雨は灰色を滲み出し、辺りを湿度と共に侵食する。ほの暗くなった廊下の白、そして絨毯の深紅が相容れることなく、淡々と続く。

 見慣れた廊下が延々と続き、大きく立ち上る扉へと誘う。


 パディは今、久々にセロとラスの世界の巫女に会おうとしていた。


 それも正式に。


 ウナの預言通り、エリエステスはパディたちの下へ訪れた。そして簡単に「お呼びだ」とだけ言い、パディを連れて廊下へと放り出された。

「一体なんなんだよ」

 パディの問いにエリエステスは答えない。いつも通り、無言の猛々しさを背負っている。

 慣れたつもりでも、痛々しく棘のあるオーラはやはり慄くものがある。いつ食いつかれても仕方ない、そんな考えがぽん、と浮かぶ。

「預言だ」
「は?」
「預言がくる。・・・・恐らく」

 エリエステスは振り返らず、ひたすら前に進む。パディは付いていくのに必死で、声のトーンに気がつかなかったが、実のところ彼女の語尾は軽く震えていた。

 これ以上の質問は無駄だろうか、とパディは思考を巡らせ、先ほど聞いた不吉な二文字をいうことにしてみた

「・・・・・なあ、エース。・・・・・暗殺って、なんだ?」

 彼女の背中は何も変わらない。動揺の色も、あざ笑う気配もない。


 パディは一瞬だけ目を伏せ、もう一度口を開いた。


「起こるんだろ?戦争。・・・・・じゃあ暗殺って何だよ。これから、どうなるんだよ」
「不安かな?ベリーちゃん」

 エリエステスの白い横顔が少しだけ表情を出す。だがパディからは見えず、声で察するしかなかった。しかしその声もいつも通り過ぎて読むことができない。だからといって、この女大佐の隣は歩きたくなかった。

「ちげーよ」
「大分色々なことに興味が出てきたようだな。・・・・・だが、それは私が言うことではない。だからこそお前を「預言」へ導く。・・・・・なんとなく、察せるかな?」

 ぎい、と苦しげな音を立てて扉が開く。この扉はこんなにも重々しく、そしてよそよそしいものであったか。パディは息苦しさを覚えながら開く扉を見つめた。

「・・・・・・パディ・デュランダ。戦争は起こる。しかし・・・・お前には関係があり、全く関係がない」

 巨大な生物の口を思わせる、漆黒の入り口を背景にエリエステスは振り返る。

 深紅の光はどこか弱弱しく、苦しげだ。


「パディ・デュランダ」


 エリエステスの顔に笑みがともる。


「もし私が死んだら。・・・・女王はお前が選べ」

「・・・なんだよ、その冗談」



 答えることができなかった。



 不穏な台詞は「預言の部屋」の前では全て叶いそうで、怖かった。






     イエローサイレン 7







「久しぶりだね、パディ」
「何日ぶりだろう、パディ」

 糸の合間から覗く顔が交互に変わる。慣れたとはいえ、久しぶりに見るセロとラスの顔は平行感を失う。

 パディはめまいを覚えながら、「用事がある」とだけ言い残して出て行ったエリエステスの姿を思い浮かべる。


 彼女は一体何をしようとし、どんな結果を得ようとしているのか。


 それはパディが知ることでなかったが、妙に引っかかるものがあった。


「エースのことだね」
「エースは大変だよ」
「予言に踊らされ」
「女王を慕うあまり周りが消える」

 パディは一呼吸起き、酔わないように二人の姿を見つめる。

「どういうことだよ」

 セロが笑うと同時にラスに変わり、ラスもまた面白そうに笑って、再びセロに戻った。絶え間なく変わる顔、ピントの合わないぼやけた二人。やっぱり酔いそうだ、とパディは軽く視線をはずした。

「女王がいるからエースはエースでいられる」
「女王のためにエースはエースになった」
「女王が存在」
「存在するのは女王のため」

 淀みのない声がつらつらと歌いながらパディの耳をくすぐる。

「・・・・よくわかんねえな・・・・。んだよ、それ」

「とある人が言っている」
「女王狂い」

 女王という単語が何度も何度もパディの神経を侵食していく。耳に入るたび「女王」のイメージがセロとラスのようにおぼろげに形を変え、弱弱しいエリエステスの声やかなきり声を上げるウナの姿へ一瞬だけ形を作っては消える。


 いまいちわからない、女王という存在。


 女王のあり方はわかったが、女王全体ではなく全女王・・・ゼファーナについてはわからないでいた。


 パディは写真に写っていた女王とエリエステスの姿を思い浮かべる。金色の波が襲い、ウナに一見見える光のない、つりあがった瞳。そしてその隣にいつもと変わらぬエリエステスの姿。

「エースのやつにとって、女王って何だ?」

「言ったよ、存在だ」
「女王狂いさ」
「女王のために全てを投げ出す、軍人」
「女王の中の「エース」さ」

 床が体を冷やしていく。雨の音など届かない奥深い部屋のはずなのに、しとしとと誰かが泣くような音が静かに響く。


 パディは首を振り、その場にしゃがみこんだ。


「よくわかんねえな・・・・」

「いずれわかるよ」
「その前に、君に預言だ」


 ああ、とパディは髪をかきながら頭を上げ、今はセロに固定された巫女を見る。


「戦が起こるよ」

「知ってる。それこそ、エースに聞いた」

 次はラスに変わり、やんわりと笑みを浮かべる。

「君はどこまで世界を知っている?」

「知らねーよ。俺はそういったもんに興味はない」

 くすくすくす、と笑いながら二人の顔がまた交互に変わり、境界線を消した。

「シャワルの国はラスティカと仲が悪い」
「シャワルの国は女王が嫌い」
「女王が全てを操ってると勘違いしている」
「女王は何もできない、国の命」
「シャワルの国は女王の力で消された」
「でも意思は継がれる」
「ディアンダ」
「シャワルの姫」

 言葉がじゃれあい、戯れる。セロとラスはただ嬉しそうに言葉をあやし、パディを見つめた。

「暗殺」
「暗殺さ」

 とたんに静けさの水が広がる。たった一滴の言葉が全ての空間を沈黙に満たした。


 パディは目を反らし、暗殺の意味を考える。


「・・・・・・その、ディアンダってやつが・・・・殺されるのか」

 正解、とどちらかの声が響く。

「・・・・・どうしてだ?」

「宣戦布告」
「ディアンダは女王を狙う」
「ウナの存在を脅かす」


 パディはもう少し考えることにした。


 ウナは女王候補であり、世界が決めた「女王」でもある。つまりは、決定だ。今「候補」と呼ばれているのは、恐らく力を出し切っていないせいだろう。女王は死ぬと同時に次の女王へと寸分の間もなく力が移行され、新たな女王となり世界を維持する。


 何かが引っかかった。


 小さくて手の届かない、しこりがある。


 パディは顔を上げ、二人の巫女を見つめたが彼らから返答はない。代わりに違う言葉が出てくる。


「暗殺は失敗するよ」
「暗殺はし損ねる」
「それどころか、脅威はラスティカに」
「パディ。ウナを守らなくては」
「守る必要はないけれど」
「君は自分を守らなくては」
「女王の力で守られるけど」

 言い終えると同時に二人は悲しく微笑んだ。

「これは預言」
「知っている事実」
「知らない答え」
「曲げれない」
「曲がらない」
「どうやっても、崩れていく」
「そして僕たちは枯れていく」

 顔がセロで止まった。糸に侵食された肌は俯き、息を小さく吐き出す。

「・・・・・俺にも被害が来るってわけか・・・?」

 そうだよ、と冷たい空気に乗せてか細い声が届く。

「・・・・なあ。・・・どうして二人は「枯れる」んだ?」

 ラスが顔を上げる。セロより幾分か柔らかい顔をしているが、泣きそうに目を潤ませている。

「私たちは女王と共にあり」
「女王が死ねば僕たちも枯れる」
「私たちは世界の木」
「世界の意思を汲み取って伝える」
「150年のサイクルは」
「僕たちにもある」
「でも安心して」

 ラス、そしてゆっくりとセロに変わり、目を細めた。

「僕たちはまた生まれる」
「種になり、1から生まれる」
「だから教えてあげて」
「世界の秘密」
「それが知る者の歴史」
「見たものを僕たちに全部教えてあげて」
「そうすれば再び私たちに会える」
「僕たちは永遠」
「世界の意思も永遠」
「女王の呪いも」

 消える、二人が。顔が空間にとろけ落ち、糸が悲しくきしむ。


「永遠」


 永久に続くというのはどういうことだろうか。パディは目を細め、頭を抱えた。


 そしてまた何かがかり、と引っかかった。


「・・・・・・何か・・・何かまだ、あるだろ?何かが引っかかるんだよな・・・何なんだ・・・。・・・セロ、ラス。・・・・何か言えよ」

「もうだめだよ」
「時間だ」
「エースが来るよ」

 それきり、二人は沈黙した。俯く顔はどちらのものがわからなかった。

 パディは腰を上げ、二人を細く見つめた。

「俺は、サイクルに入れられるのか?」


 二人は答えない。


 預言に入っていないのだろうか。


 肯定とも否定とも取れる沈黙が息苦しさを呼び込んだ。


 パディも何も言わず、結局その場から歩き出した。




「悲しいね」
「悲しいね」
「みんな死んじゃうよ」
「みんな生きてるよ」
「悲しいね」
「ああ、また女王が泣いてるよ」
「気づいてしまうね」
「女王のこと」
「僕たちは選べない」
「私たちは選べない」









 重い扉をくぐると、灰色の雲が夕闇に沈んでいた。

 ああ、もう夜が来るのかとパディは上下感覚のなくなった、おぼつかない足で絨毯を踏みしめた。

「どうだったかな、ハニーちゃん」

 二人の言うとおりだったな、とパディは心の中でつぶやきながら顔を上げ、まじまじとエリエステスの目を見つめた。

 紺色の瞳は表情が乏しい。芯の部分が暗い色に埋もれているせいか、嘘か真意かまったく見分けがつかない。もしくは何も思っていないのかもしれない。


 女王狂い。


 女王さえ良ければいいのかもしれない、本当は世界のことなど・・・と思ったところで、エリエステスの目が逃げた。

「・・・・預言は聞けたか」
「ああ。聞いた。・・・・・やめとけよ、暗殺」

 エリエステスは沈黙し、腕を組んで壁に寄りかかった。どこまでも隙のない体が彼女の獣をより美しく、強く見せる。

 パディは少し離れたところにしゃがみ、彼女の声を待った。


「やるんだろ?シャワル・・・だったか?・・・のやつの暗殺ってやつ」

 ふふ、と珍しくエリエステスから笑みがこぼれた。急いで見ると、彼女は口元を指で軽く押さえ、静かに微笑んでいた。初めて見るに等しい、女らしい笑みだった。

 パディは眉間にしわを刻みながらも、そんなエリエステスに動揺した。

「・・・・笑うとこじゃねーぞ」

 パディは顔を戻し、暗さで紫色に変色した絨毯をただ見つめたが、エリエステスから笑みが止まることはなかった。

「・・・・・そうか、失敗するのか・・・はは・・・。・・・・リーレンも・・・レイシーも・・・。・・・私をはめるのか・・・。・・・・・パディ、どうやら私は罠にかかったようだ」

 ようやく笑い声が止まり、エリエステスは前を向いてにじんだ涙を拭った。


「私は、あいつらに殺されるんだな」


 まるで人事のような口調にパディは何も答えれず、ただひざに顔を埋めた。


「・・・・・・ならば、戦うまで。・・・・・どうせ死ぬのなら、女王にはむかうもの全てをまき沿いにすればいい話だ」
「・・・あいつら、こうも言ってた。俺や、ウナのやつも被害を受ける、らしい」

 布のかすり音が白々しく響く。エリエステスがこちらを向いたのだ、と気配を察し、パディも彼女に向いた。

「そうか。・・・・ついにお前たちも・・。・・・・・ウナ様なら大丈夫だ。女王の力があるからな。・・・・しかしお前だな。・・・・・ふむ」

 金色の髪が頼りなくしなり、パディの姿をより女のように見せる。エリエステスはまた少し笑い、翡翠色に輝くパディの目を覗き込む。

「一体どういう経路でお前たちが被害に遭うのかわからないが・・・・そうだな・・・。・・・・一度ラスティカの守備についても話し合う必要があるな。・・・・・よし、パディ・デュランダ。こうしよう」

 エリエステスに再び、獣の炎が灯る。元々持っていた猛々しい赤が、猛烈に輝き始めた。

「早ければ明日、遅くても三日以内に会議を開こう。それにお前も参戦してもらう。ついでに顔合わせもできるしな。・・・・あまり知らないだろう?ここの軍人たちを」
「まーーったく知るはずねえだろ。俺をロットシャドウだーとか何とか言って、適当にしかしなかったんだからな」
「おや、すねてるのかな?・・・・まあともかく、そうしよう。OK?パディ」
「ああ」

 エリエステスは壁から姿勢を治し、パディは立ち上がった。

「そこでお前の味方に付くものがいるかどうか、見極めておくといい。・・・・・迎えはいつも通り、カルア少尉をやろう」
「あ、そうだ。そのカルアのやつなんだが・・・なんっか暑苦しいんだけど・・・・」

 エリエステスは片眉だけ上げ、顎をさすった。

「何かあったのか?珍しいこともあったな。・・・・・まあ適当に扱ってやれ。得意だろう?」
「得意なはずあるか」

 それじゃあ、とエリエステスは聞き終える前に背を向けた。



 赤い炎を背負う体はいつまでも闇に溶けることなく、煌々と光っていた。










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