| 完熟しきった朱色帯びる赤をむき出しにした林檎が白い歯でつぶされるように砕かれていく。しゃく、しゃく、と妙にリズムに乗った音は蝋人形館を彷彿とさせる視線だけが交わる生気のない静寂な間の隅々に響き渡る。 褐色の肌を流れる甘い汁は静けさで鋭くなった嗅覚を容赦なく襲い、心音と混じりながら頭の中を混乱させていく。 振り切るか酔いしれるか。 選択するまでもなく、ニースは筋の浮いたこめかみを抑えながらぎょろりとひん剥かれた目だけを動かし、ディアンダの手元を見てから舐めるように彼女の顔を睨んだ。 「ディアンダ。目障りだ、食うな」 「あら」 ディアンダは一口かじり、純粋に目を丸くしてニースに向く。 「食べ物を目の前にして食べるなというの?これは「食べてください」って置いてあるものなんだからいいじゃない。それに林檎、好きなのよ」 口紅のはげたくちびるを細く吊り上げ、再び口を動かした。ニースは少し黙り、こめかみを指でなでた。 「どうしても食べるなって言うんだったら世間話でもしてちょうだい。静かな空間っておなか減るのよ」 「まあ辛抱しましょう」 そうなだめるのはやはり肉厚なニコルだった。彼はどこを見ているかわからないほど肉に埋もれた瞼をディアンダに向け、ほのかに笑って見せた。 「ディアンダ姫。堅苦しくとも一応これもマナー。しばらく待ってから食べてください」 「・・・・・・はーい。わかったわ」 林檎が滑り落ち、無残にも下の床に叩きつけられた。ディアンダは口を曲げ「なんて矛盾」と心底つまらない声を出して名残惜しそうに指を舐める。 全てのなだめ役ニコルの声は黒さを持っていない。言うなら濃厚なミルククリームが詰まっていそうだ。各国の短気な人々も彼の一声で沈黙する。ばらばらのおはじきのように転々とした国をまとめる連合国を纏め上げ、本来なら発言権などないはずの小さな国がこのような場に出席できるのは彼だからこそだろう。ニコルの優しさと静寂は誰にも叶わない。 それはディアンダもニースもわかっている。だからこそ黙った。今は。 きらびやかな装飾品でゆれるディアンダの耳がかすかに動いた。 「エリエステス・ランファル・フィルデフィラです。遅刻して申し訳なかった」 「マルシャル=レイシー・コーズウェルです。同じく、遅刻をして申し訳ない」 何もかもが抜け落ちていた白にもなりきれない暗雲たる空っぽの部屋が急速に激しい色と生気に満ち溢れる。それに同調するようにニースは鼻息を漏らし、ニコルは目を必死にひん剥き、ディアンダは笑った。沈黙を保つイアンだけは沈黙している。 「・・・・・ふふ、あっやしー二人の登場ね。待ってたわ、すっごく。待ちくたびれて腐っちゃうかと思ったわ」 つん、と酸味の強い気だるい甘さが鼻を刺激する。 林檎が、茶色く溶けていく匂いだとわかったのはずいぶんと後のことだった。 イエローサイレン 2 枯葉を積むように5賢者たちの手がこすりあわされる。 「では話し合いを」「それぞれ意見の交換を」「何の疑問もなく」「理由を明確に」「まずはディアンダから」 もっとも権力を持つ最高の人物たちはそれぞれ一言だけ言うと老木の体にこうべを乗せ、体を引く。基本的に彼らは話を聞き、軽くまとめるだけで参加はほとんどない。そういうこととなれば全ての実権はエリエステスに渡る。 若き女大佐について良いと思っている人は少ない。市民や同部隊の人々からは羨望のまなざしが来るが、後は疎ましいと露骨に灰色ににごった目を向けるばかり。 エリエステスはここにもそういう目があることを知っているため、今は部屋と同化するように沈黙することを決め、ただ目だけをディアンダに向けた。 甘ったるい芳香を浮かべながらディアンダは意気揚々と立ち上がり、くすくすと空気だけを揺らして笑った。 「・・・・・・私、まどろっこしいことは嫌いなの。だから単刀直入に言うけれど。みんなも知っての通り、私はこの国が欲しいわ」 事前に届いていた手紙にも似たようなことが書いてあった。だから場の空気は少しも揺るがない。だが人によってはこう思い、ひそかに心動かすだろう。 宣戦布告。 ディアンダは戦を望み、自らを女王と名乗りたいと欲望をたぎらせている。 誰よりも先に目を細め、この無邪気とも取れる姫の発言に苦笑したのはせっかちなニースだった。 「ディアンダ、言葉がすぎるぞ。ラスティカを?自分の力量を踏まえての発言か、それは」 やはり、とニコルは余計に肉に埋まりながら息をついた。 「ニースさん、もう少しディアンダさんから話を聞きましょう」 「ふん、聞くも何もディアンダはこういいたいのだろう?面倒だから手っ取り早く力ずくで、とな」 「あら、嫌だ。私、こう見えても平和主義よ」 「どうだかね!」 ニースは鼻息荒くディアンダをぎょろぎょろと見つめ、小さく息の塊を吐き捨ててふんぞり返った。 「女王が死んだから次は私が?ふん、もう女王は決まっているのだろう?」 「でもまだ「候補」なんでしょう?なら今から私が名乗りを挙げてもいいじゃない」 「そういう問題では・・・・」 「ちょっと待ってください」 妙にトーンの落ち着き払った冷たい声が白熱し始める二人を一気に凍らす。言わずもがな、通称氷の女王と呼ばれるマルシャル=レイシーだ。彼は二人を冷たく見据え、無言で攻撃をする。 「・・・・・・・なんだね、マルシャル=レイシー」 ニースは改めて声を発し、前のめりに姿勢を直した。 「二人だけで話を進めてもらっては困ると、場の空気が言っていますが?どうでしょう、ニコル王」 ニコルは差して気にしていなかったのか柔らかく「そうですね」と軽く頷いた。 「それにこのままでは日が暮れてしまう。まずはディアンダ姫、事の詳細と今後の意思表明をお願いしたい」 ディアンダは笑ったまま「そうね、レイシーの言うとおりだわ」と座った。 「これも単刀直入に言うけど、もう口を挟まないで頂戴。私、話の腰を折られるの実は嫌いなのよニース」 「ニース「大佐」だ」 「嫌いって言ったはずよ、ニース「大佐」。・・・・・まあいいわ」 暑苦しそうにニースを睨み、たっぷりとした髪をかきあげてから一呼吸置き、ディアンダは声を重そうに発した。 「私の両親が反女王派、というのはみんな知っての通りね。それで殺されたのもまた明確なる事実。だからといって恨んでいるといえばいるけど、それは直接関係しないわ。私はただ単に女王になりたいの。女王となり、私が世界を動かす。・・・・・誰も反することのできない世界、誰もそんなつまらないことで死なない世界を。・・・・どう?私なりにちゃーんと考えたのよ」 くすくす、と逆なでする笑い声が静かに全員の耳の鼓膜をつつく。それに苛立ちを隠せないのはやはりニースだったが、珍しく先に意見を出したのは気配すら感じない沈黙のイアンだった。 「筋は通っている。しかしそれでもまだ、限定版欲しさにあれやこれやと手を回す輩に似ている。ただそれだけのわがままで戦を起こしては困る」 器用に片眉だけ大きく吊り上げ、筋張った額をディアンダに向けた。 「何よ。あんまり意見しないくせに、私には言うってわけ?」 ディアンダはふざけるようにイアンのまねをして眉をあげ、肩をすくめたが威圧を含んだくちびるはゆとりたっぷりに笑みが膿んでいる。 「酷いわね、みんな。私が単刀直入に言えばもっと説明的に、説明的に言ったら言ったで否定するわ、結局最初に言った言葉に戻るわ・・・。じゃあ何よ。みんはどうしたいの?」 くちびるの果実がはじけ、ディアンダは満面の笑みの中に黒い一点を頬張る。暗黒を取り入れた彼女の顔は地底奥深くからはいずる禍々しいものに見えた。 呪詛を飛ばすように整った爪の先が全員を一人一人指していく。 「知ってるわよ。影でこっそーり女王の悪口言ってるの。わかってるわよ。本当はこの世界のシステムがどうなっているか、一体どこに自分の意思があるのか不安でたまらないことを・・・・」 ディアンダは高々に笑い、その爪を真っ赤な林檎に食い込ませる。つぷん、と皮を突き破り妙に強く甘い芳香が立ち上り、暑さと混じって全員の思考を絡め取っていく。 「そんなこと思っても自分は自分・・一体何がどう疑問か?確かにそう思う人も少なくない・・・でもここにいる全員。そう、全員ね。・・・・私たちは弱いわ。女王に近かったせいかしらね?・・・・どうかしら。エリエステス「大佐」?」 やや俯きながら黙って耳のみを傾ける若き女大佐は、突然の己の名前にわずかに体を痙攣させた。見ると、ディアンダは相変わらず余裕たっぷりの笑みでこちらを見据えていた。同じ目の高さにいるというのに彼女はエリエステスを見下しているような視線。エリエステスは胸にかすかな苛立ちを抱えながらゆっくり立ち上がった。 「・・・・・・女王は」 言いかけて少し止まる。鋭くも猛々しい目線の先には世界のしわを寄せに寄せた5賢者が沈黙に浸りながら座っている。しかし5人の枯葉老人たちの目はまだしぼんではいない。口は堅く閉ざしたまま、エリエステスに言う。 女王のことは話すな。 エリエステスは瞼の中で軽く頭を下げると、言葉を消して他の言葉を掘り出した。 「女王候補は候補であり、決定だ。ディアンダ姫が挙手したところでこのことは決定事項。戦を起こす意味も・・・いや、そもそもこうして会議を開くことだって全くの無意味」 「そうかしら?」 淡々と低く述べる彼女の台詞をディアンダは明るく打ち消す。無邪気にぱちくりと何度も瞬きし、林檎のように甘い芳香を立ち上らせながら髪をかき上げる。 「まだ序盤しか話してないのに無意味はないでしょ?・・・・ねえ、エリエステス「大佐」。ここにあなたの味方が何人いる?」 甘い匂いが腐っていく。含む一つ一つの言葉が膿んでいる。膿みはやがて一つの大きな腫瘍となり、エリエステスを睨みつける。 全ての目線が瞬間に凍りつく。 何に対しての「味方」か。 エリエステスは迷った子供の瞳で辺りを見渡す。その視線は迷い果て、最後にかつての友にたどり着く。 君を裏切る。 氷よりも硬く冷たい目が言葉を語る。その奥はやはりわからないままだった。 エリエステスは心の中で頭を振り、妄執を切り捨てた。 「味方、とはどういった味方かな?」 「それはお任せするわ。少しでも動揺してくれたら幸いよ。・・・・さて、続けましょうか。ええと・・・そう。とりあえず私の最終意見だけど」 片目を瞑り、人差し指を掲げる。口元は相変わらず楽しそうに膨らんで、台詞を言いたくてたまらないと震えていた。 「私はこの国が、世界が欲しい。そしてシステムを変える。・・・・・戦はしてもしなくてもいいわ。そこの大佐ちゃんがいいよって言ってくれるなら」 開いているもう片方の目がエリエステスを縛り付ける。 ラスティカと女王を渡すか。渡せばそれでよし、渡さぬ場合は・・・・・。 答えなど胸に聞かずともすでに用意されている。在りし日の思い出と共に。女王との記憶が、女王の言葉一つ一つがエリエステスの体に染み付いている。 エリエステスの紫紺の瞳が炎よりも熱く、灼熱を抱いて部屋中を燃やし尽くす。 「この国も女王も渡さない。世界の決定は覆されない!」 断固として動かぬ台詞が生み出される。 どんなざわめきもエリエステスの言葉の前では無力。全員、黙って机とにらみ合った。机に映る顔は本物の顔か。深刻な表情の裏に策略含む笑みが混じっていないか。それは今はわからない。だが笑みを浮かべているのはディアンダのみ。 「・・・・・・やっぱりね」 強く、芳香が上る。腐臭と混じるディアンダの香水の匂いがいやらしくそれぞれにまとわり付く。 「・・・・・考えろ。世界が決定したことに、何の不満がある?操られている?愚かにもほどがある!現に私たちは世界に脅威を及ぼすかもしれない話し合いをしているというのに、それぞれ無事だ。・・・もし操られているのなら、この話し合い・・・・いや、お前たちが生まれることはなかった」 エリエステスの炎がディアンダの匂いを消していく。だが寸前のところで、ディアンダは踏ん張り、エリエステスの咆哮を一心に受けながらもまだ笑う。 「そうね・・・・そうね!そうよ、それは一理あるわ。確かにことは世界にとって不利な展開にあってもこうして無言でいる。・・・・・・で?だから何?」 ぶわ、と一陣の風が吹いたような気がした。 ディアンダの匂いが強くなり、エリエステスは眉間にしわを寄せてしかめる。 「だとしても。世界がどうでも。・・・・・私はそれを指摘しているわけじゃない。それにだから「じゃあやめましょう」というわけにもいかないわ。私は私の意志を通す。・・・いいわ!」 ばん! 衝撃が走り、全員意識を取り戻したように肩を震わせて顔を上げた。 ディアンダは机を叩いたままのポーズでエリエステスを下から上に舐めるようににらみつけた。 「宣戦布告、しましょう」 「ディアンダ!!」 誰の声だったかはわからない。ニースかニコルか、イアンか・・・はたまたレイシーに似ていたかもしれない。今、この空間で動けないでいるのはエリエステス一人。 予想していたのに体が拒絶する。 ああ、世界が崩れる!と嘆いてわなないている。 「もう面倒だわ。いっそ戦いましょう、納得いくまで。・・・あははははは・・・はは!お祭り、お祭りね!!・・・・素敵な謝肉祭になりそうだわ!」 かなきり声の笑いを高らかに上げ、ディアンダは一人背を向ける。 「・・・・・・我に同意するもの、胸に甘き芳香を抱いて集え」 呪いの言葉を吐きかけるようにディアンダは打って変わって沼のように深く冷たい声を発し、その場を後にした。来たときと同様、大またで颯爽と。止める者は誰もいない。いや、誰も止めることなどできなかった。 エリエステスはただ呆然と。他の人々は新たに芽吹いた芽の意味を解釈するため、そしてレイシーは無感動に。 「愚かなり」「戦だ」「女王のために戦おう」「世界のために」「色彩を保つために」 5賢者はのうのうと歌い、席を立った。 「・・・・・・・出方を考えさせてもらう」 次にニースが眉間と額に筋という筋を浮かべ、立ち去り、次に無言でイアン、笑顔のままのニコルが出て行った。 「・・・・エリエステス大佐。あなたに味方がどれだけ付くか、予想をしておかなければ後で戸惑うかもしれない」 「・・・・・・ニコル王。何か知っていて私にそれを言うか」 「いいや・・・・・まだ何もわからない。・・・・・こちらも出方を考えさせていただこう。・・・それでは」 ニコルは最後に軽く会釈をし、肉を揺らして消えていく。 残ったのは冷たい空気と疲れ果てた炎の残骸。 エリエステスは拳を強く、限りなく強く握り締め、割れんばかりの勢いと力で机を殴った。骨がぶつかる音と筋が切れる悲鳴がむなしく響く。 「・・・・・レイシー・・」 エリエステスは深く、顔を伏せたままマルシャルの名を紡ぐ。 「・・・・・明日、正午。話したいことがある」 覚悟していたようにレイシーはまつげで軽く目を隠し、軽く「ああ」とつぶやく。 「正式に、だ。そちらのリーレンの話も聞きたい」 レイシーは目を瞑り「わかった」と頷いて立ち上がる。 「・・・・・正式な話し合いの後。何か用事は入ってるかな?」 エリエステスは無言で首を振り、拳を緩めた。その間にレイシーは背を向け、扉へ歩み始める。 「ではその後。正式ではない話でもしよう。二人で、のんびりと。・・・・どうかな?」 「・・・・・・ああ」 エリエステスは頷き、顔をゆっくり上げた。いつの間にか浮かび上がっていた脂汗が音もなく机にぽたりと痕跡を残す。レイシーの姿はもう半分、消えていた。遠い背中を見つめ、エリエステスはくちびるのみを動かす。 その無言の悲鳴は彼女以外、誰もわかる者はいなかった。 |