あの日から一つの台詞がぐるぐると何度も何度も頭の中を往復している。

 まるで城のある一部分だけ行きかいする、この足のように。


 ―私が女王を殺した。


 真意は定かではない。


 だが一つ言えることがある。


 あの時の彼女の顔は、泣いていた。


 それは事実であり、妄想だ。





   イエローサイレン 3


 城の様子が徐々に騒がしくなっている。

 とはいえ、音量はさして変わらない。平穏をかたどる鳥の声やメイドたちの笑い声、冗談を交わす兵士たちの声すら聞こえる。それらを合わせても騒がしい、と耳をふさぐまで至らない。

 だがパディは肌でぴりぴりと感じていた。

 文字通り、ぴりぴりする。まるで薄く肌をめくり、皮をむいた桃に似た果実の肉を乾いた手で触るような言いようのない痛み。薄く汁を滴らせ、赤い血を入り混じらせる。

 もしかするとうるさいのは自分の体の中だろうか。

 パディは部屋にあるソファに小さく体を入れながら体内を探る。


 ―私が女王を殺した。


 目を瞑ればすぐにエリエステスの顔が思い出される。あの時の彼女の顔はパディが嫌でも「女」の顔をしていた。一体それが何を意味し、何を伝えようとしていたのかはわからない。ただうるさく、体内を駆けているだけだ。

 そして今朝の顔。隣にいるマルシャル。寒いわけでもないのに鳥肌が立ち、凍えそうだと足が身震いする。あの時のエリエステスの顔もまたいつもと違い、沈んでいた。昨日聞いた低い声と表情が入り混じり、やはり駆け巡る。

 うるさいのはそのせいか。

 パディはひざに顔を埋めたまま半眼で、文様が網羅している塵一つない絨毯を睨みつける。

 いや、違う。もちろんその思いもあって「騒がしい」と感じる。だがやはり場内はそれを抜いても騒がしい。落ち着きがない、と言った方がしっくりくるかもしれない。


 何かが始まる。


「その通り」


 扉が驚くほど無音で開き、一瞬幽霊でも入ってきたかと錯覚するほど色素の薄いウナの薄い体が滑り込んできた。

「何かが起こる」

 パディは侵入者といっても過言ではない、時期女王を強く半眼で睨んだまま姿勢を解いて大きくソファにふんぞり返った。

「何でお前なんかにわかる?」
「さあ」

 ウナは瞬き一つせずパディに近寄り、正面に座った。そのときも音はしない。本当はここに実在してないんじゃないか、とパディはたまに思う。

「そんなはずないでしょ」
「・・・・・・前から聞きたかったんだが。・・・・なんで俺の思考に答えんだ、クソウナ」
「さあ」

 ウナは先ほどと同じ答え方をし、ソファに寄りかかった。

「まさか俺の考えが読める、とかじゃ」
「さあ」

 言い終わる前にウナは切り捨て、パディが飲んでいた冷えた紅茶を素早く奪い、一気に飲み干した。

 パディは激しく文句を言いたかったが、ぐっと堪えて(でも舌打ちは出てしまったが)ウナを半眼でにらみつけたまま他の言葉を探った。

「ティティのやつを知らないか?」
「ラミィ」
「は?」
「のとこ。ナンパしてた」

 パディの体が思わず傾いた。

 幼い頃より知る兄貴分ティティは早くから黒に染まった土地で黒く染まっていたが、内側が染まることはなかった。あまりにもあっけらかんとし、明るくのんきすぎる性格のため。どこでも順応し、どこでも仲間を作っては笑い倒す。男でも女でも、彼の魅力は十分発揮されていた。

 まさかここでもそんなに順応できるとは。

 パディはあきれることもできず、無心で顔を引きつらせた。

「ま・・・もう教わることなんぞねえがな」
「女王のこと、どこまで知った?」

 ウナは空になった何の装飾もないただ白いカップの持ち手に指を入れながら器用にくるくる回し、遊びながらどこか夢うつつに尋ねる。というより、独り言に近かった。


 時期女王候補と女王の心を開く鍵。


 その関係は縮まっていない。先のウナ暴走事件にてこうして少しはまともに会話できるようになったが、それでも間にはまだ何かしら透明なプラスチック版が挟まっている。

 それにウナはやはり無気力だ。印象は変わらない。

 だからといってパディもそれ以上尋ねることも何もない。鍵だからウナをどうとか、とは全く考えてなかった。


 今はただ知りたい。


 癪に障るが、世界の意思を紡ぐセロとラスの予言した通り、パディはどうやら「知る者」だと自分の中でも理解してしまった。

 女王のこと、これから先のこと。どこに進むのだろうと心の奥底で少し考えながら「大体は」とウナの声に答える。

 ウナは「そう」と興味なさそうに鼻を鳴らし、カップを机においてソファから離れた。

「何で5年も早く死んだか・・・わかる?パディ・デュランダ」

 薄い窓ガラスにウナの指がか細く映る。今日も空は透明な青を紡ぎ、映し出している。白く反射する太陽光が生き生きと世界を喜びに持ち上げている。だというのにウナの表情は晴れない。もちろんパディも。数々の言葉がこびりついて離れず、苛立つ。

「知るかよ。・・・・・そのことをエースのやつに今日、聞こうと思ってる」
「・・・・・・そう。じゃあこのことぐらい知っておくといい」

 ウナは振り返り、左手を肩の高さまで上げる。パディはわからずぼんやり見ていると、次は右手にナイフが握られた。ウナが暴走したとき、パディに突きつけたナイフと全く同じだ。血を吸ったことなどすっかり忘れ、ナイフは無感情に光る。


 それはおもむろに、ウナの傷一つない真っ白すぎる透明な手に、


「お・・・・おい!」


 ぱちん、とパディの中でぼんやりしていたシャボン玉の意識が爆ぜ、急いでウナの元へ駆け寄った。

 まるで何かのおもちゃのように、ウナの手の甲にナイフが突き刺さっている。痛みはないのか、それとも堪えているのか彼女の表情は変わらない。そんな中一人で騒いでいる自分はなんて間抜けだ、と思いながら異様な光景にパディはただ苛立ちで胃が溶けそうになる。

 そんなパディの反応を楽しむわけでも哀れむわけでもなく、ウナはやはり刺した時と同じく無表情で引き抜く。その衝動で血が一気にあふれ出す。当たり前だ、手には穴がきっちりと開いている。

 しかし驚くのはこの後だった。

 ウナはナイフを下に置くと、血のせいでどんどん無気力になっていく左手に右手を添える。痛みで押さえたのではないようだ。文字通り、添えただけ。

 そしてしばしの間を置き、手を離す。


「・・・・・・・・はあ!?」


 パディが言えるのはそれだけだった。

「傷が・・・・・・・・・」
「前にも少し見たと思うけど。これが女王の力の一部。・・・・最悪。治りが早くなってる・・・・」

 ナイフが刺さったというショック以上にウナは醜悪なしわを顔中に寄せ、血の跡しか残っていない手を恨む。

「私が疑問に思ってること。・・・・・女王は世界のために150年生きなくてはならない。エゴで行き続けるのが義務。だけど何らかの事故はどこにでも潜んでいる・・・・・なのに女王は交代していない。なぜか・・・。それはわかったでしょ」

 血の跡を乱暴に服で拭うと、何もなかったようにナイフを拾い上げ、懐にしまった。

 ウナは自傷癖があると言う。もちろん、抑えていた衝動とどうしようもない思いで自分を傷つけるのかもしれない。だがそれ以上にウナは自分の体と戦っているように見えた。

「・・・・・他にも腹を刺してみたり首をつってみたりしたけど、助かるの。どうやっても「死ねない」体・・・・・!」

 白に近いウナの瞳が見る見る競りあがり、内に潜むヘドロ色の感情が噴出しそうになる。

「酷いでしょ・・・・・酷いわ・・・・!私ほど生きたくないと思う人はいないのに」

 パディの頭に疑問の文字すら浮かばない。どうしていいかわからず、結局立ち上がった体をソファにもう一度うずめた。
「・・・・・このことを交えて話すといいわ。・・・・・疲れた。帰る」

 ウナは鼻から軽く息を漏らすと、やはり何事もなかったように帰っていった。もちろんパディは引き止めず、ぼんやりソファで丸くなった。


 少し、眠ろう。


 体がパディの頭を気遣い、勝手に消灯した。心地よくも悪くもない、ただの眠りだった。










 こん、こん。


 辺りを気にするように控えめなノックがエリエステスの自室に響いた。

 非常に小さな音にも関わらず、エリエステスの体は大きく跳ね上がり、目は泳いでいた。疲れてるだけだ、と自分に言い聞かせながら「開いている」と普段通りの声を絞りだした。

 するり、と金色の髪が夜に浮かぶ。案の定、パディ・デュランダだった。

「本当に来るとは。そこまでして私に会いたかったかな?ハニーちゃん」
「うっせえよ。んなはずあるか」

 鼻息荒く半眼で睨みつけ、パディは勝手にソファに座った。ディスクに埋もれていたエリエステスも立ち上がり、パディの前にゆったり座った。

「それで。今朝も何か言いたそうだったが?」
「話すことはいくらでもある」
「女王のことか」
「そうだ」

 二人の会話はいつになく引っかからずに進む。今言えばなんでもきちんと返ってきそうだ、とパディは自然に前のめりになっていく。

「それは「女王」という位置について聞きたいのか、それとも先代女王のことについて聞きたいのか。まずそれからはっきりしよう」

 パディは少し躊躇し、「先代女王について」とエリエステスと目を合わせる。

 ほのかな明かりに照らされる紫紺の瞳は相変わらず底がしれない。ウナも相当わからぬ目をしているが、エリエステスはそれ以上にわからない。熱いかと思えば冷め切り、どこか泣きそうな目をしているくせに獣じみている。そこまでわかっているのなら、と思うがやはり「知れない」ものは知れない。

 その瞳が声なく「そうか」と伏せる。

「もう女王のことは知っているのなら・・・あとは他の女王について知るだけ、か。それもそうだな」
「俺はもう大体を知っている。・・・・女王の体が不死に近いものだってのも知っている」

 エリエステスの大きな体がかすかに動く。

「・・・・そうか。ウナ様が教えたのかな?」
「ああ」
「仲がずいぶん親密になってきているようで、よかった。目覚めの日も近いと願おう」

 どうだろうな、とパディは心の中で鼻を鳴らす。まだ何かがあって、いつからかできた疑問以上に何か頭をもたげている腫瘍は小さくなっていない。


「・・・・・女王は」


 エリエステスはひざに体を預け、目を細めた。女王、という単語を愛しむようにゆったりと紡いでいく。

「とてもわがままなお方だ。自分の思い通りにならなければ気がすまない、他の誰がどう言おうと揺るがない強い精神を持っている。・・・・・だからこそ、150年近く生きることができた。崩れることなく」

 エリエステスは今、思い出の中にいる。パディは想像の中でエリエステスと女王を浮かび上がらせる。写真で見た若い二人。どういった信頼関係であったかはわからないが、二人はとても近く、許しあっているように想像できた。

「文献に載っていた。他の女王は弱かった、と。・・・・・哀れみの50年は言ったな?・・・女王たちは自分が女王であることを恐れた。だから少しずつ、歴史の年号を改ざんした」

 パディは夢を見ているようにエリエステスの言葉を泳ぎながら「でも」と確かめるように自分の声を発した。

「神とやらは世界を作るのに50年かけた、とセロとラスのやつらが言っていた。なら・・」
「確かに、そうやって普通に50年足すなりなんなりすればいい。だが最初の方の女王たちは150年サイクルに気づいてほしくなかった。自分が150年生きていることを恐れた」

 どうしてそんなにも女王のことがわかるのだろうか。彼女こそが今、女王に見えたのは気のせいだろうか。パディはとりとめのない妄執に取り付かれ、眉間のしわをさらに増やして気持ちを保つ。

「だから歴史を少しずつずらした。世界は女王のためにある。なら、女王のために人々の記憶をいじることなど造作でもない。・・・とはいえ、そういう無理はどこかで不具合が生じる。・・今回のこともそういった無意識に積もった「時」の乱れかもしれないな・・」

 パディは答えることができない。

 少し前の彼だったら笑うなり嘲るなり、とにかく馬鹿にしただろう。


 だが今は違う。


 何もかもが信じれる。信じるしかない。


 世界の言葉を紡ぐセロとラス。傷つかない女王候補ウナ。そして自分自身がここにいること。信じるしか、もう何もない。


 エリエステスは一人言葉を続け、俯く。


「過去にそういった無理が生じていた。そうった時の歪み人々に少なからず負担がかかる・・・・らしい。何番目かは忘れたが、気づいた人々が暴動を起こした。・・・・知っているか?パディ・デュランダ」

 エリエステスは立ち上がり、壁に立てかけてあった剣を引き抜く。

「なぜ絶対平和を謳う世界に我らのような軍があり、武器があり、日々鍛錬をしているか」

 剣にくっきり、エリエステスの顔が浮かび上がる。それなのに黒く塗りつぶされていて今彼女がどういった表情を浮かべているかパディには全くわからない。わからぬまま剣はしまわれ、彼女は元座っていた位置に座りなおした。

「人は人であり、女王の言い成りにならない。世界は女王のためにあるくせに、生み出された人々は女王のものではない」

 パディは頷く。誰も言い成りになっているようでなっていない。だが予言はあり、予言の通り自分はここにいる。では自分の意思はどうやって生まれるのか。考えれば考えるほど痛みが走るが、こうしてエリエステスと顔をあわせて話しているのは自分の意思だ。そう思わなくてはやはり苦しい。

「だからこそこうして世界を殺す武器を私たちは持っている。・・・話がそれたな。女王のことを」


 その後の台詞は短かった。


 女王は歴代の中でも強く、誰よりも自分に苦しんでいた。


 ただそれだけ。


 結局その日、彼女の口から女王の死んだ理由は聞けなかった。








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