| 何もない空をウナは見上げる。雲のようにふよふよと浮かぶ白い瞳がぼんやりと空の色を映した。片目は髪に伏せられたまま、何も感じないでいる。 ウナは一人、心の中でつぶやく。 ・・・・見られている。 ラスティカの街に入ってからずっと感じている「何か」。それは声もなければ気配もなく、違和感というどうしようもなく不定形なもので、捉える事ができない。しかし「いる」ことには違いないのだ。いいか悪いかはわからない・・ウナにとっては憎むべき「女王」の力がそう呟いている。しかしそれは予期していたものであり、今さらどうなっても仕方がない。ただ興味本位で動いてみただけだが・・・。 さて、どうなることか。 ウナは他人事のように思考を一気に切り捨て、何事もなく前を進み続けた。 「・・・・女王サマ、反応しなかった?」 「気のせいでしょ」 ばり、と口にしたものが割れた・・・人の顔ほどもあるせんべいだ。その間から見事なまでに透通る金色の髪が風にたなびいた。静かに揺れる稲穂のような幻影的な光景だが、手に持つ菓子類で全てが台無しになっている。 年の頃は二十代前後ほどだろうか、気の強そうな顔立ちが一度見たら忘れられない印象を受ける。かといって男らしさよりも男装した麗人のような、芳しい麗しさを感じ取ることができる。こういったビスクドールがあれば即座に完売するであろう、それが彼女の第一印象。 対するもう一人の人物・・・彼女の足もとにうずくまっている男は彼女と共にいるせいだろうか、まだ幼さ残る少年に見えた。体格からして彼女と変わらぬ年齢かもしれないが・・所謂童顔というやつだろう。どことなく情けなく眉を八の字に垂らし、通りゆく人々を見つめている。 再び風が吹き、金色の髪が揺れた。屋根に上る二人の体は颯爽と揺れ続ける。 「・・・・ねえ、ヘルベルド。一個聞いていい?」 「遠慮してほしい」 「だめです。・・・もしかして・・・ここにいるのが怖いわけ?」 「そうにきまってるだろう」 彼は幼い顔立ちをしているが、声はそれなりに青年の声色だった。しかし・・はっきりと突っぱねる口調とは裏腹に彼の言葉は情けない。彼女は呆れながら髪をかき上げると、せんべいを平らげた。 「・・・ひひ?ふひははおほふっへ」 「食べてから言えって。つーかここから降ろせって、馬鹿とシェルリは高いところが好きって言われるぞ」 「ふふはい!」 口の中でうるさい、と叫ぶと彼女の放った回し蹴りが見事彼の頭上にヒットした。 「もう・・・黙ってれば可愛い顔してるのに。・・・って、女王サマ見失った!」 「うげえ・・・・」 傍から見れば、微笑ましい猫のじゃれ合いに見えたかもしれない。 イエローサイレン 17 ゆるりと日の差す暖かい表通りをラミィ、パディ、そしてウナと続いて歩く。ラミィはいつものメイド服ではなく、私服でるんるんと鼻歌交じりに歩いている。その後ろに付く美少女と一瞬見まごう金色の髪の少年・パディ、そしてフードを目深にかぶる小柄な少女・ウナ・・・仲よくくっついて歩いているわけでもなく、かといって離れてはいない、会話もまるでない。脈絡のない集団は一体何のつながりがあっているのかわからない。それぞれがそれぞれだった。 しかし先ゆくラミィはお構いなしに露店並ぶ賑やかな参道をステップを踏みそうな足で機嫌よく進む。そして時折思い出したように店に並ぶ食糧を見ては一人頷いていた。 「沢山ありますねえ〜」 暖かい陽気と同じ暖かさでラミィはのんびりとつぶやいて、りんごを片手に収めた。 果物屋に並ぶ果実たちは実に生き生きと肌艶やかに籠に盛られている。赤、黄色、緑と色彩も塗りたてのように鮮やかだ。このまま口に放り込めば甘くじゅわっと新鮮な汁が口中に広がるだろう、そんな香りも放っている。 「・・・・ったく、どこが戦争なんだか」 パディは毒づいた口調でつぶやくと、辺りを見回した。馬車から見た光景と何ら変わりない、平和そのものの街並み。確かに一歩入れば、パディやティティがいた黒い街に行きついてしまう。しかしそれは腫瘍と呼ばれるように、ごく一部のことでしかない。 統合すれば、やはり平和の一言に尽きる。 パディは滅菌しつくしたジュースでも目の前に出されたような渋い表情を浮かべた。そんなパディを見てラミィは袋を受け取りながら微笑み、辺りを見回すようにくるりと体を一回転させた。大きくカールした髪の毛が軽やかに揺れ、さらなる平和を演出した。 「あらあら、パディ様。戦争は本当のことですよ。宣言らしきものも城下に出されたようですし・・・」 「じゃあなんでこんなに平和なんだよ」 「そんな突っかからないでくださいまし。・・・そうですねえ〜」 ラミィは舌ったらずな声で目を上に向け、人差し指で自分のくちびるをつついた。そのまま考えるそぶりを見せて数秒、彼女の笑みは変わらない。 「ライス大佐の宣言方法がよかった・・・んだと思いますよお」 ライスの名が出てきた瞬間、パディはどんなやつだったか思い出せないでいた。しかし思考を巡らせ・・・つんつんとした頭が出てきて、一気にその名がどういう人物か思い出した。 「みょーーーに嫌味ったらしいやつか。へえ〜どういうことを言ったんだか」 「ふふふ、そんなこと言ったら苛められてしまいますよお〜?」 ラミィはさらりと言いつつ、口もとを押さえて笑った。 「ええとですねえ、こう言ったそうです。・・・近いうちに戦いがある。しかしこの土地は色彩の女王の加護があるからいつも通りに過ごすように。ただし、戦いがあるということは常に念頭に置いてほしい。・・ま、ちょっとしたイベントみたいに考えていればいい・・・ですって」 ラミィはライスの口調を真似しながらさらに「ふふふ」と何かを含む笑い声を浮かべた。パディはわずかな歪を感じたが、面倒なので何も言わなかった。先ほどから何も言わないウナは最初っから会話に加わる気はないらしく、そっぽを向いてぼんやりとしている。 誰も聞く態度がなってない中、ラミィだけ一人嬉しそうに続ける。 「なんだか小馬鹿にした言い方ですよねえ〜これから本当に起こることなのに」 口調はいつもの舌ったらずだが、声色がどこかおかしい。どこかと言われれば指摘できないが、しっくりこない違和感があった。どこかの小さな歯車がかみ合っていないような、でもどこかが壊れることのない些細な間違い。パディは見抜くに見抜けず、反射的にウナを見た。 しかしウナは口を開くどころか、パディを見ようともしない。フードの奥から見えるのは髪の毛だけで、見える片目はこちらからは見えない。一体どこを見ているのかと目を移動させてみるが、そこには何もない。灰色の壁が続いているだけだった。 少し挙動不審なパディを見て、ラミィは息を吸い込んだ。 そして観念したように、微笑んだ。 いつもの柔らかい笑みではなく、どこか困ったように首をかしげ、口もとを震わせている。眉は何か言いたげにしわを寄せるが、中々答えは出てこない。 数秒間、生ぬるい風が漂った。 いつの間にか人はいない。 ここはどこだろう、と違う空間に聞きずりこまれたような、おぼつかない感覚のみが襲ってくる。 見えない蜘蛛の糸に引っかかったような煩わしさを覚え、パディは勢いよくラミィを見た。 「・・・・んだよ。何かあんのかよ」 「ええ?なんですか、パディ様」 「とぼけんなよ」 「うふふふふふ」 抑揚なくラミィは笑い、肩を揺らした。 「・・・・これは都合がよいって言っていいんでしょうかねえ?」 表情は変わらない。しかし声と瞳だけが何かを観念したように放棄していた。それでいて芝居のようにも見える。中々やりきれない、アマチュアの劇団を見ているような錯覚を覚える。 かさ、と虚しくりんごの入った袋が揺れた。気がつけば無音が痛々しく続いている。その中で響くラミィの声はここではない、どこかから流れてくる音のように不安定でいてはっきりとしていた。 「まんまとここまで運ばれちゃったような気がします。偶然と言ってはいけないような、誰かに仕組まれているような。そんな感じになっちゃいました。うまくいってほしいって常に思ってるのに、いざ事が順調に進むと・・・怖くなるものですねえ」 目をつむれば、彼女の声がわずかながらに緊迫しているのがわかる。しかしどこまでも彼女の表情はゆるりと、微笑を浮かべている。一見は年齢よりも無邪気に愛らしく見えるが、わずかに哀愁背負う今の顔は随分と大人びて見えた。 「こんなこと・・成功しなければいいって思ってました。できることなら、チャンスは来ないでほしいって。でも・・・作って・・いただけたみたいですね・・チャンスというのが。・・・はめられたんですかねえ?あたし」 陰りすら見えるラミィにパディは動けず、ただ見極めようとじっと見入った。 不意にふわりとパディの腕に柔らかいものがかすめた。 「・・・・・んだよ」 音もなくウナがパディの隣に立った。ただしラミィには背を向けたまま、二人は互い違いに立つ。相変わらず無表情一点のウナだが、眉が神経質そうにひくついていた。パディはその細かい表情を逃さず、そして何かが「来る」ことを肌で感じた。 ラミィは表情をゆっくりと声に同調させる。 笑顔は困り果て、口元は何とか笑みを保っているが、今にも泣きそうだ。 困惑と無理やりの笑顔をぐちゃぐちゃに混ざらせ、ラミィは最後の言葉を放った。 「どちらにしても・・・あたしは一応このチャンスを生かそうと思います。パディ様・・・・そしてウナ様も。・・・・お願いです」 ゆっくりと頭が下がる。場違いだと思いっきり訂正したくなるほど、丁重なお辞儀。 そして場違いな台詞。 「人質になってください・・・・」 ラスティカの街でパディが瞼を大きく広げた時を同じくして、ラスティカの城でも同じことが繰り広げられていた。 「エルーダ・・・・?」 エリエステスは言いなれた友人の名を確かめるように口にした。何度言っても違和感のない言葉の羅列。なのに今はその言葉と目の前の人物が重ならない。わずかにブレ、ピントが合わない。 ここは慣れ親しんだ自室だというのに、遠くの国、見知らぬ広大な土地にぽいと抛り捨てられた感覚が全身を襲う。 ここはどこなのか、ここは何なのか。 夢というにはあまりにリアルで、現実だと言うにはあまりに辛い言葉。 先ほどまですぐ目の前にあった彼の体が、豆粒のように小さく遠く離れていく。急速に縮み、空気がどろりと濃くなっていく。 全て妄想だろうか、とエリエステスは拳を握ったが、骨や筋が軋む音や関節の痛みはまぎれもなく現実、そして目の前にいる彼も実際にいる人物だ。 「・・・エルーダ。一体なんなんだ・・・・」 エリエステスは独り言のように言うと、焦点の合わない瞳をゆっくりと彼からそらした。 当のエルーダは今のところ何の態度も変わっていない。ただじっとエリエステスを見つめている。人懐っこく見えた瞳はひたすら真摯に彼女に訴えかけていた。黒目がちの目は愛嬌があったはずなのに、今はどんな凶器よりも恐ろしく広がっている。 そこにあるのは闇かそれとも底なしの沼か。それとも輝かしい漆黒の果てに見ゆる光か。 彼はその瞳を隠すと、鼻からゆっくりと息を吸った。まるで過去に咲いていた花の匂いを思い出すように、じっくりとかみしめながら。 「シャワル国に帰って・・愕然とした。俺の国ってこんな荒れてたか?って、思わず笑ったぐらいに馬鹿げた光景が広がってたよ・・・・。・・・エースは知ってるか?シャワルの現状。・・・税はしこたま取られ、肉体労働を虐げられ、女たちは・・・・。・・・おとぎの国の話みたいなことばかり起こってる。確かに、現状として読み書きできない子供は多い・・・でも・・・酷いんだ、酷すぎる・・・・。俺やエースが想像している以上に」 エルーダは自白に近い息を吐き出し続ける。エリエステスは何も言えず、見つめることも苦しかった。 「学校に行っていたころのことを考えると・・・夢の中すぎて実感がないんだ。・・・・俺、本当はエースやレイシーとラスティカで働きたいと思っていた。そうすればよかったんだと思っている。・・・でも俺は、俺を止めることはできなかったんだ。・・そう考えると、俺は何となくレイシーのこともわかるような・・気がする。・・・はは、何言ってるんだろうな、俺」 エルーダは髪をくしゃ、と握って脱力した笑みを浮かべた。 「気がつけば、暴動の日々。そして気がつけば、俺は・・・シャワルを壊し続けた。ちまちまと・・。そうやって犬みたいに威嚇してたけど、もう無理だ」 「エルーダ・・・・?」 「もう、そろそろ限界なんだ。あの国は・・・何もかも、ずれてきてる。色彩の女王の加護がまるでないあの国を・・俺は助けたいんだ。日増しに狂っていくあの国を・・・」 勝手な自白にエリエステスはどうすることもできず、そして頭の中に何も情報がないことにわずかな苛立ちと戸惑いを感じ、一人頭を抱えた。 何もかもが、戻れない。 そんな緊迫した空気が流れているとはカスほども知らず、自室でティティはベットの上にころりと転がった。 衣服はまだ寝巻のままだ。だらし無くボタンの外れたシャツ、くしゃくしゃに丸まったシーツ、縦長にしわを寄せる掛け布団。どれもまだ朝の気だるさを保っている。 起きているのだが、体がなかなか起きてくれない・・・・低血圧の悲しい運命だ。 ティティは何度も奥歯をかみしめて起き上がろうとしたが、体が鉛になってしまったか、もしくはベッドにくくりつけられているのか・・・どちらにしても、起き上がれない。 そうしてじたばたともがいているうちに、ベッドの脇にある小さなタンスがことりと揺れた。わずかな囁きだったが、物が倒れるには十分な振動だ。 ひらりと舞う一枚の紙。決められたように規則正しく、ひらりひらりと左右に揺れながら、やがてそっと地面に到達する。 「あ・・・・・」 ティティは再び寝がえりをうつと、無理やり手を伸ばして紙を拾った。 それは一枚の写真。 事実を語る、在りし日の姿。 「・・・・しまった」 ティティはようやく起き上がると、ありえないほど逆立つ髪の毛を押さえながらあくびをかみ殺した。 「ラミィちゃんにまだ返してなかったっけ」 |