雨にわざと濡れるように足を運ばせる。黒い雨で、今日という日がつぶれるように祈りながら。銀色にも見える少し青みのかかった髪が黒く塗りつぶされるように、レイシーはただ歩く。


 どうしてあんなことを言ってしまったのか。



 冷静を欠いた自分をただ責めるしかできない自分をさらに責め、終わりのない後悔と羞恥の念で頭が一杯になる。そんなレイシーを冷やすように雨は降るが、熱が引くことはなかった。


 いつだって愛しいと思っていた。共に学んでいた時期から。しかしその時はもうすでに彼女は女王に心奪われていた。過去に数度、レイシーは彼女に伝えた。拒絶することもなかったが、完全に受け入れることもない。今回もまた同じだ。


 だからこそ余計に彼女が欲しかった、と子供が駄々をこねるようにレイシーの中で消化できない独占欲と依存心がのたうちまわった。悲しいことにそれを助けてくれる冷静な自分自身も他人もいない。


 女王がいなくなったことで彼女の心がこちらに傾いてくれるだろうか、とほのかに期待していたのかもしれない。だからこうして再び顔をあわせて二人きりで会えることに、彼女がそういう目的以外のものがあったとしても、レイシーは純粋に嬉しかった。


 その気の緩みが二人の距離を余計に遠くしてしまった。


「・・・・・レイシー様?」


 雨音がぶれる。レイシーの目の前が蜃気楼のように歪み、後悔の旅から現実へ戻させる。


「・・・・リーレン?こんなところにどうして」
「お迎えにと思いまして。レイシー様、お供も傘も持ち合わせてなかったようなので」


 リーレンは淡々と言いながらも暖かい瞳でレイシーを迎える。


「本来なら馬車を出そうかと思ったのですが・・・・・極秘ということで出せませんでした。申し訳ありません・・・私の力が足りなかったばかりに」


 レイシーは「マルシャル」の顔を作り、静かに首を振ってリーレンの顔を覗き込んだ。相変わらず派手さはないが、素朴な美しさを秘めている。ひたすら真面目に謝る彼女は必死そのもので、彼女を部下に置いた理由がその一つだった。


「・・・・それで・・・エリエステス大佐は」
「特に話し合いはなかったよ。・・・・・・リーレン」


 改めて名を呼ぶレイシーは完全にマルシャル=レイシーとしての凛と張った声に戻っていた。リーレンも顔を上げ、冷静な部下へと顔を固めていく。


「ついにマルファが女王推進派という仮面を剥ぎ取り、反女王派というありのままを出す日が来た」
「・・・・というと、それは・・・・・」
「・・・・リーレン。まだこれは秘密だ。シャワルが引っ掻き回してから動こうとしよう。それまで、君は情報と作戦を頼む」
「了解しました」


 はっきりとしたリーレンの声にレイシーは満足そうに頷き、二人は歩き始めた。


 だがレイシーは心の中で女々しくも彼女のことを思い浮かべて言葉を投げかける。矛盾し過ぎて頭が狂いそうな台詞。


 

 君と、対立したくない。


 

        ダークオレンジ 13


 

 黒い雨が怒りに震えながら大地を叩きつける。うなり声を上げながら横殴る雨はこれからのことを暗示しているようだった。誰もが黒い雨を恐れ、しかしまだその存在を片耳に入れるだけでまだ気にはしていない。


 バリバリとガラスが文句を言う廊下を、パディは一人腕を組みながら自分の思考に耽っていた。


 150年で交代する女王。無理やり150年生かされ、色彩を紡ぐ。


 真の年代は1197年。女王が死んだのは1195年。セロとラスが言うのが本当ならば、年齢問わず女王になった日から150年生きなければならない。しかし前女王は世界の設定よりも5年も早く死んでしまった。


 一体それがどう意味するのだろうか。そしてこれはみんな知ってることなのだろうか。


 それ以上考えようとすると鮮やかな蛍光の色彩たちが渦を巻いて溝色に変色し、パディの頭をかき回す。その中で一点だけ、明るい赤を放つものがあった。


 女王と共に写っていたエリエステスだ。


 彼女は知っているのだろうか。素顔を知っているのであれば、知ってるのかもしれない。だとしても何だというのだろうか。疑問は尽きないが、エリエステスが何か知っているような気がしてならない、とパディの本能が警笛を鳴らしていた。


 そのエリエステスが出かけるといって数日が経つ。もう帰ってるだろうか・・・と考えたところで目の前に見慣れた姿が頭をと肩を落としながらゆっくり歩いてきた。


「・・・・・・景気悪い姿してんじゃねえよ、カルア」
「・・・え・・・・あ・・・。・・・・・ああ」


 わずかな明かりでも薄く茶色に光る少しふんわりした頭。多少疲れて目の下にくまが生じても好青年らしい甘い目鼻立ち。しわ一つない制服。久々に見る、カルア少尉だった。


 彼はパディの姿を確認するや否や、先ほどのしょんぼりした姿はどこにいったのか、背筋を伸ばし、疲れた表情を吹き飛ばして代わりに「うろうろするんじゃない、目障りだ」と白い目を向けた。


 パディはいつもなら腹を立てる軍人、貴族特有のえらぶった白い目に怒りの罵声をかけるが今日はそんな気力も出ず、怒りも思い出せなかった。


「おい、エースのやつは帰って来てるか?」


 エース、の単語にカルアは肩をわずかに震わせる。いつもの「呼び捨てにするんじゃない」という簡単な怒りではなく、多少悲しみの混じった怯えるような反応。


 いつにない動作にパディは眉間のしわを増やしたが、カルアは中々声を発さなかった。


「聞こえてんのか?」
「・・・・・・あ・・・ああ。もちろんだ。そう何度も言わないでほしい。・・・・・エース様なら自室にいる」
「・・・・・・やけに素直で気持ち悪いな・・・・・」


 パディは口をへの字にまげてカルアを睨むように見上げたが、彼の反応はやはり薄かった。心ここにあらず、と文字にした通りの虚ろな目だった。


 さすがにおかしい、とパディは思ったが時間が惜しかった。とりあえずカルアのことを忘れると再びエリエステスのことをたずねた。


「・・・・・・エース様の部屋はこの先を左に曲がった突き当りの部屋だ」
「・・・・・まだ何も言ってねえよ。・・・・・真面目に気持ち悪いな、お前」
「ロットシャドウなんかに言われたくない。これ以上、話しかけるな」


 淡々と台詞を棒読みし、カルアはそのまま通り過ぎてしまった。


 パディは横目にカルアの通り行く姿を見ていくと、またもとの肩を落とした状態に戻っていた。


「何だ、あいつ・・・・」


 パディは軽く肩をすくめると、小走りにエリエステスの部屋を目指した。





 

 

 雨が強くなってきた。黒い、黒い雨だ。女王が君臨していた頃は一度も振らなかった。代わりにガラス玉のように七色に光る美しい雨粒が暖かく緑を濡らした。作物を作る人々はいつも「恵みの雨だ」と深い笑みを刻んで空をよく仰いでいたのを鮮明に覚えている。


 美しい景色の記憶は全部エリエステスの頭に刻み込まれていた。そしていつだって思いだせる。美しい女王と共に。



 今はそれだけがエリエステスの心を支えている。それだけが支配していた。



 だがその影でレイシーの冷たい笑みがひっそりと身を潜めてこちらを見ている。



 駆け巡る声、台詞、言葉。それが意味するものは一体。


 こん、こん。



 少し躊躇したノックが雨の音に混じる。


「・・・・・開いている」


 エリエステスはどこか遠い声で返事を返すと、ねずみが巣から飛び出すように素早くパディの華奢な体が滑り込んできた。パディは急いで扉を閉めると、妙に久々に感じるエリエステスの横顔を半眼で睨んだ。


 蛍光灯と黒い空のコントラストで横顔ははっきりとなだらかに浮かび上がっている。


 一瞬エリエステスじゃない、別の人物に見えてパディは心臓を躍らせた。全く別の女が座ってるように見えたからだ。パディの中のエリエステスはいつだって猛々しい。女という以前に人間の匂いがしなかった。はむかうものは全て食い殺す、獰猛な肉食獣のようにしか見えなかった。


 それが今は単なる女だ。獣でもない、軍人でもない、町に住むのような女。


 カルアはこの姿を見て凹んでいたのだろうか、とパディがそこまで思考を巡らせる前にエリエステスが遠い目をしたまま口を開いた。


「勉強ははかどっているのか?」


 パディは一気に思考から引きずりだされ、言っている意味が一瞬理解できずにただ「ああ」とぼんやり答えた。


「そうか。それはいい。お前はセロ様とラス様の言うところの「知る者」らしいからな。・・・家庭教師を手配しておいてよかった」


 抑揚が全くなかった。あらかじめ決めていた台詞をただ言っただけのように無感情でそれを本当に言っているようには思えなかった。パディはようやく元に戻った頭を回転させ、エリエステスを強く睨んだ。


「・・・・・そのセロとラスに聞いた」
「何をだ」
「すっ呆けてるじゃねえよ。・・・・女王のことだ。・・・・知ってるんだろ。何で最初に言わなかった」


 エリテステスは中々口を開かない。横を向いたままただ目を伏せた。思ったよりも長いまつげが頬に影を作り、余計にエリエステスはエリエステスらしくなくなっていった。


「・・・・・・そうか、聞いたか・・・・。最初から言わなかったのは、お前が自ら進んで知ろうと思い、知った方がいいと思ったからだ。・・・・・・それで?お前は何かに疑問を持っているのだろう?」
「・・・・その通りだ」


 パディは普段と違うエリエステスに躊躇しながらも一歩近づく。


「女王は150年に一回「取り替えられる」。・・・・・本当の年は今よりプラス50・・・・だから逆に計算すると女王は1200・・・今から3年後に死ぬ予定だった」


 エリエステスの口だけが軽く笑い、声を上げた。


「よく勉強したね、かわいいベリーちゃん。・・・・そうだ。その通りだ。今は1197・・・・消えた50年は沈黙の50、哀れみの50年として隠されてきた」
「・・・・どうして隠す必要があるんだよ。意味ねえ」
「それはないさ。お前も知っての通り、神は50年かけて世界を作る・・・それを隠す必要性については・・・いずれわかるだろう。そして・・・・女王は・・女王になった日から150年の寿命を与えられる」
「人間をやめさせられる、の間違いだろ?」


 パディは少し光景を描く。若いまま150年保つ女王の姿を。誰もがあこがれることだと思う。パディ自身は何も思わないが、世間の数%はそうやって保ち、長く生きながらえられることをうらやましいと思うかもしれない。


 だがそれと同時に恐ろしいと思う。人間の定理から外れるからだ。誰もが考えている、人がどう変化して年老いて死んでいく道筋を女王は外れている。


 それは人々にどんな感情を植えつけるのか。


 そこまでは想像できなかったが、少なくともそれは気味の悪い話だ。


「・・・・・・・お前の言いたいことはよくわかるよ、ハニーちゃん。・・・・・だから女王自身も恐れる。人間ではなくなることを、人々から畏怖されることを。だかこれはしかたがない世界の理なのだ。・・・・どうすることもできない。でもどうにかしたい・・・・・そこで3代目からだったかな・・・・女王は自分の存在を隠した」


 そこでようやくエリエステスはパディに向いた。黒い背景に浮かび上がる彼女の隆起したたくましい体はやはりエリエステスだった。話しているうちに彼女の中の本能が復活したのだろう、今はまたいつもの猛々しい赤が、それでもまだ弱く灯っていた。


「150年生きていると悟られぬよう、顔を隠し、存在を隠匿し、または女王自身を摩り替えた。女王の代理を立てることはよくあったことだそうだよ。・・・・前女王もそうだった。人でないことが苦しく、150年という月日があまりに辛かった」


 エリエステスの赤い炎がまた消えそうなほど揺らいだ。女王について話す彼女はどこまでも自分のことのように痛々しく話す。パディはだんだんと見ているのが辛くなり、まずは眉間のしわを解いた。


「・・・・・でもその女王は設定した年よりも早く死んだ・・・。・・・どうしてだ?まさか病死ってこともねえだろ?・・・まあ妥当なのは殺された、とかだな」
「それをどうしてセロ様とラス様ではなく私に聞こうと思った?」


 パディは一瞬の間をフルに使い、考えをまとめた。


 若いままを保つ女王とエリエステスの写真。そのことはまだ言わなくていい、という信号がかすかに点滅した。


「・・・セロとラスは答えなかった。お前に聞いたのは・・・・単なる勘だ」
「それはそれは・・・・中々頼りになる勘だ。それでぜひとも天気を当ててほしいものだね」


 言いながら皮肉気に笑い、エリエステスは眼光弱くパディを見据える。


「ではこういうのはどうだ?」


 ぴん、と人差し指を立てる。おどけるようにくるくると指を回したがその顔は酷く真剣だ、ということに本人は気づいているのだろうか。パディはただ黙って食い入るしかできず、次の言葉を真面目に待った。


 
 そして言葉が紡がれる。


 
 
「私が女王を殺した」


 

 エリエステスの言葉がパディの言葉を重く沈めていく。空気も根こそぎ奪われていくような疾走感。


「なんて、冗談だ。・・・・・そんな真面目な顔は似合わないよ、かわいいシュガーちゃん」


 
 やはり気づいていないのだろうか。自分の顔が真剣にこわばっていることに。


 
 パディはまだ声を出せない。冗談だ、と緩められても重さは重圧を増すばかり。


 
 黒い雨が激しく窓ガラスを打つ。また強くなっているようだった。


 
 雨の音ばかりが耳を劈く。鼓膜を細かく打っていく。


「・・・・・・・・・・・」


 言いたいことはたくさんある。全てにおいて文句も言える。なのにあと一歩のところで封じられている。


 パディはもがき苦しみ、眉間に再びしわを刻み、拳を固めて必死に呼吸を繰り返した。



「・・・・・・・・冗談の通じない子だ」


 エリエステスは雨と共に笑った。

 だがさらに大きな衝撃を与える、小さな悲鳴によって全て消えた。







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