色彩の地、ラスティカ。全ての恵みを抱き、平和で大地を潤す。柔らかな日差し、穏やかな風。まるで誰かが夢見た楽園をそのまま描き出した国。そして何よりも……女王を生み、女王を守る永遠の聖地である。何者にも汚されない白さを誇りに、今日も色彩は輝く。

 しかしそれはすでに過去の栄華。まだ目には見えないが、色彩は穏やかすぎるほどゆっくりと、崩れていた。

 全ての思いがとぐろを巻く。暗雲立ち込める空虚な城。きらびやかに佇む姿とは裏腹に、内部はどろりと濃い液体に満たされていた。

 ドーム状に円を描く天井を太陽が白々しく照らす。反射した日差しは点々と白い跡を残し、同時に影を生み出した。傷一つないテーブルの上には、それぞれの心を表すかのように腕の彫像が陳列されている。苛立ちながら指を動かし、両手をさすり、微動だにせず、組む腕は沈黙する。しかし視線だけは合致していた。

 ありとあらゆる目線の先にはラスティカの楔、五賢者が顔を揃えている。同じように月日を重ねたしわはあまりにも重厚で、皆、同じ顔に見えた。埋もれる目は何を見、何を考えているのか。ラスティカの軍人は誰一人として知らない。まして、ここに揃った各地のトップが知る由もなかった。

 ラスティカ国に女王がいるように、ファンダム国のイアン、ルエンダ国のニース、小さな部族を取りまとめる唯一の連合国フィリファナ国のニコル。世界をまとめる人物たちがこうして並ぶのは、女王の死以来であり、数分と顔を合わせるのは初めてであった。

「……シャワルのディアンダはまだか」

 苛立ちとせっかちの代表者、ニースがまず先に痺れをきらして五賢者を睨んだ。睨む、とはまた違うのかもしれない。ニースの目つきは機嫌がよい時でも悪かった。

「どうなっているんだ。主催であるラスティカのエリエステス大佐も……こちらは珍しくマルファのマルシャルもまだだ。一体どうなっているのかね!」

 自分の台詞にすら苛立ちを覚え、言葉が進むにつれ語尾を荒げる。叫ぶように吐き出すと、どこからどもなく、短い呼吸がむなしく響いた。

「まあ、待ちましょうよ」

 穏やかな声の主は連合国フィリファナのニコルだ。筋張ったニースとは対照的に、ふくよかな体系な男だ。年の頃は同じであろうが、ぎょろりと血走るニースとはこれもまた対照的に、ニコルの目はどこまでも穏やかだ。肉に埋もれ、常に笑っているように見えるせいかもしれない。

「今は急ぐ必要がない。今は」

 ニースはニコルを強く睨みつけると、鼻を鳴らしてそっぽを向いた。ちょうどその時、ヒールの音が廊下からこだまし、扉が開いた。天井は水面のように光が揺れ、甲高い声がそれぞれの耳をついばむ。

「待った?」

 体を待とう髪をかき上げ、健康的な足が一歩踏み出す。

「遅いぞ、ディアンダ」

 ぎょろりと飛び出たニースの目玉が、シャワルの姫を刺す。しかし彼女は大きく笑うだけで欠片も気にしない。指定された席に着き、どっかりと背もたれに寄りかかる。くすんだ甘い香水が広がり、他国のトップたちは顔をしかめたが、それはディアンダを喜ばせるだけだった。

「久々だったから、迷ってしまったの。悪く思わないで」

 ディアンダは賓客である。ラスティカの者が必ずここを案内するであろう……誰しもが気づいている、ディアンダの真っ赤すぎる嘘である。

 ディアンダは誰よりも年下でまだ若いが、誰よりも豪奢だ。謹みはない。だがそれは許される。彼女もまた、彼らと同じ地位を持ち、国を統括するもの。特にここでは誰かを貶める発言をすることは許されていない。

「あら?エリエステスとレイシーがまだだったの?やっだ、珍しい。てっきり私が最後だと思ってたのに」

 からからと笑い、化粧で縁取りされた目が三日月に歪む。彼女が声を発する度に、空間は花開く。だがそれが美か醜かは区別が付かない。

「まあいいわ。黙って待ちましょう」

 スリットの隙間から褐色の足が伸びる。ディアンダは穏やかにくちびるを吊り上げると、沈黙した。

 全ての引き金は、まだ笑って遊んでいる。



           イエローサイレン 1



 悲しいメロディーを紡ぎながら鳥が囀る。緑はこんなにも初々しく弾んでいるというのに鳥や風は寂しさを歌う。

 そう思うのは自分だけだろうか、とレイシーはしばらく踏んでいなかったラスティカの廊下を踏みしめながらぼんやりと外を眺める。何度見てもなじめない、平和を切り取って絵にした風景。好きか嫌いかと問われれば嫌いだ、となぜか即答できる。それはこの自然一つ一つに女王の息吹がかかっているからだろうか。彼女の慕う、女王の全てが宿っているからだろうか。

「レイシーか?」

 懐かしい声が廊下の遠くから届いた。その瞬間レイシーは女王の存在を忘れ去り、外から目をはずした。

「一体どうした。もう遅刻だぞ」

 一瞬まぶしさにレイシーは目を細めた。数年の友であるエリエステスの姿は、時の悪戯で、昔とは随分と変わってしまったように見える。レイシーは戯言を消すように軽く首を振った。

「エース……。少し考え事をしていたんだ。もうそんな時間だったかな」
「妙な奴だな」

 エリエステスは軽く顔を伏せると、レイシーの歩調に合わせて隣を歩く。

 内密に会った日から数日と経たない。だというのにお互い遠いと、思っていた。まるで数年ぶりに会うかのような錯覚がめまいを起こす。

 言葉が、なかった。いつもなら言える台詞が何一つ出てこない。

 言いたいことは二人ともたくさんあった。なのにどうしてか出てこない。息を奪われたように二人は口の中で酸素を転がす。肺が、急速に縮んでいく。このまま会議室へ向かうのか、と曇天が二人を覆うその時、黄色い声が雲をかき消した。

「あ、おい、エース!」

 わずかな風にもなびく細い金髪が柔らかく揺らめく。湧き水のような翡翠色の瞳が、戸惑いながらもエリエステスを睨むように見つめている。少女のようにも見える細い線、しかし強い炎を抱いている少年、パディだった。

「ベリーちゃんじゃないか。何の用だ?」

 エリエステスはいつの間にか消えていた「大佐」の仮面を急いで装着すると、足を止めてパディを斜に見下ろす。隣で歩いていたレイシーも足を止め、不思議そうにパディを見つめた。パディもそれに気づいているだろうが、目はエリエステスを見ていた。

「どこに行くんだ?」
「私の動向が気になるかな?かわいいベリーちゃん」
「ちげーよ。ただちょっと」

 気にしなようにしてたのだろうが、目はつい、レイシーを視野に入れる。それに気づいたレイシーもまた、急いで「氷の女王」の仮面を付け、ゆるりと微笑んだ。

「君がパディ・デュランダか。噂は聞いているよ。色彩の鍵」

 冷たい笑みがパディを冷やす。威嚇され、たじろぐ獣のように、パディはかすかに一歩引き、鼻を鳴らした。

「誰だお前」
「礼儀がなってないね、ハニーちゃん。こちらはマルファ国……ラスティカと条約を結んでいる国、というのは知ってるかな?……その代表者だ」
「マルシャル=レイシーだ。よろしく」

 レイシーは一歩前に進み、鋭い手をさし伸ばした。しかしパディは素早く、本能的にはたき下ろすとまた一歩引いた。

「まるで動物みたいだね」
「黒き腫瘍にいたころはコヨーテ、という名前がついていたそうだよ」
「それは怖い。食べられないよう、注意しよう」

 大佐とマルシャルは交互に笑いあうが、かみ合わない歯車のようだ。その場にいる全員が違和感を覚えているのに、誰もお互いを見ない。目の表面だけで写し合った。

「話がそれたな。それで、ベリーちゃん。何の用かな?」
「……もういい。後で言う」
「そうだな。私も忙しい。もし急ぎの用事なら夜中、私の部屋に来るといい。……さあ、今から会議だ。急ぐとしよう、マルシャル=レイシー殿。完全に遅刻だ」
「そうだね、エリエステス大佐」

 エリエステスとレイシーは互いに目を合わさず、ただ頷いて同時に動く。取り残されたパディは何か言いたそうに手を伸ばしかけたが、すぐに下ろして遠のく二人を見た。レイシーはちらりと横目でパディが去るのを掠め見ると、前を向いた。

「君の周りにはかわいい子ばかり集まるね。少尉といい、鍵といい」
「困ったものだよ。かわいいだけでは何もできない」
「あれが鍵、なんだね。まだまだ小さくて何もできあがっていない……一体世界は何を託そうとしてるんだろうね?」
「どうなんだろうな。全く力を持たないが故、知ることがあるのだろう。私たちには知ることができない、何かが」

 凜と、紫紺にも深い藍にも見える強い瞳が遠くを見る。その姿を見て、レイシーはふと止まった。

「どうした、レイシー?」

 氷の女王。一本一本が透き通る銀髪が強い日差しに反射し、レイシーの輪郭をぼかす。背後から差す光に溶け、フェードアウトしていく。徐々に遠のく姿にエリエステスは少し驚くように顔を引いた。

「なんだ、一体どうした」

 不意にエリエステスの顔が曇る。皮肉さも明るさも消え、ただただ黒く染まっていく。レイシーは冷たくそれを眺めていた。レイシーもまた、笑みは消えていた。

「……レイシー。一体何を考えてる?」

 レイシーは思わず笑う。搾り出すように息を吐き出し、エリエステスを見続ける。

「このままどっか行きたい、と思って。今日は天気がいい。気分が晴れる」
「それではいつでも心が曇ってるような言い方じゃないか」
「その通りだよ。雲がまとわり付いて離れないんだ」

 指を伸ばし、エリエステスに触れる。エリエステスは黙って受け入れ、二人の体はそっと寄り添った。しわ一つない軍服から埃っぽい匂いがかすかに鼻をくすぐり、唯一の軍人としての心が胸に一本の刃を作り、平行を保つ。今はそれが鎖だ、と二人は同時に思った。

「……学生の頃」

 レイシーの暖かな声がエリエステスの肩にしみこむ。それをエリエステスは目を瞑り、黙って感じる。

「一緒に世界を維持できたら、と語ったことがあったね」
「……遠い昔だ。もうおぼろげだよ」
「私は鮮明だよ。君と、出会ったことも、全部。……どうしてこうなったのかわからない」
「私はお前がわからないよ。対立することも何もかも。どうして、その道を選ぼうと思ったのかも」

 レイシーの腕の力が強くこもる。エリエステスは呻いて、レイシーの腕を押さえた。

「遅刻だ。昔のようにスクワット100回というわけにはいかないぞ」
「そうだね。私たちはもう学生ではないのだから……」

 鎖が解ける。まるでそうなるべくして時間が進んだようだった。風で葉が揺れるように、ごく自然な成り行きでレイシーはエリエステスのくちびるに自分のくちびるを重ね合わせた。掠める程度のものだったが、異様な熱さが二人のくちびるに宿る。

 その時、エリエステスは別のことを考えていたことに、レイシーは気づかなかった。――彼が氷の女王と呼ばれるようになったのはいつの頃か。笑うとえくぼができるところは変わりないのにな、と現実ではない場所に想いを浮かべていることを。

 繋がらない心が静寂を生み、「大佐」と「マルシャル」の仮面を作り出し、顔に固める。

「行こうか」
「ああ」

 二人は同時に前を向き、最初の一歩を踏み出した。もう、誰もが今の二人を「エリエステス」とレイシー」とは思わないだろう。大きな背中は痛みを隠しながらも、強く、世界を引き剥がしていった。


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