| 「珍しい客がいるな」 苦笑する声が上から降ってきた。女にしては大きな影がソファ覆い、パディは舌打ちを交えながら斜めに見上げた。案の定、赤い軍人はそこにいた。幾分か憔悴した顔をしていたが、いつもの猛々しいオーラを放っていた。 パディはソファから動かず、じっとエリエステスの動きを眺める。彼女は自室にいるパディにさして驚きもせず、軍帽とマントを脱ぎ棄て、真向かいに座る。何を聞きたいかわかっているかのような瞳をしていた。 「勉強ははかどっているのかな?」 「……女王は、一体」 「勉強したんじゃなかったのか?全てお前の友人に渡してある」 「本も写真も見た。セロとラスからも聞いた。だから惚けるのはなしだ。……知ってるんだろ。なんで最初から言わねえんだよ」 不意に、エリエステスから覇気が消えた。するとエリエステスはただの女に見えた。パディは思わず息を飲み、見開いてしまったが彼女は何も言わなかった。 「そうか」 ぽつりと言った声にも力はない。か弱い女の声だ。パディは思わず真向かいを凝視した。果たしてこれは本当にエリエステスだろうか。そんな疑問すら消えていくように、彼女は別人に見えた。 疲れたようにエリエステスは前髪をかきあげると、軽く俯いた。思ったよりも長いまつげが頬に影を落とし、それが憂いにも見えた。 「女王や世界の理は隠す必要がある」 「どんな意味があって」 「女王が、人間ではなくなるからだ」 あまりにも断定した声に、パディはつい言葉を失う。さ迷う単語たちを捕まえれぬまま、エリエステスは続けた。 「お前も知っての通りだ。150年、女王は生き続ける。何がなんでも。神のために、世界のために。色彩を紡ぐ王となる。人にして人に非ず。……人でありながら人とはまるで違う生き物を、人々は畏怖する。あるいは嫌悪する。そして女王自身も、色彩の女王を恐れる。あまりにもどうすることもできない事実を、隠すことでしか守れない」 ほの暗い中、エリエステスの隆起する逞しい体が浮かぶ。体だけはエリエステスだが、顔から影や憂いは消えない。語れば語るほど彼女は遠のく。 「150年生きていると悟られぬよう、顔を隠し、存在を隠匿し、または女王自身をすり替えた。お前たちの知る女王は全て偽物だ。本物はほとんど表に立ったことはない。いつだってそうだ。女王は女王が苦しい。150年という月日があまりにも辛い」 まるで全ての痛みを背負ったかのように。白い体は、両手は、重く、何かを乗せている。エリエステスはそっと両手を眺めた。 「セロとラスから聞いた。……預言は外れた。女王は早く死んだ。150年生きる前に死んだ」 「なぜそれを私に問う?」 「セロとラスは答えなかった。なら、あんたに聞くしかないだろ?女王を知ってる、エースから」 「それが私の与えられた役目だというのなら、答えよう」 皮肉げに笑う顔はエリエステスだった。いつもの猛々しさは蘇りつつある。紫紺の瞳は一瞬だけ強く瞬き、光を映した。だがあまりにも強く、おぞましい閃光に、パディはきつく両手を握りしめた。その言葉を覚悟するように、体は反応していた。 「女王は私が殺した」 空気が根こそぎ奪われていくような疾走感。落ちていく中、言葉だけが形を保つ。 「なんて、冗談だ。そんな真面目な顔をしないでほしい、かわいいベリーちゃん」 エリエステスは気づいているだろうか。自分自身が酷く真面目な顔をしていることを。恐らく、パディ以上に強張った顔を見せているということを。 黒い雨が激しく窓ガラスを打つ。静寂を駆け巡る雨音は、不意に破られる。 「エリエステス大佐!」 潰れんばかりのノックに二人は顔をあげる。同時に、悲鳴があがった。 ダークオレンジ 13 転がり入ってきたのはカルアだった。氷水を被ったように蒼白な顔をして、それでも敬礼は忘れずにとった。 「何事だ」 「大佐!ウ、ウナ様が……」 よほど焦って走ってきたのか、息も切れ切れ、台詞も途切れて続かない。敬礼はすぐに解かれ、両手を膝に置くと肩で呼吸を繰り返した。しかしエリエステスは至極冷静にカルアを観察すると、前髪をかき上げながら立ち上がった。 「わかった。今、誰がウナ様の傍に?」 「メイドの、ラミィが」 「そうか……。怪我がなければいいが」 「おい、何かあったのかよ」 いつもの紫紺の瞳がパディを射る。パディの華奢な体を舐めるように見つめると、背を向けた。 「お前も来い。女王の苦悩……見ておくといい」 言い終えると同時にエリエステスは部屋を出た。カルアも慌てて出ていくと、途端に騒がしい雑音が耳に入ってきた。気づかぬ間に城内は騒然としているらしい。パディも急いでエリエステスの背を追いかけ、隣に立った。 「一体なんだってんだよ」 「自傷癖だ」 「はあ?」 「ウナ様は自分を傷つける癖がある」 「……女王だから、なのか?」 エリエステスは答えない。彼女の一歩は大きいため、パディは小走りでついていかなければならない。揺るぎない一歩一歩は追いつくので精いっぱいで、それ以上の問いも生み出さない。 「女王はいつだって不安定な存在だ。たかが150年。だがそれでも……150年。一人で生き続ける。たった一人の人種として」 あらゆる人から聞く「女王」という存在。確定していた事実は揺らぎ、不安定な形となってパディの前に現れる。まるで得体の知れない怪物のようで恐ろしい。元が人間だと知っていても、ただ150年生き続けるというだけのものだと知りつつも……しかし躊躇する。女王自身も。 今まで明かされなかった理由もわかる気がした。ただそれだけのことでも人間は戸惑う。まして、世界を作ってるとなると反発する者もいるだろう。 女王すら女王を憎む――それはつまり、本人はどれほど痛みを抱えているのだろうか。 あれほど憎らしく見えるウナですら、今のパディは憐みすら覚える。 「これはエリエステス大佐。遅いおつきで」 見慣れた廊下を辿り、ウナの部屋につくなり軍人の山ができていた。蠢く集団の中で一人だけエリエステスに気づき、皮肉そうに顔を歪めた。薄いくちびるを細く引き延ばす顔つきは嫌味に満ち溢れていた。 エリエステスも同じく皮肉そうに笑うと、鼻で笑うように声を出した。 「おお、ライス大佐。もしかして私の到着を待っていてくれたのかな?そうだろうなあ。私でなければウナ様を扱えませんからね」 「生憎、調教などという野蛮な行為は苦手でね。これは猛獣使いの出番だと待っていたわけだ」 ますます顔をひきつらせて笑う姿にパディは寒気を覚えると、ライスはわざとらしくパディを見てきた。 「そこにいるのは、パディ・デュランダだな?初めて見るが、女の子のようだね……。これで覚醒とやらができるのか。中々楽しみですなあ、エリエステス大佐」 針のようにちくちくと嫌味を続けるライスにパディは思わず唖然とし、次には震えるほど怒りを覚えた。だがエリエステスはそれを制するように手でさえぎり、一歩前に出た。 「ライス大佐は暇がよほどおありのようで、羨ましい」 ライスの片頬が引きつり、嫌味が飛び出す前にエリエステスはライスの隣を通り過ぎた。その前にいたのは動揺し、慌てふためくメイドのラミィであった。 ラミィはエリエステスの姿を見るなり泣きだしそうに顔を歪め、声なき訴えで部屋を指した。 「ラミィ、御苦労だった。後はパディに任せるとしよう」 「は、はあ?!」 文句を言うより、行動するよりも早く、エリエステスはパディの首根っこを捕まえ放りだした。あまりに突然のことにパディの頭は真っ白になったが、立ち上がると同時に部屋の扉は閉じ、部屋はしんと静まり返った。 背筋が凍る。電気が走ったような痛みに、パディは急いで振り返った。金色の糸――パディの髪が二、三本、はらりと舞う。 その先にウナはいた。銀色のナイフを突き付け、横に薙ぎながら。パディは瞬間避けると、ウナと距離をあけた。 「何しやがる」 ウナは動かない。ナイフはパディを確実に狙い、一歩たりとも引こうとしない。透明の瞳は赤くたぎり、怒りに満ちていた。 「お前を殺して私は自由になる」 いつものウナの声ではない。唸るような声にパディはぞっとした。血のにじむような声は聞いていて痛みを覚える。 ――ウナは泣いていた。 パディにはわかる。不完全ながらも女王という存在に触れた。女王という意味を知った、今なら。ウナは戦っているのだろう。女王の運命に。抗いたいと願いながらも、預言によって縛られるこの状態を。 「お前にわかるものか」 見えなかった。ウナは風のようにするりとパディの目の前にすり寄り、ナイフを頬に滑らせた。痛みはない。傷はまだできていない。ただ、ナイフは異様に冷たかった。そしてもう片方はウナの生ぬるい吐息がかかる。二人の距離はもうない。 「女王は150年生き続ける。どんなことがあっても。わかる?どんなことがあっても。この意味が!……死ぬことを許されない。死ぬことができない!終わらせることができない。私は女王を辞めることができない!」 ウナは笑う。震えながら、地を這うように。 「首をつってもし死ねない。ナイフを胸に突き立てても死ねない。今日は舌を噛み切ってやったわ。それでも死ねない!あるのは、苦しみだけ。痛みだけはある。五感を生かしながら、それなのに死ねない!」 ウナは体を離すと、ナイフを己の腕に突き立てた。鮮血がパディに降りかかり、鉄の匂いがむっと立ち込める。パディは動揺することも忘れ、呆然とそれを眺めた。 「……いつだって体は女王であろうとする。勝手に治ってしまう」 乾いた音を立ててナイフが落ちる。ぽたり、と最後の滴が床に落ちたかと思うと、ウナの腕から傷が消えていた。 「ずるいパディ・デュランダ。私を解放させるだけの存在?笑わせないで」 ウナの顔から感情が消え失せる。水面のような能面に代わり、透明な瞳から覇気も消えた。ウナが大人しくなったからだろうか。パディも徐々に冷静さを取り戻した。 「んなこと、知るか」 自分でも驚くほど冷静な声が出た。震えもない。何もない。ウナは多少驚いたように顔をあげたが、しばしパディを凝視するとナイフを拾い、振りかざした。 切っ先がパディを貫く。冷たい感触が腕に食い込んだ。パディからも鮮血が吹き出す。痛みはあった。冷静だった。ウナのように治ることはなかったが、それでも無理矢理ナイフを引きずり出し、床に落とした。 「なんで前の女王は早く死んだ?」 ウナの体が大きく震えた。恐怖とも怒りとも動揺ともつかない顔に向けて、パディは睨みつけた。 「……女王?鍵?んなこと知るかよ。俺も帰る場所なんてねーし。やることもない。そうなると……知る、という道しかない。流されるように進むしかない。俺は女王を確認しなくちゃいけない」 「……何が言いたい?」 ウナは顔を歪め、パディを睨み返した。片方だけ覗く目は、みるみる怒りに染まっていく。 「私は女王となり、150年生かされ続ける。それ以外の運命はない」 「そうかもな。だけど、そうなら、前の女王はなんで死んでる?今のこの状態ってなんなんだ?妙に疑問に思う」 「だから、何?」 「俺だってまだわかんねーよ。ただ、そこに何かがある。150年……生きなくてもいい道が。別の道があるように思えないか?」 ウナから怒りは引かない。ただ、揺らいでいるように見えた。それは手負いの獣のようにも見えた。 「前の女王の死。それに何かがあるには違いないんだ」 なぜだろうか。ウナは笑った。失笑、という類のものだろう。酷く悲しい笑い声だった。 「……そう。結局、あんたはその道を進むのね」 「は?」 「あんたの気持ちはわかった。不純なものはない。口のわりに、性格はまあまってこともわかった。だから」 白い指先が伸びる。手のひらが付きだされ、ウナは顔をなんとか平常に戻した。 「とりあえず、あんたのその道を進んであげる。女王の事、疑問に思ってる事。解決するために利用されてあげる。茶番劇を演じてあげる」 「俺は知るために動く」 「私は女王から逃げるために動く」 「……成立、だな」 「そうね」 パディはその手を受け取ったが、すぐに離した。ウナもまた、体をすぐに離してやはり笑った。 「少しでも役に立たないなら、世界から抹消してあげる、パディ」 「上等だ、やれるもんならやってみろよ。こっちこそクズほどにも役に立たなかったらクソ溜めに放り込むぞ、ウナ」 二人は同時に失笑すると、扉を見た。 「女王が解決された時。世界はどうなってると思う?」 ウナの出した問いかけにパディは答えなかった。答える時期ではない。それがわかる時、ウナは女王であり世界は次の道を歩んでいるだろう。少なくても、今ではない。今を超えた次の時代が待っている。 人でありながら神の子として生き、神のわがままにより世界を遊び、しかし150年という制限が来ると死ぬ女王。これから先、女王という意味はどう問われていくのだろうか。 それこそ答えは近い未来にあるだろう。 1148年。 女王が明るみとなるのはこれより先。そして歴史に深く刻まれることとなる、第一歩は――恐怖と共にやってくる。 戦が、始まる。 「預言通りだね」 「預言通りだ」 「世界は進む」 「女王は目覚める」 「鍵は知る」 「女王は目覚める」 「全ての未来はすでに始まっている」 「女王は」 「目覚める」 第二章 完 第三章に続く |