何人たりともそれを侵すことはできない。
 何人たりともそれを揺るがしてはいけない。
 女王がいる限り。
 ここに誓おう。


 

 

「・・・・ということは、現在この誓いは無効ということね?」
「何となく屁理屈のような気がしますが、まあそうですね」


 目のやり場に困る、というのはこのことかもしれない。


 女は長いすに足を放り出し、ゆったりと肘をついて薄っぺらな紙を眺めていた。その上で何度も食事をしたのか、茶色い染みや紫色の染みが点々とついていた。


 女はむしゃぶりつくように林檎を丸かじりした。褐色の肌のせいか異様に白く見える歯が林檎を難なく噛み砕く。甘い汁が分厚いくちびるに滴り、またも新しい染みを用紙に残す。赤い舌で軽く汁を舐めると「ふうん」と林檎を放り出して頷いた。
 もそもそと足を動かすと褐色で毛穴一つない生足がスリットからこぼれ、またも目のやり場に困る事態となった。まるでマネキンのような艶やかな足はいやらしさよりも健康的に光る。暑い中はしゃぐ子供を彷彿とさせた。


 女はもう一度足を動かすと「無効ねえ・・・・」とつぶやいて用紙を放り出した。


「ああ!いけません、そんな無造作に・・・・」
「だって、無効でしょ?だって女王は死んだもの・・・・。・・・・ねえ、私が今何を考えているかわかる?」


 人々を貶めるような悪戯をぱっと思いついてしまった子供のように無邪気で、彼女がもとより持つはじける妖艶な笑みが混ざる。それはどう感じても「嫌な予感」に戻ってくる。


 厚いくちびるが嬉しそうに言葉を紡ぐ。


 

「ねえ、ちょっと世界を統一してみない?」


 

 無邪気にもほどがある。



 

 

 

        ダークオレンジ 3



 

 

 神聖、という言葉はここのためにあるのかもしれない。


 そう瞬時に思うほどセロとラスに続く扉は重厚で冷たく、物々しい静けさを放っている。


 ここに来るのは2度目だ。またこうして日も開けずに来てしまうというのは何かに惹かれているのだろう。直接的に思ったのではなく、これも本能的にだ。


 パディは感情はあれど、それは全て獣の如く「本能」だった。何をするのも思うのも。誰かに吼え、噛み付き、威嚇しないと生きていくことは難しい。そんな世界に浸っていたかもしれない。


 

 誰かが言う。


 

 世界は美しい、と。


 

 この世界は何にも変えられぬ美しさがある、と。


 

 見ろ、深い新緑を、水晶の瞬きをする滝を、水と空をすする青を、太陽の生まれ変わりの如くはじける笑顔を見せる人々を。


 

 それがどうした、俺の目の前は黒い。


 

 パディにとって世界はそれだけであり眼前に広がる光景だけだ。


 そうしてきたからこそ、セロとラスという異様なものを肯定でき、すんなりとは行かずともかなり早い段階で納得できたのだろう。それも本能が見せる技だが。


 そのせいか、パディの気持ちは穏やかだった。静けさと程よい薄暗さとひんやりと足元に絡みつく冷気のせいか。煮えたぎるマグマも瞬時に凍りつき、滑らかな水へと変化していくようだ。


 パディは扉を開き、慣れた足取りで部屋の中央へ向かう。


 

「災難だったね、パディ」
「運がないよ、パディ」


 お互いの姿がはっきりと確認されると同時に1つの体に2つの魂と顔をもつ巫女が笑顔で交互に言った。


 パディは静かに「うるせーよ」とぶっきらぼうに吐き出すと、どっしりとその場に胡坐をかいた。


 辺りは相変わらず異様だった。絡みつくコードや紐、細いワイヤーが侵食し、巫女の体を食らう。でも巫女は笑顔でパディを見つけ、詠うように「パディ」と名を連呼する。


「見ていたよ、パディ」
「あの人はバール。無骨な軍人さ」


 

「おや、パディ・デュランダ。バール少尉に会ったのか」


 

 神聖な空気が一気に沈下して猛々しく「赤」に変化するのをパディは肌で感じた。声だけではない。彼女から発せられる全ての空気が強く獰猛で、その場に参上するだけで空気が変わっていくようだった。


 もう何度も聞いた女にしては低く落ち着ききった重い声。


「・・・・・エース」
「パディ。ウナ様と食事をしろと言ってあるはずだが・・・・まあいい。それで?ここに何か用で来たのか?」
「違うよ、エース」


 代わりに巫女たちが答える。口を開いたのは恐らくセロの方だった。恐らく、というのは今はラスの顔に変わろうとしていたからだ。パディはこのゆったりとした表情や顔自体の作りが変化していく様に毎度眩暈を覚える。いつか慣れるのだろうかと思っているとラスが無邪気に微笑んだ。


「パディは「知る者」。無意識のうちに惹かれる」
「そして知りたいと願う」


 巫女たちは目を瞑り、静かにくちびるだけ微笑を作ると黙った。
 エリエステスは巫女たちの台詞を腕を組みながら聞くと「そうか」とだけ言い、目をパディに映した。藍色の瞳に吸い込まれ、食いちぎられそうになりながらもパディは大きな瞳を半眼にして見上げた。


「んなことは知らねーよ。で?エースこそ何やってるんだよ、こんなところで」


 エリエステスは目をそらさぬまま肩をすくめ「別に?」と素っ気無く答えて腕を組みなおした。


「お前に言うほどのことでもないよ、パディ」
「それにいずれ知ることになる」
「そう、知ることになる」
「・・・・だ、そうだ」


 エリエステスは嘲笑するように笑みを模ると、目をそらしてパディに近づいた。


「さあ、行こうか。それこそお前には知ってもらわなくてはいけないことが山とある」
「だから、知りたくねーよ!」
「反抗期かな?ハニーちゃん。今の私にはお前をおちょくってる時間すらないのだ、さっさと来い」
「はん・・・・こそこそ遊んでるくせに」


 パディはお得意の悪態をついたが、エリエステスは相手にしなかった。聞こえてすらいないようで、さっさと行ってしまった。気がつけば彼女の大きな体は出入り口扉にまで到達してしまい、今からあけようというところだった。


「パディ」


 セロとラスが顔を目まぐるしく交互に変える。ずっと見ていると本当に眩暈を起こして倒れそうになるのでパディは目をそらしながら「ああん?」と態度悪く返事を返した。


「世界は泣きそうなんだ」
「世界は泣いている」
「だからエースの言うことは聞いておいた方がいいよ」
「今はそれが一番」


 2人の巫女はにっこり笑い、セロの顔になった。


「・・・・・うっせーよ」


 パディは唾を吐き出す仕草だけすると小走りに扉へ向かって行った。



 

 

 

 パディとてわかっている。今はエリエステスについていくのが一番だということを。パディを鍵としても見ていない城の人々の視線は厳しい。その中でエリエステスだけが嘲り失笑しながらもしっかりとパディ自身を見ている。それは一応ありがたかった。この腹立たしい目線が今は何よりの蜘蛛の糸だ。糸の先にいるパディは自分が哀れに思え、今すぐあの黒い掃き溜めに帰りたいと思ったが今はもうない。


 どう考えが巡ろうと今はエリエステスだけだった。


「さて、パディ」


 2つの扉を抜け、見慣れてもううんざりする廊下に出ると同時にエリエステスは張りのある声と共に振り返った。


「お前は知らないことが多い。この城で鍵としてしっかりい続けるにはまず勉強が必要だ」
「はあ?」
「今日から食事の後は勉強、その後はウナ様といてもらう」
「ちょ・・・・おい」
「私は生憎忙しい、だからお前にぴったりの家庭教師を与えよう」
「待てって」


 エリエステスは文字通り、パディを無視し続ける。一度相手をすると悪態と皮肉の往復戦になる・・・それを避けるためなのか、彼女は一応パディを見ているが受け入れる気は全くないようだ。パディもそれを感じ、しぶしぶ口を閉じてそっぽを向いた。


「私がこうして相手をしてやることも少なくなる。だからこれからはそいつに色々聞くといい。まあ、お前がどうしても私がいいというなら考えてやってもいいがな、ハニーちゃん」
「だーーーれがお前をいいと思うかよ・・・って!」


 パディは悪態と共に唾を吐き出そうとしたが、エリエステスの扇のように大きい手のひらにはたかれて吐き出すどころか自分自身が廊下にへばりついた。


 エリエステスはというと表情一つ変えず「部屋に待機させてあるから早めに行くように」と何事もなかったように言うだけだった。


「全て早く無駄なく。世界は傾いているのだからな」
「平和そーに見えるけどな〜」


 パディも何事もなかったように素早く起き上がると窓の外をちらりと見た。青い空と青々と茂る緑はまるでプラスチックのようにうそ臭く艶めいている。黒い町にいたときに見た淀んだ空気は一つも見当たらない。


「目に見えるものが全てではないということだ。・・・・・・もうすぐ戦が始まるかもしれないからな・・・」
「は?」
「さあ、さっさと行け」


 エリエステスは軽く目を細め、一瞬だけ笑みを消すとそのまま背を向け大またに廊下の奥へと行ってしまった。地響きでも聞こえてきそうな大きな体はいつまでもパディの目に印象深く映っていた。


 

 パディは電気を消すように瞬きをして彼女の姿をリセットすると、言われた通り自分の足で部屋へ戻った。


 

 

 

「わー!本当にパディだ!」


 

 

 扉を開けると同時だっただろうか。もしかするとパディの金色の髪が僅かな扉の隙間に入ったときからその歓喜に溢れた声は漏れていたのかもしれない。


 窓ガラスから差し込む強い太陽光が後光のように彼の体を照らし、パディは思わず目を細めてにらみつけた。


 細長い、という印象がまずくる体に肩に付くぐらいの跳ねた茶髪、神にでも祈るように胸の前に固めた両手。まるで慈悲でも乞うように男にしては丸い大きな瞳を上目にパディを見つめている。太陽の光のせいでそう見えるのか・・・彼はさらに瞳を潤ませていた。


 きらきらと輝く瞳の光線をパディに浴びせるその人物は・・・・


 

 

「・・・・は?ティティ?生きてたのかよ」


 

「殺さないでくれよ。ああ〜そのかわいい姿、パディだ〜!」


 

 

 数日ぶりに会う、同じ黒い町の元バーのマスターことティティとの感動の再会・・・・はパディの強烈なパンチで果たされた。


「誰がかわいい、だ!てめーのその目、つぶすぞ!」
「・・・・・・やっぱりパディだ」


 

 ティティは頬をさすり、色々な意味を含んだ潤み目で頷き、夢ではないことに笑った。











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