世界は何度でも生まれ変わる。

 世界は何度も死滅し、女王は嘆く。己の終わりと無力さに。そしてただ、人間でありたいと願う、あまりにも儚い呪いに。

 語り継がれる涙は、世界と共に続いている。

 レイストロ歴1148年。世界の終わりまで残り二年と迫っていた。

 ゆるぎない事実、隠されたもの。有限のループ。

 このことを知る者は、ただ一人。そしてもう一人、これから知る者がいる。

 その日その時まで、女王はただひたすら夢を見続けるだろう。人間として死ねた喜びを味わいながら。



           レッドゾーン 8



 呆然と扉を潜り、パディは扉を閉めた。思ってたよりも小さな音を立てて閉じた。あっけないと言わんばかりだった。

 パディは扉に寄りかかったまま無言で床を見つめた。

 瞼から抜けきらない光のように、先程見た巫女・セロとラスの姿が離れない。糸やコードに拘束され、自由という言葉をそのままそっくり抜いてしまった姿。誰もが哀れみ、嘆くだろうその姿。だが二人は何事もなかったようににこにこと笑い、会話をする。

 巫女という存在だからだろうか?

 ここに来てから――黒き腫瘍と化した町にいた時からかもしれない――何をどう見ていいのかまるでわからない。ここは本当に自分が今まで立っていた世界か危うくなる。

 改めて、自分の場所に不安を覚える。ここがなんなのか、問いただしたくなる。

 パディは扉から離れ、ブラックアウトと共に記憶から消していた自分の町のことを、思いかえしてみた。小さな町だったと思う。ラスティカの郊外に位置し、明るく賑わうことも誰かが訪れることもなく、静かだった田舎町。気がつけば、静寂は黒に落ち、穏やかだった表情は消えた。代わりに腐った連中ばかり集まるたまり場と化していた。

 それでもパディは心地よく暮らしていたはずだ。数年間、浸っていたにも関わらず、その姿を感じる事ができない。最早、どちらが夢で現実か区別がつかなくなっている。

 それは自分でも不思議な感覚だった。ここに来て、何かが変わりつつあるのだろうか。それこそ、鍵としての。

「……パディ・デュランダ?何をしている」

 低く深い低音の声で現実へ引き戻され、パディは思わず顔を引きつらせて無意識のうちにつぶやいた。

 そこにいるのは、エリエステスだった。ぴったりと体の線にそった青いスーツは、いやらしさよりも猛々しい獣を思わせる。引き締まった筋肉が美しく曲線を描き、まるでしなやかな豹のよう。

 パディは全身の神経を逆立て、来るかもしれない攻撃に構えるが、エリエステスは呆れながら小さな姿を見下した。

「部屋にいるよう、カルア少尉に伝えたはずだが……全く、お前とカルア少尉は相性がよくないようだな」
「そりゃ結構」
「まあ、仕方がないか。おおよその想像はできる。……ところで、どうしてここにいる?ここに誰がいるかわかっているのか?この部屋のことは教えてなかったはずだが……」
「メイドに聞いたんだよ。俺のことを無理矢理連れてきた元凶を見に、な。でも……あれはなんだよ。巫女ってやつはああじゃなきゃいけないのか?」

 エリエステスはちらりと扉を横目にいれ、納得したように軽く頷き、顔をパディにしっかり向けた。そこに嘲りはない。

「そう、この中にいる巫女様……セロ様とラス様の預言によりお前はここに来た」
「んな預言なんててきとーなもんに頼っていいのかよ」
「あの姿を見たのだろう?あれが適当にものを言う姿に見えるか?」

 見えない、とパディの瞼がひくりと動いた。瞬きをする度に糸やコードが、薄暗い中で艶やかに光る。鮮烈だった印象は時間が経つにつれ、抽象的な言葉や曖昧な恐怖へと形を変え、より強いものへと変貌していく。

 パディが黙ると、エリエステスは片方の眉毛だけあげて「そうだろう?」と鼻で笑った。

「色彩の鍵。これから知る者。……お前はウナ様の心を開くと同時に、世界のことを知らなくてはならない。セロ様たちのこともそうだ。私たちの世界が、実は「預言」によってできていることも」
「はあ……?預言でできてる……?」
「そうだ。さあ、その前にウナ様の部屋に戻ろう。お前はまだ混乱の最中だ。世界を知るには、もう少し落ち付いてからがいいだろう。OK?」
「お……おい……」
「残念ながら、私も忙しい。話をする時間はない。さっさと行くぞ」

 エリエステスの瞳が冷たい槍となり、パディを突き刺す。パディは一瞬身を震わせ、その瞳から目を離せなくなった。だが次の瞬間エリエステスの大きな平手にあい、パディの体はたよりなく前へ押しやられた。




 戻ると同時に、女のように黄色い悲鳴が廊下中に響き渡った。パディとエリエステスは同時に耳を塞ぎ、同時に眉間にしわを寄せた。凶悪な顔が二つ並ぶ。

「……カルア少尉。人の顔を見るなり悲鳴とは……亡霊にでも取り憑かれたか?」
「うっせーな。男の悲鳴なんて気色悪いもん聞かすなよ」
「う…うるさいぞ、パディ・デュランダ!……エ……エリエステス大佐……。その……これは……パディが勝手に出て行きまして・・・」

 慌てふためくカルア少尉を見るのも嫌になったのか、エリエステスは目を伏せ、片手を上げて軽くため息をついた。

「おおよその見当はついている。今後気をつけるように」
「は!」

 糸で引っ張られたように、一瞬にしてカルアの体は強張り、敬礼をする。

「まあどちらにしても、今から会議だ。カルア少尉」
「しかし自分は少尉。大佐クラスの会議には」
「いや、今回は少尉クラスも呼ばれている。隣国マルファとの緊急会議だ。女王候補と鍵の件についての話し合いになると思うが……」

 エリエステスは歯切れ悪く言葉を飲みこみ、軽く頭を振った。

「会議に出ればわかるだろう。では、行こう。かわいいベリーちゃんも睨んでいることだ、退散しなくてはな」
「ちょっと待てよ」

 二人の間を割るようにパディの小さな体が滑り込む。華奢で厚みのない体は二人の間に挟まると余計、小ささが強調されたが、顔つきはエリエステスと劣らぬ気迫のオーラを放っていた。

「変なあいつら……巫女たちが言ってたぞ。俺は全てを知る、と。そういやあ、まだこの国のお偉いさんとやらに会ってないような気がするんだが?」
「……そうか」

 エリエステスは気落ちしたように、目だけを下に向けると、腕を組んだ。

「確かに、お前は全てを知ることになるだろう……が、今は時ではない。その前に、一刻も早く女王を目覚めさせなければならない。お前はなんとも思ってないようだが、実は深刻な事態なのだぞ?何せ、女王が紡ぐ色彩がどんどん消えて行くのだからな」

 パディの故郷のように、世界が蝕まれる。影が生まれるように、世界が黒く落ちて行く。

「それに、お前はまだ歓迎されていない。お前は女王を目覚めさせないかぎり、この城に……いや、世界に目障りなロットシャドウなんだ。それを忘れるな。全ては女王の目覚めからだ……OK?」

 エリエステスの声は深い。進めば進むほど奥へ落ちて沈むようだ。抑揚があまり感じられない淡々とした声は、頭の奥底を痺れさせる。鈍い痛みと共に従わなくてはいけないように、錯覚させる。

 長い台詞の後、パディは言いたい事を飲みこみながら、しぶしぶながら頷いた。

 あっけない返事にカルアは目をきょとんと何度か瞬きし、ふらふらと二人の間から抜けるパディを目で追った。エリエステスは軽く笑い、腕を解いた。

「わかってもらえればいいのさ、かわいいベリーちゃん。ウナ様の相手、くれぐれも失礼ないように。さあ、行こうか。カルア少尉」
「は!」

 二人は訓練された動作で踵を返し、90度方向を寸分の狂いなく向いて大またで突き進んだ。

 パディはただ黙って二人の背中を見つめ、やがて見えなくなると、次期女王候補がいる部屋に入った。今のところ、そこしか行くところがない。

 部屋には案の定、ぼんやりとしゃがんだまま、どこを見るわけでもなく、虚ろな目で周りの景色を見つめているウナが一人座っていた。パディが入ってきても見るわけでも、何か興味を示すこともなかった。

 パディはどうしていいかわからず、とりあえず扉を閉めて壁にもたれかかるようにしゃがんだ。

 すると途端に体が重くなった。体中の疲れという疲れを凝縮し、がちがちに固めて下半身に埋めたような苦しさが、パディの体を拘束する。

 全ては突然の出来事なのだ。口は反抗的に叫ぶものの、体や頭がついてこれないのは、パディ自身もわかっていた。わかっていても、どうにかしなくてはと気持ちばかりが先走っている。

 実は相当弱まっていることに気づき、顔をしかめた。しかめっ面がくしゃくしゃに縮んで、顔中に眉間にしわが寄る。どうすることもできない自分自身への苛立ちが、しわとなって押し寄せる。

「くそ……ふざけるなよ」

 言い聞かせるように毒づいたが、抗いがたい眠気がパディの全身を飲み込み始めた。抵抗する必要性もなく、パディはそのまま全身を深い暗闇へと預けた。

 黒い闇の中に点々と散らばる光の渦。先ほどまで見ていた光景が光りの斑点となり、弾ける。どろどろと溶けていきそうな眠気を心地よく向かえ、意識を落とした。

 夢の入口のすぐ側で誰かがつぶやく。

「パディ・デュランダ。馬鹿な鍵。私を目覚めさせる?勘違いしないで。私は目覚めない。目覚める必要はない。なぜなら、ここは私の司る年ではない。女王は他にいる。私ではない、誰かが。それを巡り、醜い戦いが始まるわ。私はそれを傍観しながら、笑ってやる。だって、世界は変わらない。世界の呪いは、変わらない」

 誰の声かは聞き覚えがなかった。冷淡な女の声だという以外、わからない。

 だが、吐き捨てる強きな口調とは裏腹に、この声の主は怯えているな、とパディは思ったところで、完全に夢の向こう側へと渡った。



第一章 完
第二章に続く



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