| 目覚めたはずの世界は暗かった。ここのところ世界の天候は躁鬱を繰り返している。黒い雲が続いたかと思えば晴れ間がのぞき、雨を降らせる。一見寒そうに見える景色も蒸し暑く、汗は出るが瞬く間に氷と化す。まるで意思をもったような天気はそれぞれを沈め、頭を抱えさせる。今日も暗い雨粒が城を叩いていた。 パディはとろとろと思考を繰り返しては、ため息をつく。何も考えたくないのだが考えてしまう。他のことをしようとしてもここはしょせん籠の中。体の自由がない。選択肢もない。そうなると思考に身をゆだねるしかないのだ。 女王、エリエステス、暗殺、戦。女王の加護を失った世界は、やはり黒く染まるしかないのか。女王がいないからこそ世界は黒いのか?今までは全て女王だった。それが、戦を生み出すのは、色彩の女王ではなく、人。言い知れぬ不安が胸に広がる。 「不安じゃない方がおかしい」 口にしたのはパディではなくウナだった。彼女は窓際が気にいっているのか、パディの部屋にくれば大体窓際で、明るくもなく暗くもない日差しを浴びている。透明な肌や瞳は光を取り入れてますます儚く発光するが、不思議と生気が失われることはなかった。 「いつの間にそこにいたんだよ」 「あんたが寝てる間に。結局、暗殺は進められるわけか。戦の引き金はもうすぐ。……パディ。面白いこと教えてあげる」 「んだよ」 二人はお互いを見ず、表情変えずに言葉を投げ合う。ウナは封印された瞳をそっと押さえて口だけを歪ませた。 「私ね。前から人の考えてること、なんとなくわかってた。だから、気味悪がって、親に虐待されてた。でも、私は次期女王。それを見つけたエリエステスは親を殺した」 パディの心臓が跳ね上がる。ラス、セロ、そしてエリエステスの声が入り混じり、ぐわんぐわんととぐろを巻く。誰もが「女王」と叫んでいた。 「みんな殺すよ、あいつは。そして自分自身も殺す。すべては女王のために」 イエローサイレン 9 心地よい、と感じたのは何日ぶりだろう。迫り来る「日」にエリエステスはいい加減、吐き気を覚えていた。人と人。同じ人間とはいえ、交わることはない。同一ではない。ただそれだけでこんなにも恐ろしく、人を疲労させる。 銀色の壁が深々と肌を冷やす。体温を吸い尽くし、頭の芯まで冷めていく。薄ぼんやりとした光の中で一つの顔が二つに変わり、ひと時の夢を与える。心は蜃気楼の彼方へと羽ばたく。 起きながら夢が見れるなんて、幸せだ。 エリエステスは見えるはずのない、かつての日々をまぶたに映し、くつくつと笑った。思い出はいい。いつまでも無邪気でいれる。女王と会話し、命じられるままに動いたことも。レイシーと共に剣を磨き合い、くだらない話に花を咲かせては大笑したことも。 そういえばいつから笑ってないのだろう。腹を抱えて笑ったのはいつか。 ――否、自分にそんな資格はない。 女王が再び世界に舞い降り、色彩の世が戻るまで、自分が存在していい世界になるまで、身も心も非道でなくてはいけない。まるで小さい時に課したくだらないルールのように、エリエステスは自分自身を縛りつける。自らが滅びるまで、その鎖は解けないような気がした。 「哀れな赤」 「残忍な赤」 詩を謳うように、ゆらりゆらりとセロとラスの世界の巫女は言葉を連ねる。エリエステスは子守歌代わりにそれを聞き、鼻で笑った。心地よい。 「ここはいつまでも変わらない。……落ち着く」 「いつまでも女王の影を追う者」 「女王を殺そうとする者」 「女王を蘇らせようとする者」 ふう、とセロとラスは交互にため息をついた。全ての体はひとつしかないのだが、彼らは二つの顔を持っている。しゃべるためには交互に変わらなくてはいけないのだが、ため息一つでもそれをしなくてはいけない。エリエステスは律儀と捉えてもいいほど、素早く顔を変える二人に笑った。 「……ねえ、エリエステス」 二人の巫女は謳うのをやめた。今はセロの顔で固定されている。酷く真面目にエリエステスを見据える顔は――セロとラスは少年、少女なのだが――老成した男の顔をしていた。エリエステスは改めて体を直し、膝を突いた。 「なんでしょう、セロ様」 「エース。もう、やめよう」 謳わない彼らの言葉は普通の少年と変わらない。しかしそうして、少年として、身近な者としてエリエステスに語るのは、女王が死んで初めての出来事であった。 「どうしてですか、セロ様」 セロは悲しそうに瞬きをし、ターキスブルーの水を瞳に溜めた。全身に絡みつくチューブやコードは不自由さよりも神秘的な衣のようだ。淡く光り、彼らの顔を青く発光させる。その姿は美しい。 「わかってるはずだよ。ウナは女王の力を徐々に開花させている。それは必然だ。もうすぐ、時は来る。150年は終わり、新たな色彩の世が始まる。……君の女王の時代は、終わる。君の求める女王の世界は終わるんだ」 エリエステスは首を振り、笑みを浮かべる。心の底から、柔らかく微笑んだ。 「いいえ。女王はいます。150年のサイクルを逃れ、ここで「死」を味わっている。しかし次の世界で蘇る」 「もうやめよう」 「あなたたちの預言ははずれました。女王は150年のサイクルではなく、人として死んだ」 「違う。それは違うよ、エース。君はわかってる。もうわかってるはずだろう?女王は蘇らない。ウナはウナだ。ウナという人物が、次の女王になる。ゼファーナはもう違うんだよ」 「ウナはゼファーナにはならない!」 少女特有の、ヒステリックな悲鳴が上がる。セロはラスとなり、少女は動向を開いて、泣いた。その顔はすぐさまセロに変わったが、彼もまた泣いていた。 「エース。君は女王がいない世界でも生きていける。だからもうやめよう」 「……セロ様。私は死にますか?」 「エース……」 ゆらり、とエリエステスは立ち上がる。おぼつかない足元で、揺れる瞳で巫女を見下ろす。 「わかっています。暗殺が成功しようと失敗しようと、シャワルだけではない、ラスティカの国民もこの不穏な事件を恐ろしいと感じ、反感を覚えるでしょう。女王の絶対神話は終わる。わかっています」 「だからといって、君が死ぬ必要はない。君は死のうとしてる。全ての罪を被って、君は……次の世を見る前の死ぬ」 「ゼファーナ様は私に命を与えてくださった。ゼファーナ様の世こそ私が生きてもよい世界」 エリエステスは力なく笑う。何かを落としてしまったように、顔は床を見つめた。ぼんやりと光が広がる床に、セロとラスの影が水面のように揺れた。 「……わかっています。ウナ様が次の世を作ることを。ならば、私は、せめて。せめて……女王を殺したという烙印が欲しい。女王のために女王を殺し、女王のために世界を黒く染めたという証を、私の胸に今一度」 女にしては無骨な手が己の胸に揺れる。紺色の衣服に覆われたその下を探るように、指は首から鎖骨に触れ、だらりと落ちた。 「エース。君は女王を殺していない」 「いいえ。殺しました。私の手で。剣で。皆の前で死んだように見せかけた後、私は棺おけを貫きました」 「私は預言しましょう。エースは死ぬ」 耐え切れず、ラスが顔を覗かせる。 「ほら、死ぬのでしょう?」 「でも、私たちの預言を完成させないで」 「巫女様がそのようなことを言ってはいけません。預言は絶対」 「それは違う。預言は絶対じゃない。必ず起こる、でも違う」 エリエステスは手を握り、祈る。胸の奥にある過去に憧憬を覚え、面影を掴もうと手を伸ばす。けれど掴めない、しかし確かにある、在りし日々。 高潔なその姿はまさに神。世界の頂に立ち、両手を広げ、光すら恐れない女王の姿。エリエステスに命を与えた母。 色彩の女王に、栄光あれ。色彩の女王よ、永遠に。 「違うよ、エリエステス。君はもうわかってるのに……どうして?それを選んではいけない。君にはまだ選択肢があるはずだ。君は……その不自由な想いは、死でしか断ち切れないと勘違いしている。でも違うんだ」 セロとラスの目から慈愛の色が失せていく。徐々に哀れみが広がり、涙は止まった。 「君は勝手に預言を生み出している」 彼は疲れたのか、顔を伏せた。数秒の間をおき、顔を上げる。ラスの姿になっていた。凛、とまばたき一つしないガラスの瞳、結ばれたくちびる。少女はエリエステスを逃さないよう、強く睨む。 「どこまでも違うわ、エリエステス。女王を人として殺し、再び女王を君臨させるためにウナを利用する。そうして世界を続ける気?それはまるで違う。世界は、どうやっても変わらない」 「僕たちがいるように」 「私たちがいるように」 「色彩の世界は変わらない」 「サイクルは変えることはできない」 「エース、預言を」 「あなたに預言を」 巫女の指がエリエステスを責めるように指す。まるで審判のように、言葉は下された。 「新しい世界はすぐそこ。サイクルは永遠。君のシナリオは成立しない。君は古き風と共に散る」 「暗殺は悲しみに終わる」 「ウナは閉ざされ」 「誕生する」 「パディは嘆き」 「導く」 「哀れな姫」 「狂うだろう」 「赤を慕う氷」 「溶かされ、落ちる」 「哀れな赤き獣」 「その喉をかき切る」 「女王は」 「再び死ぬだろう」 「世界は」 「世界に」 「花は萎れ、種を吐き出す」 「種は芽吹き、花は咲く」 エリエステスは無言で立ちあがり、さらに暗い方向へと歩んだ。外に出る扉は反対側。明かりの導く方向は、反対なのだ。しかし彼女の求めるものはその先にある。誰も知らない、真っ暗な闇に。 「今はお休み、エリエステス」 エリエステスの体が消えると同時に、セロからラスに顔は変わる。 「可哀そうなエリエステス」 「僕たちは無力」 「けれど導ける」 「最後まで」 「最後まで」 |