早朝の空は朱が虚空にまどろみ、溶け合いながら寝ぼけている。時折混じるクリーム色が更なる眠りを誘うが、それは許されない。

 夢と現実の出入り口で、やじろべえのようにぐらぐらと均衡をとりつつも危うい位置で目を瞑っていたパディは静かだが威圧感のある足音で起こされてしまった。


 すっかり崩れた夢と現実の境界線に、軽い怒りを感じながらもパディは上半身をゆっくり起こし、顔を布団にこすりつけながらいつも以上に半眼の瞳で目の前の人物をにらみつけた。


「・・・・・んだよ・・・・エース・・・・」

 この部屋に彼女が来るのは久しぶりだった。だが何もこんな時間に来なくても、それ以前に話を聞きたい時にいなく、今のように眠りたい時にくるとは。何とタイミングの悪いやつだと、覚醒してきた脳がさらに苛立ち始めた。

 傍目は小さくて愛らしい人形がころころと眠そうに頭をかしげているようにしか見えない彼を見て、エリエステスは小さく笑う。朝だというのに彼女のオーラ、笑みは全て強い。触れればすぐにでも発火しそうなほど、彼女の体は熱していた。

「またしばらく留守にするから、少し様子でも見てやろうと思ってね。・・・・大分慣れてきたようで、結構だ。かわいいベリーちゃん。寝顔はさらに甘いね」
「うっせーよ・・・・」

 あくびをかみ殺し、パディはずるずると体を沈めていく。


「・・・・・・女王は」


 ぽす、と常にふっくらとしたマシュマロのように膨らんでいる枕に頭を乗せると同時にエリエステスの酷く細い声が間を縫い、パディに届いた。

「最後まで人であることを望んだ。世界に縛られない死を望んだ。痛みを伴ってもいいとすら考えていた。だがその痛みも女王の前ではただ跪く・・・・・女王はいつだって泣いていたよ、パディ・デュダンダ。・・・・私たちにその苦しみはわからない」

 だから終わらせたかった、とエリエステスはさらに声を沈めて続ける。

「150年なんていうサイクルなど断ち切り、人としての死を。・・・だが私には人間の一般的な死などわからない」

 切迫した声がパディの頭に情景を思い描かせる。エリエステスと女王。写真の中の女王はただひたすらに高貴で怯えるといった単語が思い当たらない。強さを全面に押し出している。

 しかし彼女の声で女王はとたんに弱弱しい人間と化していく。日々何かに怯え、震える手で虚空を描く。指先は瑞々しくとも中はからからに干からび、水を与えても与えても貪欲に吸い込んではまた乾く。


「どうか、女王という存在を守ってほしい・・・・・」


 切望する声はそのまま割れてしまいそうだ。


 こんなにも彼女は弱い存在だっただろうか、と頭をもたげながらパディは眠気と格闘しながら体をよじらせた。

「・・・・エース。お前、聞いて欲しくないか欲しいかどっちかにしろよ」
「・・・・おや。何を言うかと思えば。私は別にどちらでもない。お前が「知る者」なればと・・・思っただけだ。何、気にしなくていい。・・・・・・・色彩の女王に、栄光あれ・・・・」

 台詞と背中に飼う猛々しい獣のオーラと共に、エリエステスは部屋から消えるように出て行った。

「・・・・・・・・なんだ、あいつ・・・」
 いつまでもきしむ音を立てる頭を抱え、パディは一人唸って布団に顔をうずめた。
 




   イエローサイレン 4



 国を牛耳る幹部が国と国を行きかいすることは稀なことではない。交流と称したただの交遊というものが多かった。無論、純粋さはない。いつ食ろうてしまおうかと、虎視眈々と爪を隠しながら探り合う、茶番劇でもあった。

 今回も恐らく、そうなるであろうことは両者よくわかっていた。ならば会議の意味はあるのだろうかと問われれば、エリエステスはまずこう答える。


 意味など考えるのが最早無意味。


 全てに「意味」「理由」を問うてはいけないのだ。それらを考えればたちまち心は体を引きつれ、もろもろと崩れ去る。


 それよりも深く考えるのは、女王と世界のありかたについてだ。


 なぜ他国は女王を忌み嫌うのであろうか。ディアンダのように愚かな考えを持ち、私が私が闇雲に上位に上がろうと這いつくばう。しかしそうして上がった先に何がある?万が一「女王」になれたとして、世界は。世界をどう維持するのだろうか。

 女王に縛られているとのたうつのに、自分も女王になり人々を縛ろうとするか。


 それこそ「支配」だ。


 一体いつ、女王が人々を支配しただろうか。結局のところ、女王は世界の維持で手がふさがり、国のことは全て上位である人物に任せてきたはずだ。ディアンダとて、元をたどれば女王が選んだ市民から出たもの。それをどうして恨むのか。

 こと、と小さく馬車が揺れた。

 エリエステスはうっすら瞼を開けた。馬車の中にいるせいか、薄暗い木目しか目に入らない。外はガラスのように光り輝く青空が待ち構えているのに、この中は不透明にまどろんでいる。

 エリエステスは思考を一時中断し、瞼を開ききって軍帽を調える。

 ラスティカとマルファを隔てる壁は何もない。外壁もなければ国境となる山々もなく、ただ平淡な道が続いていた。一歩、馬が足を踏めばそこはもうマルファだ。(そういった地形の便利さもあり、マルファとはよく交流ができるのだろう。)

 空気が徐々に冷たくなり、あの笑みがよみがえる。いつの頃からか、氷の女王と呼ばれるようになった彼。どこまでも痛みを伴う冷たさを瞳に隠し、相手を射る。


 今日はどこまで耐えれるのだろう、とぼんやり彼の顔が浮かんだと同時に「マルファに入りました」と声が入った。

「ああ。ではそろそろ準備に入ろう」

 今回の話し合いで必要なものは何もない。最悪、エリエステスだけ入れば事は済む。しかし一応とはいえ、国を任されているものがふらふらと一人で他国に向かうなどありえてはいけない、妙な体裁があった。それに100%従うわけではないが、エリエステスもお付の人物を従えていた。

 扉を隔てた向こうに、お馴染みのカルア少尉。その隣にはマイ少佐。地位は低いが、彼女にとって信用できる人物だ。

 まだ子供じみており貴族臭さの抜けないカルア少尉は、そういった甘さを含め部下の中でもっとも信頼していいと思っている。貴族出身のせいか、妙な好き嫌いはあれども彼は素直だ。恐れを知らない小鳥が狼の群れに向かうが如く、危うい台詞を言うがそれはそれで小気味いい。彼の台詞を聞いて驚く軍人たちが滑稽でたまらない。それも気に入るポイントとなっている。

 そしてその彼と仲のよいマイ少佐。彼は軍人とつながりがあるように見えない。現に貴族でもなければ、中流の階級でもない。本当に一般市民だ。それがなぜ少佐にまでなったか・・・。エリエステスも理由は忘れてしまったが、思うに彼は関心が弱い。執着が弱い、といった方がいいのか。冷静ととっても良いだろう。そのくせ人のことをよく見ており、さりげなくアドバイスを加える。その小さな飴と鞭にエリエステスは密かに賞賛を送っている。


 こういった軍人らしくない二人を従えるのは気が楽だった。


 今のエリエステスに欲しいのはそういう気の緩み。


 自分はこんなにも愚かだっただろうか、とエリエステスは腕を組みなおし、背もたれに寄りかかった。


「・・・・・・私は、「健全と信じ込んでいる狂人」ではない・・・・」


 いつか質問したことがあった。


 お前は自分が「健全と信じ込んでいる狂人」ではない、と言い切れる自信があるか?


 彼の答えはこうだった。


 少なくとも、狂人ではない。と


 今はどういった答えが返ってくるだろうか。


 エリエステスは城門を見上げながらもう一度「健全と信じ込んでいる狂人ではない」とつぶやいた。















 マルファといわず、各国には国を仕切る城砦のような細長い城が建っている。ラスティカ城に劣るとはいえ、作りはどんな災害にも耐えうる強度がある。

 権力を示すように所々自分の国の紋章が羅列し、来る人々に圧迫感を与える。白を基調とした「潔白さ」が目に付き、胸に寒々しさを抱かせる。

「こちらです」

 マルファの軍服に身を包んだ男は、あらかじめ決められたような動作でラスティカの三人を促し、頭を下げる。

「ご苦労」

 エリエステスは人形のような軍人に軽く目を下げ、扉の奥へ入っていく。

 マルファの国に来るのは久々だったが、過去に何度も訪れている。自分の庭のように、までいかなくとも、それぞれどこにどんな部屋があるかぐらいは知っている。

 エリエステスの知る限りではここは軍人となるべく人たちの養成所・・・あるいは教室として使われていたはずだった。それが中を見る限り、もう違うようだ。空き部屋にしたのかもしくはこうして話し合いができるように小さな会議室にしたのかは判断できない。とりあえず、10人ほど座れる真っ白なテーブルが嫌味のように発光している。


 その中心にマルシャル=レイシー、そして彼の右腕リーレンが立っていた。


「ようこそマルファへ、エリエステス大佐。そして少尉に少佐」

 白さでより細く冷たい気配を纏うレイシーは手を差し伸ばし、エリエステスは軽く受け取る。そこに私情は無論、ない。

「こんな部屋で失礼。何せ今、どこも埋まっていてね」
「こちらこそ、いきなりの話し合いすまなかった。マルシャルだけでなく、スタルシナ=リーレン殿までもお借りしてしまい・・・・」

 エリエステスは手を離すと一寸だけ、リーレンを視界に入れた。

 彼女に正式な階級はない。何せ、軍になる工程を全て省いてマルシャル=レイシーの右腕となったのだから。その過程は知らないが、こうして知られているという事実が彼女のすごさを語る。

 そういった理由で階級はないが、人々の中には敬意を込めて「スタルシナ(曹長)=リーレン」と呼ぶ者もいる。

 エリエステスもある程度の敬意を持っているため、そして大佐という位置から彼女をそう呼ぶが、リーレンは明らかに嫌悪を示している。

「いいえ」

 スタルシナの言葉を聴くなり、素っ気のない顔に眉間が刻まれる。彼女がエリエステスのことを気に食わないことは知っていたし、態度は明らかだ。こうして名を呼ばなくとも彼女は大佐の姿を見るなり、白い目を向ける。

 同じ女として、この場に立っているのがよほど気に食わないのか。それはエリエステスの知るところではないが、こうも毎度睨まれては疲れが出る。

 もう一度「スタルシナ=リーレン殿、感謝しよう」とエリエステスの得意とする、皮肉という皮にかぶせた引きつった賞賛の声を差し出した。

「・・・・・・・・」

 リーレンはそのまま席に座り、続いてマルシャルやラスティカ軍も席についた。


 さて、と先陣をきったのはエリエステスだ。


「もうご存知の通り、シャワルのディアンダ姫が宣戦布告を提示した。つまりは、戦争が始まる・・・・・そこで、ラスティカとマルファ、両国のありかたについて話したいと思っている。まずはそちらの意見を伺いたい」

 布のかすれる音が浮きだって響く。白すぎて目が痛くなる空間は静寂が支配するよりも重々しい空気に包まれている。エリエステスは軽く歯をかむと、レイシーを大佐の目で見つめた。彼は両手を前におき、軽く前屈みになった。

「私としては無論、戦争など無益なことはしたくないと思っている。それでも宣戦布告されたとあれば・・・万が一、マルファに火が飛んでくれば戦わざる得ない」
「・・・・ということは、ラスティカに火が入ってもマルファは隠れる、ということかな?」
「そういう風に聞こえてしまったら、失礼。だが、やはり完全にラスティカを手伝うことはできない。マルファもラスティカに比べれば微々たる国。それでも市民が生きている。無駄に命を失ってほしくない」
「それは私とて同じだ。だからこそ、最小限に抑えるべくマルファはラスティカに手を貸して欲しい」
「確かに、私たちが手を貸せばラスティカが100%被害を受けることはない。ラスティカ50%、マルファ50%。結果を見れば抑えられていると見てもいいかもしれない」

 両者引かないものの言いに、空気が震える。部屋の温度は次第に熱を上げ、それぞれの背中に汗を伝わせる。

 それでもまだ顔には出ていない。一歩も引いてやるもんか、と意地を表すように眉間にしわが刻まれていた。

「ではあくまで傍観者だ、と?」
「・・・・・一応友好条約を結んでる身、そこまで傍観しないよ。・・・・リーレン。私たちの意見を要約して言ってくれ」
「はい」

 空気が一変し、視線はリーレンに注がれる。彼女は瞬きせず自分たちでまとめたのであろう、しわ一つ見当たらない分厚い用紙に目を通し、ラスティカ軍人を見つめていく。

 そしてエリエステスへ辛らつな目を向ける。

「友好条約の内容は覚えていますか。物資の流通、それぞれの国を繁栄させるための情報交換、万が一災害が起きた場合の支援など、かわいいものが多い。・・・その中に「戦争が起こった場合」は載っていません」

 滞りなく、すらすらりと文面を読み上げる姿勢だけでリーレンの頭の回転数が知れる。たとえ少人数とはいえ、国を任されたものの、市民を下に置いての話し合い。緊張しない方がおかしい。だがリーレンは怯えた様子はない。むしろ、あのエリエステスを威嚇する勢いだ。

 エリエステスは聞き入るように前かがみになり、ひじを付く。

「だからマルファは手を貸さなくてもよい、と受け取ってもいいと思います。・・・・とはいえ、私たちもそんな小さな子供の言い訳じみたことで貸さないわけではありません。そこで提案があります」

 ぱらり、と2枚目に移行する。そこからが本題なのか、文面は細かい文字に埋め尽くされている。

「シャワルは最早危険因子。ラスティカだけを襲う、それだけで済むとは思いません」
「しかしシャワルは女王の位置が欲しいだけと聞いています。なのに他の国にも被害が及ぶと言うのですか?」

 挙手もなしに、少しずれたことを言ったのはカルア少尉だった。エリエステスは心の中で「正直者が口を出したな」と密かに笑ってしまった。

 カルアは好青年らしい顔立ちをしていたが、こうして疑問を持つととたんに目の丸い、動物のような印象になる。不快になるか、愉快だと笑うかは人によって大分違う。

 リーレンの場合、前者だった。不快さを全面に出し、強さの薄い瞳に影が生じる。

「・・・・・他の国が完全にラスティカをよく思っていないのなら、そのような状況にはならないでしょう。しかしあの国は世界の中心。女王の居場所。慕わないものは・・・・多いか少ないかはさておき、しっかりといます。ラスティカが攻撃を受ければ必ず援助に向かう国があると、いうことです。・・・・つまり、シャワルにとって他の国も脅威。そうでなくとも、戦というのは必然的に他の国も巻き込まれる。・・・この世界に立つ限り」

 やや早口でまくし立て、カルアを上から見下ろした。カルアは息を飲み込みながらも、しぶしぶといった様子で目を伏せた。

「話がずれましたね。・・・・エリエステス大佐。部下の調教はしっかりと行ってください」
「ああ、そうしておこう」

 リーレンはカルアに向ける以上に蔑んだ目線を送ると、再び用紙に目を戻した。

「そこで、です。シャワルを密かに撃とうと思っています」
「・・・・・では、マルファはラスティカと共に戦うということか?」

 その答えにリーレンはほんのわずかに首を垂らし、隣のマルシャルに目を向けた。


「大規模に戦うのは遠慮しておきたい。・・・・・私たちが提案するのは、シャワルの王・・・ディアンダ姫を暗殺することだよ」


 暗殺、と単語が形となって部屋に浮かび、殺伐とした空気を生み出した。


 辞書の中でしか拝見できないその言葉にラスティカ軍人は身震いした。恐ろしさにか、提案に賛成でなのかは、自分の気持ちを把握できないでいる。

「それはよい案だ。・・・・市民を巻き込まず、私たち上の者だけで事を片そうということか」
「そういうことになるね。ただし、これは時間が欲しい。しかも準備中に、火の玉がラスティカに入る恐れもある」
「事はもう準備段階にある・・・んだな?」
「そうだね。もしかすると遅いかもしれない。そこで今日はこのことに賛成か反対かを聞きたい。・・・・何、もし反対だとしてもマルファは何も言わない。だがこういったこと以外でマルファは手伝わない、それだけだ」

 エリエステスは口を閉じた。


 選択肢はたった二つ。迷う必要はない。


 芽を摘みたければ根っこを、そしてそれを増やす土を抹消すればいい。


 恐らくの考えだが、ディアンダを撃てばシャワルはそれで鎮火する。市民がどれだけディアンダを崇めていたかは知らないが、暴動する可能性は低い。何せ、世界にとって必要なのは女王であり、ディアンダはただ一介の市民に過ぎない。

 しかし暗殺の件は明るみになり、今まで均衡をとっていた国々に亀裂が生じることは明らかだった。

 とはいえ、シャワルはもう宣戦布告をした。叩いたところで理由はある。だが生臭いことには変わりない。

 シャワルが先に手を下し、自ら悪人と呼ばれるものになるか、それともラスティカ・マルファが暗部を背負いて脅威となるか。

 市民はどうとるのか。このことにより、シャワルのように女王離れが起きてしまったら。

 次世代の世界は、暗雲とした酸素に包まれるだろう。女王の恩恵は少なくなり、色は消えていく。


 しかしそれを恐れているゆとりはもうない。


 女王が死んでから、それはわかっていたはずだ。


 だがエリエステスは躊躇した。


 己の手を汚すことにためらいはない。しかし女王が憎まれるのは恐ろしい。


 決断はエリエステスの手に全てかかっている。



 重い。



 命が乗っている。消せばひとたび無に消えるその恐怖。


 ブラックアウトを行い、命の驚くほど軽いこと、そして抹消してしまう引きずる重さをエリエステスはわかってしまった。


 そして今度は、国を背負っての決断。相手と自分、世界をどう転がすかの手段。


 女王は苦しかっただろう。今更だが、エリエステスは女王の気持ちをまたわずかに知ることができた。


 女王と同じ苦しみを背負うことができるのであれば。



「・・・・・わかった。・・・・賛成だ」



 自分の声はこんなにも小さく、ここにいる誰よりも弱い。


 白い空間につぶされそうになりながら、呆然とする蒼白な人々に目を泳がせる。その中、レイシーだけが密かに笑っていた。



 これで君と、味方になれる。と。








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