| 始めの兆候が現れたのはいつだっただろうか。 気がつけば両親が自分に畏怖の念を抱いていた。 毎日怯え、毎日恐れられる。 一体それがどれだけ苦しかったか。 だがその後突然現れた「赤」の衝撃によって全てはどうでもよくなるなんて、人生がそのとき以上に苦しいものに、悲しい道へと進むなんて誰が思っただろう。 この糸を断ち切ってしまいたい。 何度ナイフをこの胸につきたてようとしたか。つきたてたか。道をふさいでしまおうと思ったか。ナイフが銀色にいやらしく濡れて光るたびに「ああもうこれで終わりだ」と感じた。 でもそれは許されなかった。 それは世界の理、世界の理由、神のわがまま。 「・・・・・・死ぬことも許されないなんて・・・・」 乾いた音を立ててナイフが落ちる。首筋には一筋の跡もついていなかった。 ウナはいらだちながらナイフを踏み潰し、舌を思い切り噛んだ。口の中で広がる「赤」はあの時見た絶望の「赤」と開放の「白」の味がした。 ダークオレンジ 14 どんどんどんどん! 扉が破れそうな音を世話しなく立てて揺れた。 パディとエリテステスは弾かれたようにとっさにそちらを向き、エリエステスは頭を抑えながら「開いている」と少し声を大きくして言った。それと同時にカルアが転がり入り、蒼白な顔をエリエステスに向けた。 「何事だ・・・・」 「エ・・・エ、エリエステス大佐・・・・!ウナ様が・・・・!」 よっぽど焦って走ってきたのかカルアは途切れ途切れに言い、かがんで両手をひざに置いて肩で息をする。 エリエステスは頭に当ててた手を顔に滑らせ「またか」と小さくつぶやいて勢いよく立ち上がった。 「カルア少尉、今、ウナ様を誰か見ているか?」 「は・・・・はい。メイドのラミィが・・・・・」 「そうか・・・・。・・・・傷つかなければいいが」 言いながらエリエステスはパディの横を通り過ぎる。マントが軽やかに翻り、その隙間から見える彼女の顔はもう「大佐」に戻っていた。いつもの凛々しい顔が扉を向いている。 「・・・・何かあったのかよ」 「お前も来るといい。女王になるものの苦痛を見ておけ」 横目でちらりとだけパディを見る。その目はもはや女の姿は存在しない。深い紺は赤へとたぎっていた。 パディは少し躊躇したが、女王のことを知った今は色々が気になり、行くことにした。 「ま・・・ま・・・・・」 後ろでまだカルアが息を切らしていたが、パディは気にせず扉をくぐった。 「おい、エース!・・・・一体何なんだよ」 「自傷癖だ」 「・・・・・・はあ?誰が」 「ウナ様だよ」 エリエステスの一歩が大きいため、パディは小走りでついていかなくてはならない。ゆるぎない一歩一歩は少しも焦っていなかったが、声を聞く限りではどちらかというと困っているようだった。 「お前も知ったのならわかるだろう?女王になるという大いなる不安が」 「・・・・・・・・・・・」 セロやラス、ティティの言葉からわかった女王の存在。聞くたびにパディの中で女王は得体の知れない怪物へ変化していく。人間の皮を突き破り、醜い骨や肉が飛び出していくような痛みを伴う・・・・それに似た恐怖だ。元は人間だとわかっても躊躇する存在。今なら市民に女王のことが知らされていなかった理由がわかる。 第三者がこうして恐怖を胸に抱いているのに、本人にはどれだけの苦痛が伴うのだろうか?想像する域を越してしまう。 ただ今は「自傷癖」という単語だけが真新しく体内で浮いているだけだ。 見慣れたウナの部屋の前まで着くと数名の軍人が覗き込むように固まっていた。 その集団の一人がエリエステスを見つけるやいなや顔を斜めにゆがませて猫が笑うように口を細く引き伸ばした。 「・・・・・・おや、エリエステス大佐。遅いおつきで」 「生憎と忙しい身でね。・・・・・おや、ライス大佐。もしかして私の参上を待っていたのかな?私でないとウナ様は扱えませんからね・・・・」 「こちらも生憎と獣の調教はできないのでね。これは猛獣使いにと思いましてな・・・・・おや、そちらにいるのはもしやパディ・デュランダではないか?」 何度も浴びせられた自分の名前と皮肉と侮蔑のこもった声にパディはいやいや顔を上げた。 軍人しては珍しくラフなスタイルの男が猫背気味にパディをなめるように見ている。ハリネズミのようなつんつんした髪がおもしろかたが、言うことはあからさまな嫌味をこめて言っているため第一印象は最悪だった。 「ふうん・・・・・はじめてみるが、本当に女の子のようだね・・・・これで本当に覚醒とやらができるのか。・・・・・中々に楽しみですなあ、エリエステス大佐」 髪のようにちくちくと嫌味を言い続けるライス大佐にパディは顔を赤くして怒りに震えたが、エリエステスのさりげない一撃で声を失ってしまった。エリエステスは軽く鼻で笑い、パディの首根っこをつかんで大またに進んでいく。 「まったく・・・・・いつもながらライス大佐はちゃんと下々の方まで見てくれる。いちいち面倒なことを暇もないのにありがたい。私はいつも忙しくて見逃してしまうからなあ」 エリエステスも同じくらい皮肉に顔ゆがめると、舌打ちするライス大佐、続いて不安そうに覗き込んでいるバール少尉を通り越し、必死になだめるラミィの隣に立った。 「あ・・・・エリエステス様・・・・・」 「ラミィ、ご苦労だった。後はこのパディに任せるとしよう」 「はあ!?」 ずるずると首根っこをつかまれたままだったパディはそのまま放り上げられ、ウナの側で落っこちた。 状況はまだ全くできていない。そんな中いきなり放り込まれたため、余計に理解できなかった。とりあえず傷む全身をさすりながら立ち上がると、すぐ側にウナがいた。 「・・・・・・・・・・・」 ウナはパディを見つけると同時にナイフを振りかざした。 「うぉい!」 ぶおん、と風が断ち切れる。とっさによけるのは得意なため、一応避けれたが金髪が数本、流れ落ちた。 「何しやがる・・・・!」 立ち上がろうとしたそばからまたナイフが落ちる。転がりながらよけ、ウナをちらりと見ることに成功した。 いつもどおり、無表情で何の気配も発していない。だが目は怒りに震えていた。透明な瞳の奥はマグマのように赤く噴出し、かと思えば氷のように冷たい刃がパディを刺す。 「エ・・・・エース!一体なんだよ、これ・・・・!」 舌を噛みそうになりながらもさらに振ってくるナイフをよけ、ようやく立ち上がってエリエステスに近づいた。 彼女はいたって普通に肩を軽くすくめ「いつもどおりだ」と何事もないようにあっさり言い放った。 「これが、普通なわけねえだろ!?」 「いや、普通さ。・・・・・・言ったはずだ、ウナ様は心を閉じている。その分、抑圧された心がこうして一気に解放され、暴れだす・・・・それはウナ様が倒れるまで続く」 「なんだよそれ・・・・・・ぐあ!」 エリエステスの姿が一気に小さく引き下がる。彼女が動いたのではない、パディがウナに無理やり引き剥がされたからだった。 パディの脳が状況を把握した瞬間、ウナのナイフが喉元に冷たくあてがわれた。 「こいつを殺す、殺されたくなかったらここから出せ!」 いつものウナの声ではなかった。抑揚のない小さな声は今はどこにもない。今吼えるこの声は低く、獣が泣き叫んでいるようだった。咆哮があがるたびに痛みが混じる。 そう、ウナは泣いていた。 己の心に潜むものと、女王のプレッシャーとの間で激しく泣き続けている。 その声はパディの耳元にはっきりと届いた。そして女王になる辛さがウナの涙と共にこれでもかと首から背中に伝わってきた。 「・・・・幸せな幸せなパディ・デュランダ」 甘い声を含ませてウナの小さな顔が首筋に擦り寄る。パディは一瞬にして鳥肌が開花し、恐怖を覚えた。右からはナイフの冷たさが、左からはウナの柔らかい暖かさが襲う。徐々に混乱していく頭をなんとか必死に押しとどめ、パディはここにいるんだ、という感覚を高めた。 「女王になる苦しさを知らない。無理やり今から150年も生きる苦しさも!・・・・・死ねないのよ?死ぬことを許されないのよ・・・・・・自分でナイフを立てることもできない!首をつることだって、上から落ちることだって!!・・・・・・今日は舌を噛み切ってやったわ」 パディはいつの間にか震え始めている体を必死に保たせ、ゆっくりと目を下に向けた。 そこにはウナの真っ赤な舌がはいずっていた。人の一部だというのに虫のようにぬらぬらと唾液で肌を光らせながらうごめく。 「・・・・・・・でも治る。・・・・・何に対しても私には開放はない。・・・・・・ずるい、パディ・デュランダ。私を覚醒させて、それでおしまい。・・・・・なんて無駄な存在!」 ウナは舌を動かしながら吐き出すように小刻みに笑った。しかしパディの表情は返ってみるみる冷めていった。 「・・・・・・・んなこと、知るか」 自分でも驚くぐらい冷静な声が出た。そんな自分にパディは少し驚いたが、ウナはもっと驚いたようだった。ナイフがほんのわずか震え、息が止まった。 パディはその隙にナイフを手で奪い取り、ウナのみぞおちにひじを入れた。 「・・・・・・!」 ひゅ、とウナの息の欠片がパディの首筋で消える。パディはウナがよろめきながら崩れていくのを背中で感じ、床にひれ伏すと同時に振り返った。 その瞬間、パディの耳が元に戻る。世界が再びウナの部屋という他愛もない空間に戻った。 それまでウナに引きずり込まれていたことに気づき、パディは余裕のできた瞳でエリエステスを睨んだ。彼女はあきれながらも満足そうに口を引き伸ばしている。 パディは舌打ち交じりにウナを見下ろした。意識はあるのか、悔しそうにうめき声をあげて腹を押さえ込んで震えている。 パディはそっと目を細めた。血が思い出したようにぽた、と落ちた。 「知るか・・・・全部・・・。全てはなるようにしかならねえよ」 うるさい、とぐぐもった声でウナが言ったような気がした。実際は捉えられた獣のように腹から噴出す怒りのうめき声だったのだが。 パディはナイフを遠くに捨てると、そっとしゃがんだ。そしてウナにしか聞こえないようにそっと声を出す。 「・・・・・・・おい。・・・・・・お前、150年強制的にって思ってるだろ?・・・・・・じゃあ何で前の女王は5年も早くに死んだ?」 ウナの体が大きく痙攣した。そして口の中で台詞を食い殺しながら顔をパディに向ける。その顔は本当に獣のようだった。食いしばりすぎた歯からは血がにじみ、口の端からはよだれの泡が吹き出している。目は血走り・・・・そして封じられているようにいつも髪がかかっている目には・・・・パディの見間違いかもしれない。 ウナの片目は這い蹲る虫が張り付くように隆起したやけど跡が大きくこびりついていた。 パディは軽く顔をしかめたが、ウナは気づいていないようだった。 「・・・・どういうこと・・・・・パディ・・・・・」 「うっせえな、何度も言わすなクソ女。・・・・・・俺だって帰る場所なんてねえよ。・・・・だからもう、知るしかできない。・・・・・・わかるか、クソやろう」 「・・・・・・・・・」 ウナは這い蹲りながら腕を動かし、パディに近づく。 「・・・・・・あんた、私に同情してるわけ?」 「生憎、んなヤサシイ感情は持ってねえよ。ただ、知りたいだけだ。そのためにお前を利用する、それだけだ文句あっか」 パディは心底嫌そうに眉間にしわを寄せたが、翡翠色の大きな瞳は少しだけ穏やかだった。ウナは緑の目を射るように見つめると、鼻から軽く笑い声を漏らした。 「・・・・・・・わかった。利用されてあげる、愚かな鍵。・・・・・・そうね、私も利がある。・・・・私も女王から逃げるためにあんたを利用してあげる」 ウナは痙攣するような笑い声を何度もあげながら手を伸ばした。パディもまた皮肉気に顔を斜めにゆがませながら手を取った。 「成立だな」 「そうね」 二人は同時に立ち上がり、鼻で笑う。 「少しでも役に立たないなら、世界から抹消してあげる、パディ」 「上等だ、やれるもんならやってみろよ。こっちこそクズほども役に立たなかったらクソ溜めに放り込むぞ、ウナ」 ひきぎるように二人は手を離し、何事もなかったように入り口を向いた。 いつの間にかギャラリーはエリエステスとラミィ、いつ来たのかわからないがカルアにティティだけになっていた。 ウナを部屋に残し、パディは扉へと近づく。 「・・・・・・覚醒の第一歩を踏み出した、というところかな?ハニーちゃん」 「知るかよ、筋肉女。黙ってスクワットでもやってろ」 エリエステス、カルア、ラミィにティティの側を通り過ぎ、パディはそのまま部屋に帰っていった。 裂かれた手が寄生を発するように黄色い痛みを訴えていたが、今日という始まりを覚えておくには丁度いい痛みだった。 1147年。 正式には1197年。 さらに女王のことが明るみになるのはこれより先のこと。 そして歴史に深く刻まれることとなる、3年間に及ぶ恐怖の争いが始まったのもこの年であった。 第二章 完 第三章に続く |