40・ブルーヘブン 愛しいと。 側にいて欲しいと。 願うのは愚かなことだろうか。自分のために、いて欲しいと願うことを。 誰が咎めるのか。 みんな、孤独なのに。 誰が、ブルーヘブンを咎めることができるのだろうか。一人である苦汁を飲みこみ、孤独をすりつぶして羽ばたくその姿を、誰が罰するのだろうか。 誰を、憎んで。愛しいと思えばいいのだろうか。 深く、思うほど 絆が深まるほど 繋がりあうほど 人を殺したくなるほど、吸い尽くすほどの思いは・・・・なんだろうか。 Heaven? 青い影がかすめた。同時にイツキは血を吐いた。溢れる血は止まることなく、イツキの養分を吸い取っては吐き出す。 全てを根こそぎ取るように。 内臓を全て持っていかれるように。 それがイツキのすべてだと言わんばかりに、イツキはのたうってその場に崩れ落ちた。 キシュリーは一瞬にして痩せ衰えた弟を担ぐと、そのまま病院に直行した。全ては一瞬の出来事。一瞬なのに辺りはスローモーションに白く動く。 キシュリーが家に戻ったのは偶然だった。何も持って来ずにきたから、一旦家に帰らなきゃ・・・・途方にくれた体で帰ったと同時に小さな塊が飛び込んできた。 太陽のようにきらめく少女は純粋そのもので、キシュリーは泣きたくなった。 キシュリーは荷物をまとめるから、とタイザーは一人では大急ぎで病院に行った。入ると、院内は不思議なほど人がいなくて静まり返っていた。冷蔵庫うのようにシンと冷える風だけがゆるりと動いている。 走って病室へと駆ける。今すぐ会いたい、会いたいと足音に心音を乗せて。 でもそこにあったのは無残な体だった。 「嘘だ・・・・・・」 病室で眠るイツキは、別れてからたった数日しか経っていないのに酷くしわしわにしぼんでいた。頬はこけ、瞼はくぼみ、鎖骨は沈むように骨ばっている。一瞬見えた影は別人のようで、タイザーはショックで倒れそうになった。 「嘘だよ・・・・!こんなの・・・!」 タイザーは叫んでイツキの手を握った。手にぬくもりはなく、皮膚だけがぺらりと骨に張り付いている。工作のような手にタイザーはさらに愕然とした。 「嘘だ・・・・・だってお医者さん、絶対にならないって・・・絶対にならないって・・・発病はしないって言ってたあ・・・・」 握り締めたまま、ゆっくりと床に崩れる。砂のように脆く、なくなってしまいたくなった。こんな事実はいらないと叫びたかったが、もう声は出ない。 「どうして・・・・・・・?」 タイザーは願った。家族の存在を。 それは自分を見捨てたかつての家族。優しい父親、厳しい母親、小さな弟。ブルーヘブンに願ったのは、この家族だった。 タイザーは確信した。ブルーヘブンは、相手になるために相手の全てを吸い尽くすことを。 でもそれでよかったと、なんて自分は愚かな人だと思っていても、よかったと思った自分がいた。 もし起きていたら、揺らいでいたのかもしれない。でも彼らは眠っていた。おかげで決意が固まった。 だから今は違う。 ブルーヘブンに願っていない。 願いは叶っている。すぐ隣に、今は目の前に。 帰れば・・・もう一度一緒に旅ができるかもしれないと淡く思っていた。突放されてしまったけど、もう一度。出会った時のように。 それなのに。崩れた。 少しでも・・・少しでも。願ってしまったのがいけないのだろうか。 ブルーヘブンに願っていなくても、届いてしまったのか。 この願いは、青い鳥が。 そして自分のせいなのか。 全ては、この思いのせいで、イツキは。 「願いは全部取り消しだよ・・・・・!僕はそんな願い、してない・・・・!」 タイザーは願うようにイツキの手を両手で握り締めた。手はちっとも暖かくならなかった。それでもいいから、とひたすら懇願した。 その願いが通じたのだろうか、ぴくりと指が反応した。 「いっきー?」 急いで立ち上がると、イツキの瞼は震えていた。そしてゆっくりと、黒い瞳が現れる。光のない目はしばらくぼんやりと天井を眺めていたが、手から伝わる熱い感触に気づいたのだろう。震えながら頭を動かした。 「・・・・・タイザー・・・・?」 乾燥したくちびるがうっすら開く。 「うん・・・・・。僕、だよ・・・・」 けけけ、とイツキは笑う。力が入らないのか、呻いているようにも聞こえたが、顔はいつもの飄々とした明るさがあった。 「何だお前・・・・・戻って来たのか?家族はどうした」 優しい声をしていた。タイザーは首を横に振ると、じっとイツキの瞳を見つめた。 「・・・・・もう・・・・もう寝てた・・・・アイラシェリさんみたいに・・・・眠ってた」 「・・・・・・・・そう・・・・か」 ふう、と瞼が落ちる。電気が切れるようにイツキの体が希薄になったような気がして、タイザーは目を見開いたが次の瞬間にはもう一度黒い瞳が現れた。タイザーは人知れず安心したが、イツキの目はどことなく虚ろだった。 「あのね・・・。ブルーヘブンはね、望む人を食べちゃうんだよ。それで人になるんだよ・・・。だから、最初に願った僕の家族はみんな食べられちゃった・・・・。僕、本当に一人になっちゃった。誰もいなくなっちゃった」 イツキは短く「そうか」と言葉を漏らした。何となく心配しているようだったが、タイザーは首を再び振った。 「僕、大丈夫だよ。・・・だって、僕はもう何も願っていなかった。僕の願いね、もう叶ってたんだよ」 イツキはゆっくり顔をタイザーに向ける。その目は不思議そうに瞬いていた。 タイザーの目から自然と涙があふれた。そして、こぼしながら笑う。 「僕はいっきーがいればよかった。だからね、ずっと一緒にいたい」 イツキもへらへら笑った。少しだけ泣きそうになりながら。 「・・・・馬鹿なガキだな・・・・。俺を選ぶなよ」 タイザーは「へへ」と無邪気に笑いながら小さく頷いた。 「僕、ずっとここにいて看病してあげるから、早く元気になってよね」 「しょーがねえなー・・・・」 なるべく早く元気になってやるよ、とか細くつぶやき、息を吐く。 「ねえ、元気になったら、遊びに行こうね。おいしいご飯も食べに行こうね。あとね、あと・・・」 イツキは手を伸ばすと、くしゃりとタイザーの頭を撫でた。 「わかった、わかった・・・・約束してやるから、ちょっと止まれって」 「だって・・・・」 「どこだっていいさ」 「・・・じゃあ考えておくね」 「ああ。・・・・悪りいな・・・ちょっと寝る」 「うん・・・・」 タイザーの瞳が不安げに揺れ、イツキは瞼を落とした。呼吸がすとんと落ちる。 羽ばたく音。青い閃光に目を細める。 「君の願いを叶えに来たよ。一番孤独で、一番愚かで、貪欲な子」 タイザーは立ち上がり、窓を見る。瞳に青々と月と鳥が映る。 青い鳥が小さく鳴く。かわいらしい小鳥の声ではない、ひしゃげた人の声。 タイザーは息を吸い込むと、凛と青い鳥を見据えた。 「僕の願いは叶ってる」 「そこの死に底ない?」 「死なないよ!」 大またで窓に近寄り、青い鳥と対峙する。鳥は余裕たっぷりに、嘲るように笑った。 「君が願ったばかりに、この哀れな人間は死にかけている」 「願って・・・・ない・・・!お前が勝手に叶えたんだ!僕は、あのままでよかった。ずっと、旅をするだけでよかった!」 「本当に?」 青い鳥はつぶらな目を細めた。見透かす目にタイザーはひるむ。それでも逃げてはいけない。 「本当だよ。僕は・・・・」 「そうかなあ。・・・君は気づいていたんじゃない?ブルーヘブンを捕まえたら、願いが叶ったらそこで旅が終わると。そうしたら一緒にいれない。彼が突放せば、君はまた一人。・・・・ずっと一緒にいてくれる彼を願っている」 「違う!」 「嘘をついちゃだめだよ。・・・・ずっと、ずっと・・・彼がこのまま一緒にいてくれると思っている?心変わりするに決まってるじゃないか。彼は君のものじゃない」 わかっている。誰よりも自分自身がそのことに気づいている。 タイザーは言葉を詰まらせ、目を反らした。体が震えている。 「ほら・・・願っている。・・・それにね。少しでも願ってしまったらそれは現実となる。それは君もわかってるはず。家族を願ったから、君の血の繋がる家族は眠った」 鳥は浮かび上がると、病室を旋回し始めた。くるりくるりと青い螺旋が不気味に浮かび上がる。 「馬鹿な賞金首は妹を愛した。でも妹は結婚した。その相手が妹に暴力を働いたから殺そうとした。馬鹿だね。そんなことする前に叶えてあげたのに。もっと早くに祈れば、憎い相手の子供を孕まずに、自分の子を生めたのに。賞金首にならずに済んだと言うのに・・・・」 羽ばたく音が肌を執拗なまでに撫でていく。 「だから願いは叶えれない」 ちち、と鳥は鳴く。 「それに、私はこの病人が気に入っている。だってこいつになれば私は君の側にいれる。そして君は私の側にいる・・・・・・決して裏切ることなく・・・だって私は」 「うるさいよ!」 しかし鳥は止まらない。歌を歌うように笑う。 「全てに撒いてあげたカラクリ。求める人になるという願いを撒いたのに。薬まで撒いたのにね。食いついたのはたった一人。君だけさ」 タイザーは首を振る。引きちぎれてもいいから、と全身で否定する。 「僕はもう願わない!」 「だめ」 ひらりとまた窓の縁に舞い戻る。 「君はもう願っている。・・・それはもうすぐ叶うよ・・・」 むくむくと、膨れ上がる。隆起していく鳥の体。 それは人の形を成していく。 「やめて・・・・」 しなやかに形成されていく人の体。 「僕は願ってない・・・そんなの願ってない・・・・・!」 それは男で、黒髪、少し垂れ目の、にやけた顔。 「願ったよ、タイザー。お前は健康な「俺」を。ずっと歩んでくれる「俺」を願った」 床に立ち、タイザーを見下ろす。 「見てみろよ。そこの病人と偉い違いだろ?これがお前の望んだ姿」 ゆっくりと歩み寄る。足音はしない。 「来ないで・・・・願ってない・・・願ってない・・・・何も願ってない!僕が願ったのは家族だ!家族はもう寝てる・・・!僕はもう何も・・何も・・・!願ってないよ・・・!願ってないってば!!・・・やめてよお・・・・」 「どうしてだ?・・・・・お前が想えば想うほど・・・・想ったからこそ、そいつは俺に吸い取られ、弱りきって死ぬ。文字通り死ぬほど、孤独なお前は俺を願っていた・・・・そいつは俺だ。俺はいつまでもお前と一緒にいてやるよ」 手が、タイザーの頬に触れる。 暖かい手。 先ほどまで握り締めていた手は冷たかった。震える手は冷たかった。 それでも優しく頭を撫でたあの感触こそ、本当に求めた手だった。 今頬に触れる手は、偽者だ。 「タイザー」 揺れる、カーテン。立ち上る砂。 「僕は」 毅然とした声。何も迷わない。 覗きこむのは黒い穴。 「望む姿なんていらない」 乾いた音。 崩れる。 小さな音。 涙が地面に落ちるように。 「望む人はここにいるから」 「・・・・・・・・・・・」 青い鳥は床に落ちた。鳥に戻ったその瞳には訴えるものは何もなかった。 突然と、スイッチは切られたのだ。 タイザーは震えるピストルを下した。 青い鳥は動かない。 もう二度と。 「君が憎い」 タイザーは青い鳥を掬い上げる。不思議なことに、血は出てなかった。 おもちゃのような、偽りの鳥。 求めていた青い鳥。渇望していた青い鳥。 「・・・・・僕は君が言うとおり、貪欲な人間だから。欲しいもののために君を殺すしかなかった。・・・もう、それしか思いつかなかったんだ・・・・」 すっと抱きしめる。ふさりと青い気が頬を撫でた。ぬくもりはもうない。 「でも今は・・・・君のために涙を流そう。少しでも、孤独じゃないように」 一筋だけの涙。 青い鳥に混じる。 青い空を反射しながら。 吸い込まれる。 さようなら。
|