| 同時刻、ラスティカの街。 友人の名を聞いて心を少し解かせる女軍人が廊下を渡り歩いている時、パディたち三人は街を早足で巡っていた。 先頭に立つのはラミィ。くるりと大きくカールされた髪が楽しそうに跳ねながら、彼女の足は進む。今にもスキップしそうな陽気さに太陽すら笑っているようだった。 しかし、そんな鼻歌交じりの彼女と世界を切り離されたところにウナは立っている。パディからはそう見えた。全てから剥離され、一人ぽつんと孤立している。 エリエステスのように猛々しいオーラによる一匹の獣の孤独ではなく、どこにも属しているようで属していない、目に見えない空気のような存在。酸素という名前が名付けられているのに目に見えず、手に触れることができない。しかし常に付きまとっている・・・そんな印象だ。 色彩の女王は世界の色を放つという。 つまり、それは「女王」のオーラなのだろうか。 だとしたらとても寂しい、とパディは無意識のうちのそう思ったが、決して心の中でも言葉にしなかった。何となくの形だけ作り、すぐに消した。 そんな彼女が言う「何かが起きる」と。 ならばきっと・・・彼女は何かをすくい取っている。パディはそれを見てみたいと思う反面、そんなことは何もないという冗談交じりの失笑がこみ上がりそうになる。 「・・・・・」 ウナが軽く振りかえった。 何も言わずに、軽やかに笑う。さわやかにではない。とても希薄に。 白濁とした瞳は全てを知っているようにしか見えなかった。 イエローサイレン 16 懐かしい足音にエリエステスは思わず耳を立てる。嬉しさで体が震えだしそうだ。快感にもにた喜びがまだ胸にあるとは、と違う脳味噌が冷静に自らを笑う。それでも今の彼女は素直に喜びたい気持ちでいっぱいだった。先の会話が重々しいものだったせいか、よけいにそう思ってしまう。 自分もまだそういう部分があるのか・・とやや皮肉に笑いたくなると同時に足音が止む。 ノックが響く。数秒と間をおかず、エリエステスは「開いている」と幾分かトーンの上がった声で答えた。 かちゃり、と扉が開くと同時に褐色の肌てが見えた。そして独特の民族文様があしらってある麻の衣服、続いて緊張しつつも笑顔をつくる口元。目線を上げると、黒目がちの人懐っこい温かさにじむ顔があった。 エリエステスは「変わらない」と安堵の息を漏らすと、ゆっくり立ち上がって近づいた。 「エルーダ・・・久しいな」 数年ぶりに口にする友の名はどこかこそばゆかったが、それは彼も同じらしく、しばらく声が出ないでいた。 彼は数秒、無言でエリエステスの手を取ると、ふと気を緩めて顔を崩した。そしてぱっと電気がつくように一瞬にして笑顔が花開く。その笑顔だけで、彼の人の良さがわかる。 「やあ、エース。・・いや、麗しのエース大佐、と呼んだ方がいいかな?」 「よしてくれ、エルーダ。・・・まったく、そういう言いまわしは変わらないな」 「そういうエースも。相変わらずたくましいことだ。大佐になったから俺のことなんて取り扱ってくれないかと思ったよ」 「友人はいつまでたっても友人さ。大佐という身分は・・・・二の次だ」 語尾は弱まってしまったが、エリエステスは満面の笑みで彼を迎え入れる。彼も答える以上に笑みを浮かべ、二人は何度も手を握っては振った。 エリエステスの瞳に明るさが取り戻される。先ほどまで冷え切っていた体は嘘のように楽になり、今なら空も飛べると、恥ずかしい話だが思ってしまうほど軽い。 心が数年前へと急速にさかのぼる。大佐になる前の姿、学生時代の自分。ただ強くなりたくて、楽しくて剣を振り上げた数年間。かけがえのない友人との出会い、無駄なおしゃべり、無邪気な日々。 こうして思い出が華やかなものになっているのも、目の前にいる彼、エルーダのおかげだった。 エリエステスはゆっくり呼吸をすると「まず座ってくれ」と促した。彼は遠慮するそぶりなく、喜んで目の前のソファに腰かけた。そういった気兼ねのなさも、また嬉しいものだった。 「どうしたんだ一体。数年間、音沙汰もなしだったお前が・・・・」 「んー、まあな。シャワルに帰ってから色々あってさ・・・。ま、そのあたりはまた話すよ」 まるで昨日今日あったような口調は時代を錯覚させる。しかし目の前の彼を見ると、やはり月日を感じた。幼さはもうなく、どこか殺伐とした剣が見える。懐っこい瞳の奥は、暖かさと入り混じる冷たさやこれまで重ねてきたであろう、気持ちの違いが見受けられた。それは自分も同じかもしれないが、少なくても今だけは学生時代と何も変わらないと思っている。 エリエステスは改めて顔を緩めると、ゆっくり両手を組んだ。 「それで?」 と、用事を聞いてしまうことにエリエステスは少しだけ悲しくなった。ただ会いたい、遊びたいだけで出会うということもあるだろうに。長年の友人ならなおさら。なのにこうして訊ねてしまうなんて、と虚しくなる。 エルーダは気にしているだろうか、と顔を見てみたが彼は何も変わらずにこにこと朗らかに笑っている。 「いや、んー・・・理由はあるんだが・・・その。とっかかりがな。難しくて」 「なんだそれは・・・・」 「うーん、いやあ・・そうなんだ。本当なんだ。・・・だから少し、昔話に花を咲かせようと思うんだが?色々と間の出来事は知らないからなあ」 「それはいいかもしれない。私もエルーダが向こうに帰ってからのことを聞いてみたい」 エルーダは笑いながら頷くと、どっしりと背を埋め、息を軽く吐き出した。 「俺のことは最後にしてくれよ。用事と重なるからさ。だからまずは・・・そうだな、エースのことでも聞こう。最近はどう?なーんてことよりも・・・ひとくくりに・・どうだ?大佐生活は」 エリエステスは片手を軽く上げ「まあまあだ」と同じようにソファに埋もれながら答える。 「それなりの生活さ。女王がいる時は、世話係みたいなことをしていたから忙しかったが・・・亡くなってからは、国をまとめるということもしなくてはいけないから、大変だ」 「まさか友人が国のトップに立つなんて思いもしなかったよ・・・。・・・っていうのは、レイシーも同じか」 「・・・・・・」 エリエステスは思わず反応しかけたが、ゆっくりと心に押しとどめた。 学生時代、レイシーとエリエステスは剣を練習し合う友人であったが、それ以前にエルーダはレイシーの友人であった。転入してきたエリエステスをレイシーが迎え、エルーダと自然に友人になった・・・流れで言えばこんな具合であった。 だから彼の口から「彼」のことが出るのは自然なことだったが、エリエステスの心は揺れた。これを動揺というなら、何に揺らいでいるのか・・・心は答えてくれない。 エリエステスは目を少しそらすと、笑みを消した。 「あのレイシーがな〜・・・マルファでトップなんて、信じられないな。俺はてっきり、エースと一緒にラスティカの軍人になるとばかり思ってたんだけど」 「私もそう誘おうと思ったんだがな・・・。気がつけばああだった」 「何も相談なしに、だよな。俺だって知ったの、マルシャルになってからだしな」 「・・・・・レイシーは、変わったな」 「・・・・そうだな。別人・・・とまでいかないけど、なんつーか。気味悪くなった」 その台詞にエリエステスは思わず笑い、堪え切れないとばかりに口元を押さえた。しかしどことなく影が残り、暗い笑みとなった。 「はは、まったく・・まったくその通りだな。気味悪くなったよ、レイシーは」 「だろだろ?トップになるちょっと前だったかなー・・・いつかさ、会って。その時あいつ、「俺」じゃなくて「私」だったしさー、にこにこ無駄に笑ってるしさー。あと、無駄に物腰が変っつーか、あんまりらしくないってか。昔はやんちゃだったよなーあいつ」 「そうそう・・・そうだったな。全てにおいて、変だ。何を考えているのか・・さっぱりわからない」 エルーダは懐かしそうに目を細め「まったくだ」と感慨深そうに頷いた。ゆっくり上下する頭はおそらく、在りし日の姿の映像を流しているのだろう。エリエステスも同じだ。鋼がすり合う音が、競うように飛び散る汗が、そして目の前の景色がセピア色に瞬いている。 思い出はどうしてこうもきれいに映ろうとするのだろう。 次の瞬間、エルーダの台詞によってエリエステスはさらに強く思うのだった。 「・・・・でも俺も似たようなものだ」 「え?」 「エース」 エルーダの瞳はすでに懐っこさは消えていた。寸分変わらぬ暖かい丸い目に浸かっていたエリエステスだが、たった一瞬にして変わってしまった彼の瞳に寒気を覚えた。動向が縮まり、獲物を狩る鳥のように鋭く研ぎ澄まされていく。 この瞳を、エリエステスは見たことある。 軍人に、レイシーに、そして自分に。 体中を巣食う、獣の瞳を。 「エース」 もう一度名を呼ぶ彼の声は、先ほどの声とまるで違った。どこかけだるさを感じるおっとりした口調はどこかへ消え、今や耳を切り裂く冷たい声へと変貌している。 エリエステスは思わず顔をしかめた。この先の言葉を探るように瞳を覗き込んで、ひたすら見つめた。その奥にあるものは何かと強い不安を覚えながら。 「・・・・俺も、変わったかもしれない」 自白に近い呻き。声は苦しそうに言葉を紡ぐ。 「・・・・エース、すまない。俺は・・・確かに、エースに会いたいと思ってここに来た。でも友人としてじゃない。俺の・・・俺たちの活動のために」 「・・・・何を、言って・・・」 「俺が帰ったその日・・・俺は変わらなくてはいけないことを知った。俺が、俺たちが、あの国が・・・女王の恩恵を忘れた国が復活するためには、「こう」するしかなかったんだ・・・。突然ですまない。本当に、すまない・・・・」 懇願するようなうめき声に、エリエステスはひやりとした冷たさに全身が浸されていくのがわかった。 「エルーダ・・・?」 「率直に言う。俺たちと・・・手を組んでくれ、エース」 その後、エリエステスはマレルーナ少佐の言葉を少し理解することとなる。そして唐突にあのように話し始めたことも。人はそれぞれ・・・色々で、色々な人が・・・黒い人々がいるということを。準備しなくてはいけない段階を。そしてすでに、エリエステスの知らないところで始まっていることも。 黒い塊が、膿が、影が生まれ出ようとしている。 彼女はまだそれに気づいていない。 第一軍少尉・カルアは大股に廊下を進んでいた。足の先は絨毯で音をすっかり吸収してしまうはずなのだが、なぜかどすどすと震動が音となって響き渡っている。まるで彼の心境を表しているようだ。 つまり、彼は今腹を立てていた。 何に対してか、それは明白だ。彼は頭を巡らせ、つい先ほどまで起こったできごとや朝から驚くべきこと、そして上司であるエリエステス大佐の顔を浮かべては消した。そして最後に残ったのは、大佐の力ない姿。宣戦、そしてスパイのまねごと、それだけではなく元々やらなくていけない大佐としての仕事・・・疲れの要因はいくらでもある。 カルアはそれらを少しでも軽くし、かつての快活な大佐の姿を取り戻そうと思ったのだが・・・小さいとはいえ、不運な出来事は続くものだ。 不意に甘ったるい声が廊下の奥からこだました。 カルアはそちらに向かってさらに突き進む。 「・・・・ライス大佐。何をやってるんですか」 わかっているが、聞かずにはいられない姿。廊下から中庭へ出れる道沿いに背中を丸めてしゃがむ人物がいた。第二軍大佐、ライスだ。エリエステスとほぼ同期に入り、同時に登りついた大佐という地位だが、圧倒的にエリエステスの方が上だった。彼女は元々、女王のお気に入りにして世話役だったせいが多大にあり・・・ライス大佐がそれをよしと思ってないことは周知の事実。だから皮肉ばかりを言う・・・というのも要因の一つだが、元々が嫌味な人物だ。彼は皮肉から生まれた、とどこかの兵士たちが噂していたがカルアもそう思う一人である。 ライスはエリエステスの敵だということも知っている。おかげでなおさら、腹が立った。まだライスは何も言っていないのだが、何か苛立つものができてしまった。 しかし恨みの対象・ライスは何一つカルアの思いを感じず、とろんといつもの歪んだ顔をほぐし、目の前の相手に夢中になっている。 「・・・ライス大佐」 「聞こえてるって。というか、見てわからないか?」 「わかりたくありません」 「お前にしては気の利く言いまわし・・・と言ってやろう。・・・見ての通り、猫と戯れている」 ライスはおどけるでもなく皮肉を言うわけでもなく、ひらひらと手を動かしている。その先に茶色い毛の猫が嬉しそうにじゃれていた。まだ子猫なのか、それともただ飢えているのか。毛に覆われているはずの体にうっすらあばらの筋が見えていた。痛々しいが、猫は慣れているのだろう。空腹を訴えるわけでもなく、普通にライスと遊んでいた。 カルアは頭を抱えてしゃがみこみたくなったが、仮にもエリエステスと同じ大佐の人間。粗相がないよう、軽く咳払いをして苛立ちを少し解消させた。 「猫のことはわかりました。・・・それよりも、聞きたいことがあります」 「なんだ?」 相手が自分より劣る階級のせいか、それとも猫と遊んで気持ちが緩んでいるのか、ライスの口調はいつもよりも大分フランクになっている。外見もどちらかというとラフなため、違和感はない。むしろこちらの方が親しみやすいというものだろう。カルアは考えるだけにすると、言葉の続きを言った。 「先ほど、シャワルの人間がエリエステス大佐の部屋に入って行きましたが」 「あー、それな。それがどうかしたか、お坊ちゃん」 カルアのストレスが増えた。少しずつだが下がってきた苛立ちパラメーターがまた上昇し始める。明らかにばかにしているとしか思えない言いまわしだが、やはり上司なため、言うに言えない。そのことがさらに怒りを上昇させるが、それもできない・・・嫌なループだ。それを表に出しながらカルアは語気を強める。 「・・・・。・・・・僕が言いたいのは、そういうことではありません。なぜ、シャワルの人間がここに入れたんですか」 ライスは猫を軽く追い払うと、ゆっくり立ち上がった。相変わらず崩れた制服のポケットにつっこみ、カルアを斜めに見上げる。チンピラのような仕草だが、どこか軽蔑のまなざしも含まれているようだ。 カルアはその正体に気づかないまま、早口に話を続けた。 「シャワルの宣戦布告が出て以来、ラスティカの街はまだですが、城への出入りは禁止されているはずです!知っているのであれば、なぜ止めなかったんですか」 さらに語気を上げ、カルアは鼻息荒く問うたがライスは飄々としている。 「で?」 「・・・・今言ったとおりです。・・・あの肌の色は確実にシャワルの人間」 「重複するからもういい」 ライスは片手をひらりと挙げると、不敵に笑った。 なぜ今笑うのか。カルアには何一つ理解できない。その様子をおもしろがるように、ライスはさらに顔をゆがませる。どこまでも皮肉げな表情で今にも侮蔑の声を投げつけそうだった。しかし彼は吟味するようにカルアを見つめ、やがて口を開いた。 「お前は何も知らない、お坊ちゃんだなあ」 「・・・・・・・」 カルアは気付かれぬよう、手を握り締めた。そんな彼の心情を知ってか、ライスは飄々と続ける。 「エリエステス大佐も、お前も。この世界は美しいと信じ切っている、おお嫌だ。そんなわけあるか。こうした均衡を保つために、裏で働いてるやつもいるってことを理解してほしいもんだねえ。みんながみんな善人じゃないんだ。俺もな」 最後はたっぷりと皮肉を込め、ライスはここぞとばかりに吐き出した。カルアは動けず、ただそれを耳に入れるしかできなかった。 「この城だけで全てが解決できると思うなよ?・・・まあ、最初っから何かが「解決」するなんて思ってないけど」 「ライス大佐は何かご存じなんですか」 「まあ・・、と濁しておこう。俺も最近、聞いたばかりだからな・・・お前の大好きな大佐サマにでも聞いてみな。きっと今ごろ卒倒してるだろうよ」 ライスは鼻を鳴らすと、何事もなかったようにふらりと風に漂いながら消えていった。 一人残されたカルアはどうすることもできず、ただただ立ちつくして手を握りしめる。 握りしめ続けた指がうっ血し、破裂しそうになる。 どくどくと、心臓が増えていく感覚に吐き出しそうだ。 カルアは霞んでいく目に酔いながら思う。 ・・・・一体何が進もうとしている、何が侵入しようとしている? 何一つわからぬ自分に憤りすら感じず、カルアはぼんやりと空を見上げた。 それこそ空には何もなかった。 |