どうして私だったのだろう、どうして。


 ・・・・・誰かが泣いている。


 どうして私はこのような使命を果たさなくてはならないの?


 ・・・・泣くのは、誰だ?


 どうしてこんな時になって・・・・私は死にたくないと願う?


 

 どうして、どうして。


 

 ・・・・・泣いている。あれは誰だろう。


 

 色が枯れていく。黒へと、堕ちて行く。ぽろぽろと泣くように色彩が失われていく。


 

 誰だろう、あれは。


 

 誰がないているのだろう。


 

 一体・・・・・俺はこの先、何を見るというのだろう。知るというのだろう。


 

 ・・・・・頭が重い。




 

 

           ダークオレンジ 6



 

 頭が冷たい。


 これ以上下に行かないというのにまだ下に落ちたい、力を抜きたいのに力み、のた打ち回る重い頭にひんやりとしたこの冷たさは何より心地いい。だがどうして冷たいのか、そもそもどうして周りが暗いのかパディにはわからなかった。


 意識が大分はっきりと焦点を取り戻していくうちに「自分が眠っていた」ということに気付いてはっとなった。


 急いで瞼を開くとやんわりと月を彷彿とさせる柔らかい蛍光灯の光りが入ってきた。日光じゃなくてよかった、と少しほっとするともう一度瞼を閉じて、今度はゆっくりと味わうように開いた。


「・・・・・・・・・」


 一体どうしていたのだろう?意識ははっきりとしたが、自分の置かれている状況がいまいち把握できない。


「・・・・・・・・・・」


 視覚と共に嗅覚も戻る。・・・・生臭い。ティティのいたバーの裏にいくとよくこういう匂いがしたな・・・とぼんやり思いながら額に手を当てて・・・・


「!?」


 飛び起きると同時に腹の上にぼと、と妙に重量のある一塊の物質が額から降って来た。


 こういう場合、冷やしたタオルか氷だろう。しかしそういった物の重さをしていない。特別重いわけではないが、存在感のある重さだ。


 パディは痺れた頭でそれを視界に入れた。


 魚だった。


 最初は見間違いかと思い、目を思いっきり瞑ったが開いてもそれはまだあった。


 どうみても魚だ。


 蛍光灯で鱗が一枚一枚玉虫色に光る。青から緑へ偏光し、透明感のある黄色やピンクがつやつやと反射した。もう死んでいるらしく、目に光りはなかったが透明でまだ死んで間もないだろう。 


 そういうところを見ている場合ではなかった。


 疑問は「どうしてこれが自分の額にあったか」だ。


 

「・・・・・・・ふ」


 

 ふいに耳元で息が掠めた。生温くてどこか花に似た香りをしている。魚とは全く対照的だ。パディはすがる思いで急いで横を向いたが、その後倍以上に疲れと混乱が覆いかぶさったのはそこにいる人間が今、最も会いたくないと思っていた人だったからだ。


 

「・・・・・ようやく起きた」


 

 パディは声を無視し、周りを見る。もう見慣れてしまったパディ専用の部屋だ。今は夜なのか、外の景色は見えないが壁紙やベットの具合、家具の位置や絨毯などはしっかり頭に焼きついた部屋のいつもの配置だ。


 

 だが横にいるのはウナだった。


 

 いつもおもちゃのようなところにいてぼんやりしているはずなのだが、どうしてか今はそこにいた。


 パディは眠る前の記憶を探る。


 確か・・・死んでいたティティが生きていて家庭教師・・・云々。そこにウナがいたかといわれると即効で否定する。かといって他に人はいなかった。エリエステスたちも会議でいない。


「・・・・・・・どうしてここにいる」


 パディはウナに極力話しかけたくなかった。自分の頭が混乱するし、苛立つ。だが今ここにはパディとウナしかいない。状況を知るには胃が痛くなってもウナしかいないのだ。


 ふと間を置いてパディは瞬きを一つした。


 手に持つ魚が生温くなっている・・・・・


「・・・・・じゃ・ね・え・よ!!」


 ぺちん、と軽く平打ちしたようなひりっとした痛みのくる音が軽く響いた。


 そこでようやくウナは皮肉るような笑みをにったりと浮かべた。その手には今しがた投げられた魚が収まっている。顔面直撃は意外に素早い動作で防がれたのだ。


「何で魚が頭に乗ってんだよ!!」
「・・・・・・・笑えた、笑えた」


 ウナは無造作に魚を後ろに放り投げると思い出し笑いを浮かべて口元を手で押さえた。その目は明らかにパディをばかにし、間抜けな姿に蜜の味を覚えてぺろぺろとと味わっている。


「頭が痛いと唸るから冷たいものをと思って」
「初めてすらすら言った台詞がそれかてめえ!!尻に魚突っ込んで焼くぞ!!」
「・・・・・・・芸のない言い方」


 ウナはさらに息をもらし、笑みを強めて肩を揺らした。そっぽを向いて笑うウナにパディは頭に血が上るのを感じ、起きたばかりの体に鞭を打って足をなるべく素早く飛び出させて「むかつく対象」を蹴り上げた。


 ボールを蹴るようにウナの体はころりと後ろに倒れて転がったが、痛みや突然の蹴りを怒ることなく、ウナは笑い続けている。


「やーいやーい、阿呆阿呆」


 最初、ウナを見たとき人形かと思った。何もしゃべらず、ただ転がるヒトガタ。おもちゃ箱のような部屋にぴったりの存在だった。


 食事の時といい、今といい。パディはようやく彼女のことをつかめたような気がした。


 人形でも神秘的でもなんでもない。


 

 単なる悪戯好きのムカツク童女だ、と。


 

「くそばっかりだ・・・・!!ろくでもねえ・・・・!!!」


 パディは頭をつぶすように思い切り抱えるとそのままつっぷした。耳の奥ではくすくすとウナが笑う声が砂のようにざらついて残っている。それにまた腹立たしくなり、パディは歯を力の限りすりつぶした。かすかに血の味がにじんだ。今は血の味が妙に落ち着いた。


「パディ、起きたか?」


 歯軋りしたくなる状況(パディにとって、だが)をもろとものしない能天気な声が響いた。言わずとしれたティティだった。


 ティティはステップを踏むように飄々とベットに近づくと近くの椅子に座った。


 パディは軽く汗ばんだ額を布団にこすり付けると、ゆっくり顔を上げた。


「心配したぞ〜。いきなり倒れるんだもんな。・・・・食べてないんだって?」
「そこの阿呆が俺のを奪ったせいでな」


 そこの阿呆、というのは言わずと知れたウナだった。ティティはウナが次期女王ということを知っているのか、ウナを見た後青ざめてパディに急いで振り向いた。


「おま・・・・・ウナ様は時期女王だろ・・・・!その口はちょっとやばいんじゃあ・・・・・」
「うっせ」
「それにこうしてわざわざお前を心配してだなあ・・・・」
「心配する人間が魚を氷代わりにするかよ」
「は?」


 どうやらティティは知らないようだった。ウナの後ろの壁に赤茶色い魚の後が生々しく残っている。蛍光灯で鱗がオパール色に偏光していた。もう食われることはないであろう悲しき魚は言われなければ気付かないほど存在の気配を消していた。


 パディは頬杖をついて長いため息をついた。


「とりあえず、そいつをどっかに放り捨ててくれよ」
「おいおい・・・・・・」
「パディはどっかいけばいい」
「じゃあどっか行かせろよ」


 もう文句を言う体力がないのか、パディは目の前を向いたままウナの子供じみた反論に同意してもう一度ため息をついた。


「・・・・・・・一体俺は何をしろってんだよ・・・・」
「・・・・・・・・」


 ティティはウナに少し目をやってから立ち上がり、ベットに腰掛けた。パディはティティのことなど見えていないようにぴくりとも反応せず、すねた子供のように膝を立てて顎を置いた。


「・・・・・・世界は女王によって保たれている。女王が全てを生み出している・・・・・自然も大気も歴史も時間も。・・・・・人間も生み出したといわれてるらしいよ。・・・・・・その女王が今までの平和を保ってきたんだ。僕が小さいころなんかはすっごく綺麗だったな・・・晴れた日に見る若い柔らかそうな葉っぱはいっつもおいしそうって思ってた」


 ティティは少し目を細めて鼻から笑い声を漏らした。ちらりと輝いた瞳は遠くなってしまった過去を見て瞬いているのだろう。


「そして世界は・・・・もう一つ、預言によって進められてきた。これを知る者はいない・・というより、ラスティカが隠してたんだよな。国のお偉いさんたちは知ってるみたいだが僕たち一般市民は知らない。・・・・・まあ大したことはないんだけどさ。僕たちに関することは一切言わないからね。世界のことや女王のことをつらつらと言うらしい」


 言わずと知れたセロとラスの存在だ。パディはティティの言葉をかごにゴミをいれるようなつもりでぽいぽいと頭に放り込む。そして時折出てくる単語に反応し、思い浮かべる。


 セロとラスは今日もつながれ、世界の夢でも見ているのだろう。そして決して出会うことのない2人はお互いに顔を入れ替えながら歌い、次なる時間を見ている。


 

 パディは少し気持ちをやわらげ、2人の顔を交互に思い出した。


 

「・・・・・女王は47年ではなく、50年に死ぬはずだった。そう預言されたらしい・・・・。でもはずれた。・・・・・・・唐突なできことに世界はついていけなかったんだ。だから僕たちが住んでいた黒い地域ができはじめた。・・・・まあそれ以前からあったけどね、小さいのが。それは女王の力が弱まったからだとさ」
「・・・・・・例え50年に死んだとして。だからってなんだってんだよ。たった3年、変わらねえじゃねえか」
「ところがこれが違う」


 ティティは得意気にちちち、と指を振ってにんまりと笑った。ようやく覚えた知識を披露できることが嬉しいようだった。ティティは年齢から行けば大人だが、中身はまだまだ子供っぽかった。純粋、というのは彼のためにあるのかも知れないと、舌を出したい気持ちになりながらパディは思った。


 

 ティティの話はもちろん、まだ続く。


 

「次の女王は現女王の死と同時に出現するからだ」
「・・・・・・意味わかんねんだけど」
「・・・・時期女王が血筋じゃないことは聞いたな?・・・・・・女王の力は強大だ。だから時期は女王に見合う人間じゃなければならない。それはいつ決まり、どういう基準かはわからない・・・・。・・・・・でも女王は自分が死ぬとき、時期に全てを渡すんだ。そして寸分の間をおかず世界はそのまま継続される」


 どこか引っかかるものを感じた。まだ完全なる病原体になる前の腫瘍のようだ。小さなにきびのようなものがぽつりと頭にできてこりこりとわずかに引っかかる。でもそれはそれだけだ。放っておけば治るかもしれないが妙に気になる。そうしている内に肥大し、悪魔のような病気になるのだ。


 

 ティティの言葉はまさしくそれだった。


 

 パディは眉間のしわを強く寄せると、微妙に視界に入っているウナを見た。


 

 こいつが時期女王だという。世界を維持し、平和を約束する存在。いわば神だ。それが目の横にいて悪態を付き合っている。・・・・と、それはよかった。


 

 女王は死ぬと同時に次の女王にバトンを渡す。


 

 エリエステスは言った。


 ウナは心を閉じているから覚醒できない。それをこじ開けるのはパディだ、と。


 

 どうして受け渡しが失敗したのだろう。どうしてウナは心を閉じているのだろう。そしてどうしてそれが自分か・・・・・。


 さらに言うなら、預言ははずれた。それは何を影響としているのか。


 黒い腫瘍ができるような事態だろうか・・・・それにしては小さい。世界規模からみればブラックテューマーなど針の穴程度のものだ。だからエリエステスたちはブラックアウトを行い、焼き尽くして殲滅させようとしている。・・・・殲滅させたところで世界に、人に影響はない、そう判断していいだろう。


 ティティはパディが黙々と考えていることに気付かないのか、さらに続けた。


「でも継続できなかった。そのあたりはよく知らないけどね・・・。・・・・・・まあゆっくり待てればそれでいいんだけど。僕たちみたいなロットシャドウは増えるはせ・・・・」


「エースは」


「ん?」
「エースだよ、エリエステス!あの筋肉女はどこいった」


 エリエステスの名前を聞くと同時にティティの体がひきつけにあったようにびく、と全身がつりあがった。何かよからぬ記憶があるのか、顔はどこか青ざめていた。


 ティティもウナも黙っているのでパディは布団を蹴り飛ばしてベットから立ち上がった。一瞬くらりとはしたが、体に異常はないようだ。いつも通り、軽い。


「あ・・・おい、パディ・・・・」


 パディはふい、と顔を背けると無言で扉に向かった。そしてそのまま出て行き、ティティとウナという気まずい空気しか生み出せない2人が残されてしまった。


「・・・・・・・・・」


 ティティは恐る恐るウナを見た。次期女王という世界の要が今ここにいる。同じ空間に、それどころか3メートル以内に。


 何か話した方がいいのかともじもじと指を弄ってるとウナが擦り寄ってきた。床を這ってきたはずなのに音が何もしなかったのでティティは先ほど飛び退いた状態よりさらに大きく飛び退いた。


「うううう・・・・ウナ様・・・・・」


 角度によっては淡いグリーンにも、寒い日に見せる青い空にも見える不思議な色がきらきらと目まぐるしく変わる。宝石のような目に見つめられ、ティティはさらにしどろもどろになって冷や汗をかいた。頬が熱く、蒸気していく。


 ウナの体がさらに一歩近づいた。


 そして・・・・・


 

「・・・・・・ぎゃー!!」


 

 ワンテンポ遅れて悲鳴が上がる。


 

 ウナの口が、もじもじするティティの手をミミズを食らう小鳥のように素早くかいつまんだ。



 

 パディはその悲鳴を聞き、またかと密かにつぶやいて足を速めた。


















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