| マルファの探りを、と言われ数日経つ。 その瞬間からエリエステスははるか昔より、数分前よりも強くマルファについて考えることが多くなった。 もちろん親友レイシーに対してもだ。 共に笑うようになったのはいつの日からだろうか、と考えると光景が今よりも鮮やかによみがえり目前に広がる。 剣を交え、勉学に励み、国や世界について語った日々はもう過ぎた。 私は一体どうしようというのか? エリエステスはゆれる馬車の中で自分に問いかける。しかし返ってくるのは洞窟から吹き上がる低い低い嗚咽ばかりで言葉らしきものはない。掘っても掘っても黒い水しかにじんでこなかった。 何もかもの「思い」が強くエリエステスを責め立てる。高波のように吹き上がっては小さなエリエステスを押しつぶし、砕いては頬をなでて強く引きちぎりながら遠のいていく、苦痛の繰り返し。 がこん、と馬車が大きく揺れ、エリエステスは少し頭を打った。それでも鬱々とした目は覚めることはない。 まだ女王が息づく景色を見つめ、エリエステスは一人つぶやく。 レイシー、私はお前を裏切る。 女王よ、私はあなたを守る。 ダークオレンジ 9 扉が、軋んだ。 もう何年も人が通ってないように、扉は重苦しく開いていく。それはしゃがれた老人の姿を彷彿とさせ、一瞬深い悲しみに突き落とす。 そして荒々しく閉まった。 大きい音だったが、誰も反応しなかった。みな無気力に灰色の煙を吐き出し、薄まったアルコールを摂取する。すえた匂いだけが大きな空気の流れを作った。 この世の全ての汚物を吸い込んだような掃き溜めのバーに、入ってきた女は異質だったがどこかなじんでいた。 流れる髪、大きな肩に引き締まったウエスト、こぼれる足にはどんな場所も踏み越えれる強い筋肉がついていた。 普通なら口笛の一つが聞こえてもよいのだが、誰も見ることはなかった。ただ一人を除いて。 「・・・・・・・こっちだ」 女は男の存在を確認すると足音もなく近づき、隣に座った。椅子は痛そうに軋み、男は軽く笑って「ブランデーを」と影のように沈んでいたマスターに一声かけた。 男もこの場所では浮いていた。作り物のように光る一つにまとまった髪、汚れのないラフな服、そして冷たい瞳。暗くてもよく光り、女を強く見据えていた。 無造作にブランデーが届くと、二人は瞳で合図を送った。 「・・・・・いいね、その格好。これから私に会うときはいつもそれで頼むよ、エース」 「・・・・・ここでは社交辞令もお世辞も通用しないと思うが」 男・・・レイシーは苦笑いを浮かべながら肩をすくめた。いつでも彼の微笑には冷気が詰まっている。エリエステスはそれを肌で感じつつ、ブランデーの入ったくすんだグラスを傾けた。 「本気で言ってるのに。いつも君には通じないから寂しいよ」 「・・・・・相変わらず寒気の走る言い回しだな、レイシー。・・・・仕方ないだろう。いつもの格好はこのブラックテューマーでは目立つ。・・・・・まったく、着慣れないものを着てるせいで鳥肌が倍増だ」 言いながらさらにグラスを傾けた。 レイシーも同じように飲みながらいつもと違うエリエステスを見つめる。 一目見ただけではエリエステスとは気づかない。髪はかつらをつけているのか、腰近くまである。服も軍服は脱ぎ、赤を基調とした装飾のないドレス、それに加えて黒いショールを肩からかけていた。どこからどう見ても貴族の一人か、今からパーティーにでも出かける村娘か。とりあえず軍人には見えなかった。 それはレイシーも同じだった。長い髪は一つにまとめ、服も村人が着用しているものとあまり変わりないものを見につけている。 「その服は?」 「私の私物ではない。わざわざお前のために姉上から借りてきたんだ」 「それは嬉しい。今日は嬉しいこと三昧だな」 「そういうお前も。何だその似合わない格好は・・・・。どこの喜劇から抜け出てきたかと思った」 「・・・・・酷いなあ・・。わざわざ自分で見立てたんだけど」 センスがない、と言葉と同時にエリエステスはブランデーを口に含み、足を組んだ。 「よく出て来れたな」 「今のところ暇な役でね。まあその分、リーレンが働いてくれてるよ。・・・・ところでこんなところで話して大丈夫かい?」 「こんなところの方がかえって話せる。・・・・・ブラックテューマーはいい。一人が一人でなくなり、黒い塊になれる。・・・・・気楽なものだ」 「相変わらず矛盾してるね、優しいエース。・・・・・君は案外軍人には向かないね。民を思うのに排除しなくてはならないロットシャドウ。一体どれだけの葛藤があったのやら」 レイシーは軽く手を挙げ、ブランデーを追加した。客がいても暇なのか、くすんだグラスはすぐに届けられ、レイシーはそれをなめる。しかし頬は赤く染まることはなく、ただ冷気が強まる。 「私は女王のためにやっているだけだ。・・・・・何の葛藤もない」 レイシーの瞳が強く瞬いた。笑みは張り付いたままだが、目は怒りと悲しみが入り混じり、ブランデーの熱で熱く潤んでいる。それはかえって彼の持つ冷たい雰囲気を強めた。エリエステスはひるむことなく、もう一度女王の名を口にしてブランデーを飲み干した。 「・・・・・・君はいつだって女王だけを見ている。彼女はもう死んだ」 「しかし息づいている。この世界に。・・・・・話がそれたな。本題に入ろう。・・・・・・レイシー。シャワルから何か聞いていないか?」 レイシーは一度瞬きをした。次に目を開いた時にはもう潤んではいなかった。いつもの鋭い目つきに戻る。 「ああ、聞いたよ。君からの手紙の一日後に。・・・・・大変なことになりそうだな。やはり感じていたとおり、シャワルは戦を起こす気だ」 「・・・・・・・一体何を考えてるんだ、あのばか姫は・・・・・」 「仕方ない、と思うこともあるよ。・・・・先代シャワルの大将は反女王派だったからねえ」 「世界は女王なくしては成立できない。そのことを知ってるのに反発するとは・・・おろかな一族だな。その血を濃く引き継ぐ姫はもっと阿呆だが」 レイシーはかすれた笑い声を出しながら「酷いいいようだ」と片目でエリエステスを見上げた。 「でも誰もが思うだろう?この世は女王の言いなりになっている。女王が我々全ての命を握ってるのだ・・・と思うと怖いと思わなくもない。・・・・・現に反発している国を見てみろ。ラスティカに比べ、文明が劣っている。・・・・・エース、他の国の現状を知ってる?特にシャワルは文字の下記読み書きができない人が国全体に対して30%いる。・・・・これを多いか少ないかと取るのは君に任せよう」 エリエステスは空になったグラスを指で傾ける。くすんだグラスにも曇った光は届く。鈍く光ってはゆがんだエリエステスとレイシーを映し、境界をなくす。それでも赤と青に似た白は完全には混ざらない。むしろ分離しているようだった。 エリエステスは軽く息をつき、頬杖をかきながらレイシーに向いた。 「お前はシャワルに賛同する気なのか?・・・・この間条約を結んだばかりだというのに」 「いや、国としてはラスティカと今のところ対立したくはない」 「今のところ・・・?国としては?」 「個人的には対立したい、ということさ」 エリエステスは目を細め、軽く笑った。 「それはそれは・・・・マルシャル=レイシー殿はエリエステス大佐と争いたいらしいな」 「・・・・・どうかな」 レイシー得意の氷の女王のような笑みを浮かべ、微笑を返す。二人はそのまま交じり合わない目線をあわせながら見詰め合う。 「・・・・・とりあえずはシャワルとの話し合いの場を持とう。・・・・・それからにしよう、我らマルファとラスティカの話は。・・・・・今はとりあえず、君の話をもっと聞きたい。女王についても、もっと別のことでも・・・・。・・・・・まだ時間はあるんだろう?」 「ああ、たっぷり。十分すぎるほど時間はある・・・・・」 レイシーは適当に代金を机に置くと、立ち上がった。エリエステスも同じように立ち上がり 、代金を置こうとして制された。 「ここは私が持とう」 「これくらい払える」 「いいや、たしなみというやつだよ。いくらなんでも女性に払わせるのは気が引ける」 エリエステスは苦い笑みを浮かべ、手を戻した。レイシーは満足そうにエリエステスを見つめながら「さあ行こうか」と促す。 「・・・・・・・どこに行くんだ?あてはあるのか」 「あるよ、というより通りがかりに見つけた。・・もっと黒いところさ。誰も来れないような」 雑音が耳に響き、砂嵐が一瞬視界をなくす。その隙間からレイシーの冷たい気配がちらちらとこぼれるが姿がかすんでよく見えない。近くにいつつも遠い、となぜかエリエステスは感じた。 「・・・・今に私もついていけなくなるな、お前に」 「それはどうかな。君は強いから、私の方が見失ってしまう」 それこそどうかな、とエリエステスは心の中でつぶやき、レイシーの背についていく。男より大きなエリエステスの体を持っても彼はまだ少し大きい。そのせいだろうか、やけに重圧を感じる。冷たさも熱さも。 わからないな、と苦笑し、二人はその場を後にした。 異様な二人が抜けたというのにやはりバーの黒さもよどみも変わらなかった。 |