7・アナザー

 天国。
 青い鳥。
 それは―・・俺の求めているもの。
 もう一度夢を見たいがために、追う。
 例えこの手が腐り落ちようとも。俺は、もう一度小さなあの体を腕に入れたい。
 ただ願う。




          Heaven?


「死んだらどこにいくんだ?」
「え?」

 男の胸にしなりかかっていた女は少し体を上げて男を眺めた。艶やかなストレートの黒髪が男の肌に触れる。

「どうしたのよ、急に」

 くすくす笑いながら男の頬をなでる。そり残したひげが女の柔らかい手を傷つけていく。それでもかまわず愛しそうに男を触る。男はされるままに、目をつむってもう一度つぶやく。

「死んだらどこへ」深い声は無感情につぶやく。
「そうねー」

 言いながら女は男の胸にも一度寝た。男の心音は驚くほどゆっくり波打った。

「天国かしら?」
「天国・・・・」
「だって、嫌じゃない?死んだ先は地獄なんて。だからきっと天国なのよ、死んだら。誰でもいけるようになってるのよ、うん」

 女は寝ながら男を抱きしめる。男からの反応はない。先ほどからぽつりぽつりと会話はあるが、ほとんど一方通行だ。どちらかがただ言葉を投げる。感情の行き交いもまるでなく、淡々とした台詞が続く。

 女は笑った。剥げた口紅が歪む。それでも瞳は笑っていない。男ももちろん、微笑まない。

「どうしたのよ、本当に。怖いの・・・?」
「怖い・・・・?」
「だって、あなた、狙われてるんでしょ?いろいろな人から」
「どうして知ってる?」

 女は嬉しそうに笑い、体をゆする。

「どうしてでしょう?」
「・・・・・・」
「嘘。怖い顔しないで。寝言で言ってたわよ。来るなって、近づくなって・・・」

 夢の中に響くほど切迫しているのかと今更だが、男は気づいた。それでも今現在、言葉にして自覚したこの瞬間にも負の感情は浮かばなかった。恐ろしいとも思わず、逃げれるかという不安も襲って来ない。何も来ない。胸から浮かびあがるのは女の体温ばかりで、自分の血潮はまるで動かない。

 男は邂逅するように目をつむる。

 もうずっと、狙われている。男にも女にも。下手すると子供にも。

 もちろんそれは自分が悪い。自業自得だ。

 わかっていても―

「うなされるもんだな」
「かわいい」

 女は男の首筋に、胸にそっとくちびるを当てる。

 男は自分自身にもう一度「わかっている」とささやきかける。何もかもわかっている。

 ただ、後悔している。どうしようもない感情のとぐろに飲まれ、一撃放ったこの指を恨んでいる。恨んでいるのに続けてしまう。続けなければ、追うことはできない・・・かの鳥に近づけない。まだ止まることはできない。

「天国か・・・・」

 瞼の奥で、暖かいものが微笑んでいる。消えうせてしまった自分の感情を、あの小さな腕が抱いている。

 それを丸ごと手に入れるために、男はひたすら追いかける。

 天国。

 青い鳥・ブルーヘブン。

「天国・・・・・」
「そう、天国―・・きゃっ」

 男は急に起き上がり、女は胸から滑り落ちた。

「なんなのよ、急に!」

 少しにらみながら男を見ると、彼は無言でベッドから降りて服を着た。ヒステリックに叫ぶ女には見向きもしない、それどころか女の存在など始めからなかったように視界に入れることはなかった。
 そのことに気づいていないのだろう、女はくちびるをとがらせ「えーもう一度しようよー」と駄々をこねている。
 男から答えは返ってこない。
 女は不満そうに舌打ちをして彼の着替えを眺めた。黒いズボン、空色のシャツ、黒いスーツ。

「マフィアみたい」

 冗談交じりに言い、くすくすと笑う。だんだんと耳ざわりになってきた。女が笑うたびに鼓膜がびりびりとしびれ、あらぬ痛みが蘇ってくる。男の妄想だが、それでも脳内はあふれだしそうなほど怒りが込みあがる。でもそれは心の中だけだ。体に広がることなく、表に出ることもない。表面はどこまでも無感情だった。

 男は振り返る。女はうっとりと彼を見る。交わる視線。男の深く青い瞳が彼女を虚ろに映し出す。

 女は気づかない。彼の狂気。深く、深くに沈められた閃光を。決して表に出ることのない押しとどめられた欲望の刃を。

「天国か」

 ちき、とプラスチック音が小さく呻いた。どこかスイッチでも押したのだろうかと女は男を見たが、彼はどこにも動いていない。

 女は凝視するように見ながら首をかしげ・・・首が飛んだ。目の前が真っ暗に染まる。

 弾ける。感情と言う弾と、殺意の籠る弾丸と。ため息でも出すように、細長い硝煙が立ち上った。男の手にはいつの間にか無骨なピストルが握られていた。わずかに震え、焦点が迷っていた。

「死んで天国にいけるなら最初から死んでた」

 まだ熱いピストルを黒いスーツにしまう。

「確かめてきてくれよ。そこに天国があるか」

 女は首をかしげたままゆっくり倒れた。真っ白だったベットがゆっくりと赤く染まっていく。

 ようやく静かになった女の死体にもう興味はなかった・・・いや、最初からない。ただ誘いに応じただけだ。

 死への招待に。

「・・・・・・・」

 男は無言で女の衣服をつかんだ。ごと、と床に黒い塊とむき出しの刃が鈍く光る。


 狙われる。女にも子供にも・・・・。







「今日も収穫なし」というのが口癖のようになっちまったな。
 イツキは一人ぼやきながら町の通りを歩く。夕方になって人が少なくなった大通りはとても歩きやすかった。

 どこにいるんだよ、俺の青い鳥は。

 まだ火のついていない煙草のフィルターをくちゃくちゃ噛む。煙よりも甘い汁が口の中に充満する。まるで早く吸ってと誘っているようだ。

「さ、火、火・・・・・」

 懐に入っているライターを探す。以前のライターはピストル型だったのでわかりやすかったが、あれは売ってしまった。小さい安物にしたはいいが、見つかりにくいのが難点だ。

 そうしているうちに、イツキはよろめいた。肩がぶつかり、イツキの体は情けなく一回転した。

「うわっと・・・」

 下手にうつむくもんじゃないな、とぼやきながら自分にぶつかってきた人物を見る。見上げる、と表現していいほど相手は大きい。しかも全身黒づくめで、まるで岩のようだった。

「すまんね」
「・・・・・・」

 当ってきた相手は何も言わずに通り過ぎた。無愛想だな、とイツキは舌打ちをしながら相手の背中を遠目に見ると、見つかったライターで火をつけた。

「ん・・・」

 目の前が騒がしかった。男も女も年よりも子供もよってたかって何かの建物前でささやきあっている。

 あまりに共通の見つからないメンバーにイツキは興味をそそられた。そんなにじゃじゃ馬をする性格じゃないが、暇な時は何となく反応してしまう。

「おい、何かあったのか?」

 そういう事情を素早くさっちできそうなおばさんの肩を叩く。おばさんは驚いたようにびくっと震えた。しかしのんきそうなイツキの姿を見るとほっと胸を撫で下ろした。

「なんだい?」
「いや、何かあったのかなーと」

 とたんにおばさんの目が輝いた。

「それがさあ、あったんだよ、ここで。殺しだよ!珍しいねえーこんな田舎で」

 早口言葉のように一気にここまで言うと、イツキのひょろひょろの肩を一発叩いた。ちょっとふらつき、思わず「もうちょっと力付けた方がいいかも」と考えてしまった。それにしても今日の中年女性は強い。

「しかも!しかもだよあんた〜。相手は・・・・ええと、だれだっけ?」
「賞金首だよ!賞金首のマルアス!」

 答えれないおばさんに代わって、すぐ隣で前を見ようとジャンプしていた少年が答える。イツキは煙草の煙を吐きながら瞬きを二回ほどした。有名なそぶりを見せられているが、記憶にない名前だ。

「知らないのかい?」

 あんたもさっき知った口じゃねえのか?と疑問に思いながら、説明したそうなおばさんをあきれながら見た。目がらんらんと輝いていて不気味に思えた。

「なんでも自分の家族と村中を皆殺しにしたってやつらしいよお。怖いねえ・・・・・」
「ふうん」

 イツキは興味なさそうに軽く鼻から息を出すと、その場から去った。

 彼にとってはどうでもいいこと。

 ブルーヘブン。

 それが全て。

「あー早く天国が見てえなあ・・・」

 空を見る。太陽が荒野に溶けていた。染み渡る太陽の光を、イツキ、そして黒いスーツの男はいつまでも、お互い違うところで眺めていた。


 いつか交わるその眼で。



「あ、いっきーこっちだよ!」

 そして彼女も。


 すべてはヘブンへ。





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