕の家族は」 瞼を落とす。笑みが自然とこぼれた。 「・・・・・君たちじゃない」 戻ろう。早く戻ろう。僕が今、願う場所へ。 扉を開けたタイザーは疾風のように駆け抜けた。 「あ、あら?お茶・・・・・・・・・・」 「ごめんなさい!僕、行かなきゃいけないところがあるから!」 目にも留まらぬ速さでタイザーは街を駆け巡る。振り返らない。道は目の前にあるのだから。 「おじさん!車!ラフレアの街まで!」 鳥は言う。青い翼を翻しながら。 「Now what is the wish?」 歌いながら、おどけながら、青い羽根で頬をくすぐる。 「It takes the shape of the appearance that you request. 」 タイザーは空を見上げる。真っ白い太陽と真っ青なスクリーンが世界を眩く照らしつくす。乾いた風が砂をさらうが、空まで届かない。 「ブルーヘブン。君の罠にはかからない。僕の願いは、君に叶えてもらわなくてもいい。自分で叶えるから」 車が大きく砂を舞い上げ、ついに空を消す。あんなに透明だった空は一瞬にしてノイズの走った黄色いものになった。しかし隙間から見える太陽で、キラキラと思い出のように砂は瞬いた。 一瞬だけ、鳥の姿が走った。 「君は求めるために人を食べ、その人に化けるただの鳥だ。偽者だ。確かに、願った通りの人間になって、僕たちの思うような行動をしてくれるかもしれない・・・・・でもそれが偽者なら意味がないよ」 羽ばたく音が消えた。 「本物が眠って偽者が起きるなんて、そんなの天国じゃない。・・・僕、ようやくわかったよ・・・・」 車が止まる。代金をばらまくように男に渡すと、車内からすべり出した。よろけたが、何も気にならない。一点、たった一つの星だけが目の前にある。それを目指し、タイザーは駆ける。 タイザーを止める者は誰もいない。 「いっきー!」 タイザーは荒い呼吸を整えながら、開けた扉の向こうを伺う。誰も出てこない。鍵はかかっていなかったので、留守ではないだろう。 「・・・・・・・・」 大分整ってきた息を大きく吸い、心臓を落ち着かせる。 一体どこにいるのだろうか、人が出てくる気配はない。部屋全体が希薄に感じられた。 「いっきー?」 「あらん?」 甘ったるい声が背後から響く。数日前に聞いた声だ。 「・・・・タイザーちゃん?」 「あ・・・・キシュリーねーちゃん。あ、あの・・・・」 どういう顔をしていいかわからなかったが、ぱっと振り返り、明るく笑いかけた。顔が自然とほころんでしまったのだ。 「・・・・・・・・・」 しかしキシュリーの表情は沈んでいる。悟られないように、必死に笑っている姿が、痛々しくタイザーの大きな瞳に映る。タイザーの登場を邪険に思っているふうでもなければ、風邪のように病気でもないようだ。 なぜだろうか、タイザーにはキシュリーが泣いているように見えた。 「どうしたの・・・・?いっきーは・・・?帰って来たんだよ・・・ね?」 キシュリーは軽く頷くが、声はない。 「どこにいるの?僕、今とっても会いたい」 キシュリーは黙って笑っている。いつもの色気は消えうせ、弱弱しい。触れれば崩れてしまいそうだ。 「どこ?」 瞼が熱い。渇望するほど訪ねたいのに、キシュリーの声を聞くのが怖くなっている。 このままどこかへ逃げだしたくなるような沈黙が続き、キシュリーはようやくそのくちびるを割った。 「・・・・・タイザーちゃん」 しなやかな腕が小さな体を絡め取った。キシュリーの豊満な胸がタイザーの顔を覆う。体は熱いのに、手が冷たい。 「タイザーちゃん・・・・・」 力がこもる。キシュリーの心音は徐々に速まっていく。ととと、と儚く打つ。 「苦しいよ・・・・・・」 動こうにも、力が強くて動けない。 「どうしたの・・・・?」 「あの子ね・・・・・・」 声を発する度に、腕の力は強まる。怯えている。震えている。 「あの子・・・・・・・」 気がつけば、タイザーもキシュリーの腕を掴んでいた。しがみついていないと、奈落の底に落ちてしまいそうな不安定さが全身を走る。 「あの子・・・・・・・」 二人の力は血がにじみ出るほど強く、お互いを縛りつける。 「あの子・・・・・・・」 人はどうしてこんなに脆いのだろう。思いだけで砕けそうになるなんて。 強く思えば思うほど弱くなっていくなんて。 タイザーの、キシュリーの瞳から透明な滴が零れた。 「発病・・・・・したわ・・・・」
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