薄墨色のカーテンが舞い降りる。重苦しい水気を吸い取り、自らの体に耐えられず一気に噴出す。

 誰かがさめざめと泣くように、雨が降り始める。最初はしとしとと頬を伝う。そして徐々に激しくなり、最後は恨みがましい唸り声と共にいつ止むともわからない、大量の水を噴出す。


 ざあざあと、壁や窓を打つ音は聞いているだけで鬱々とした気分になり、だるさで倒れそうだ。


 激しく滴る窓からみえる景色もまた、不透明な灰色に染められて今にも溶けてしまいそうだった。


 いつからこんなに雨が降るようになったのだろうか、とパディは頬杖をつきながら見慣れた景色を見る。


 パディの部屋から見える景色はまあまあよい。きっちりと刈り込まれた、一糸乱れぬ木々が並ぶ公園のような憩いの場、時折顔を見せる虹色の噴水、真っ直ぐに伸びる大理石の庭の道、高さの揃った色とりどりの民家の屋根。写真の中の世界のようにぴかぴかに輝いている。


 これが女王の力というやつだろうか、と漠然と思いを浮かべる。


「そうかもね」


 その思考に答えるのはやはり同じように外を眺めるウナだった。彼女は相変わらず目深にフードをかぶり、片目を髪で封じている(一度も見えることのない片目は封じる、という表現がぴったりだった)。年は18とパディよりも年上だと聞いた。しかし彼女はやはり封じられたように幼い風貌をしている。そのくせ、色素の薄い瞳は年にそぐわぬ厳しさを持っている。もっとも、そういう風に見えるのは一瞬のことで、普段はにごっていて目の前のものを見ようとしない。

 今日の彼女の瞳はこの空と同じ、やはりにごっていて相変わらず何を考えているかわからなかった。しかし彼女が何を考えているからといってパディの興味には入らない。

 存在を無視し、再び外に目を向ける。 

 そしてそっと、このまま静かに時が過ぎればと目を瞑ったがやはり彼女の淡々とした声に水を差される。

「無理。もうすぐティティとカルアが来る」
「・・・・・やっぱり、俺の中が読めるんじゃねえか・・・・・」

 と、あきれて顔を上げた瞬間、扉が大きく怒鳴りながら開いた。

「パディ・デュランダ!勉強はしているか!」

 ふんわりと髪を揺らし、好青年らしからぬいつもより荒々しい低い声。

 パディは見ようとした相手を通り過ぎ、突然飛び込んできた相手を半眼で睨む。

「・・・・はあ・・・・・?」
「おっはよー」

 そしてその後ろから間伸びた気のゆるい声。そして少しはねた色素の薄い茶色の髪に細長い体。

 カルアにティティ、という何の脈絡もない組み合わせの訪問にパディはただただ瞬きを繰り返して窓から離れる。


「ほら」


 特に威張るわけでも喜ぶわけでもない、のっぺりとしたウナの声だけが酷くクリアだった。





       イエローサイレン 6





 ただでさえにぎやかな雨が窓を打ち付けているというのに、パディの部屋もにぎやかに集まっていた。

 パディの部屋は「ロットシャドウ」よりも「女王の鍵」であることが優先されたのか、清潔でいて広い。3人は寝れるであろうベットにそれを収納できそうなクローゼット、テーブルセットにソファまで揃っている。そして四隅に一応、観葉植物が置かれていた。

 普段1人、もしくはティティとウナがいても窮屈さを感じない。

 それが今日、いつものメンバーに1人多いというだけで妙な息苦しさがあった。

「・・・・・・・・」

 というのも、珍しいメンバー、カルアの機嫌が目に見えて悪いからだ。普段は整った顔立ちと姿勢で涼しく、時折パディに嫌悪のしわを見せるぐらいで特に感情をあらわにすることはなかった。(パディは一度落ち込んだ彼を見ているが、そこまで表情には出ていなかった)

 それが今日は、眉間に深いしわをいくつも刻み、閉ざす口元は引きつり、忙しなく額を指でつついては苛立ちながら髪をむしり、ため息をつく。いつもなら筋一本と追っている背中も丸く、前かがみになっていた。

 ただそれだけしか変わっていないはずだが、部屋に及ぼす害は大きい。

 パディは少し胸元を開き、舌を出した。

「なんっか・・・暑苦しいんだけど・・・・」
「・・・・・・機嫌悪いなあ、カルア少尉・・・・・」
「そういうお前もなんっか暑苦しい」
「・・・・・酷いなあ・・・・」

 小声で話すティティをパディは半眼で睨みながら押しのけ、ソファにどっしり座った。すると、目の前に座っていたカルアの片目がうっすら開かれた。

「で、だ。パディ・デュランダ。勉強は?」

 パディは体をずるずると滑らせながら肩をすくめた。

「はかどりすぎて、ティティはもうお払い箱さ」
「ええー・・・・・」

 ティティが後ろで嘆く。パディは見えなかったが、彼は恐らく本気で落胆し、背を丸めているだろうと想像する。パディは鼻から息をつき、軽く目を瞑った。

「遊んでるからだろ」
「ええー」

 また同じトーンで嘆き、ソファにひじを突く。

「だってさあ・・・・かわいい女の子いたら声かけたくなるしさあ・・・・」
「うるさい黙れ、ロットシャドウ」
「・・・・・・・・・」

 ティティのゆだる声にカルアが冷たく一線する。おかげでティティのうるささはなくなったが、カルアの苛立ちは上がっていた。

 パディは片目を開け、「お前さあ」と気だるそうに声を出した。

「何、んな怒ってるよ。うぜーんだけど」
「うざいうざい」

 いつの間にかティティの隣にウナが立っている。ティティ、ソファにパディ、ウナの順番で3人は並んでカルアを見つめたが彼は中々口を開かない。


 パディは聞きたいわけじゃなかったので、前から疑問に思っていたことを優先させた。振り返り、ウナを半眼で睨む。


「・・・・・おい、ウナ。・・・・お前、心の中が読めるんだろ?」

 その問いに彼女は答えない。虚ろな瞳はパディすら映さず、ただ目の前にある壁のみを映している。壁が白いせいか、彼女の瞳はより薄く見えて不気味としかいいようがない。見えないもう片方は影になり、下からでも覗くことはできなかった。

「心の中?え、何だそれ」

 先ほどのだるそうな態度から一変し、嬉々とした声を上げるティティをパディはとりあえず無視した。なるべくティティのことを考えず、一点に声を集中させる。


 読んでるだろって言ってるだろ、クソウナ。


「・・・・・・・だから何?」


 正解、か。と力を抜くとそれに対しても「そう」とウナは小さく頷いてようやくパディを見た。

「読めるわけじゃない。表面上に浮いた言葉が時々聞こえるだけ」
「えー。それじゃあさ、カルア少尉が不機嫌な理由がわかるんじゃないか?」

 しっかり聞いていたらしく、ティティは無邪気な子供のように体を揺らし、乗り出すように2人に近づく。

 ティティの行動にパディはうんざりしたが、その意見には同意だった。

 そのことも読んだらしく、ウナはカルアの方に向く。


「・・・・・・・エース様」


「!?」


 たったそれだけの単語にカルアの目は飛び出そうなほど見開かれ、頬杖付く頭は弾かれたように起き上がった。そして声なく、ぱくぱくと口を忙しなく動かした。

 その姿に満足したのだろうか、ウナは猫のように口の両端をゆっくりと引き上げた。

「・・・・・・なんだ、まーたエースかよ・・・・物好きも大概にした方がいいんじゃね?」

 いつの間にか前のめりになっていた体をソファに戻し、パディは鼻でせせら笑う。

「だ・・・・誰がそんな・・・・」

 明らかに動揺しているカルアを3人は密かに笑い、同時に息をつく。

「そんなんでイライラしてんのかよ。やっぱり平和だな、プリン男」
「だ・・・だから僕は別に・・・・・」
「おーおー動揺してやがる。まったく・・・どこがいいんだか」
「侮辱するのも大概に・・・・」

「暗殺」

「は?」


 たった一滴、波紋も作らずその場を冷やしていく。妙に浮きだった言葉だった。かつて一度も人の口から聞いたことはない、しかしその言葉も意味もよく知っていた。だからこその沈黙が真っ白に支配していく。

「ウナ・・・・今なんて?」

 ウナはちらりとだけパディを見たが、何も言わず服を翻し、窓側へ行ってしまった。残りはカルアに聞けということだろうか。パディはそれ以上ウナを追わず、カルアに向いた。

 ウナの一言はよっぽど聞いたのか、カルアの眉間のしわは解かれた、ティティの態度からものんびりとしたものが消え、パディの隣に座った。

「何だよ、暗殺って」
「僕は何も言っていない。ウナ様の発言だ」

 先刻、ウナは言った。浮かんだ思いを読む、と。パディは彼女のことを100%信頼しているわけではないが、幾度となく自分の考えを読まれているのだから、「ある」のだろう。嘘をついている可能性も考えたが、暗殺などという単語が嘘で出てくるとは思えなかった。


 ふと、忘れていた猛々しいオーラと低く唸る声が蘇る。



 戦争が起こるかもしれない。



 争いは徐々に摩擦し、煙を噴出しやがて辺りを燃やし尽くすのだろうか。


 いつの間にか消えていた雨音が鼓膜を振るわせる。


「隠してねえで言えよ」
「何で君に言わなくてはいけない?確かに、君は鍵として優遇されている。だからといって全てを話してもよいわけじゃない」

 ふん、とパディは鼻を鳴らして上目にカルアを見た。

「じゃああるんだな。暗殺」

 その一言にカルアは息を呑みながら口を紡ぐ。目は泳ぎ、凹凸のない滑らかな肌ににじむ脂汗と冷や汗が混じりあい、流れ落ちる。わかりやすすぎる反応にパディは視線を落とした。

「起こるんだろ?戦争」

 誰に言うわけでもなくこぼれる言葉にみな黙る。なんとなく心の片隅に抑えていたものが現実へと開花していくことは、思うよりも夢想に近い。だがそれが現実。

「・・・・だからって、俺は関係ないけどな・・・・」

 言っている自分が嘘のようだった。

 関係ないはずがない。戦争がどういったものであるか想像ができないのだから実感も湧かない。ブラックテューマーにいたころは毎日が小さな戦争だった。しかしそれは猫が威嚇してじゃれるぐらいのかわいいものだったし、パディ自身も強い部類に入っていたから「楽勝」の文字をいつも掲げていた。

 それが今度は「リアル」で襲う。

 打ち付けるこの不穏な雨音のように。

「・・・・・来る」
「今度は誰だよ」

 ウナは一瞬だけカルアを見て、口を引きつらせた。

「・・・・・「エース様」が」

 そして声なく失笑し、扉へ向かった。笑い声の矛先はもちろんカルアだが、彼は動揺しまいと必死に窓の外を見ていた。

「お出迎え、か?」
「まさか。・・・帰る」

 ウナはほんのわずか肩をすくめ、一度も振り返らずそのまま出て行った。

 パディは片目を瞑り、ため息混じりに「なんだかな」と一人つぶやき、ずるずるとソファに埋もれた。

「・・・・・ウナ様、あれが女王の力ってやつかなあ・・・・」

 間延びしつつも少し不安げに声を漏らすティティにパディは答えず、ぼんやりとソファのぬくもりと雨音を堪能する。このまま眠っていられたらと思うのだが、彼はパディに問いかけながら話続けた。

「・・・・・なあ、パディ。お前、その・・・気持ち悪くないのか?」
「何が?」
「そのさ・・・・気持ちが読まれるとか、なんとか」

 パディはその問いにどう答えようか少し迷った。

 気味悪いといえばそうだが、特に気にしなかった。パディ自身、大したことは考えていないし思ったことは口にしている。つまりは、読まれようと読まなかろうと大差ないのだ。むしろ、口にしなくてもいいというわずらわしさはない。

 それはずれた考えなのだろう、と思う。本来ならティティのように気味悪がるのが当然だろう。だが自分はそこ
まで思っていない。だから返答に困るのだ。

 パディは手を頭の後ろで組むと、声を出す代わりにため息をついて目を瞑った。

 その行動が「特に言うことはない」という意思表示だと知っているティティは同じく黙り、目を瞑って上を向いた。

「・・・パディ・デュランダ。・・・・ウナ様が心を読むというのは本当か?」

 パディは目を開けず、片方の眉毛だけを器用に軽く吊り上げ「お前だってわかってたんだろ?」と面倒そうに口を開く。

 しわ一つない制服のかすれる音と共にカルアは腕を組む。

「いや・・・・僕は何も。そもそも、女王はどういったものかも知らされていない。どうしてそんな風になっているのか・・・」

 と、そこまで一人つぶやいたところで急いで姿勢を正す。

「・・・・ともかく。事情は僕が言うことではない。本当にエース・・・いや、エリエステス大佐が本当に来るというなら、そのときに聞けばいい」

 最もだ、とパディは頷き、静かにソファーに埋もれていった。
















 雨の音に侵食され、白い廊下はほの暗い灰色に染まっている。

 所々浮かび上がる明かりの白さだけが、今は頼りないが唯一の聖域をあらわしているようだった。

「・・・・・これは・・・・。ウナ様。またパディ・デュランダのところでしたか」

 黒く沈んだ奥深くから、炎を携えたたくましい体がのし上がってくる。顔が見えなくともよくわかる、エリエステスの姿だ。ウナは軽く眉間にしわを寄せ、無言で近寄った。

「ウナ様・・・・・・」

 二人の顔がようやく明るみに浮かび上がり、直線状に交じり合う。

 ウナは立ち止まり、彼女の訪れを俯きながら待った。

「どうかしましたか?」

 いつもの猛々しさはどこにいったのか、エリエステスは至極柔らかい声を発しながら屈み、ウナを見つめた。しかし声とは違い、目は空洞だ。どこを見ているかわからないほど、紺色の瞳は力がなかった。

 ウナは肌でエリエステスの気配を感じながら、ゆっくりと顔を上げた。


「・・・・・・女王殺し」


 透き通った瞳がエリエステスの裏側をゆっくりとめくり、剥いでいく。

 エリエステスはその目に痛みを感じるどころか、喜ばしい感情が駆け巡っていた。

「ウナ様。ついに読み取る能力を習得しましたか。女王に近づいてきましたね」

 ウナは答えず、そのまま目線をずらした。

「女王殺し、女王殺し、女王殺し。・・・・・私まで殺そうというのか。「女王」のために」

 エリエステスは肩をすくめ、その場に跪く。赤いマントが絨毯の赤と同化し、エリエステスの体は驚くほど小さくなった。


「ウナ様。女王はあなただ。その証拠に、私の中が見える。不死にも近づいている。前の女王から、力を受け継いでいる。もう少しすれば、おそらく世界のすべてが読めるでしょう・・・」

「嘘をつくな!・・・・・女王殺し、私を解放しろ!」

「何のことか」

「嘘、嘘、嘘!・・・・・お前は女王のために私を殺す!・・・・・跪くな。「私」に跪け」

 ウナの棒切れのように真っ直ぐの腕が、エリエステスに伸びる。


「・・・・・・エリエステス」


「私のことは、どうぞエースと」


「黙れ!」


 言うと同時に、槍が飛ぶが如く、目にも留まらぬスピードで白い腕がエリエステスの頭をわし掴む。う、と軽くうめく声がエリエステスのくちびるからこぼれ、紺色の瞳がウナをおぼろげに映す。

 小さな手にどうしてこんな力があるのだろうか、エリエステスの硬い体は簡単に持ち上がった。


「お前の女王のために、私は女王になるのではない・・・・・。私は何者でもない!・・・・あはは・・・今から予言が下るだろう。ディアンダの暗殺は進められ、国はさらに荒れる。・・・・そしてお前は、お前たちは破綻するだろう。世界と共に」


 白くにごり始めたウナの瞳が大きく見開かれる。


 エリエステスは小さな痛みにうめきながらも、心のどこかで至極冷静に「ああ、また発作が始まった」とウナを観察する。能面に似た白い顔をしていながら、彼女は憤怒に身を任せている。



「エリエステス。・・・・・お前は、死ぬ」



「・・・・それが世界の予定なら、女王の台詞なら。私は本望だ」



 ごと、と音を立ててエリエステスの体が解放されて床につっぷす。


 ウナは汚物を見るような目で、どろりと見下し、小さく口を開く。





「死ね」






 ぷつん。




 どこかのスイッチが「オフ」を表示する。


 あんなにも恐ろしく無表情で怒りの赤に染まっていた空間が、ウナのたった一言で重苦しい灰色に色を染めた。雨が激しく、窓を叩いている。今日はもう止まないだろう。


 ウナの瞳が再び透き通り、表情から怒りが消えていた。そして何事もなかったようにその場から静かに離れ、一度も振り向くことなく暗がりに消えていった。


 エリエステスは床に倒れた体を起こし、壁に寄りかかった。


 あの幼い女王はどこまで自分を見ているのだろうか。


「ゼファーナ様・・・・・」



 雨音に混じり、祈りに似た声が黒く雫を落として消えた。









<<<−  TOP  −>>>