会いたいと願う。

 会いたいと願う。

 会いたいと願う。

 最後にただ一目、会いたいと。

 願う。


 それでシナリオは、終わる。



     イエローサイレン 12



 気がつけば愚かしい行動をとっていた、と気づいた時にはすでに彼は隣にいた

 冷たいまなざしが心地よく、触れる指先がただれそうに熱い皮膚を凍らせる。

 彼は冷気を弱め、ふ、と軽く笑った。

「仕事抜きで話だなんて、珍しい」

 レイシーはグラスを回し、隣に座るエリエステスを見つめた。ここ最近よく利用しているブラックテューマーのバーではなく、マルファの敷地内・・・だが限りなくラスティカに近い辺境の酒場にいた。バーとは違い、油と煙、罵声と人の熱で汚らしく、しかし非常に人間的な空気を持っている。

 エリエステスは貴族だ。こういった場所を知らない娘だった。しかし学生の頃、レイシーと出会い様々な場所を知った。ここはその一つだった。最も、その頃は未成年だったが。

 懐かしい、とエリエステスもグラスを傾けた。安っぽい白けた色をしたウイスキーは十分涼しげに氷を鳴らした。

「そうか?昔はいつもこうして話をしていた」
「そうだね。遠いと思っていたけど、こうしてここに来て話すとそう昔じゃないと思えてくるから不思議だよ」
「・・・そうだな」

 だが、時は恐ろしいほど過ぎていた。二人はわかっていたが、口にしない。ただ黙ってアルコールを口に含むだけだ。

「今日は一体?」
「・・・ただ話がしたい。そう思っただけだ。・・・でも別に思い当たらない。・・変だな」
「・・・?エース、もう酔ったのか?」

 二人がここに座ってまだ一時間と経たない。グラスも今手に持っているものだけだ。

 しかしエリエステスは呂律の回らない舌でおかしそうに笑う。体が揺れるたびにグラスが悲しく鳴った。深夜のせいか店内にほとんど人がいなく、かすかな音でも大げさに響く。

 レイシーは眉間にしわを寄せ、少し彼女に近づいた。エリエステスは頬杖をついたまま動かないでじっと前を見つめたままだ。表情は硬くも緩くもなく、ただうっすらと笑みを浮かべている。

「エース・・・」
「何か話したいと思った。誰でもいいと思い、カルアたちを叩き起こそうとしたが・・・気がつけば、ここだった」
「・・・酔ってるね」
「そうだな・・・酔ってる。・・・・ずっと、もう長いこと酔っている・・・」

 エリエステスはグラスを置く。もう一杯と思ったが、それをどうやって言えばいいかなぜかわからなくなってやめた。

 一息つき、両手に頭を乗せる。たった一杯の安いアルコールが全身をどくどくと駆け巡っていくのがわかる。それをレイシーの指がそっとなだめる。彼の指はいつでも冷たい。肌がよく知っていた。

「・・・すまない、レイシー。呼びだしておいて、この様だ」
「謝るなんて珍しい。それが聞けただけで私は満足さ」
「・・・そうか。・・・それはそうと、よく抜けれたな」
「まだ・・・・大丈夫だ」

 言葉の間に「暗殺」の字が埋まっている。エリエステスはそのことも聞きたかったが、やはり口に出せなかった。

「外に出ようか?」
「ああ・・・そうしよう」

 エリエステスはふらりと立ち上がると、適当に金を放り出した。酒場のマスターがおつりだと叫んでいるように聞こえたが、さっさと外に出ていった。


 後ろからレイシーが慌てて近づいてくるのを感じ、足はようやく止まった。


「今日の君はおかしい。何かあったのか?」

 二人は立ち止まる。エリエステスはレイシーに背を向けたまま、目に手をあてた


「レイシー」


 声だけが彼を呼ぶ。しかし体は遠い所を求めている。


「お前は・・・・・」


 土が動く。軽く砂埃が上がり、エリエステスは振り返る。そこにはずっと共に歩んできたレイシーの姿が昔と変わらず佇んでいた。しかし表情は硬く、冷気を帯びていた。



「お前は、私を殺すのか?」



「・・・・・エース?」




 レイシーの顔に明らかな困惑の表情が浮かぶ。

「私を殺し、女王を葬るのか?」

「何を言ってるんだ?意味がわからない。私が、君を?まさか。ありえない」

「だがお前はラスティカを裏切る」

「でも私は・・・・俺は、君を裏切らない」

「はっ。いつからそんな馬鹿になった。ラスティカは私だ。私は女王と共にいる人間だ。・・・私を、全てを・・お前は裏切る」

「違う!」

「じゃあなんでここにいる!お前は誰だ、お前はなんだ・・・。裏切り、ラスティカを罵り・・・!私に暗殺計画まで持ち出す・・・・そして、殺す。私を都合よく葬るんだろう・・・?私がいなければ、多少だがラスティカの力が減るからな」

 エリエステスは自分の体を支えれなくなっていた。膝が笑い、全身の筋肉が弛緩した。倒れそうな彼女をレイシーは急いで掬いあげ、引き寄せる。


「放せ、レイシー」


 だが彼女は抵抗しない。できないのかもしれない。

「放せないのなら、このまま・・このまま、私を殺せ」
「・・・・すまない、エース・・・。俺があんなことを言ったせいで、君はおかしくなっている」
「ははは、やっぱり馬鹿だろう?いつからそんな自意識過剰になった。お前のせいじゃない・・私のせいだ。私は・・・狂ってなどいない・・・私は、健全だと信じている狂人ではない・・!」

 かすれながらもエリエステスは叫び続けた。悲痛な呻きは全てレイシーの胸に沁み込み、心の底から締め付けてくる。思わずレイシーの手に力が籠り、エリエステスの二の腕に食い込む。彼女は痛がる代わりに、息を漏らす。

「どちらにしても・・・私は死ぬ。そう予言が出ているんだ・・・私を・・殺してくれ・・」

 雑踏にまぎれてしまいそうな小さな声は、星空の下の元で痛々しく耳に通る。

「私は、もう終わらせたい・・・今すぐ女王のところへ行きたい・・・・」

 レイシーの爪がエリエステスの皮膚を突き破る。ぷつん、と音もなく破れた先から血がぷっくりと浮かびあがり指をからめとる。エリエステスは顔を上げ、レイシーと目を合わせる。彼女は痛がるどころか、頬笑みを浮かべていた。涙もない。そこにあるのは、エリエステスと判断できないほど弱り切った女だ。

 レイシーは笑うことも泣くこともできない。抱きしめることすら、忘れてしまった。

 弱らせたのは誰だ。なぜこんなにも死にたがる。

 疑問は疑問の形をとる前に崩れ、思考回路はやがて停止した。


「・・・・レイシー」

 何度目かの声で、レイシーはようやく返事を返した。

「何・・・?」
「お前は、私を殺してくれるか?」
「・・・・無理だよ。俺は君を殺せない」
「・・・私は、お前に殺されるなら本望だ」
「・・・・俺はそれを素直に喜べない。必要としてくれるのは嬉しい。でも、そのことだけは・・・だめだ、エース。今日はもう終わろう。帰ろう、それぞれの国へ」
「・・・・私の帰るべき場所はもうない。失われた。・・・私が、幕を下ろして舞台を消したんだ・・・」

 エリエステスはレイシーの体から離れると、自分の両手を眺めた。闇に消える手は薄ぼんやりと輪郭を帯びているだけでほとんど見えないが、明らかに赤いものがへばりついていた。もしかすると眼球にこびりついているのかもしれない。エリエステスは発狂しそうな心を赤いものがついた手で必死に抑えた。

「エース。俺と、来る?」
「どこへ?」
「・・・・わからない」

「・・・・やめておこう・・・。・・・今日は本当にすまない。・・・どうかしてる。私はお前の言葉にショックを受けていないし・・・昔から女王の存在に否定的だったのは知っている。今さら・・・今さら何かを聞いたところで、何も変わらない。・・・・私たちは・・・昔から決まっていたんだ。あの日、あの場でお前と会うことも。お前と剣を交わしたのも。・・・・あの過去は今からの未来でもあったんだな・・・」

 エリエステスのつぶやきが風に乗って消える。星はせわしなく瞬き、まるで彼女を責めているようだった。

 レイシーは手を伸ばし、もう一度彼女を自分の元へ引き寄せた。ぬくもりは全くなかった。

「全て戯言だ。酔った軍人の戯言だ・・・・。どうか、流してくれ」
「もちろんだ」
「そうか。・・・・それを全て了解した上で、私を殺せ・・・」
「・・・・無理だよ」
「では・・・・戦場で私は死のう」
「なんのために?」
「女王のためだ。そして・・・シナリオの・・・・」

 エリエステスの気配がゆっくり落ちていく。今まで消えていた重力が元に戻り、ずるりとレイシーの中に埋まっていく。

「・・・・エース?」

 呼びかけに彼女は答えない。瞼は貼りついたように眼球を包み、言葉を交わしていた口は息を吸い込んだまま動かない。

 レイシーはエリエステスの頭をそっと抱え、固く目を瞑った。

 いつから彼女はこんなにも死に魅入られていたのだろう・・・・。








 ああ、わかった。

 月は薄墨の雲に隠れているが、薄らと白い光を透かしている。そこまでして地上を照らしたいのか、とウナは罵倒しそうな口を押さえた。

 ウナは両手を見つめる。沢山の思いがへばりついていて気持ち悪い。期待、憎悪、嫉妬、後悔、そして女王。いっそ血だったら楽だったのかもしれない、と思っても笑うこともできない。見つめる目は逸らすことができなかった。

 両手を強く握りしめる。日に日に、力が強くなっていく。女王の力が。

 それを意味するのは。その真意は。

 ウナは封じられた片目に爪を立て、無理やりこじ開けてぼんやりした夜空を死んだ瞳に映した。冷やかな風が傷口に入り込み、目がまだ生きていることを擬似的に奮い立たせる。

 く、と気がつけば口が笑っている。口の周りの筋肉が引き伸ばされ、愚かしいその事に失笑する。


 つまり、そうだった。


 この時ばかりは女王の力に感謝しなくてはとウナは手を放し、瞳をもう一度封印した。ぐちゃ、といやらしい水音を立てて血は枯れ果て肉はつなぎ合う。再生する力も日増しに強くなっていく。

 風が窓をたたいた。否、風ではない。猛々しい赤のオーラ。

 ウナはそっと窓の外に目をやる。もう少しで夜明けが訪れるという闇夜の中、隆起した体が弱弱しく庭を徘徊している。

「愚かなエリエステス」

 ウナはわざと口に出し、彼女を彼女の知らないところで責めて顔をゆがませた。口はまだ笑ったままだ。

 風がまた窓をたたく。ぱり、ぱり、とか細く、縋るように。

「・・・・」

 ウナは歪む瞳でエリエステスを眺め続ける。そして彼女もまた、足を止めて上を向いた。


 合うべくして瞳は交わる。


 ウナの中にエリエステスの言葉が流れ、封印されていた想いが解き放たれる。今日の彼女は・・いや、最近のエリエステスは自分の愚かさにおぼれ、弱くなっていた。無防備になった心からは情報がどくどくと、アルコールが全身を駆け巡るように脈打って入ってくる。

「そう。予言ははずれて・・そして「当たった」。その通りね?エリエステス・・・・」

 そうだ、とエリエステスの低い声が庭から聞こえてきたのは錯覚だろう。だが彼女の瞳は肯定だと光っている。

 ウナは笑った。

「・・・・そうよ、そうよ!」

 ベールがはがれていく。

 今日はより一層エリエステスは弱い。

 だからこそ、ようやく見えたもの。


「・・・・女王は、生きてる・・・・」


 いいや、死んでる。だからあなたが女王。


 そうです。私が殺しました。


 だから、私に烙印を。


 エリエステスの悲痛な呻きがシンバルのようにぐわんぐわんと頭の中に響いてくる。いつもだったら死にたくなるほどのたうち回り、力に嘔吐するのだが、この時ばかりはウナも笑ってエリエステスを静かに罵倒した。


 誰が、烙印など!



 お前に必要なのは、屈辱的な死に場所だ。








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