我ながら矛盾していると思う。

 市民を思いながらも市民であった「ロットシャドウ」をブラックアウトという名の下に抹消する。


 火の海でのたうちながら、皆笑うのだ。


 やはり女王は私たちを操っている!私たちは女王のために生かされている!


 熱さに狂い、いても立ってもいられない痛みに足をばたつかせ、行き場のない体をよじらせる。それでも口元は笑って叫ぶ。女王のせいだ、女王のせいだ!と。


 それらは全てエリエステスの妄想に過ぎないのかもしれない。

 しかし現に女王を裏切る人々は後を絶たない。

 だからこそのブラックアウト。

 そして・・・だからこその、暗殺。

「では、今日はこれくらいにしよう。後日、色々と決めていこう」

 目の前の彼もこう言った。


 女王を裏切る、と。


 いずれ戦うことになるだろう。



 世界よ、どうか女王のために崩れないで。





          イエローサイレン 5



 白い場所から一変、黒に染まる。一気に上昇させられた浮遊感に似た、三半規管の酔いが頭にじんわり巡り、吐き気を促す。

 エリエステスはぼんやりと、蜘蛛の巣が絡みつく薄汚い天井を見上げる。四つ角は真っ黒に塗りつぶされ、どこか遠くへ吸い込んで行きそうだ。まるであのブラックテューマーのように。心地よい黒さを赤に塗り替える瞬間が、妙に鮮明に蘇っては焦げ臭くエリエステスの胸を焼く。

 話し合いのあとエリテステスは「約束通り」場所を移した。そして今、以前使用したブラックテューマーにある宿にいる。ラスティカよりマルファ側なため、まだブラックアウトは実行されていない。始めたばかりのライス大佐たちの軍はここまで到達できないのだろう。すさんだ空気は健在だった。

 最初は心地よいと思った空気も次第に息苦しい動機と堪えようもない嘔吐感を覚え、全身を駆け巡り始めた。

「・・・・・エース?」

 冷たい指が肩に触れた。肌越しに伝わる冷気で幾分か安堵したが、それでも芯は熱くたぎり、吐きたい気持ちでいっぱいだった。

「・・・・・いや、なんでもない・・・・・」

 エリエステスはレイシーの手を退けると窓際の椅子に腰掛けた。

「・・・・大分疲れてるみたいだね」
「色々と立て続けに起きれば、疲れも出る」

 言いながら、エリエステスは手を額に乗せて目を瞑った。瞼の向こうは赤と黒が入り混じった閃光が瞬いている。点滅する光はエリエステスを脅しているように感じられた。

「・・・・・・・・・・・」

 かすかに、レイシーの息遣いが耳をかめる。目を瞑るエリエステスに彼の表情はわからないが、今目の前にいるのは「マルシャル」ではなく旧友の「レイシー」だということは肌でわかった。

 彼はほんのわずかに暖かさをかもし出し、エリエステスの前に腰掛けた。

「ちゃんと休息は取ってるか?」
「・・・・・もちろんだ。ブラックアウトは他の隊がやっているし、腰の重い頭でっかちな隊も動き始めた。・・・・・・私は案外と、暇だよ」
「・・・・・そうか・・・。・・・・・・エース」
「・・・・・なんだ?」

 エリエステスは目を開き、薄く彼を目に映す。辺りが黒いせいか、彼の青みがかった白い髪は鮮やかに浮く。くせのない、肩まで伸びる真っ直ぐな髪は何も知らない無垢な子供のようにきらめいていた。

 レイシーは少し前にかがむと、上目にエリエステスを見つめた。一瞬金に見える茶色い瞳はどこまでも真っ直ぐに紺色の瞳を射る。

「君と一緒に戦うことができて嬉しい」

 よどみのない、クリアな声にエリエステスは気持ち、顔を緩ませた。

「・・・・・なんだ、それは・・・・。・・・・・・私は戦いたくなかったよ」
「それは私と、という意味かい?」
「・・・・・さあ、な」

 言いつつ、笑みを強める。皮肉のない表情は、それでも凛々しく勇ましい。優しさよりも牙が見える。

 だがその笑みは一瞬のことで、次には暗く沈んでいた。

「・・・・・今は味方なんだな?」
「・・・・・そういうことに、なるね」

 レイシーはその後何か言葉を続けようと思ったのか、口を開いた。しかし声は出ず、代わりに笑みが深まった。冷たい氷の微笑ではなく、親しいものにしか見せないまろやかな笑み。

「この時が続けばいいと思うよ」
「・・・・・・私もだ。・・・・・・レイシー。・・・・以前言ったことを撤回する気はないのか?」

 レイシーは無言で腕を組み、背もたれに寄りかかった。笑みはまだ消えていないが、黒い陰りは寂しげに見えた。

「・・・・それは、私が君を愛してると言ったことかな?」
「・・・・・はぐらかすな」
「はぐらかしてなんかないさ。・・・・・私はいつだって本気なのに」

 陰りは深まり、笑みが儚く消えていく。エリエステスは見てるのが辛くなり、目をそらした。それでもレイシーは追いかけるように見つめてくるので仕方なく瞼を下ろした。

「私はそんな台詞、聞いていない。・・・・・違う。・・・・・ラスティカを裏切ることだ。・・・・それは市民の思いではないのだろう?お前個人の気持ちであれば・・・・」
「・・・・・もしこれが、市民の気持ちだったら?・・・・・君はどうする?」
「・・・・・・戦うまでだ」
「本心ではないのに。・・・・まあ今はいい。君と私は味方なのだから。・・・・・・・前回の掘り返しはこれくらいにしよう」

 そうだな、とエリエステスは目を瞑りながら頷く。

 レイシーは席を立ち、エリエステスの後ろにある窓に寄りかかった。彼の姿が視界から消えたことに気づくと、エリエステスは恐る恐る震える瞼を開いて床を見つめる。

「今回の暗殺、リーレンの提案か?このことは誰が知ってる?」
「発案は私とリーレン、どちらもだよ。今のところ知っているのは私たちだけだ。他の大佐には知らせていない。・・・・・知らせるつもりもないが」
「ということは、本当に内内に済ませる気だな」
「・・・・・・いや、・・・何というかな・・・・。・・・・・・まず始めに、リーレンを悪く言わないでほしいのだが・・・」

 レイシーはエリエステスの背を見つめるが、エリエステスは床を見つめたままだ。輪郭のはっきりしない影が虚ろにゆらめいている。エリエステスはただそれを追うだけだ。

「・・・・・マルファは表向き、手を貸さないということにしようと思っている。何があっても、貸していないと」
「つまり、汚れた部分はラスティカが背負うのだな?マルファはきれいなままだ。恨みは誰ももたない」
「・・・まあ・・・そうなるね。・・・・・だが、仕方ないと思わないか?条約を結んでいるとはいえ私たちの国は小さい。矛先を向けられたのでは困る。・・・・・それに私たちは」

 言って、言葉を飲み込む。うろんな影が小刻みに揺れた。

 エリエステスは彼の気持ちを汲むように、目を細めた。

 ラスティカの敵になる、つまりはシャワルと同じ考え。そのシャワルをマルファが撃ったとなれば、市民は反感を買う。

「・・・それくらい、私も察せる。・・・・・・だが、これ以上ラスティカに矛先を向けられては困る」
「そう。・・・・だからこれは、ラスティカがやってともマルファがやったとも知られないようにしようと思う」
「難しいな・・・ディアンダが早々に死ねば、他の国も市民も必ずラスティカがやったと言うだろう・・。このようなことは他の隊員にもそうは言えない・・・・。それに暗殺訓練はしていない」

 女王が健在していた世の中は平和そのものだった。それ以前もそれ以上も、誰もがぬるま湯に浸かって目を瞑っていた。なのでそもそも軍自体欲しいものではなかった。それでも「何か」に備えて一応、それ程度の「剣」であり「軍」だった。

 よって、暗殺部隊など必要ない。少なくともラスティカは暗殺訓練を受けたものは誰もいない。

 あごに手を沿え、俯くエリエステスと同じようにしてレイシーも息をつく。

「生憎、私の国もそういう訓練はしていない」
「では、先の見えない「賭け」か?これは。国を背負う者の意見とは思えないな」
「それに同意したエースも同罪、さ」

 レイシーは「同罪」を強めて言い、くすくすと笑みをこぼす。

「我ながら危険な賭けだとは思っているよ。しかし最善でもある。被害は全面で戦うよりも少ない」
「だがリスクは大きい・・・か。・・・・・聞いただけで疲れるな。・・・・もし万が一・・・この作戦が成功しよう。だがその後は?国民の乱れはどうする気だ。そもそも、シャワルは全土がディアンダに賛成ではないのか?だとしたら・・・・暴動が起きる可能性もある。それに他の市民の反応は?・・・また女王のせいにする気か」

 エリエステスはくちびるを軽く噛み、指を添える。この先の不安に必死に耐えている自分がいる。愚かしいと思うがどうしても怯えてしまう。外から見れば自分は小さく縮まっているように見えるだろう。それも、敵になろうマルシャルの前で。

 わかっていてもエリエステスは顔を上げることができなかった。

「・・・・・可能性は確かにある。だけど、どんなに反感を持っていたとしてもやはり世界は平和で寝ぼけているよ。・・・・そんなに力はない。上のものが崩れれば民衆もおのずとひれ伏すはずだよ。・・・・・まあ、これはリーレンの意見なんだが・・・・。そして他の市民は・・・・」

 レイシーは一呼吸置き、何か言おうと口を開いた。だが声はない。女王のせいになるのだろう、とエリエステスは怒りに似たとぐろが奥底でじわりじわりと渦巻く。だが、これ以上放っておけばラスティカは倒れる。女王も、嘆くだろう。どれを取れば最善なのか、エリエステスは何も決められないでいた。

 他の市民の前に、やはり一番の危険分子について考え抜こう。エリエステスは無理やり自分を納得させ、とぐろを巻いていてた感情を押しとどめて消えたふりをさせた。

「・・・そう・・・なることを願おう。・・・ならばお前はどうなんだ?・・・・・私たちを倒すのか」

 頭が重くて起こせない。自分の台詞が黒い塊となって頭を押さえつけているようだ。

 これ以上不安を増やさないでほしい、と密かに思うエリエステスの肩に再びレイシーの冷たく細長い手が置かれた。

「・・・・・わからない。・・・・・確かにマルファは「反女王派」だ。だが無理に女王の座を奪いたいとは思っていないよ。・・・・・私自身、執着はない」
「じゃあなぜ、私と敵対する」

 冷たい手に力がこもる。熱いエリエステスの肩とレイシーの手の温度は決して交じり合わない。反発しながらも受け入れ、行き場をなくす。


 お互い、表情を見なくてもわかる。


 どうしてこんな風になってしまったのか。


 後悔と怒りと悲しみが、留まることも爆発することもできず体内で叫び続けている。


 全ての地獄を受け入れ、痛みに苦悶する表情。二人はまさしく、それに似た顔をしていた。


「・・・・・・エース。覚えているか?・・・君はいつか、私に言ったね。「お前は健全だと信じている狂人ではない、と言い切れる自身はあるか?」と。・・・・私は今も同じ、少なくとも狂人ではない・・いや、もちろんだと答えれる。・・・・では君は?・・・・・言い切れるのか?」


 エリエステスはゆっくり振り向く。紺の瞳は、時折瞬く外の街頭も部屋に潜む真っ黒な蜘蛛も映さない。そこにあるのは光を失ったガラス球。レイシーの差すような切れ長の目をただ映す。


 くちびるが呆然と、言葉を吐く。


「・・・・・なぜ私がそのような質問をしたか、わかるか?」


 ここははぐらかすポイントだ、とエリエステスの心がレイシーに言い寄る。


 しかし彼に通じていない。


 レイシーは目をさらに細め、笑みを消してもう一度手を伸ばす。今度は頬に触れ、あごに添える。これでもう、お互い目をそらすことはできない。



 見つめあったまま、彼は小さく口を開く。



「・・・・・君は女王しか見ていない。・・・・見えてない。女王が全てだと思い込んでいる。死んでもなお。・・・私はそれが気に食わない。いいか?女王はもう死んだ。君を操る者は死んだんだ。君は、もう女王を守る必要はない。女王の命令などありはしない・・・!」


 エリエステスの体は動かない。すべての機能は停止した。それでも残るのは女王の姿。レイシーの声は聞こえない。



「君の慕う女王は死んだ!」



 距離は決して近づかない。二人はそのままの状態でさらに相手の奥深くを覗く。


 レイシーの目がわずか、金色に光った。


「どうして何も言わない・・・・!・・・女王・・女王狂い・・・・・そうだ、君は狂っている」


 俯きたいエリエステスの顔をレイシーは無理やり上げる。明らかに困惑の色を帯びた瞳は安堵しているようにも見えた。生ぬるい泥に触れたように二人の体温はようやく混じる。

「・・・・君はそう言ってほしかったんだ。・・・・・疑問に思っていたんだろう?女王へこうも忠誠を誓う自分を。もっと、他を見ていいと・・・・・」

「・・・・・もう、いい」

「よくない。いいことなど一つもないよ、エース・・・・。だから、あの時君は・・・・・」

「もう、いい・・と・・・・何度も言わせるな」

 ようやくエリエステスの手が動き、レイシーの手をつかむ。剣を持つ手は女といえど、分厚い筋肉と硬化した皮に覆われている。どちらも逃れる術はなかった。

「だめだ・・・今日こそ、君は女王のことを捨てる。捨てなければいけない」

 エリエステスの指がきつく、レイシーの細い指を食らう。ぎりぎりと悲鳴をあげ、苦痛の汗を毛穴という毛穴から噴出させる。


 暗闇に半分飲み込まれたエリエステスの表情は曖昧にゆがむ。それをどの感情に区分できるか、レイシーにはわからない。ただ、彼女は震えている。レイシーの指に食い込めば食い込むほど、感情は高ぶっていく。


「なぜ・・・・なぜそんなことを言う・・・!女王は生きている・・・私の女王は、生きている・・!そうまでしてなぜ私に言う!・・・どうして私と敵対した、どうして私に構う!・・・・どうしてお前は、マルファなんだ・・・」


 嗚咽混じりの声は誰かと疑うほど、苦痛にのたうっていた。毒を食らった鳥はおそらくこうしてさえずるだろう、そう思わせるほど悲しい声をしていた。ところどころかすれ、息苦しさに吐き気すら覚える。それでも鳴かずにはいられない、噴き出るありのままの姿。


 完全に闇に沈んだ彼女の表情はわからない。だが、深い悲しみに涙すら忘れているようだ。指から伝わる熱さがそう、伝えている。



「・・・・私・・・いや、俺は・・・」



 レイシーの指から一筋の血が流れた。泣いているようだった。


「俺は・・・エースと共に闘っていたかった。エースと同じ目線にいたかった。・・・ただ、それだけだ・・・」



 エリエステスの力が弱まった。とり憑いていたものが一気に解放され、意識すら手放そうとする。


 もう、何もかも戻れない。



 ずり落ちそうになる手が全てを語っていた。



「・・・・・マルシャル・・・レイシー・・・」


 エリエステスの瞳が徐々に赤い炎を思い出す。暗闇に消えていた顔は生気を取り戻し、ぴきぴきと音を立てて「大佐」となる顔を復活させる。


「マルシャル=レイシー殿」 


 元の獣が眼を覚ます。鋭い目を細め「暗殺の件、両国から数名、候補を挙げておこう」と、大佐の声に戻した。唸るような低い声に、レイシーは捕まったまま「わかった」とだけマルシャルの声で答え、重なる手の上にまた手を乗せた。


 そのまま二人は無言でにらみ合い、固まった。


 今、流れるのは「時が流れる」という虚しい風だけだった。








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