イエローサイレン 10

 写真の中に入れられたように錯覚する、時の止まったセピア色の家具たち。

 部屋の主人が暗闇に捕らわれている、ただそれだけで部屋もまた暗く落ちる。それは電気をつけても同じだった。一瞬の眩しさに部屋は真四角の白に塗りつぶされるが、またすぐに元の不自然な静けさを持つ単なる部屋に戻る。

 しばらく目が慣れると、今度はそれらが生き物に見えてきた。

 温かみのあるオレンジと象牙色に揺らめき、照らされる木の家具たちは次第に膨張し、頬を染め、部屋の中心へとにじり寄る。酸素濃度が高まり、喉は息をしているにも関わらず、体がしきりに酸素を求める。体中が枯渇していくような、奇妙な感覚だった。

 これが今のエリエステスの状態を示しているのなら、かなり切迫している。

 パディはずるずると落ちてくる軍服の上着を脱ぎ、首元をゆるめながら舌を出す。人の動きをそれほど敏感に察する方ではないと自負していたが・・・そうして感じるまで、エリエステスは不安に近い感情を噴き出しているのだろうか。彼女に聞いたところでそれは無意味となり、返ってくるものではない。考えすぎだ、とパディは軽く瞬きを一回した。


 二人は無言のままソファーに埋もれ、それぞれリラックスした格好だけを取る。


 パディはふんぞり返り、エリエステスはやや体を斜めに倒し、肘を掛ける。


 さて、と最初に切り出したのはエリエステスだった。彼女はマントを脱ぎ、軍帽を無造作に放り投げる。隆起した筋肉が、みずみずしい果実のように照りだされた。それでも色香というのを見せないのが、エリエステスらしかった。


「大まかな概要を説明しよう」

 エリエステスは浮かせた体をまた沈め、軽く手を振る。

「つーかその前に。・・・何で俺なんだよ。予言でも言ってただろ?これじゃあその通りってやつだな。暗殺は失敗、俺は痛い思いをする」
「お前もそう思うのか?ふん、意外だった。・・・予言というのは、どこまでも予定でしかない・・そのようなものだと思ったほうがいい」

 エリエステスの口調は相変わらずおどけているようで、真実味が薄い。迫力は十分あるが、重さが感じられなかった。今は本気なのか、それとも単なる世間話なのか区別がつかない。しかし紫紺の瞳が言う。偽りなき軽口だと。

「次の日はこうだとただ、予定帳に書き込んだだけだ。示されただけで、変わることもある。ただ、予定がその通りになるのは当たり前のことだ。・・・パディ。言っている意味がわかるかな?」
「わかるかってんだ!予定は予定だろ?当たり前でどうする」

「例えば・・・そうだな。普通に明日の予定を立てるとしよう。私たちの場合、暗殺の件についてマルファに手紙を一度送らなければならない。内容は簡潔に書いたものがよいな。ただ、話し合いがしたい、それだけでいい。・・・そしてそれを投函、その後はそれぞれの準備に入る。私としては、パディが軍風でもいいから一応の訓練を受けてもらいたいと思っている。まあ、その辺りでいざこざがあったにしても、そうしているうちに一日は終了。・・・そんな所か」

 エリエステスはクイズでも出すように目を泳がせ、楽しそうに指を回す。パディはさらに体をソファーに沈め、予定をただ聞く。耳に入った単語は脳に少しだけ映像を浮かばせ、何となくだが自分が訓練を受けているような感覚に陥る。

 だがこのクイズに答えは見当たらない。少なくとも、パディには掴めそうで掴めない靄のような問いかけだ。

 パディがよほど困惑して見えるのか、エリエステスは意地の悪い笑みを浮かべ、くつくつと喉で笑いながら目を細める。

「さて、パディ。この予定とは「無」から生じたものか?全く根拠のないものから出てきたものか?」

 そこでようやく、靄が雲に変化する程度のレベルだが捉えることができた。先ほどよりは明確な形をしてパディの目の前に現れる。明かりが揺らめき、エリエステスの笑みも動く。

「少しわかったようだね、ベリーちゃん。・・・根拠のない予定などない。パズルとはまた違うが、似たような雰囲気はあるな。転がるパーツを集め、この絵だと判断する。そして照らし合わせてみると、同じだとわかる。・・・組み立てた予定が、通り過ぎて次の次の日に見たらその通りだった。当たり前だがずれやすく、外れたところで「予定」だと通り過ぎれる」

 つまりは、とエリエステスの瞳がまつ毛にさえぎられる。軽くうつむいただけで陰影は深く、彼女の顔は闇に埋もれていく。柔らかい光は彼女に届かないのか。パディが眼を凝らしてもうまく見ることができない。

 輪郭が揺らぐ中、エリエステスは肩を揺らして笑う。その動作が余計、彼女を闇と同化させていくようだった。

「・・・・つまり、そういうことだ。・・・OK?パディ・デュランダ。・・・・予言に躍らせれているという。しかし・・おそらくだが、あの巫女たちは現状を誰よりも冷静に組立、その結果訪れるものを言っているだけにすぎない。・・・あれらには聞こえるのだろう。世界でささやかれる声が。私たちの声も筒抜けだろうな」

 エリエステスの喉が再び鳴る。ここのところ、だと思う。エリエステスは無駄に笑うようになった。笑うことによって自分をどこでもない居場所に吹き飛ばしているような、妙な焦燥感がひしめく。

「だが巫女たちの力も、女王の力もまた「本物」であることには違いない。それはパディ、お前も知っているだろう?」

 パディは頷いたが、どことなく自分がここではない場所にいるような気がした。気持ちが飛んでいるのだろう。どこかはわからない。もう思い出すこともできない黒い街か、昔からの知り合いであるティティのところか。もしかするとエリエステスの背後にいるのかもしれないし、カルアのような軍人にまぎれてるかもしれない。とにかく意識がどうもばらばらに飛び散っている。

 一部でこうして聞いているせいか、覇気がでない。エリエステスのせいで調子が狂う、とパディは毒づくことで自分をどうにか「ここ」に押し留めた。

「その予定からして、お前は傷つく。だがよく考えてみろ。・・・・ここにいようが、どこにいようが。パディという存在は特別だ。まだ世界に知られてないが、世界を握る女王の「鍵」だぞ?」
「ちょっと待った。・・・そういえば、どうして俺なんだ?その、鍵ってやつ。・・・もしそっちの言う通り、予定という名の預言なら、俺という根拠はどこにある?身に覚えがねーんだけど」

 エリエステスは驚いたように低い声で「ほう」と身を起こす。紫紺の瞳がオレンジ色の光でぬらりと生き物のようにきらめき、パディを見据える。まるで目という単体の生き物を顔に張り付けているようだった。

「・・・・んだよ」
「いや、そうやって考えるとは思いもしなかった。どうやら、なめて甘いだけじゃないようだね、ハニーちゃん。中々、塩っけもあるようだ。お前が思ってた以上に阿呆じゃなくて心底よかったと思っているよ」
「・・・・嫌味言いてえのかよ。筋肉に火ぃ付けて爆発させるぞ、コラ」
「お前の悪態も久々に聞いた。・・・まったく、おかげで話が消えるところだった。・・・で、その答えだが。もちろん確実な答えなどない。あくまで、私の見解だ。それでもいいかな?」

 パディは顔をそらし、手で合図を渡す。エリエステスは肯定と受取、「OK」と同じように手を振った。

「それは、おそらくウナ様にある。・・・・彼女の右目を見たことがあるか?」

 パディは記憶を巡らせる。ウナが「発作」を起こし、無理やり仲裁に入れられた時のことだ。あの時、一瞬だが見えた。封じられるように髪で覆い隠された肌が。だがあまりに瞬間の出来事で、頭にインプットはできていなかった。しかし雰囲気は覚えている。

 あれは、暴力の痕だ。


「ウナ様がここに来てまだ日が浅い。前の女王が死んでからすぐだからな。それまでは、ブラックテューマー・・・それもシャワルにいた」

 シャワルの単語にパディはわずかながら肩を震わせる。シャワル、それは暗殺すべき相手のいる国だ。素通りできたはずなのだが、もう気分は当事者にしっかりなっている。体が勝手に反応してしまう。

「シャワルは文明が少し遅れている。人々も格差があり、貧しさに困る者は少なくない。それは女王のせいだ、と国の者たちは言っているそうだが、そうではない。あの国は頑固なだけさ。ラスティカとしては世界は平穏でいてほしい。だから物資を補給すると言っているにも関わらず・・・受け付けない。そのあと、結局は放っておくことにしたのさ」

 エリエステスは仕方なのない子供を見るように憐み、それでも楽しそうに口を動かす。再び浮上する体や顔は闇の色が薄い。一体どういう時に彼女は沈むのだろう、とパディは不思議に思いながらもその思いをどこかに捨てる。

「貧しい、とはいえ普通に暮らしていける財産はある。だから貧しい、と言ってはいけないのだが・・・生憎とラスティカは水準が高い。お前の暮らしがどうだった知らないが、私の知る限りでは豊だと思う」

 パディは黒い街を思い出そうとしたが、やはりできなかった。もう随分遠くまで歩いてきてしまった、と後悔とは違うむなしさが一瞬胸を突く。その痛みに耐えながらも「確かに食い物に困りはしなかった」と何となくだが思い起こす。

「・・・ちょっと待てよ。女王ってやつは他の国からも出てくるのか?」
「いいや。ラスティカの血がないと女王にはなれない。ここが世界の発祥の地であり、女王がかつて生まれ育った土地に見せかけた箱庭だからな」

 エリエステスから箱庭、という言葉が出るとは思わなかった。パディはいささか驚き、覗き込んだが変わった様子はない。エリエステスといえば、いつでもラスティカをきれいに持ち上げると思ったのだが・・どうやら違うようだった。ここのところ彼女の印象はころころ変わるな、と多少面倒だという苛立ちがパディの中で渦を巻く。

「箱庭、ねえ・・・否定的だな」
「・・・そう感じるか。・・・いや、ただ昔知人がそう言っていたのを思い出してな。確かに、と思う部分もあるから口にしただけだ。・・・続けよう。ウナ様はラスティカで生まれたが、どういうことが彼女の両親は内面が育っていない・・実に粗野で乱雑、暴力的な人たちだった。そういう人はラスティカに合わないのかはたまた追い出されたのか・・シャワルへ移り住んだ。ついでに言うが、国と国同士は簡単に移住できる。平和だったのだ・・・最近までは・・な」

 パディは口を挟もうと思ったが、やめておいた。エリエステスは再び闇に体を突っ込み、輪郭を消そうとしている。

「そのシャワルでウナ様はほとんど育っていった。・・・私が出会ったとき、ウナ様はすでに黒い腫瘍に飲み込まれた一人だった。・・・盗みは当たり前、親といえど殴りあうのは日常茶飯事。罵倒でのどをつぶしていることもあった」

 パディは「へえ」としか言わなかった。ウナの様子からして生まれが自分と変わりないことは何となくだが空気でわかっていた。同類なのか、とわかるど同時にエリエステスが貴族だという認識もまた強まった。彼女は信じられないことを口にしているように、明らかに嫌悪を示している。パディのように黒に育ったものは普通と感じ、一般人はありえなくもない、と思うだろう。だが貴族は。やはり嫌悪するものなのか、とどうでもいいところで学習してしまった。

 しかし本人は気付かぬまま続ける。

「そこで年頃も近く、気性も近いお前が選ばれた。そういう理由でいいと思うが?そこでお前に当たるか、他の人に当たるかは・・・サイコロと同じだな。どの目が出ても、サイコロには違いない」

 エリエステスの言うことはわかるようで、どこか手ごたえがなかった。しかしパディはただ頷くことしかできない。違和感はあれども、それを正すことができるほど明確なものもない。パディは歯がゆさを感じながらも、ひたすら黙って頭を動かす。

「話が大分反れた。さて、本題に入ろうか。お前を選んだ理由は先ほど述べた通りだ。・・・いいか?パディ。お前がやるということは極秘だ。油断して他の者に話さないように。たとえ、同じ軍人でも」
「ふうーん・・・・」
「なるべく、最小で済ませたい。向こうも思っているだろう」
「向こう?」
「協定を結んでいる、そして元々の案を出したマルファの人間のことだ。覚えているか?マルシャル=レイシーのことを」

 その名を聞くだけで寒々しさがこみ上げる。パディも同じだった。ほんのわずかしか交わさなかった言葉が、手に取るように蘇る。そしてあの時感じた、かみ合わない歯車も。


 思えば、あの時からこのことは予見されていたのだろうか?


 あの日、ああして偶然にも三人出会うことは。そしてこうして協定を結んで暗殺などという物騒な事態も。


「・・・思ったんだが」
「なんだ?」
「色々聞いて思った。なんだかんだであんたが一番、予言を怖がってる。・・・そうだろ」
「はは、どうだろうか。お前がそう思うなら、そうなんだろう。・・・私はただ従うだけ。私は女王に従いたいだけだ・・」


 なんだか遠い、と感覚がしびれる中、エリエステス本人ではなく「声」だけが事実を知っているような気がした。











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