8・落ちた天国 重厚な机に肘を乗せ、男は9thを下から上まで滑るように眺めた。 「9th。次の任務だ」 9thは何も言わず、手を後ろにぴんと張った糸のように真っ直ぐ立ってじっと上司を見つめる。その立ち姿や体つきはつなぎに隠されているにも関わらず相変わらず、石膏像を彷彿とさせる。引きしまった目元はどこまでも冷静だ。 「任務を」 彼女の上司である男はにこやかに見上げた。どことなく謙虚さが混じる柔らかな表情に、通常の部下はほぐれるものなのだが彼女はまるで動かない。動的な要素はなく、頭のてっぺんからつま先まで「静」で埋め尽くされている。 「そんな硬くならなくてもいい、と毎回言っているだろう」 「普通です」 ほとんどくちびるの動かないしゃべり方に男はやはり石膏像のようだと思った。 「で、任務だが。リズンの街は知ってるか?」 「はい。一年前、砂漠の盗賊たちに襲われて壊滅した街。確か今は廃墟だと」 「その通りだ。誰も手を付けずに放っておいてある。まあ、察しはつくと思うが、そこにドラッグ神教のようなよくわからん集団が住み着いている・・・毎度思うが、迷惑な話だ」 ドラッグ神教―?9thは眉間に少ししわをよせながらオウム返しに訊ねる。 「ああ。そこで売られているドラッグはかなりのトリップ作用があるらしい。それによってやつらは「神」を見るらしい」 ばかげているな、といわんばかりに男は苦笑する。しかし9thは微動だにせず考える。 「昔あったサバトのような存在ですか?」 「魔女集会?―そうだな。それが近い。悪魔を信仰する集団・・・うん、なかなかあってるじゃないか」 「・・・・・ではドラッグの名前は?」 男は机の引き出しを乱暴に開け、書類の一枚を取り出した。 「作戦名は「ブルーヘブン」。薬の名前も同じだ」 「ブルーヘブン・・・・・」 「みんなよほど天国に行きたいようだね」 Heaven? 漂白された日差しがでこぼこの影をなぞる。風はなく、砂粒も大人しい。歩く音だけが透明な空に響く。 「ねえ、いっきー」 「・・・・・・・」 「いっきー飴食べたいよう」 「・・・・・・・・」 「いっきー疲れた」 「・・・・・・・・・・・」 「いっきー眠い」 「・・・・・・・・・・・・・」 「いっきー早くブルーヘブン捕まえてよ」 「ウルサイヨ、タイザーちゃん」 ようやくイツキは振り返り、タイザーを笑顔でにらんだ。目は完全にすわり、黒い目がさらに黒さを増している。しかしタイザーには効かないらしく、へらっと天使のようにかわいらしい笑みを浮かべて返した。 「ウルサイイウナ、ウツヨ」 その顔からこぼれおちるものとは思えない、黒い塊。いつの間にか二丁拳銃がイツキの両脇を刺している。イツキはとりあえず笑顔を崩さず冷や汗をかいた。一陣の風が吹く。 「へーい・・・・・」 文句でも言ってやろうかと思ったが、ぼやいたところで酒は降って来ない。代わりに銃弾が本気で飛び交いそうだが。 しぶしぶ懐から煙草を取り出して吸う。肺まで煙を満たし、全てをえぐるように煙を吐き出す。心地よい渋さとここではないどこかへ意識がふと飛ぶ。 「いっきーそれ甘いー」 タイザーは嫌そうに手をぱたぱた振った。それでも煙は二人を絡め取るように細く巻いていく。 「煙草にまで文句言うなって。・・・ところでタイザー。それはそうとシーフラフネスって情報屋とか持ってねえのか?いるんならそいつらに聞けば早いと思うんだが・・・」 「う〜」 赤いマントの下で腕を組む。 「一応いるけど・・・・あんまり活用したことないし・・・それに物騒なところにいるんだよねー。僕みたいな乙女じゃ行けないような場所」 イツキは思わず引きつり笑いを起こしそうになったが、また撃たれると困るので必死に押さえ込む。 「・・・・なんでそんなやつにした・・・つーかそれ、本当に情報貰えんのか?」 「ちゃんとくれるよ。前はちゃんと街にいてくれたんだけどさ、引っ越しちゃったんだよ。困るんだよねー・・・そんなに会ったことないからあんまり言えないけど」 「で、今はどこに?」 「えー行く気?そりゃ・・うん・・・こっから近いけど・・・」 イツキは一呼吸置いてから「当たり前だ」とぼやいた。これ以上何もない旅路が続けば、延々とタイザーの小言を聞かされそうで嫌になる。というのが本音だが、咳払いして中に押し込んだ。 「じゃなきゃあ、いつまでたってもブルーヘブン捕まえれねえぞ」 「そうだけどさ。・・ねえ。いっきーは何でブルーヘブンを捕まえたいの?・・・・ううん、その前に。招待を受けたってことは・・・・何か・・」 「ガキが口を挟むんじゃねえよ。お前もわかってるはずだ・・・多分な」 「・・・・・・・」 珍しく口を閉ざし、砂をけった。会話はそこで切れた。 太陽がさんさんと照りつける砂漠は、季節がまだやわらかいのでそんなに熱くない。ただ、光に包まれる砂は一つ一つが星のかけらのようにきらきら瞬いている。 「・・・・いいよ、行こう・・・・。たしか、さっきの街はカリフィラだったよね?だったら・・・・」 まだ後ろに見える街と太陽を交互に眺め、砂の動きを確認する。 「あっち。東南の方向。ちょっと怖い街だよ」 「さっさと行こう」 「着いたら気をつけてよね。僕、いっきーの分までフォローできないんだから」 「そりゃあ俺の台詞だ。銃ぶっぱなして殺すなよ」 「殺すのは盗賊だけって決めてるの。そっちこそあやまって僕を撃たないでよ、ノーコン」 「うるせえ」 タイザーは意地の悪い笑みを浮かべた。イツキはたじたじとため息をつくしかできなかった。 人がいないだけでこんなにも違うものなのか。同じように照りつけられる太陽は熱地獄と化し、細かく攻撃する砂粒は全てを無に還して街の姿を消していく。日常、目にするものが幻影だったのかと思わされる。それほど街は壊れていた。 「本当、見事な廃墟・・・・」 リズンの街に到着した9thは一人つぶやく。 ドラックコントロールは主に一人で行動する。あまり人が多いと、ターゲットが敏感に察知して逃げてしまうからだ。たまにだがコンビを組むことがある、しかしどんな状況であれ9thは常に一人で動く。もちろん、作戦上どうしても必要な時は人数を合わせる。思考は柔軟に動くが、それでも一人の方がいいと実のところでは願っている。 それに手伝ってもらうほど、弱くない。一人のほうが行動しやすい。彼女は根っからの「一匹狼」体質なのだ。 息を軽く吸い込む。どこかすえた、カビ臭い匂いが鼻をつく。9thは振り払うように手をかざし、懐からトランシーバーを取り出し、イヤホンを耳に入れた。一応一人だが、大量に人を捕まえて連行するには人数が欲しい。部下や同僚は街から外れたところで待っていてもらっている。 「―こちら9th。コード「ブルーヘブン」。到着したわ」 まるで砂嵐のような雑音と共に「了解」とイヤホンから応答が流れる。同僚の声だ。 「様子を見てから突入する。通信は終了」 「了解。気をつけろよ」 9thは「わかってる」と抑揚なく答えると耳からイヤホンを取り、ポケットに突っ込む。 9thは街の入り口に身を潜め、中腰のまま腹に気合をためる。 「まるでここだけ雨が降りそうね・・・・暗闇に取り残された、哀れな街だわ・・・・」 いつでも拳が出せるように手を動かしながらつぶやく。 中にそっと足を踏み入れる。外から見る以上に廃墟はひどかった。全ての憎しみや悲しみ、血を吸い尽くしてためているように。石段という石はもろく崩れ、建物はほぼ焼き尽くされ、灰すら残らず、ただ沈黙している。 その中、浮き彫りにされたように異様な「人」の気配がとぐろをまいて街に沈んでいる。 確実に何者かが潜んでいる。報告書に書いてある通りの集団であるらしい。今のところ物音は聞こえないが、いつ飛び出してくるか油断はできない。9thはさらに気を溜めこんだ。 徐々に奥へ体を進ませる。今のところ付けられている様子も、見られている気配も感じない。ただ、いつまでも物音もしないもが妙だと思った。 二十人近くのドラック中毒者がいる、と書類には書いてあった。普通は街のあちこちに点在して、みんならりっているのだが、ここはそういうように誰もちらばっていないようだった。一箇所に固まっている可能性が高い。 「集会の最中かしらね?」 自分の台詞にほんの少し笑い、じりじりと中心地へ向かう。 家という家は破壊されていて建物の原型を留めていない。しかし数件はなんとか人が潜めるぐらいには形付いているところもある。 一軒一軒調べたかったが、もし外れた場合相手に警戒される恐れがある。そうするとみすみす、逃してしまう。それだけはなんとしても阻止したいところだ。 「・・・・・・・」 獣の勘を働かす。センサーが一軒、また一軒となぞっていく。 「・・・・・・・」 中心地に近い建物に9thはぴくりと耳を動かす。 「・・・・話し声・・・・・」 ごくり、と喉が鳴った。間違いなく「彼ら」はいる。 9thは武器を持つのを嫌っている。己の肉体でどこまでできるか―そう考えると、全身が喜びに震えた。確実に敵を捉え、自らの手で握りつぶす・・・その実感が何よりも確かで体に残る。男と寝た時の快楽とは違う、もっと全身を奮い立たせるような快感。いや、不快かもしれない。とにかく、己で敵を破壊したという確かさが体には欲しかった。 敵がいるのが嬉しいのではない。打破できるのが嬉しいのではない。 敵が存在している・・・そのことがひたすらに許せない。だから今はまだ心は動かない。 くちびるを嘗める。そろり、そろりと限界まで気配を消し、拳を固める。 中腰からゆっくり、腰を上げる。腹から、ためた気合がそそり立つ。 ・・・今だ。 たち上がり、窓ガラスをぶち破る。脆くなったガラスは一気に爆ぜた。 「動くな!」 目にも留まらぬ速さで側にいた男の腕を押さえた。 9thよりもひょろひょろした腕はいとも簡単にねじりあげられ、そのまま押し倒すのも簡単すぎて手ごたえが全くなかった。それでも気合を抜かない。 取り押さえた男に跨ぎ、手刀を首筋に押し当て、周りにいる人間の確認を急ぐ。 9thが思っていたよりも人間はいなかった。 もやしのようにひょろながい、三十は超えているだろう男とまだまだ幼い青い果物のような少女。そして今抑えている男含め三人しかいない。 「動くな!動いたらこの男を殺す!」 もやし男と少女は青ざめた顔のまま硬直し、両手を挙げる。 「いい・・・そのままよ・・・・」 手刀ははずさず、ゆっくり男から下りる。 「おとなしくしてなさい。聞きたいことが・・・・・」 男の胸倉を掴み、顔を対峙させる。抑えつけたまま問うよりも、この方が効果的で逃げられにくい。全てにおいて9thは「確実」なものを選ぶ。 だがそれは9thにとって動揺を生んだ。垂れた目、ぼさぼさの髪、青いジャケット、頼りない体つき、そして甘い匂い。記憶の中にある人物とぴったり重なった。 「あなたは・・・・」 「よお・・・・・」 「イツキ?」 「また会ったな、9thのねーちゃん・・・・」 イツキは引きつり笑顔を浮かべたまま片手を軽く挙げる。捕えられた状態だというのに余裕のある顔をしている。周りにいる二人の方がよっぽど動揺していた。 「・・・・・・」 9thの目が恐ろしく鋭く眼光を飛ばす。 「・・・・・・・末代まで伝えとくわ。「男は疑え」って・・・」 「俺に関しては除外してほしいね・・・」 げほげほげほ、と苦しそうにイツキは咳き込む。演技ではなく、本当に苦しそうだったが9thの筋肉質な手は離そうとしない。いくら知った顔でも、今の彼女にとって彼は敵。緊張を緩めることはできない。 その鋭い気配を察したのか、近くにいた少女は今にも泣きそうな顔で飛び跳ねた。茶色い髪も焦ったようにぴょこぴょこ跳ね、地団太を踏む。 「ちょっとまって!お姉さん、いっきーを返してよ!」 言いながら少女・タイザーはお得意のルガーP90を取り出して銃口を9thに向ける。よっぽど動揺しているのか、いついもの引きしまった焦点は震え、おぼろげに9thを向いている。 「あら」 9thは一瞬だけタイザーにやわらかい笑みを浮かべたが、イツキに振り返った瞬間これ以上ないほど疑いのまなざしを向けた。 「あなた・・・・結構幼い子が趣味だったのね。甘い女って幼いって意味?」 「まさか!やめてくれよ・・・。あれとあんたを比べるなら、絶対俺はあんたを選ぶね」 「相変わらずのようね」 「あんたもな。相変わらず辛い辛い。で、今回も俺をまさぐるわけだ?」 「・・・・あなたのことは一回調べてあるから、とりあえず離す。今はそれだけよ」 9thはようやくイツキを離す。急いでタイザーは駆け寄り、やや混乱の眼差しでイツキと9thに銃口を向ける。 「タ、タイザー!何で俺にまで銃向けてんだよ!あいつはいいとしても俺に銃口を向けるな!」 「え、あ、うん。ごめん」 冷静に・・・・銃をしまわない。よっぽどショックだったのだろう、タイザーの虚ろな焦点はまだ回復していない。9thはその姿にもう一度ほほ笑みかけると、目を細めた。 「かわいいじゃない。混乱してる―」 9thの姿が薄くなった。向こうの景色が薄らぐ。幻影か・・・そう思った時にはもう彼女の姿はない。 「う」 微かにタイザーはうめいた。振り向く間もなく、次のシーンでタイザーは倒れた。その後ろで9thがやれやれと手をはたいている。いつの間にそこまで移動を・・・問いただすのも恐ろしい早さに、イツキは唾を飲み込んだ。 「私、おとなしくさせる方法ってこれしか知らないの。しばらくすれば目が覚めるわ」 イツキは意識のない小さな体を起こすと、こめかみに指を添えた。痙攣しているんじゃないか・・・そう思うほどこめかみは震えている。 絶対、女運ない。 呻きそうなイツキをよそに9thは白い顔のまま立ち上がる。彼女に慈愛はないらしく、冷たい印象がどこまでも貼りついている。 「で。どうして今回もここにいるのかしら?」 「・・・・・どうしてって。俺はこいつから情報を聞きに」 親指でくいっともやし男を突く。すっかり忘れさられているが、この部屋にはもう一人男がいた。彼は部屋の隅でおびえるウサギのようにぶるぶると固まっている。 「・・・情報?」 震える男を見るかぎり、そうは見えない。9thと目が合うと、即座に両手で顔を隠して床につっぷした。その姿にイツキも思わずため息だ。同情の念が湧いてくる。 「・・んーまあ・・・俺の探し物の情報さ。あいつは単なる情報屋だが・・・あんたが来たってことはまたドラッグか?」 「・・・・・・・・」 尋常なく男は震え続けている。部屋は街の外よりもカビの匂いが酷い。食べ物が腐敗した匂いも混じっている。まともな心を持つものが正常に暮らせる場所とは言えない。彼も例の中毒者かもしれないということをふまえ、9thは返答しなかった。 彼は異様にやせていた。一瞬しか見えなかったが、目の下にもくまができている。だらしなく開いた口から濃度の濃い唾液を少し流している。少し症状が出ている。 「・・・・イツキ。あなたが何を探しているか知らないけど、あの男は捕まえさせてもらうわ」 「お、おい・・・・」 イツキの手はむなしく宙を泳ぎ、やはり獣のような速さで9thは男の目の前にふさがった。 震えながら何かをつぶやき続ける行動を無視し、男のぐっと首を掴む。骨ばかりで肉がない。相当な痩せようだ。 それでも9thは容赦なく睨みつける。正常な人でも逃げていきたくなる、強い眼で。 「・・・・・あなた、ブルーヘブンを知ってるわね・・・?」 「?!なんだって!?」 「・・・??」 反応したのは男ではなく、イツキだった。 「イツキ・・・・?あなたやっぱり」 ひいひいともがく男を手放し、イツキに詰め寄る。 「知ってるのね。・・・・もしかして探し物ってブルーヘブンのことなの?」 「・・・・・あんたも招待を受けたのか?」 「招待・・・・?ああ、神様の?・・・・生憎、幻覚のカミサマの招待は受けてないわ」 「・・・・幻覚?」 「あなたたちが見ているカミサマはドラッグ、ブルーヘブンの効果。・・・・・・残念ね。あなたを逮捕しなきゃいけないなんて」 そう言ってはいるが、心にもない台詞だった。彼女の目は本気だ。イツキはぶんぶんと首を振り、手も素早く振った。 「まてまてまて!ドラッグだって?違う、違うぞ9th。ブルーヘブンは麻薬じゃない」 「じゃあなに?」 しなやかな鞭のような手刀がイツキの喉元にピントを合わせる。イツキはごくりと喉を鳴らす。少しでも動けば、首は飛ぶ。言葉にすることもできない恐怖が喉に集中する。それでも言わなくてはならない。青い鳥を、自分たちの胸にある密かな思いを。 「ブルーヘブンは青い鳥だ。・・・・・俺も、ここに寝てるガキも、探している。単なる青い鳥だ」 「青い鳥・・・・?ふざけてるわ」 「ふざけてなんかないさ。それに症状なんか出てないだろう?」 「わからないわ。症状が出ないタイプかもしれない。・・・・連行して、検査すればわかることだわ」 「待てよ・・・・・」 9thは聞く耳を持たない。イヤホンを取り出し、耳に当てる。もちろん隙は消さない。獣のオーラでイツキと男を縛り付ける。 「こちら9th。確保。突入を」 「9th!」 むなしく部屋に響く、イヤホンの音。雑音はもう聞こえない。代わりに外が賑やかくなっていく。 「本当に残念だわ」 廃墟に群がる。 甘い汁にたかる蟻のように。 ブルーヘブン。あんた、ちょっと招待しすぎたみてえだな。 何が狙いだ? 俺たちに何を探させる?何を負わせるんだ、一体。 俺たちは、ただ、もう一度、出会いたい、それだけ・・・・・・・・ 「捕まえて」
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