| パディたちが出かけた直後、エリエステスはメイドたちの控え室へ早足で進んだ。気持ちは急く上に足の運びが遅いように感じられ、エリエステスは無意識のうちに眉間に力を入れた。赤い絨毯がどこまでも小馬鹿に、エリエステスを嘲っている。どこまで、長く長く。 すれ違いざまに何人かの人が通り過ぎたが、今のエリエステスには目に入らない。 女王の写真、唯一の思い出。女王と共有した時を具現化してくれる、永遠の一枚。 それを無くして慌てふためく子供のように、エリエステスから余裕が消える。 思い出が消えるだけならまだよい。 あの写真は女王の存在を明るみに出してしまう、女王が150年間生き続けてしまっているという事実の「証拠写真」なのだ。 うかつだった、と舌打ちしたい気持ちを必死に抑える。 どうすることもできない不穏な気持ちが足元から徐々に絡め取り、全身をくまなく襲う。 城の中に「何か」がいる。いや、違う。何かは元々・・・潜んでいた。 何かがずっと、見えないところにいただけ。それが表だって出てきたこと・・ただそれだけなのだ・・。 イエローサイレン 15 勢いよく扉が開かれた。普段は軋んだ音しかしないのだが、ここぞとばかりに爆発しそうな音を思い切り立てる。 メイドたちは全員肩を飛びあがらせ、同じ方向をゆっくりと見つめた。 「エ、エリエステス大佐!」 誰かが叫ぶと、一同は作業を中止し、立ちあがって頭を急いで直角に下げた。多少のばらつきはあれど、一糸乱れぬ姿は教育が行き届いていることを十分にわからせる。 エリエステスの頭は少し冷え、「はたして彼女たちの中にそんなやつがいるのか」と疑問が不安そうに頭をもたげた。しかしわからない。今の自分の心の中は疑心で満ちているのだから。確認せずにはいられない。 「頭を上げていい。少し聞きたいことがある」 「なんでしょうか」 中年のメイドが一歩前に出る。メイドとはいえ凛とした空気をまとい、恐れることなくエリエステスの目を見つめる。そういえばこの人がメイド婦長だったな、とエリエステスは頭を巡らせる。自分にかかわり合いのあるメイド―ラミィ以外は正直覚えていない自分がいる。それではいけないなと大佐としての思考を一旦破棄し、エリエステスとしての自己を浮上させる。 「私の部屋の担当は誰だ?」 「はい。通常はラミィがしますが、他は二人・・・ルアーナ、ウェルスが」 名前を呼ばれ、二人のメイドが前に出た。二人ともまだ年頃の娘だった。ラスティカは裕福だが、かといって自由にいくらでも衣食ができるわけではない。やはりそれなりの金が必要になる・・・つまり、奉公にでる人はそれなりにいる。そういう事情もあり、二人の娘はまだ幼さが残るがメイドとしては珍しくなかった。 エリエステスは一瞬だけ観察すると、軽く頷いた。 「私の部屋での規律は知ってるな?」 二人のメイドはおどおどと瞳孔を震わせながら軽くうつむくように頷いた。まだ面識がないため、獣のオーラ背負うエリエステスが恐ろしいのだろう。まるで子羊のようだ。 「はい。不用意に物に触れてはいけない・・・それと引き出しなど中の整理はしなくてよい、と」 「私たちは言われた通り、ベッド回りと絨毯の埃、窓の掃除などしております」 「そうか。・・・他、変わったことは?」 二人のメイドは首を横に振り「特には」と口を閉じた。 エリエステスは腕を組むと、少しだけ思考に浸った。 ならばどうして写真がない? いや、そもそも。 どうして写真だけがない? 盗むなら他の物を盗めばいい。それなのにどうして? しかも確実に、写真だけを引き抜いている。つまり・・・最初から写真だけ、そして写真の場所を知っていた。 一体なぜ?何が起こっている? たったそれだけのことだが、エリエステスは不安で仕方がなかった。 「た・・・大佐?」 メイド婦長が不安げにエリエステスを見上げた。 「あ・・・ああ。何でもない。何もなければ、それでいい。・・・邪魔をした。作業を続けてくれ」 「はい」 メイドたちは今度こそ一糸乱れぬ動作で頭を下げ、エリエステスが出ていくまで体を崩さなかった。 しかし当のエリエステスは部屋を出た途端、壁に倒れ込むようによりかかり、しゃがみこんでしまった。足の関節が一気に引き抜かれたように、マリオネットの糸の如くぷつりと倒れる。 どうしてこうも不安な要素が次々に生まれるのだろうか。 エリエステスは強く頭を掴むと、目が潰れそうな勢いでぐっと瞼を閉じた。そこに浮かぶのは赤い渦だけで何も見えない。考えようとしても女王の姿すら出てこない。不気味に笑う口元・・・誰かはわからない、姿なき影におびえる。 エリエステスは最後に自分の人差し指を噛み切り、ゆっくり立ち上がった。 同時に獣の自分も目覚めさせる。 動くな、動じるな、自分。たかが写真・・・万が一女王のことが外部に漏れたら。 「黙らせればいい・・・」 その台詞を最後に、エリエステスの瞳は完全に軍人・・・いや、非道なる冷たい藍色に変色していた。指から流れおちる赤い脈だけが、暖かく蛍光灯に照らされていた。 扉をゆっくり開く。扉に施された文様は豪華とはいえないが銀色の装飾は城にふさわしく、簡素でいて重厚たる雰囲気を放つ。しかし扉自体は軽く、軋む音すらなくすっと開いた。 誰もいないと思っていた白い会議室だったが、そこは猫が昼寝をするようにつっぷす人物が一人いた。 無造作に縛られた赤茶色の髪。光によってはピンク色にも見える。華奢だが軍服がすっかり染みついた体は、女だと認識させる。そんな外見などじっくりみなくても、こうして呑気に寝ていられる人物は、エリエステスが知っている限りでは一人しかいない。 「待たせてしまったか?マレルーナ少佐」 マレルーナと呼ばれた女はスイッチを入れたようにピン、と素早く顔を起こした。その目はまだ眠そうにとろんと瞼を落としていたが、エリエステスを確認するなり見開かれ、立ちあがって敬礼をした。その流れに無駄はなく、軍人生活の長さがわかる。 「申し訳ございません。昨日、徹夜でして」 先ほどまで寝ていたとは思えないほど、張りのある声で淀みなく言う。顔つきからしてまだ20代前後といった感じだが、やはり滲んでくるものは軍人の冷たさ。それもそのはず、彼女は第三軍の少佐にして、参謀の鬼なのだから。 「気を楽にしてくれ」 「はい」 二人は同時に椅子を引く。エリエステスは彼女の前に座り、マレルーナは遠慮してか、大佐が座るのを待ってから座った。 「私を待っていた・・・と、解釈していいのかな?」 「はい。カルア少尉にこちらだと言われましたので」 「わかった。それで、内容はやはり・・・・」 マレルーナは目で頷くと、姿勢を再び直し、手を膝の上に乗せた。 「他の国の情勢についてです。ファンダムは今のところ動きはないですが、事によってはラスティカにつくようなそぶりを見せています。イアン大佐は無口ですが、ラスティカを結構思っている節がありますので。そしてルエンダですが・・・こちらもラスティカにつきそうなんですが、ニース大佐の動きがあまり・・わからないんです」 「わからない、とは?」 「あの国は元々沈黙の国。なかなか外部に情報を漏らさない国と有名ですから。・・・なので、ニース大佐は大佐自身はラスティカを向いていても実は・・・なんてことが、ありそうな気がするんです。あくまで、私の見解を交えての意見ですが・・よろしかったでしょうか?」 「ああ」 マレルーナは外見は町娘のようだが、これでいて切れることはエリエステスは知っている。でなければ、貴族でもなければ物理的な力もない彼女がこうして少佐の位置につけるはずがなかった。恐らくマルファのマルシャルの右腕・・・リーレンと頭の良さは張るだろう。 エリエステスは前かがみに手を組むと、じっと彼女の目を見つめた。マレルーナは動じることなく、言葉を続けた。 「そしてフィリファナはもっと・・・わからないんです。唯一の連合国ですから、意見が一致しないということもありますが・・・あの国は色々な意味で独立してますから」 小さな国をまとめ、総称としてフィリファナと呼ばれる国。独自の文化が築き上げられ、トップに立つ人物も「王」としての名を持つ。それはラスティカも承知し、何より女王がそう任命してある。何よりも平和で、何よりも穏やかな国として立っているが、基本的にはラスティカの干渉を受けない。独自の文化が自立心を持ってしまったのだろうか、そういった内面はわからない。 エリエステスはもちろんそのことをわかってる。肉に埋もれた穏やかな瞳をもつニコル王。彼が何を考えているか・・・思い出したところで、何か出てくるわけではない。エリエステスは急いで思考を切り替えると、少しうつむいた。 「そうか・・そうだな。あの国は独特だ。・・・今のところ謀反を企てそうな感じは?」 「ありません。三国とも、今後の戦いでどう転がるかを考えているようです。なので今は放っておいても大丈夫でしょう。味方ではありませんが、敵でもないようです」 マレルーナの瞳の色が変わった。これからが本題のようだ。 「そしてシャワルです。警備が強くなったので、探りを入れるのが難しくなってきましたが・・・今のところ何かをやろうと準備している様子は見られません。通常通り、と言った感じでしょうか」 通常、の中にはありとあらゆるものが詰め込まれている。 シャワルは反女王派、そしてあまり恩恵を受けていない国。それは先代王とディアンダ姫がそう望んだから・・・しかし望みは国民全ての願いではない。よって、他国に比べて貧困なシャワル国は内乱と言うには少々小規模だが、そういった争いの類はある。他国にはあまり知られていないが、事実だ。 エリエステスはしばらくその「内乱」という言葉を忘れていたが、彼女の言葉で少しだけ思い出し・・・あまり自分がそういうものに関わっていないということに気づいたが、今の時点でとりあえず保留だと心中に留める。 「わかった。こちらとの戦争の様子は?」 「ない・・といっては、少し違いますが、似ています。ディアンダ姫が動く様子はありません」 他国に向けてですが、とマレルーナは言葉を続けて一旦止めた。 エリエステスはそうか、というと同時に呼吸を緩める。安心したわけではない。むしろ、もう少し力を入れなくてはならない。 戦うのであれば、こちらもそれ以上に装備する。しかし戦う様子が見られないとなると・・・もしかすると何か罠を張り巡らせているのかもしれない。静けさが一番恐ろしいことは、なぜかわかっている。 エリエステスも言葉を止め、しばし思考する。 マルファについては何も聞かなかった。それは少佐もわかっていることだろう。裏切りの果てに見える、国の情勢。暗殺。事は進んでいるのだろうかと問うが、夢物語のように朧げでいて滑稽な情景しか思い浮かべれない。 ディアンダ暗殺・・・本人は気づいていないのだろうか。こうして宣戦したのだ、可能性の一つとして考えているのかもしれないが・・・全く動いていないという情報。もしかすると内乱というものに実は踊らされ、宣戦布告したはいいもののこちらにまで気が回らない状態・・・というのも一つに考えるが、少々甘い。動きがないという情報もどこまで信用できるものかわからない。 だがマルレーンは信用できる人物だ。三軍は固い連中が揃いに揃っているが、彼女だけは柔軟な姿勢を見せる。思考の切り替えが極端なところはあれど、頭の回転は滑らかだ。情報を集めることに関しては、実力はかなりあり、嘘はつかない。 とにかくエリエステスはどこか不安でたまらなかった。 写真が消えたせいもあるかもしれない。女王のことについて動揺しているのかもしれない。幼馴染である、彼の存在もまた。 不意にウナの姿がよぎった。彼女は女王だが、まだ女王ではない。だが素質はもう見せている。 どこまで知られているのだろうか。どこまで理解しているのだろうか。 思考を読めてしまうという特殊な能力・・・ウナはどこまで開花させているのだろうか。 結局わからないことしか残らない。疑問と不安という曖昧なものしか。 エリエステスは軽く頭を振ると、思考から瞼を開ける。 「他に何か?」 「あとは・・・・大佐は国に住む者のことをどれだけご存じでしょうか」 「・・・というと?」 マルレーンにしては引っかかるものの言い方だ。嫌味ったらしい粘り気はないが、さらりと絡みつくものがある。それは彼女が自然にやってしまったものなのか、それとも意図的かはわからない。表情を見る限り、彼女は至って自然体だ。 「・・・・何が言いたいんだ?」 「その・・・・・」 マルレーンは少し視線を外したが、すぐに戻す。 「私たちの情報・・・それらを手に入れるためにどうやったか、と・・・。大佐に嫌味を言うつもりはありません。ただ・・・色々な人がいるものだなあと・・・。黒い人たちがいるものだと・・・」 その言葉にエリエステスは少しだけ反応した。彼女の情報収集はどうやっているかわからないし、聞こうと思ったことはない。それはマルファの右腕リーレンもそうだろう。 マレルーナは何を言い出すのだろう、とエリエステスは脈絡を感じない言葉に首をかしげる。言いたいことは何となく理解できる・・・相当嫌なものに手を付けてることも、そういったものに着手している人も、裏切りを簡単にこなす人だって・・・と、胸が疼くのを感じる。 泥がわき出る。膿が出来上がる。 女王の世界で、ぐずぐずとくすぶる何かが、吹き出そうとしている。 エリエステスは回りから見れば正義の塊。不当なものを許さない。女王以外を許せない。恩恵を最大の恵みとして受け入れる。言わば、固い性格なのかもしれない。 「いずれ・・・そういう奴も雇う日が来る・・・いや、手配しなくてはいけないんだろう。・・・少佐の情報源も・・いずれ表に出させてもらう」 そう言ったが、奥では黒い膿を出したくないと喚く。 エリエステスは奥歯を噛み、それらを必死に押しとどめようとする。 今は極力見ないようにしている自分・・・酷い偽善・・・いや、酷く傲慢な思い。 「はい、お願いします。・・・・あの、もう一つ・・・。・・・・私個人の提案・・そういうものばかりで申し訳ないですが。・・・この戦争に向けて、部隊を編成すべきだと思います。特に、暗部に特化したチーム、戦力を誇るチーム・・・まだ私の中でも朧げですが」 エリエステスは強く瞼を閉じると、ゆっくりと開いた。 「そうだな・・・」 「そして・・・私たちは来る日のためにそれとは別の準備をしなくてはいけない。それは・・・武器ではなく、気持ちの。何が起こっても動じない心を。私たちはひどくボケてますからね。きっとショックは・・大きいかと」 「そうだな。消耗していては、負けてしまう。・・・少佐、いずれまた・・・色々話そうとしよう」 エリエステスのその言葉を待っていたように、ノックが響いた。夢見心地で会話していた二人だったが、この音で現実へと一気に引き戻された。 エリエステスは振り返り、声をかけると一人の兵士が敬礼をしてハリハリと台詞のような言葉を出した。 「エリエステス大佐に面会が」 「私に?一体誰が。今日は誰とも予定は入っていないが・・・」 「それが、その。エルーダと名前を出せばわかると」 その瞬間、エリエステスの心が軽くなった。 それは顔にも出ていたのだろう、目の前の兵士はやや驚いたように顔をぴくんとわずかに反応させた。 「わかった。大事な客人だ、私の部屋まで案内してくれ」 「は」 兵士は敬礼しなおすと、機敏な動作で扉を閉めて出ていった。 「少佐、そういうことだからまた話は」 「はい、わかりました。私は引き続き、色々としてますね」 少佐の声のトーンが少し幼く甲高くなった。軍人としての声ではない、普段の声だ。それだけで部屋の気温は上がり、空気は緩んでいく。 エリエステスも少し肩の力を抜くと、片手を挙げて出ていった。 エルーダ・・・エルーダ・ヴェイン。名前を聞くだけですぐに頭の中に姿が浮かぶ。そして在りし日のことも、一番楽しいと思えた時間に遡ることも、いとも簡単にできる。エリエステスにとって無二の友人。 一体何なのだろう?ああ、でも友人と久々に会える。 それだけでこんなにも自分が戻ってくるなんて思いもしなかったと、先ほどまで乗っていた重圧も軽減される。。 例え、唐突すぎる訪問だとしても。現時点でこんなにも危うい状況のさ中、連絡もなしに会おうと来たとしても。 今のエリエステスにとってはありがたい訪問であった。 |