それは単なる神話の世界。

 誰かがそれを受け、何かに変化することはない。


 ただ過ぎ去った記憶を語るだけ。


 誰も振り向かない。



 

         ダークオレンジ 12



 

 

「世界は一つの海だった」
「どこを見ても深い青の世界」
「誰もが息をせず」
「誰もが目を閉じ」
「誰もがゆっくりと」
「幸せに」
「身を委ねていた」


 瞬間的に変わるセロとラスの顔は夢へとずるずる引きずり込む引力を持っていた。すでにとりこになっていたパディの虚ろな目には見たこともないほど深く、透き通った青い水が広がっていた。そして水の中へ。不思議と息は苦しくなく、ただ漂っていた。


「海はやがて最初の人を生み出す。そして人は人を作り、人は集団を作っていく」
「だけど人だけじゃない。人になりきれなかった悲しい動物もいた」
「ラスティカの蛇」
「蛇の文様はどこから来た?」
「最初の人と共に生まれたのは蛇」
「誰からも恐れられた蛇。かわいそうに」
「かわいそうに」


 声が水に溶けていく。どこからともなく空気の揺らぎが心地よく耳にこぽこぽとささやいては通り過ぎていく。それに混じり、セロとラスがつらつらと語る。水と程よく交じり合った声は肌を暖かくすべる指の愛撫のように優しい。


 セロとラスは世界を思い出すかのようによどみなく続けた。



 

 

 ・・・・最初の人はやがて誰からも尊敬される、所謂「神」という存在になった。


 とはいえ、まだ彼は力を持っていなかった・・・いや、持っていたが気づいていなかった。


 無意識のうちに何かに使っていたのかもしれないが、意図的に放出することはできなかった。だからこそ普通の人間と共に戯れれたのかもしれない、と二人の巫女は遠い目をして何かを見つめていた。それは女王の姿かもしれない、とパディはなぜか思った。


 力を持たぬ神は普通の人間だった。神はやがて生まれ来る全ての存在が愛しくなり、一人の女性を愛するようになった。ごく自然の成り行きで、二人は結ばれ、女の子が生まれた。その姿を見て人々は子をなす喜びを、人を増やしていく使命を知った。誰もが生まれ持って無意識のうちに芽生えるこの感情は、彼らが徐々作っていったのだった。


 そうして人々は海で暮らし、自分たちの思う世界を構築していった。その歴史は長い。


 神も同じように暮らし、神の娘は立派な女へと成長した。


 それはそれは美しかったんだよ、とセロとラスは頬を紅潮させた。交互に変わっても表情は同じ、恍惚としている。


「・・・・まさかそのときからいるとか言うんじゃねえんだろうな・・・・」


「まさか」
「見ている」
「世界の記憶」
「女王も持つ世界の記憶」
「忘れてはならない」
「女王は神の子」
「神は父」
「父の存在を」
「忘れてはならない」


 

 歌うように二人は続ける。


 

 もう一つ忘れてはいけない存在がある。


 

 蛇だ。


 

 たった一人で生まれ、たった一人で生きる。繁殖することも人と交わることもできない。だが人間は蛇に同情の思いを抱かなかった。


 その醜き、大きな鱗に。深紅の口に、玉虫に光る肌に。


 蛇は人間が成長するように成長し、人々が感情に芽生えるように蛇にも意思が宿り始めた。だがそのスピードは遅く、寂しいという思いが目覚めたときには人々は恐怖を覚えていた。


 異端のもの、人ではないもの。


 見たことないものに人は恐れるということを知ってしまっていた。


 蛇はいつだって一人だった。悲しいと涙を流し、寂しいとのた打ち回っても深い青がかきまわるだけ。渦は蛇と友達にはなれない。


 

 そのときだった。何か示し合わせたように神の子が現れた。


 

 娘は神の子であるが故にどの感情も豊富に持っていった。中でも大きかったのが「好奇心」。・・・・・娘は無意識のうちに蛇の前へ出た。


 だが蛇もまた成長し、思いを膨らませていた。


 

 寂しさを超え、悲しさを忘れて蛇は怒りを覚えてしまった。


 

 神はなぜ自分を恐れるように作ったのか。海はなぜ自分を不完全に生んだのか。せめて、せめてもう一人自分がいれば・・・・。何度も何度も、恨みの気泡が血混じりに放出され、金に光っていたはずの瞳は真っ赤につぶれていた。


 

 憎い、憎い。


 

 憎い。


 

 蛇と娘はお互い見つめあった。蛇は憎くてたまらず、娘はどうしていいか自分の中で答えを探した。


 うろたえる娘を見て蛇は泣きながらその大きな口をあけて娘を一口で飲み込んでしまった。



 その事態に気づいた神は慌てふためき、蛇の元へ飛んでいった。そして言う。
 

「娘を返してくれ」



 神は神である前に父親だ。今まで噴出したこともない感情をありのままに蛇にぶつけ、泣いてわめいてひれ伏した。顔は赤くただれ、目は悲しみでつぶれそうになった。かきむしる髪は抜け落ち、頭を打ち付けて懇願する。


 その姿を見て蛇は赤く泣きはらした目で神をゆっくり見つめた。


「娘は返さぬ。私は一人でもういたくない。これからはこの娘と一緒だ」


 そう言い、愛しそうに腹を抱えて包まった。そしてさらにこう付け加える。


「私を殺そうというならこの娘を殺す。共に死んでやろう。・・・・・だから誰も邪魔はするな」


 蛇は完全な球体と化した。もはやどこが顔でどこか尾かわからず、鱗だけが水の流れで少しだけ揺らめくだけだった。


 蛇はもう疲れていた。自分の感情に。噴出すものがあまりに強く、あまりに悲しいものでもう苦しくなったのだ。



 だから永遠の眠りを選択した。娘を飲み込んだことによって。


 
 蛇は初めて暖かいと感じた。勝手な思い込みかもしれない、でも娘の体温は心地よかった。娘も体内で暴れることはなかった。


 蛇はこれでよかったのかもしれない。しかし神はどうする?最愛の娘を蛇に囚われ、しかも生きながらにして死の沈黙を保つ。


 神は泣き続けた。叫び続けた。目覚めぬ蛇の元で。

 

 一体いくつ年が流れただろうか。神は娘のことを思うあまり、何年も蛇の前で泣き続けていたのだった。だが蛇は更なる球体と化し、もう二度と目覚めることはなかった。



 こうして人々は自分たちの「死」を覚えた。
 

 二度と会えぬ悲しみを、徐々に曖昧な存在になっていってしまう不安と恐怖を。
 

 神も死を覚え、娘が「死んだ」ことを知った。
 

 そして神自身も「死」に近づいていっていた。



 神は最後の涙を拭うと、かつて蛇であった球体に触れた。触れた瞬間、なんともいえない暖かさが全身に伝わっていった。おそらく蛇はまだ死んでいないのだろう。・・・もしかすると娘も生きてるかもしれない・・・神はほのかな希望を持つことにした。


 そして考えた。

 

 もう一度産み落とそう。


 

 それは世界の始め。もう一度生まれる世界。


 

 新たに産声を上げる娘の世界。


 
 神は神になることを決意する。


 
「神は娘を生かすために蛇自体を「世界」にした」
「初めて自分の「力」を使って。50年かけて」
「だから本当は今は1147ではなく1197年」
「神がはじめて神として本当に君臨したその年が始まり」
「真の誕生は今から1197年前」


 蛇を愛で、愛しい娘の姿のみを想像して神は新たに世界を作る。


 

 娘がいない、その悲しみだけで。


 
「娘を王にし、娘だけの世界を作る」
「娘が喜ぶように」
「娘が楽しむように」
「それがレイストロ」
「この世界」
「この世界は蛇でできている」
「体内に囚われた娘は女王となり」
「色彩を紡ぐ」


 

 パディの全身に蛇の鱗が摺り寄せられたような気がした。鱗が柔らかい肌をなで、真っ赤な舌が頬をなでる。


 

「神は娘が愛しすぎた」
「娘が永遠に生きてくれるように世界に希望を唱えた」
「それが娘にとっては呪い以外なんでもないことも知らず」


 冷や汗が吹き出た。水のようにさらさらと滴り落ち、髪がぺったりと頬にくっつく。服は滴り落ちそうなほどぬれていった。


 パディは拭うことも忘れ、ただ巫女たちを見た。そしてウナを思い出す。


「娘と同じ波長が持つものを「器」として」
「その「器」がだめになるまで生き続け」
「「器」が寿命を迎えると」
「また新たな「器」に乗り移り、娘は再び生き返る」


 パディの中でパズルの欠片がどんどん当てはまっていく。今までばらばらだった言葉の全てが一枚の絵と構築されていく。できていく姿は女王か、世界か、誰か知らぬものか。


「・・・・・・じゃあ・・・女王は単なる器に過ぎない・・・?」
「そうだよ、パディ」
「寿命は決まってる」
「娘が死んだ姿の年齢で保つ」
「器が力を受け継いでから女王として生き」
「女王になった日が生まれた年」
「そこから150年」
「150年ちょうど生き続ける。それ以上は肉体がもたない」
「設定されている」
「世界の秘密」
「女王の涙」


 

 歌が途切れた。巫女の顔はうなだれ、深い影を刻んだ。今はセロなのかラスなのか。じっと動かなくなった体は単なる黒い塊に見えた。そうやって全てを拒否しているようにも見え、女王を哀れんでいるようにも見えた。


 

 パディはようやく夢から解き放たれ、顔を引きつらせた。


 

「・・・・・じゃあなんだってんだ。父親のわがままで娘は生かされ、その娘を生かすために今までの女王は犠牲になったって言うのかよ」


 巫女は答えない。全身を覆うコードや糸はパディの言葉を拒絶している。それは肯定を意味していた。


「しかも無理やり150年も、だ!?ふざけろよ!何だ、くだらねえ!」


 パディはようやくティティの言葉を飲み込むことができた。


 女王は人間をやめさせられる・・・・神のエゴによって。150年も、人々の出会いと死を見つめ、人々に少しの畏怖を与える。それは突然起こることなのだろうか。ウナはどう思っているのだろうか。


 巫女たちの細かいコードが震えた。


「でも神はもう、世界をそう設定してしまった」
「もう動かせない」
「それに続いてしまった」
「千年以上も。止まることなく。ずれることなく」
「僕たちは神の使い」
「でも意思はない」
「世界の言葉を」
「感じるだけ」
「僕たちは世界の木」
「ただ伝えるだけ」


 流す涙も忘れてしまったのか、二人の体は小刻みに震えるばかりでそれ以上何も言わない。コードも音なくゆれるだけだ。


 パディもただよろめくしかできない。


 だが胸のしこりは減っていた。


 ・・・・いや、小さなしこりは消えたが変わりに大きなものが一個だけできてしまった。




 150年で変わる女王。


 いつまでも若い姿をしているのは神のわがまま。


 世界は女王のためにある。


 色を紡いでいるのではない、積み木遊び。


 覚醒する女王の力。


 遺伝ではない、神の娘の記憶。


 女王によって世界は生きているのではない。


 女王を生かすために世界は作られ、維持される。


 
 全ては女王のために。


 


「待てよ・・・世界が本当は1197年だとして・・・150年で交代する女王・・・・。・・・・どうしてだ・・・・・1197年・・・・」


 セロとラスの体が大きく震えた。


「死んだのは1195・・・・・・」


 ティティの台詞が鮮明に浮かぶ。
 予言ははずれ、5年も早く女王は死んだ。
 軸が狂いはじめている。世界が怯えはじめている。
 それは蛇の悲しみか、神の悲しみか。
 今まで意志なく登場してきた娘の声か。


「・・・・・・もしその話が本当だとすれば・・・・・女王は1200年・・・今で言うところの1150年に死ななきゃいけない。・・・・何ではずれたんだよ。・・・・何かが、起こるのか?」


 パディのかすれた声だけが部屋に取り残されていく。


 はるか遠くで死んだ女王が泣いているような気がした。そしてウナも。



 全ての女王は泣いている。


「・・・・だから君が知るんだ」
「パディ・デュランダ」
「色彩の鍵」
「全てを知る者」
「覚えていて、女王の話」
「誰も知らない言葉」
「世界の秘密」
「女王の苦しみ」
「神のエゴ」


「覚えていて・・・・」


「僕たちはもうすぐ」


「枯れてしまうから」





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