| 暗い、暗い、湖の底。 全てを封じ込めて蓋をし、厳重に鍵をかっちりとかけた小さな小箱。 私を見ないでと暗い水の底にじっと息を潜めている。 しゃべってしまえば泡が地上に浮かび上がり、やがて秘密は全て公の場に曝される。 ひっそりと、ひっそりと、ずっと一人で孤独を食らう。思い出という愛しい記憶を暖めながら、私はずっと一人で沈む。 見ないで。 見ないで、私を。 「女王が歌ってるわ」 「女王が歌ってるね」 「女王が泣いてるね」 「女王が泣いてるね」 「未来が見える?」 「まだ見えないわ」 「預言はずれた」 「いいえ、はずれるようにできていた」 「だから来る」 「そうね、来たわ」 「パディ・デュランダ」 レッドゾーン 4 さて、と足を組み替えたエリエステスはまるで珍しい生き物を見るように好奇心の入り混じった・・・それでも軍人らしい平静な冷たい目をパディに向けながら口を開けた。 「まあ話は簡単だ。色彩の女王が死んだということは、世界が死に向かうということだ。現にお前のいたところはすでに「黒」に染まっていた。このまま行くと世界は確実に真っ黒に堕ちて行く」 「はん・・・知ったこっちゃあないね。俺はあれが案外と心地いい」 「お前の意見は聞かないよ、パディ」 パディは軽く舌うちしたが、彼女には全く届いていない。 パディは食らいつくことをやめた。 食らいつけないのだ。 彼女の背後には禍々しい大きく獰猛な牙を持つ獣が控えている。パディの小さな体をいつ食べてやろうかとかすかに笑って見える大きなものが。だらしなく涎をしたたらし、生温い息を吹きかけている。 そう、錯覚がくる。 小さな獣の本能なのか、これ以上はやめろと鎖がパディの全身を固定しているようだった。 内心でもう一度舌うちするとしぶしぶ、それでも目を合わさないように彼女を見た。 「そこで欲しいのは次の女王だ。だが女王になるには力がなくてはいけない。この大きな世界を吊り上げるだけの力がな。・・・・・・・かわいいハニーちゃん。そこで問題だ。女王というのはどこから来たと思う?答えれたら美味しい美味しいベリーをあげよう」 「いちいち言動がむかつくんだよ!少しはまともな口調で言えねえのか」 「それを言うなら、お前もだよ。大佐に対する敬意とまではいかなくても、年上に対する敬意ぐらいは払ってほしいものだね」 「はん!無駄に年くってるデカ女に敬意を払う必要はないね」 エリエステスは少しふんぞり返り「何て無駄な時間だ」と指で何かを遠くにやる仕草をして鼻から息を漏らした。 「問題を出した私がばかだった。許してもらおう。・・・・・・一般市民には知らされていないのだが、女王というのは血筋ではない。力だ。普通の少女だった者にある日突然神の力が宿る。そして次期女王の居場所、出現は巫女達の預言で決まる」 パディも足を組むと、ぴらぴらと軽く振り「それで?」と心底面倒そうに背もたれに倒れて耳をほじった。まるでさきほどのエリエステスの台詞を返すようだった、「無駄だ」と。 それでもエリエステスは変わらぬ態度で話を続けた。 「彼らの言うことに、次の女王は「ウナ」という少女だということがわかった」 「そりゃおめでとう」 「ありがとう。しかしその少女は心を開いてくれないのだ」 「へえ」 「だからお前が心を開け。それが私達がお前をここにつれてきた理由だ。OK?」 「・・・・・・・はあ?」 初めて二人の目線が合う。 じわじわと後から襲ってくるボディーブローを食らったように、パディはぐるぐるとその台詞を頭に回らせ、またもう一度「はあ?」と素っ頓狂な声を上げた。 「ちょっとちょっと待ておいこら!」 パディは勢いよく立ち上がると、気持ちの中でエリエステスの胸倉を掴んだ。 「何で俺がんなことしなくちゃいけねーんだ!」 「私も同意見だ。だがこれは全てお告げと預言によるものだ。我慢せい」 「どこのどいつだ!つれてきやがれ!」 「それが無理だ。まあすぐに会えるだろうから待て」 「何呑気な・・・・」 「まあ、聞け」 エリエステスは突き抜けるはっきりとした声を発し、ぐっと眼光を鋭く強めた。 きゃんきゃん吼えていたパディもやはり大きな獣には勝てないようで、しぼむようにずるずるとソファーに腰を落とした。 「私とてこんな薄汚いどこのウマの骨とも知らぬやつに預けたくはない。だが、そうお告げで言われてしまったのだ。・・・・・・パディ・デュランダ。この世界にはまだまだお前たちの知らないものが潜んでいるだよ。ここは素直に従うがいい」 エリエステスは一気に台詞を言うと、少し瞳を弱めた。 「・・・・・・それで?俺がそいつと一緒にいて、万が一心開いたとして・・・・それが何だってんだ?力はあるんだろ?」 「それが残念なことに、次期女王には色彩の女王としての「証」がない。・・・・力はないのだよ。普通の人だ」 「・・・・・・んだよ、それ」 「さあ?これもお告げさ。まだ「ウナ」は色彩の女王として覚醒をしていない。心を閉ざしているせいだ、と思う。その心を開くのがパディ・デュランダ王子ってわけさ。いいと思わないか?たったそれをするだけでお前は王になれるんだぞ?」 パディは軽く鼻を鳴らして片手を上げて、何かを捨てる仕草をした。 「はんっ。王?何寝ぼけてやがる。んなもんいらねーっつんだ」 「いいではないか。王になれなくてもウナという嫁がもらえるんだぞ?・・・・そうそう。心を開くには何をやってもいいんだぞ?キスでも何でもするがいい。子を孕ませてもなんてことはない」 片手を上げたポーズのまま、パディは硬直した。その場の色彩が消えたように、彼の周りが一瞬モノクロになる。 「・・・・・・・どうかしたか?」 「じゃ、ねえ!子を孕ませる?お前、おかしくねえか?」 「頭はお前より上等だ。おかしくはないぞ。心を開かせるにはやはりお互い好き合うのが一番だと思うがな。まあ孕ませるのは極端な例だったが、別に構わないんだぞ?体が痛まない程度にやれば。どんなプレイも可能だ。羨ましいかぎりだねえ〜この国にそんな幸せ者二人としていないぞ」 彼女の台詞にやはりパディは固まった。威勢のいいだけがとりえのパディもさすがにどう切り替えしていいかわからず、辺りはひっそりとモノクロに沈む。 「まあとりあえず顔合わせするのが先決だな。その他の質問は後で受けよう」 言い終えると同時に立ち上がり、訓練された動作で半回転し、扉へ向かった。 「待てよ。俺はまだ「いい」とは言ってない」 エリエステスの動きが止まった。 「・・・・・・言ったはずだ」 ぎい、と軋んだ音でも立ちそうなほど首がゆっくりパディに向く。 獣に似た瞳がより獣くさく、獰猛にたぎった。 「私はお前にあの時、選択肢をやった。もう選んでしまったのだよ、パディ・デュランダ。今ここに選択肢は存在しない。もしあるとすれば・・・・それは私の手によってその細い首をへし折られる以外何もない」 ぱちん、と軽い調子で指が鳴る。二人の目の前にかつてパディ・デュダンダと呼ばれた少年の肉塊が転がっている光景がフラッシュする。 パディの本能が叫ぶ。 こいつは本気だ。ここで断れば首が飛ぶ。死と言う幕は頼りない細い糸で繋がれてるのだ、とパディは確信した。 「逃げることなど許されはしない。これは非常事態なのだぞ。・・・・お前が死ぬだけで世界が救われるのならどれだけいいか。・・・・さあ、これ以上無駄に話はしたくない。行くぞ」 エリエステスは今度こそ、と念を込めてつぶやくと扉を押した。 パディは2秒ほど止まって大きいエリエステスの背中を睨んだが、次の瞬間には一歩踏み出していた。 部屋を出ると一面白かった。真っ白にコーディングされた大理石の床がこれでもかと磨き上げられ、汚れるということを知らないようだった。真っ白なキャンパス地の壁も清潔そのもので、ついさっき張り替えられたような真新しさを放っていた 「中々きれいなものだろう」 いつの間にか見とれて辺りをきょろきょろとしていたパディにエリエステスは自慢げに目を後ろに向けた。 パディは自分がおのぼりのように顔を動かしていたことに気付き、少し頬を赤らめて「うっせえよ」とくちびるを噛んだ。 「はは。まあそう恥じるな。城に来る、ということはまずありえないからな。黒に染まった連中はおろか一般市民も。城は世界の内部のようなものだ。そうおいそれと見せびらかすものでもないだろう」 パディは軽く鼻を鳴らし、一歩遅れて進んでいく。 白い廊下がかもし出す静寂はパディの全身をむず痒くする。黒にとっぷり浸っていた体はアレルギーのように拒絶する。 ぴりぴりと痛む肌のようにパディはいらいらと眉間に皺を寄せながら「まだか?」と半眼で訪ねた。しかし彼女は答えない。ただ与えられた使命をまっとうするように規則正しく前に進むだけだ。 どれだけひんやりとした足音を聞いただろうか。 白い静寂のせいで廊下はとびきり長く感じたが、おそらくはそんなに時は経っていない。 「ここだ」 扉はパディがいたゲストルームの扉となんらたいして変わらない、木でできたものだった。装飾もほとんどなく、木のほどこした彫刻も地味だった。ただ真ん中よりやや上にラスティカを表す剣に蛇の文様だけがぽつんとあるだけだった。 エリエステスはパディをおちょくっていた気配を消すと、軍人特有の無に近い機械的なオーラを身に纏った。 「第一軍所属エリエステス・ランファル・フィルデフィラだ。入るぞ」 凛とした声を張り上げると、音を立てないよう注意しながら素早くあけた。 その瞬間だった。 ひゅん、と風が切れた。 エリエステスは髪をかきあげるように何事もないように顔を右に背け、パディは硬直して大きな瞳をさらに広げた。 ぱらり、と金色の髪が妖精の粉のように数本、きらめきながら落ちる。 パディは無言で首をさすった。そして後ろをちらりと見る。 「・・・・・・なんだ、あれ」 エリエステスもちらりと後ろを見て「あれは果物ナイフだ。重宝するぞ」と素面の表情を浮かべてさらりと言った。 彼女の言うところの「果物ナイフ」は扉の反対・・・パディたちの後ろに刺さっていた。 「ぎゃー!」 エリエステスが前を向いた瞬間、低い悲鳴が慌てふためきながら響いた。 「・・・・・カルア少尉。私はちゃんと見ているように頼んだつもりだが・・・・・本当に見ているだけだとは。お前も頭が柔らかくなったなあ?」 「ひっ・・・・・!エ・・・エリエステス大佐!」 一人の男が転がるように扉に近寄り、震える膝を急いで起こしてバランスの取れない敬礼をした。 いかにも国に捧げた、というオーラをしていた。ぴしっと着こなした皺一つない制服、染み一つ見当たらない白い手袋。天然なのか、金にも見える薄い茶色の細い髪が軽くカールをしていたが、それに見合わない真面目そうな青い瞳をしていた。体格も鍛えているのだろう、ただではへこたれないようだったが、今は緊張しているのかわなわなと震えていた。おそらく一般に受けそうなハンサム、というやつだろう。男の見た目にはあまり欠点が見当たらなかった。 カルアと呼ばれる少尉はもう一度姿勢を正すと、「申し訳ありませんでした!」とものすごいスピードでしゃべった。 「エリエステス大佐・・・・!これはその・・・・」 「言い訳はいい。・・・どうせウナ様なのだろう?また噛み付かれたな・・・・」 エリエステスは少し体を崩し、前髪をかき上げながらちらりと視線を落とした。パディも覗き込むように彼女の視線を追い、「あーあ」と心の中でつぶやいた。彼の白い手袋にくっきりと小動物にでもかまれたような歯型が残っている。 「油断はするなと言ったはずだ。・・・・まあうだうだ言っていてもしょうがないことだ」 「はっ・・・・すいませんでした。・・・・あの・・・後ろにいるのは」 「ああ、噂のパディ・デュランダ君だ」 エリエステスはにやりと笑い、後ろで口をへの字に曲げているパディをひょいと軽々摘み上げてカルアの前に放り出した。 「ほー」 カルアは細い顎をなで、じろじろと珍しそうに上から下まで眺めた。 「・・・・パディ・デュダンダは男と聞いていましたが・・・・女だっ・・・・・ぐあ!」 ご、と岩がぶつかるような鈍い音。 「ち・か・よ・る・ん・じゃ・ねえよ!!俺は男だ!」 パディはぐり、と頭を動かすとカルアから離れた。カルアの顔がさらに近づいてきた瞬間、彼は思い切り頭突きをしたのだ。予想しなかった動きだったのか、あのエリエステスも目を見開いて止まった。 だが次の瞬間には腹を抱えて大笑いをしていた。 「あっははははは!やってくれるね、パディ・デュランダ!」 「んだよ!!」 「いい度胸だ、と褒めているのだ。このラスティカ軍を攻撃するやつがいようとは・・・いやはや、ロットシャドウも中々いい。いや、実にいいね!無知を知らぬというのは何ておかしいことだろう」 パディは「ああ?」と半眼をさらにきつくすわらせると、下から上に舐めるようにエリエステスをにらみつけた。 「褒めてねえよ!」 「いやいや、褒めているよ。私にしては褒めている方だ。・・・さて。お前が今頭突きを食らわしてうずくまっているこやつは同じ第一軍に所属しているカルア・アス・ストレフスキ少尉だ。これでもいいところの子さ」 「はっ!いいところのぼっちゃんだからうずくまってるんじゃねえの?」 パディは口元をゆがめて唾を吐いた。 「・・・・・失礼なやつだな・・・!」 カルアはふるふると全身を震わせてゆっくりと立ち上がる。相当痛かったのか額を押さえて。 「大体なんだ!いきなり頭突きとは・・・・!それにその口調!どうにかならないものかっ」 「うっせーな。大体俺を女とか抜かしそうになったのは誰だよ?はっ。貴族のぼんぼんっつーのってみんな頭とろけてんの?脳みそはさぞかしおいし〜いプリンの味がするだろうよ?」 パディは皮肉たっぷり込めた笑みを浮かべ、鼻で笑いながら人差し指をくるくるとカルアの頭に向けて肩をすくめた。言っている間にもカルアの顔はみるみると赤くなり、終わるころにははちきれて飛んでいきそうなほど赤く腫れていた。 「ゆ・・・許さん・・・・!!」 「カルア少尉」 腰の鞘に触れそうになる手をエリエステスは冷えた声で制した。 「遊んでいる場合ではないぞ。それにパディは一応ウナ様の鍵だ。多少丁重に扱ってくれ。多少、な」 「・・・・・・・・はっ」 エリエステスの声はよほど冷えていたのか、カルアの顔は先ほどと別人かと思うほど元の顔色に戻り、表情も冷静さを取り戻した。パディは軽く「ひひ」と意地の悪い笑みを浮かべ たがもう相手にはしなかった。 「・・・・・・まだまだ未熟でした。・・・・こっちだ」 カルアは舌打ちしたそうな口を必死で押さえ、まだおどけるパディに道を開けた。 パディは二人に中指を立てながら入り、目を見開いて口をぽかんと開けた。 まるでおもちゃ箱をひっくりかえしたような原色のパレード。床も天井も壁も全て、色とりどりで目がつぶれそうなほど鮮明な色を放っていた。 そしてそこを制するように真ん中にちょこん、と人影がある。 しゃん、とまるで鈴が鳴るように部屋の主、少女は振り返る。 女王候補と女王の鍵。 二人が出会う、歴史的瞬間。 鮮麗な色彩を映しこむガラスのような瞳が艶やかに光り、入口で固まるパディを捕らえる。そして形の良い小さなくちびるがゆっくり開いた。 「死ね」 後に語り継がれる書物にはこう、書いてある。 どうして歴史の感動的なシーンは全部口汚いのであろう、と。 感動的な・・・・せめて普通のシーンであったら。 歴史の進みはもう少し楽に、そしてスムーズに進んでいたかもしれない、と。
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