一歩、廊下を踏みしめる。赤い絨毯の起毛がじゅわりと溶けるように足に感触を伝える。暖かさはない。無感情の冷たさだ。

 パディは廊下を歩くのが前よりも怖かった。怖い、と思うのは癪だがその感情が一番近かった。


 どこにいても排除されるべき人間。何一つ伝えられずいきなり「鍵」となった自分。


 常識というものがどこにいっても通用しなくなり、混乱していく。立ち直る前に次々と畳み掛けられる物事たち。


 

 何をどう受け入れていいのか。


 

 今わかることはエリエステスに話を聞くことと、他の人に会わないことを願うことだけだ。



 

      ダークオレンジ 7



 何度も往復した廊下はいつもひんやりと冷気を放っていて静かだ。まるで異世界に放り込まれたように誰一人通らず、気配すら感じない。


 パディを軽々と投げ捨てた軍人のようなやつらがこの城に沢山詰まってるかと思うと吐き気がした。むかむかと胸から混みあがる苛立ちは吐き出すことも飲み込むこともできず、パディの男にしては華奢な体を這いずり回る。


 少し寝た(失神したのだが)せいか、頭は僅かだがすっきりしていた。それだけは唯一救いであり、冷静でいられそうな気がした。


 体内でのた打ち回る感情を足で踏み潰すように足を運ばせ、きょろきょろと辺りを見回す。汚れ一つない装飾が嫌味にしか見えない。汚れを知らぬ城の大理石。パディはやはりくすんだ木の天井や壁を思い出してしまう。自分のかつての故郷を。


 

「・・・・・ったく・・・どこにあるんだよ・・・・」


 パディはエリエステスの部屋どころか、どこに何があるか全く知らなかった。あてがわれた部屋とウナの部屋そしてセロとラスの巫女の部屋以外どこも行ったことはない。どこにいくにしろエリエステスがついており、どこからともなく現れて部屋に戻された。


 

 あんなに腹立たしかったエリエステスだが今はその登場を待っている。


 

 やはりどう考えても彼女以外、今すがれるものはないのだ。全てを知っているであろう、大佐様以外。彼女は少なくても見下した白い目をパディに向けない・・・・それだけでも助かる。


 

 ふつん、と思考の糸が切れると同時にカートを引く音が静かにこだました。今まで無音だった圧迫された空間が一気に開放されたように感じ、パディは無意識にその方へ向いた。


 

「あら、パディ様。よく廊下で会われますね」


 メイド、ラミィだった。彼女はいつでも陽だまりでぬくぬくと眠る猫のようにのんびりとした雰囲気を持っている。相手がどんなに切迫していても。刺しても刺しても手ごたえがなく、腹立たしささえ感じるが今のパディにはどこか落ち着くもがあった。彼女もまた、白い目でパディを見ないからだ。


「お食事をと思いましたのですけど・・・・あ、もしかしておトイレですか?それなら・・・」
「ちげーよ!・・・・・エースのやつを探してる」
「エリエステス様ですかあ?」


 ラミィははちみつのようにとろんとした声をあげ、目を泳がせた。


「うーん・・・・先ほどお・・・・会議がありましたのでえ・・・・・・」
「とっとと言えよ!」
「ああん、せかさないでくださいよ。・・・・・・・うーん・・・カルア様ならわかるんですけど」


 パディはカルアとエリエステスを思い浮かべた。どう考えてもエリエステスの方がいいに決まっている、と数秒もおかずに答えが出た。


 それが顔に出たらしく、ラミィは手を添えて笑った。


「でもカルア様ならエリエステス様の居場所がわかりますよ。・・・・・何といっても、カルア様はエリエステス様命ですからねえ〜」
「・・・・趣味悪・・・・。・・・・・・じゃあいい、とりあえずカルアのやつの場所はどこだ」
「このまままっすぐ行き、突き当りを右に。最初に見えた扉が会議室となってます。おそらく、その付近に行けば会えますよ。先ほどいましたし」


 にこにこと笑うラミィの横を通り過ぎ、パディは早足で通り過ぎた。


「・・・もう、お礼ぐらい言ってもいいのに・・・・」



 

 

 

 

 こつん、と大理石が静かにうめいた。エリエステスは振り返らず、ただ足音の主を予想した。吸い付く音はしたたかで重たい。気配はうっすらしているのに存在は激しい。


「・・・・・・・まだいたのですか、エリエステス大佐」
「ミース大佐こそ。こんなところにまだ用事があったとは。・・・・話し合いの準備とやらはそんなに簡単なものでしたか?」
「・・・・ライス大佐の嫌味がうつってるぞ」


 口調はおどけているのに抑揚はない。二人とも。大理石により白く埋められていた空気が一気に泥沼の色に侵食され、塗り替えられていく。


 第三軍の大佐、そして国の参謀と代表であるエリエステスとの仲はいいとも悪いともつかない。二人とも干渉しあわない。だが打ち解ける空気もなかった。特に今は。その原因は二人ともわかっている。だからこそおどけているのだ。


「私に嫌味を言いたくなるほど、マルファの探りは嫌でしたかな?」
「さあな」


 エリエステスは音を立てぬよう、ペンを置いて振り返る。そこにはただ大きい体が立ちはだかるだけだった。


「だが、どうして私がマルファを探らなければならないのか。そしてどうして私が制されなければいけないのか。理由ぐらい知りたいものだな」


 エリエステスも眼光鋭く大きい図体を射抜く。気を緩めてはいけない・・・・そう思わせるのは軍人だからだろうか、二人の気持ちは一歩も引かない。


 ミースは角ばったあごをぬぐうと、少し姿勢を緩めた。


「私は時々思う。君は何かを隠しているのでは、と。・・・・・・それに君の熱は冷たさがない。冷静さに欠くと思うのだ。それなのにどうして国の代表と指名されたのか・・・」
「ようは面白くないのだな?・・・・・自分がなると思っていたのか、角ばったミース大佐殿」
「正直者は痛い思いを必ずすると決まっているぞ。・・・・・そうではない。私はそんな代表などという位置よりもこうして他方をやんわり見守っている方が好きだからな。ただ腑に落ちないだけだ」


 エリエステスは内心「どうだか」とつぶやいて自嘲気味に肩を揺らして笑った。だがその顔は怒りに震えているようにも見え、しわというしわ全てが恨みを持っているようだった。その表情にミースは片眉を上げ、怪訝そうにゆっくりと半眼にした。


「ふん・・・・やはり面白くないだけだな。・・・・・・私は女王に最も近しい者。女王に全てを捧げたものだ」
「だから選ばれた、と?・・・・・・取り入った、の間違いでは?」
「どうとでも取ればいい。女王の力がまだ働いている限り、私は国の代表だ。・・・・・嫌味を言いたかったのか?それこそライス大佐のキャラを奪ってしまっている。おお、かわいそうに。それではライス大佐は目立たない単なるハリネズミになってしまう」


 ミースは汚物でも見るように目を白く濁らせ、奥歯を強く噛んだ。明らかな嫌悪にエリエステスの笑みは深まる。


「・・・・おっと、これはライス大佐に失礼だったな・・・・後で謝らなくては。・・・・・さて、ミース大佐。用事がないのだったら出て行ってもらおう」


 

 

「君は女王の何かを知っているのではないか?」


 

 

 空気がぴたりと止まった。立体が平面になるような、圧縮する空気。


 

 だがそれは一瞬でなくなり、エリエステスの低い声が笑うように響いた。


 

 

「一体何なのだ?何を知ろうとしたい?ミース大佐」


 

 全ての語句一個一個を強調し、なめるように視線をミースに合わす。だがミースとて負けてはいない。


 

「世界の全てを、だ」
「あほらしい。世界は世界、今沈黙しかけている。・・・・・大佐が動いたところで何にもならない」
「その答えは何かを知っているととっていいのですかな?」
「いいや、自分の無力さや無知の知を知ってほしいだけさ。あなたが動いたところでどうにもならないことを」


 

 ミースはやはり怪訝な目をしながら顔を背けた。


「・・・・・君は軍人には向いていない。その口、態度、全て。いずれ破滅するぞ。・・・・・・用事は以上だ。・・・・あと、小さな客人が目障りだと不評を買っている。どうにかしてください。・・・では」


 後になればなるほど彼は目をそむけ、顔が土気色になる。明らかな侮蔑の態度にエリエステスはおかしくて仕方がなくなったが、何とかこらえた。


 

 大きな体は音もなく立ち去り、ようやく元の心地よい圧迫する白い空気に戻りエリエステスは安堵の息を漏らしたが、それは長く続かなかった。


 

 

「・・・・・軍人に向いている人間というのはどういうのだと思う?特にこの平和ぼけしている世界で何に吼えようというのか・・・・・中々お山の大将よろしく、ばかげてると思わないか?パディ・デュランダ」


 小さな物音がかすかに響く。ミース大佐登場とはまた全く違う、少し怯えたような気配。


 パディは無言で扉を押すと、相変わらずの半眼顔でエリエステスを見つめた。


「うろうろしないでもらおう、とは言わなかったか?小さな客人」
「うっせーよ。・・・・この城にいるやつは嫌味しか言えねえのかよ」
「そういうお前も、な。・・・・・何かが豊かな分、何かがすさむのは自然の道理というやつかな?」


「・・・・・・・エース、何か知ってるのかよ」


 エリエステスは肩をすくめながら鼻から息を漏らした。しかしパディの体は動かない。


「一体いつから聞いていたのやら・・・・。・・・・・私は何も?」
「嘘つくんじゃねーよ。・・・・・世界がうんたら、女王がうんたら・・・・胡散くせえんだよ」


 白い空間にパディの緑の瞳はよく映える。まるで宝石のようだった。エリエステスは軽く引き込まれそうな感覚に陥りながらも笑い続ける。・・・・自嘲気味に。


「どうやら鼻がいいようだね、かわいいパピィちゃん。・・・いや、耳かな?なんにしても立ち聞きはよくない」
「そらすんじゃねーよ!」
「知りたいのなら、お前の友人に聞けばいいだろう?そのために手配したのだ。あるものは使ってほしいものだね」


 あまりの手ごたえのなさにパディはののしる口も消えそうだった。エリエステスは軽くいなすように手を振り、「仕事が残ってるんだ。部屋に戻れ」とパディに背を向けた。


 すぐさまペンのすべる音が響いたが、なぜか唐突に止んだ。


 

「・・・・・お前は知る者。私が言わなくても・・・・いずれ知るだろうよ。それまで基本的なことは覚えておいて欲しい。・・・・・・パディ」


 エリエステスの横顔が覗く。


「世界の意思というのは儚く、小さなものだ。・・・・・女王を恨んでくれるな」
「・・・・・は?」


 髪が邪魔をして彼女の表情は読めない。抑揚の薄い声からも何も汲み取れない。ただ言葉だけが無造作に放り投げられた。


 

 

「・・・・・・色彩の女王に、栄光あれ」


 

 

 暗示のようだった。願いのようだった。切望する思いがあふれそうだった。


 

 

「これから私に用事があるときはカルア少尉に言えばいい。ウナ様とお前の面倒を主に見るのは彼だからな。・・・・さあ、戻れ。また非難の目がお前を攻めるぞ」


 

 パディは何もしゃべることができなくなってしまった。


 

 エリエステスはもうこれ以上しゃべらないと背中が語っている。女とは思えない、だが男よりも暖かい大きな背中が。


 

 

 パディは舌打ちもできないまま、消化不良の腹を抱えて外へ出た。












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