今となってはお伽話のような出来事になってしまいましたが、きっと誰かが受け継いでくれると信じています。私たちの存在は遠いものになってしまったけれど、誰かが。

 かのパディ・デュランダのように。

 ほころんだ最後の最後の一本の糸をしっかりと握り、手放さないように見つめていてくれたあの存在のように。何の力もなく介入もない、真っ白な人物。ようやく理解ができました。世界が紡いだ糸なのに、まるで見えてなかった。

 彼は歴史の一ページではなく、歴史という本を抱える賢者のような存在――ええ、それは少し誇張した表現ではありますが、しかし私にとっては「そう」なのです。

 彼は何もかもを見つめ、何もかもを理解してその小さな体に納めてくれました。

 彼は歴史の鍵でした。女王にとっても鍵であり、全てを解放し――この現代へ導いてくれました。女王という鎖が消えた今。なお色彩が紡がれる、穏やかな世界があるのは彼のおかげなのです。

 でも寂しいですね。女王がいない世界でも色彩を紡ぐ存在は確かにいるのです。まだ、生まれています。そして遠い遠い未来まで生きなくてはならない。一人で。あるいは、確実に自分より早く死ぬ者と。常に死と隣合わせだというのに、自分は生きるのです。もう見飽きた、と心に言っても……なぜでしょうね。まだ涙が出るのです。

 いつも同じ内容でごめんなさい。ええと……ああ、そうです。ようやく「未来」に出会えました。この手紙が届く頃には、きっと彼も大きく成長していることでしょう。

 再び出会える時を楽しみにしています。

 ――そう、締めくくられた文面を見て、笑みが零れた。いつも手紙を届けてくれる郵便の男――ここ数年ですっかり髪が薄くなり、肌は積み重なるようにしわくちゃになっていた。いつ折れても不思議ではない細い体をしていたが、穏やかな目はまだ強く瞬いている。

 彼は帽子を胸に、手紙を読む彼女を穏やかに見つめる。郵便屋はいつもこうして彼女に手紙を届けているが、今日は特に穏やかな様子を見せている。少女の姿は成熟しきっていない、無垢な外見をしているが、その目は郵便の老人とそう変わりはない。数年経つうちに彼女がどういう存在かわかったが、それでも郵便屋は変わらずここに来た。

「何かよいことでも?」

 老人は笑みを浮かべたまま、彼女に尋ねる。彼女は何も言わなかったが、珍しくほころぶ口元が物語っている。

「それでは」

 老人は頭を下げ、帽子をかぶってどこかへ去った。一人残された場所にゆらりと生暖かい風が吹いた。



           グリーンメモリーズ 11



 戦が終わり、女王制度が崩れてから、国どころか世界は右往左往、目まぐるしい改革と改善と制度立て直し――全てを一からやり直しにやり直した。赤ん坊を育てるのが大変な如く、ぐずる国々をなだめるのは安易なことではなかった。

 そこで立ち上がったのが、ファンダム国のイアンだった。ファンダムは燃料や物資、土地がよかったために資源豊富な豊かな国だ。彼は溜め込んでいた物資を一挙に解放すると、まるで未来を見ていたが如く援助と軍人の派遣を行った。だがファンダムだけでは人手が足りず、隣国のルエンダ――こちらは学力と、とりわけ医学の優れた国――医師たちの派遣も行われ、人々が考えた以上に世界の回復は早かった。

 しかし、それは結局被害が少なかった地域は、だが。戦火の渦中となったラスティカ、シャワルは暴動が起きかかっていた。終戦宣言が出されてもなお、炎はくずぶっている。宣言されたから、はい終わりとはいかないのだ。

 物騒になりつつある国々をなだめたのが、反シャワル組織……今となっては革命軍とさえ言われる「睡蓮」たちであった。リーダーであるエルーダ・ヴェインは渦中にいたため状況が把握できていたのだろう。即座に動き、亡霊のような人々を抑えた。武力も少なからず行われ、泥沼状態に陥ることもあったが、睡蓮も軍人も市民も耐えた。黒い腫瘍から抜け出そうと、立ち上がろうと。戦うべきものは己自信だった。

 だがもう一つ大変な国がある。マルファ国だ。否、特に大変だったと言ってもいいだろう。暴動どころか崩壊しかけたが、それを何とか支えたのはマルシャルの右腕、リーレン・ラインだ。

 彼らは崩れかけたラスティカ城に集まり、心行くまで話し合った。そこで答えは、すぐ隣にあったはずなのに誰も手に取らなかった回答がそこにあった。

 ――そもそもこのような結果を招いたのは、女王を隠したからだ。女王を隠匿すべき存在だとしたからだ!

 曖昧だがそれとなく女王についていて知っていた人々だが、いっそ全て一般公開してしまおうと考えたのだ。女王がどんな異質であろうともなんであろうとも、見えないよりはずっといい、という、糸の切れた答えではあったが全員が始めて一致した意見でもあった。

 そこでリーレンとラスティカからマレルーナが、お互い手を組み、書に書き写すという手段を取った。……この頃、ラスティカ城は城としてではなく、この書物を置く図書館にしようという計画が浮上し、後日半分取り壊され、実現する。他国に比べて大きかった城は結果としてその威厳を削るように、他国となんら変わりのない国となった。

 書物にはありとあらゆる出来事が記された。女王だけではない。世界、戦、人々。何一つ零すことなく書き写されていく。

 だが知らない部分が多すぎた。特に女王と世界の記述はほとんど空欄と言っていい。

 そこで役に立ったのがパディ・デュランダだった。

 彼はずっと特異な存在だったが、その場においても特異であった。全てを知りながらも、全てその目に映しながらも、介入することはなかった。人々を第三者の目で眺め、ありとあらゆる出来事を誰よりも知っている唯一の人物であった。

 しかし女王について、もう一人知っている人物がいる。次期女王とも、女王候補とも言われ、色彩の鍵によって次に導かれる存在。彼女はパディよりもさらによく知っている、それこそ唯一の当事者といえよう。

 ウナは消えた。

 文字通り、姿を消してしまったのだ。

 女王制度が失われたとはいえ、彼女は本物の女王。色彩の世の中を紡ぎ出す存在には変わりない。同時に、生まれたであろう世界の巫女たちの姿もなかった。ウナと同時に存在するはずの巫女にいたっては誰にも存在を確認されないまま消えたため、どういった姿形をしているのか不明である。しかし語るべき現時点において平和なのは、彼女がどこかで生きて色彩を紡いでいる証拠。

 パディは彼女たちの行く先について何も語らなかった。翡翠色の瞳は素っ気無く「さあ」と繰り返すばかりで淡々としていた。別れを惜しむ風でも驚く風でもなかった。語り終えたパディもまた、城に仕えていたメイドの一人と共に城を出て行き、女王と鍵と城の物語は消えることとなる。

 こうして世界はゆっくりと時間をかけ、回復していった。何度も何度も月日を繰り返し、生死を繰り返し、空は何も変わらず、色は徐々に鮮やかさを増し……完全なる平和が訪れたある日。

 常しえの暖かさを放つ日差しの中、一人の女がかつての城――そう記憶している人は誰もいない、荘厳なる図書館を見上げた。

 ここに来るのは何年ぶりだろうか。女は胸にぽつりとこぼす。感慨はなく、表情もない。

 今でもわずかに残る仰々しい扉は、簡単に開きどんな人でも気軽に受け入れる。女もその一人に混じる。

 扉と同じく、カウンターも豪勢な造りをしている。文様はかつて、ラスティカの象徴であった蛇と剣が今もなおくっきりと浮かびあがり、風化の色を感じさせない。初めて訪れる人は必ず息を呑む黄金の光景だが、女は何一つ興味を示さず、決められた道筋を静かに歩いた。――ここはかつての過去、来たるべき未来。

「勉強熱心ね」

 女は音もなく、彼の隣に並んだ。年の頃は二十歳手前だろうか、子供と大人の狭間に彷徨う独特の危うさを持つ、少し神経質そうな顔立ちの青年だ。彼は長いまつ毛に縁取られた翡翠色の瞳を女にちらりと向けると、手に持っていた本をそっと閉じた。

 女は思わず笑った。すると青年の神経質そうな顔がますます強張り、鼻の頭にしわが寄った。女は緩んだ口元を指で隠すと、二人は真正面から見つめ合った。

「何か用ですか」

 先に口を開いたのは青年だった。訝るような目の色は変わらず、警戒心も強い。だが彼は知っているはずなのだ。この未来を。だからこそ女は普通に続ける。

「歴史に興味が?」
「それなりに」
「教えてあげる?詳しいのよ」
「……遠慮します。自分で調べますし、ある程度は聞かされていますので」
「女王の行方、知りたい?女王にして女王にならなかった、最後の存在の行方」

 青年は観念したように目を閉じ、ようやく警戒を和らげてまぶたをあげた。翡翠色の瞳は青空を映し、エメラルドに瞬いている。彼の口は開かなかったが、女は知っていた。

「聞いたんだ」
「聞きましたよ」

 女も一旦まぶたを閉じた。目は片方しかなく、片方は髪に隠れ封じられている。その目をもう一度開き、彼をしっかり見つめた。

「初めまして。私はウナ」
「聞いた話だと、乱暴で野蛮で手のつけられない猛獣って聞いたんですけど」
「気が向いたらそうなる。あんたがからかうのに楽しい存在なら」
「やめてください」

 青年は苦く顔を歪める。口調は違えどウナの知る「彼」と容姿も雰囲気もそっくりだ。不意に懐かしさが胸に込みあがり、ウナは目を細めて喉で笑った。だが青年は笑わない。

「ずっと伝えられてきました。年数からして俺がその役目になるだろう、と言われています。俺は何を見て、何を伝えればいいんですか」

 きっと青年は「彼」を知らない。だが彼が何をいい、何を伝えたかは世界と城と青年を見ればすぐにわかる。――この未来が見えたのはつい最近だった。ウナにとって一縷の望み、最後の駅はここであったのだ。時代はようやくウナを受け入れる。

「私が生まれる前の時代。そして私の時代。それらを次につなげてほしい。それが私の最後。あんたは私の最後を看取るのが役目」
「なんだか、遠まわしのプロポーズみたいなんですけど」
「そうかもしれないし、違うかもしれない」
「俺は何の力もないし、何の伝もない。過去も現在も知らないやつです。それがどうして?子孫だから?」
「そういうところ、案外似るもんね。別にあんたがあいつの子孫だから、じゃない。あんただから、よ」

 ウナは笑みを消すと、両の目を伏せた。

「預言、というやつですか」
「女王がいなくても、巫女がいなくても、でも私たちは確実に存在して、世界の色をひっそりと紡いでいる。預言はいつでも私の隣にいて、私はそれを自由に閲覧することができる。預言は生きている」
「預言で俺が?理不尽だ」
「でもこれは絶対。あいつの時みたいに、きっとわかる時が来る。色彩の鍵である意味が」

 ウナの体が花びらのように舞う。青い空とまばゆい太陽を背に、輪郭ははっきりと輝いた。

「預言をしましょう。あなたは私の最後を看取る。そして色彩は次の子を産むでしょう。何も変わらないサイクルの中、人でありたいと願い続け、それは叶わぬと知りながらこの時代を平和の生きるでしょう。寂しいと、胸を痛めながら」
「それは永遠に続く?」
「そうね。私たちは変わらない。絶対は覆せない。だからこそ変われるものがある。この時代のように。過去のように」

 青年はめまいを起こしたように目頭を強く押さえた。ふらつく体を本棚に預け、長い長いため息を吐きだした。

「世界がそうだったように、事が過ぎた後になってからいろいろ気づくんでしょうね」
「……まるで後悔だ」
「そう。先に生じるものなんて何もない。結果が来て、始まりが来る」
「あなたは始まってるんですか?」
「多分ね。私はきっと幸せよ。女王になったその日こそ、私の始まり。あんた、名前は?」
「……俺になるだろう、と誰もが思ってたんでしょうね。幸か不幸か、俺の名前は……」

 最後のため息に乗せて彼は名前を告げた。もちろん、見ていた未来だがこうして実際に体験すると中々面白い。ウナは歯を見せて不敵に微笑んで見せた。

「やっぱり色彩の鍵。一筋縄にはいかない」

 ウナは手を差し伸べた。いつかの劇を演じるように。もう一度始まるために。

「少しでも役に立たないなら、世界から抹消してあげる。色彩の鍵の後継者。名を継ぐ者。……パディ」
「上等だ、やれるもんならやってみろよ。こっちこそクズほども役に立たなかったらクソ溜めに放り込むぞ。現女王、ウナ」

 一字一句間違わない時代の再来。150年という長い月日、時はようやくひとつなぎの道となった。

「とんだ猫かぶりの子孫ね」

 一つの時代が終わる。穏やかに。

 そして――時代が回るための幕が上がる。



第四章 完
第五章に続く

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