張り詰めた空気が体を拘束する。身動き一つできない空間は慣れない者には息苦しく、慣れた者は失笑じみたものを口の端に浮かべていた。慣れた者の一人であろう、ラスティカの軍服を纏った男が一人、立ち上がった。身分は大佐、名はライスと言う。彼は個性を伏せ、一軍人として口を開く。

「では、会議を始める。始めに、ブラックアウトについてだ。ラスティカ第一軍大佐、エリエステス」

 エリエステスは短く返事をし、毅然と立ち上がる。獣じみた圧倒的なオーラに誰もが一瞬怯む。だが、それに合わぬ冷静な声でエリエステスは淡々と言葉を連ねた。紫紺の瞳もまた冷たく一同を見つめている。

「女王の死と共に世界の秩序が崩れ、無気力な人間となり世界を荒廃へと導く――そうして始めたブラックアウトも数年経過しました。しかし「黒き腫瘍」は少なくなるどころか増大の一方。女王の力はやはりここ数ヶ月でかなり弱まってるようです」
「ブラックアウトを手抜きしているのでは?」

 この場にいるのはラスティカの軍人だけではなかった。深紅の軍服と対をなすように、冷たいライラックの軍服が揺れる。

 対話相手は隣国であり、唯一国交と条約を結んだマルファだ。その軍人の一人である男は顔を上げると、嘲るように湾曲した目をエリエステスに向けた。中年らしい、油の含んだ目つきにエリエステスは何の反応もせず、報告を続ける。

「手を抜いたつもりはありません。今までにないほど武器を使用している。それを使う軍人たちも。――何もかも不足状態です。どこぞの国でも参戦していただければありがたいのですが、如何せん、戦う術を知らずぬくぬくと育ってるが故、どうにも手を挙げれない状態なのでしょう」
「何だと!」
「これは出すぎた発言を。お許しください、マルファ軍アレイ大佐殿。そういえば、私たちの国とて同じ。戦うことなど知らずに、女王の恩恵で生きてきましたから」

 マルファの軍人、アレイから歯軋りが虚しく響く。エリエステスは心の内でそっと鼻で笑った。

 どいつもこいつも何も知らない。戦う術など知らない。まるで赤子のような存在ばかりだ。

 マルファと言わず、ラスティカも同じだ。言った通り、女王のゆりかごで育った色彩の子供たちは争いを教わらずに生きてきた。こうしていがみ合う必要はなかったからだ。きれいな顔をして毎日を過ごしていた。

 今もそうだ。どこか他人事のように汚れのない顔をしている。血など見たことないと言わんばかりに、透明な光を持っている。こうして皮肉に顔を歪めているのは恐らく自分だけだろう、と思うと、エリエステスの顔はますます歪んでいくのだった。

「ブラックアウトは後ほど聞く」

 耳はまだ赤いが、アレイは続けて言葉を続けた。冷静さはなくとも激昂して我を失うということはないらしい。エリエステスは少しだけ顔を和らげた。

「パディ・デュランダなる、時期女王を覚醒させる鍵が見つかったと聞いたのだが。一体それはなんなのだね?」
「言葉通りです。時期女王はまだ眠っている状態。それを起こすのが鍵となる人物だと、先代女王から伺っております」
「覚醒は?」
「まだその兆しは見られません。ですが、預言と女王が申しているのです、大丈夫でしょう」
「はっ、どうだろうな。女王の死という大きなものをはずしたものだからな。信用できん」

 大きな鼻息は静けさを一掃し、集中をとぎらせていく。エリエステスは再び皮肉で顔を歪め、アレイに手をかけようとしたときだった。

「そこまでにするように、アレイ大佐。私たちはお互いの荒を見つけるために来たわけではない。隣国で仲のよいラスティカと和平の話をしに来たのでしょう?今からその調子では困ります……ねえ、エリエステス大佐」
「……ああ、そうだな。……マルシャル=レイシー殿」

 冷たい顔が笑う。それは男というより、娼婦のようなきれいな微笑み。

 氷の女王のようだ、それがエリエステスから見たレイシーの印象だった。



           ダークオレンジ 1



「エリエステス大佐!」

 荒い息遣いと共にやや甲高い声が廊下にこだまする。大理石は彼の声をより黄色く、エリエステスの耳に届くころにはこれが男の声かと疑いたくなるほど高音になっていた。

 うんざりするほど何度も聞いている男の声に、エリエステスは半ばやる気ない気だるい様子で振り返った。

「……カルア少尉」
「……は……すみません……」

 よほど走ってきたのか、カルアはエリエステスに近寄った途端膝に手をつき、全身で呼吸を数回繰り返した。ポケットからきっちりたたまれたハンカチを取り出し拭うと、全身を緊張させて敬礼のポーズをとった。そういうところは非常に律義だった。

「あの……」
「どうした。会議は終わった。話こととはもうないはずだが」
「いえ、違います。大丈夫ですか?」
「は?何がだ」
「その、会議の件です。あのように挑発されて……」
「ああ、構わん構わん」

 緊張して青ざめるカルアとは対照的に、エリエステスは軽く手であしらうそぶりを見せた。

「あの頑固親父のことを言っているのだろう?……そうか。お前は今日、代理だったな。知らないのも無理はない。あれはな、マルファの螺子のようなものさ」
「螺子……ですか」
「そうだ。きちきちに詰まっていて動こうともしない、頑丈な螺子さ。マルファはどこか浮遊した感じがする。それを止めているのがアレイだと言われている。ただ、固すぎて抜くのに一苦労。……そうだろう?マルシャル=レイシー殿」

 エリエステスは髪を揺らし、紫紺の目で真正面を射抜く。カルアを通り越し、その先にいるのは冷たい顔。

 マルシャル――上級大将=レイシー・コーズウェル。隣国マルファの要でありトップだ。しかしエリエステスにはそれ以上の繋がりがあった。

 レイシーはうすら寒く輝く目を細めると、真っ直ぐ、エリエステスに向かった。顔には微笑が浮かんでいたが、ぬくもりはまるでない。

「ああ、本当そうだよエリエステス大佐。アレイ大佐には困ったものさ」

 冷気が舞い降りたのは気のせいだろうか。カルアは立ちまわることができず、全身を強張らせた。肌は痛みを感じるほど泡立っている。しかしエリエステスは幾分か陽気な調子で「やあ」と軽く返答を返していた。

 だがエリエステスの内心は複雑なものが吹き荒れていた。冷たく、冷たく、拭きつける風雨のように。

 近くで見ると、レイシーは非常に端麗な顔をしていた。ほっそりとした針金のような足、服の上からでもわかる引き締まった体。一見すると線は細いが、肩や肉の付き方は優男といより戦士のものに近い。それもそのはず、彼は剣に長けている。そのことをエリエステスはよく知っていた。

 レイシーは切れ長の目をさらに細め、薄く微笑を浮かべた。

「頭をつぶしてでも抜くしか……と考えることもあるよ」
「おお怖いな、マルファの。……カルア少尉、先に行っててくれ」
「しかし……」
「こちらの上級大将様は旧友でな、久々に会ったのだからゆっくり話がしたい」
「旧友……ですか……?」
「ああそうだ。だからカルア少尉はパディたちの世話を頼む」
「……は」

 カルアは一呼吸置くと、ようやく返事を返した。そして未練がましい目でレイシーをちらりとだけ見ると、足早に奥へと進んでいった。

「かわいい部下を持っているね」
「かわいすぎるのが難点、だがな」
「その点、君はかわいくなさすぎる」
「それは非常によいことだな。かわいい軍人などといわれるほど私は弱くはないよ」

 そう取るか、とレイシーは続け、二人は合図したように同時に廊下の隅へと進んだ。そうするうちに二人の顔から大佐とマルシャルという仮面がはがれる。エリエステスから鋭さが、レイシーから冷たさがはく落する。それでもまだ声は張り詰めていた。

「まさかそんなことを言いに来たわけではないだろう?マルシャル=レイシー殿」
「まさか。もっと真面目な話をしに来たんだよ。……折角久しぶりに会ったんだ、いつも通り呼んでくれればいいのに。エース」
「まあそれもそうだな、レイシー。……では真面目な話とやらを聞こう。まあ大体想像はついてるがな。どうせ今回の和平についてだろう?」

 その通り、とレイシーは嬉しそうに顔をほころばせた。赤みが少しかかった頬を見てもレイシーの印象は冷たい。だが友人と言う視線を取り戻したエリエステスの目には、ほんの少しだが幼さが見えていた。

「女王亡き今だからこそ、お互いの絆は強めるべきだ、という方向でまとまったのはいいことだよ」
「だが、女王が亡くなって時間が立ち過ぎている。なぜ今更?……例えば、シャワル国あたりが何かをやりそうだ、とか」
「さすがだね、エース。……女王の死はこの世界の色彩だけでじゃなく、ラスティカの地位も不安定にさせた。女王あってこそのラスティカだからね。だからそこを突こうと、他国……とりわけ、シャワルは鼻息荒く狙っているだろう。争いが始まるかもしれない」
「国を狙い、さらには女王と世界をものにしようとしているのか。強欲を通り過ぎて呆れる」

 レイシーは歯の隙間から笑い声を洩らし、エリエステスは軽く頭を抱えた。

「昔からラスティカが中心であり、今も変わらない。それを不服と思ってる連中はそれこそ昔から今までいるだろうさ。ただ、時代が時代だ。女王がいない。しかも預言ははずれた。国の中心が違う国に渡るのも不思議じゃない」
「……そうだな」

 エリエステスは苦々しいと口の端を歪めつつも、笑ったようなそぶりを見せる。だが紫紺の瞳は轟々と煮えていた。

「だがそれでも。世界の中心は、女王が君臨する場所はここ、ラスティカだ」
「大した自信だね。その自信、どこから来る?」
「私は女王に捧げた者。女王を揺るがす存在を許すことはできない」
「……変わらないね」

 レイシーは揺らめくエリエステスの瞳をそっと覗きこむと、ふと笑みをやめた。エリエステスもまた、表情を引き締めるとどこか遠くを見つめた。

「……レイシー」
「何?」
「お前は私の友だ。だが、ラスティカとマルファ。絆が深くとも、いつ断ち切れるかわからない糸。……こうしてのんびり話をするような仲ではないはずだ」
「そうだね。そうかもしれない。だがこれは国同士の話じゃない。かつての学友仲間と他愛もない話がしたかっただけだよ。意図はない。……そろそろアレイ大佐が切れるころだろうから、これにて失礼するよ」

 一瞥すると灰色の髪が銀色に瞬く。絹のような輝きはレイシーの冷たい顔つきをますます凍らせる。エリエステスは横目で礼を返し、視線を落とした。そこには赤く伸びる影しかない。

「いつまでこの平和が続くかな」
「さあね。エースの活躍次第かもしれない。……じゃあ、また」

 二人の視線は交わることなく、レイシーは颯爽と廊下を渡った。小さくなる影をエリエステスは遠く眺め、ようやく消えた頃に息をついた。久しぶりの呼吸だった。

「調子が狂う」

 一人つぶやき、壁にもたれかかる。どっと疲れが溢れ、額には汗が浮かんだ。大理石は冷たく、エリエステスの体温を奪う。それが心地よく、このまま眠りたくなる衝動に駆られる。

「食えない男になったな、レイシー」

 そんなつぶやきを笑うと、エリエステスは壁から離れた。心にスイッチを入れ、大佐の仮面を付ける。すり減っていた神経は回復し、猛々しいオーラが心を包む。ようやく元に戻れた気がした。

 窓の外は何も知らず、風が静かに葉を揺らし、薄い葉の隙間から太陽の光がちらちらと顔を出す。

 そこでようやく、エリエステスは今日がいい天気だということを知った。




「……探しました。レイシー様」
「ああ」

 抑揚のない声に顔を上げると、そこには案の定、部下の姿があった。まだ自分を着飾っていたい年頃だろうが、彼女は質素だった。ありとあらゆる無駄を排除したような姿は性格そのものを映しているようである。

 レイシーはエリエステスと話していた自分を隠し、マルシャルとしての顔に戻す。

「悪かったよ、リーレン」

 名を呼ぶとリーレンは壁から離れ、レイシーの斜め後ろに控えた。飾り気もなく驕りもないのだが、こうした配慮は長けていた。それもそのはず、リーレンはマルシャルの右腕。故に言葉も飾り気があまりにもなかった。

「いいですか。上級大将なる人が隣国の城でふらふらしているものではありません。部下や特にアレイ大佐がお待ちしております。早く行きましょう。一刻も無駄にできません」

 有無を言わさない言葉にレイシーは思わず笑ったが、リーレンはぴくりとも笑わない。冗談すら無駄だと排除しているようだ。ストイックな様子は嫌いではない。

 わかったと返すと、レイシーは鋭く前を見据えた。辺りに冷気が立ちこめ、あれほどにまで鮮やかだった色彩が消えて行く。

「この世界を……女王を、終わりにしよう」

 リーレンはつぶやきに返すことなく、またレイシーも続けることなく、二人は雪のように静かに城を後にした。


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