結局、パーティーはエリエステスの寮部屋で行われた。ささやかだが、非常に愉快なものだった。それぞれ何を話しているか分からないほど笑い転げ、どうでもいい事に反応しては話し合う。

 楽しいと、三人とも心の底から思った。この時が永遠なら、と三人は思った。三人とも心が一つだった。

 それでも、それは叶わない。いくら願いが一字一句ずれてなくても、叶うはずのないことなのだ。

 ――預言をしましょう。彼らは二度と、共に笑い合う事はない。



           グリーンメモリーズ 9



 それぞれがそれぞれの方向に散らばっていく。ずっと形を作っていたものが脆く崩れ去るように、かつての学生たちは学園の外へと消えていった。

 その様子をエリエステス、レイシー、エルーダはぼんやりと校門に寄りかかりながら見つめていた。遠い景色を見るように目を細め、思わず手を伸ばして捕まえていたくなる衝動を抑えながら。もう元の道に戻ることのない後姿にすがりつきたいとすら切望しながら。

「そろそろ、行くか」

 最初に立ちあがったのはエルーダだった。彼はラスティカの軍に入隊を決めていたが、母国シャワルで母親の具合が悪いらしく一時帰国を決めた。唐突なことだったが、彼は動じていなかった。「またすぐに戻って指揮官として腕を磨く」とむしろ意気込んでいるぐらいだ。たくましい、とレイシーは心の中で褒めておいた。言えば調子に乗るに違いない。

「近いうちに連絡するよ。住所、変えるなよ」
「もちろんだ」

 エルーダはエリエステスの手を取り、そしてレイシーの手を強く握った。

「またな、レイシー。……仲良く」
「うるさい」

 レイシーは一瞬だけ手をかなり強く握り、ささやかな悪戯で返した。エルーダは口をひん曲げると「くそう、これだから軍人は」と痛そうにつぶやいた。

「それじゃあ」

 エルーダは少し痛がりながらも大きく手を振り、散らばっていく人々の一つとなった。しかしそこにあるのは彼だけの道だ。二人はその後を追えない。

「……さびしいな」

 エリエステスはぽつりと言葉を漏らすと、再び門によりかかった。

「お前はどうするんだ?」

 レイシーも門によりかかると、空を仰いだ。相変わらずの晴天に痛みすら感じる。

 レイシーもまた、エリエステスと同じくラスティカに行こうと思っていた。だが、それは違うと思ったのはつい最近のことだ。きっとこのままではエリエステスは捕らえられたまま、悲しい瞳のままだ。彼女が暮らしている世界を作るのが、レイシーの明確な夢となった。そのためにはラスティカにいてはだめだ。外部からそれを崩さなくてはならない。

 そうなると行く道は、違う。彼女とは、違う。

「俺は自分の国に帰るよ」
「マルファに?ラスティカの軍に入るんじゃなかったのか?」
「その、やりたいことが、ある。とりあえず国に帰って、もう少し修行することにするよ」
「そうか……」

 エリエステスは一瞬だけ残念そうに眉を下げたが、すぐにいつもの清々しい笑みで「がんばれ」とレイシーの腕を軽く叩いた。

「じゃあ、私も行こう」
「エース。待っていてほしい」
「ん?待っていろとお前が言うなら。どこで、何を待てばいい?」
「……どうして、そういうところでぼけてるかなあ」

 エリエステスは傾けた首をさらに傾げたが、やがて体を起こして彼に背を向ける。彼女の背中は相変わらずたくましく、この学園にいる間で随分と猛々しくなった。

 しっかりこの背を捕まえていよう、と胸に軽く拳を作ると「連絡する」と言葉を投げかけた。

「ああ」

 彼女は振り返らず、進んで行った。レイシーは見失わないよう、瞬き一つしないで見つめていたが、人波はやがて影をすくい、彼女の姿を消していった。気がつけばエルーダもエリエステスも見えない。一人残ったレイシーはゆっくりとまぶたを閉じた。想うのは未来の姿。




 月日は尊く思い出は残酷だと知ったのはその日だった。それまで上澄みの薄い部分でしか知らなかった残忍性が、今日明かされた。

 レイシーは急いで手紙を送った。しかし彼女から連絡は来なかった。たったそれだけで、現時点で突き付けられた事実が重苦しく腹の中で沈んでいく。腹の中は無限ではないのに、いつまでもいつまでも錘は落ちていく。誰か何か言ってくれないと、おそらくどこまでも沈んでいくだろう。有限のくせに無限に広がる泥。レイシーは紙を握りしめ、拳を震わせる。汗でにじむインクはこう書かれていた。

「シャワル王死す」

 いつが始まりかわからないが、女王を否定的に思っている国だ。色彩の世界を統べる女王は基本的に一般人、ラスティカ人から突如選ばれる。血筋は関係なく文字通りある日突然決まり、女王の死と共に代わる。国の事も世界の事も一切わかっていない少女が女王となる事をシャワルは気に食わないと叫び、独立を求めていると以前友人のエルーダから聞いていた。彼はシャワルの人間だったが、特に批判もなければ肯定もない。女王と聞けば普通に反応する、マルファやラスティカと変わらない人間だった。

 頭に怒りとも悲しみとも取れる蛇がとぐろをまく。

 表向き、王は病死とされていた。その妻も看病で過労死と載っていた。レイシーはまだこの時、色々な事情はまるでわからなかったが、自分も女王に反発する者として理解した。

 王は殺され、妻もまた殺された。これは女王に逆らえばこうなるという、全ての反女王派に対する宣戦布告だ。それは、レイシーが女王を快く思っていないからこそ生じた妄想かもしれない。

 そうして出した手紙も返事はない。エリエステスはすでに女王の傍で軍人として働いているという。それだけでも不愉快だが、今回の出来事は、不安が心に靄をかけて更なる不穏な泥を生み出した。

 レイシーは紙を捨てると、一歩踏み出した。自分が上に立ち、女王の作る世界ではない、自分たちの意思が紡ぐ世界へと導こう。




「ゼファーナ様!」

 勢いよく扉が開き、閉まると同時に彼女は膝をついた。慌てているが、敬意は忘れない。律儀といえばそうだが、心が真っ直ぐでなければ、女王のことを心から慕っていなければできない俊敏さだ。

 無音の空間にぽつりと座るたった一つの小さな人影。色彩の女王・ゼファーナ。全ての世界を包む空気すら生み出す、色彩の女王。女王は彼女以外に誰もいないことを確認すると、真っ黒なショールをはずした。するりと布が滑り落ち、美しい顔がはっきりと浮かび上がる。まだ十代の潤いを残したままの顔、全ての人を憎んでいるように瞳が鋭く彼女を刺し、しかし口もとは嬉しそうにゆるんでいた。

「エース。楽にしなさい」

 女王は優美な足運びでエリエステスの傍に立つ。エリエステスは軽く頭を上げたが、目線は女王の影を向いていた。

「用件は?……なんてね。わかってるわ。聞こえるもの、あなたの声。何でシャワルの王たちを殺したか、よね」

 エリエステス俯いたままゆっくり頷いた。女王は薔薇色の頬や口元をほころばせ、エリエステスの頬にそっと触れた。

「必然よ」

 迷いのない女王の声に、エリエステスはようやく顔を上げた。震える紫紺の瞳が徐々に女王を見つめる。女王はふわりと体を離した。まるで花びらのように自由だが、表情は汚れている。

「私は何も命令していない。私の意思ではなく、世界が選んだこと。聞いてみなさい。あなたの兄に。あなたの兄が選んだことよ。シャワルが女王に反する存在だと気付き、排除に向かったのだから」

 女王の言う通り、女王は何もしていない。エリエステスの兄であるエルウィンスがシャワルの情報を得て、速やかに暗殺へ向かったのだ。結果、エルウィンスは王を討ち取ったが代わりに足の自由を失い、軍の席はあれどほとんど隠居生活に入ることとなる。本来なら使えない軍人は家に帰すのだが、今回の功績が――知っているのは一部の人間だが――城に滞在はできるようになった。エリエステスは一度兄を訪れたが、二度と来るなと言われてしまったためその日以来会っていない。

「シャワルの状態は、女王の力で見る限りでは少し混乱してるみたい。民よりも城がね。民はあまり王を信頼してないのかしら。まあ、王がどうなっても私がいれば世界は平和だから関係ないのかもね」

 エリエステスは歯を食いしばった。それだけなのに女王へ声が流れていく。女王はさもかわいそうと言わんばかりにたっぷりと顔に甘い蜜を塗り、手を後ろで組んだ。流れる金髪の波がドレスと一体になり、黄金の風を彷彿とさせる。

「優しいエース。仕方ないのよこれは。私だって何度も試した。どこかで違う道にならないかって。預言がはずれればいいのにって。今回のこともそうよ。私が願ったのではない。意気込んだ軍人たちが処理しただけ。私はただそれを見る事しかできない。明日を見たところで明日は明日、今日ではない。私の目は明日を見れても体は今日にあるの。……女王はただそういう存在」

 女王は窓の外を見た。今日も変わらぬ晴天だった。青さは何の曇りもない、透明。女王が生み出している色彩。

「女王に反対するものは少なからずいるでしょうね。今回の出来事はそうした人たちを触発するでしょう」

 エリエステスは再びうつむき、拳を固めた。

「女王のせいではない事を私はよく知っています。兄は女王のために働きました。そんな兄を、むしろ誇らしく思います」

 エリエステスの声にはまだ惑いがあった。それでも毅然と振舞う姿に女王は空に似た晴れやかな笑顔を見せた。

「強いわ。さすがね、私のエース。だからこそ、あなたは私と出会った。これもまた、必然。ねえ、エース」

 真っ白な指が天井を指す。女王は笑っている。時が止まったままの幼い顔で。無邪気さとこれ以上進めない儚さを秘めて。

「未来が見えないの」

 黒い宣言に等しかった。エリエステスは瞬時に目を見開くと、乾いた口を開いた。声はなく、代わりに女王が続ける。

「近い未来、私は死ぬでしょう。エース。悲しまないで。むしろ、喜んでちょうだい。ようやくこの時を迎えるのだから。私はようやく生きることができる」

 エリエステスの震えは先ほどとは違い、悲しみに溢れたものだった。紫紺の瞳は潤み、口は何度も女王の名を形作る。それでも声を発することはできない。ひたすらに悲しい感情が女王に流れ込む。

「無理やり150年生き続ける体は、どんなことをしても死ねないの。それは生きていると言える?最初は死なない体に驚きながらも、楽しんだわ。無理がきくもの。でもね、私は女王。色彩の女王。城から出ることはできない。150年間、私は隠匿され続けた。それは……死んでいる以上に苦痛だったわ」

 女王はエリエステスの両手をそっと包み込んで胸に寄せた。女王の心臓は確かに生き、体は暖かい。それだけで生はいくらでも感じることはできる。それでも女王は願うように死を選ぶ。ゴールを得たいと、目が叫ぶ。

「あなたは私のために存在する者」

 手に力が籠った。女王の力は大して強くないのだが、刺すような小さな痛みがエリエステスの胸を突く。エリエステスは歯を食いしばり、自らの拳を固めた。懇願する女王の瞳が空よりも透明に透けた。その向こうにあるのは未来なのだろうか。

「私を殺すのはあなたよ、エース」

 エリエステスの鼓動が消えた。

「150年の鎖を断ち切るのはあなた。色彩の世界を次に導いて」

 エリエステスは力なく首を振る。目を逸らそうとしてもできない。女王はするりと猫のように離れると、無垢な笑みを向けた。

「嘘です……。そんなの、嘘だ!私が、女王を……殺すなど……!私は女王に命をいただきました。女王がいなければ死んでいました。私に生きる意味を与えてくれた女王を、私が……」
「落ち着きなさい」

 無垢な少女の顔が消え、女王たる毅然とした声を放つ。それはまさしく女王の声。エリエステスは無意識のうちに姿勢を正す。

「私は嬉しいのよ。ずっと待ち望んでいた未来だもの。人として蘇り、死ぬ瞬間をどれほど待ちわびていたか。心臓を突き抜けて死ぬという当たり前のことを、私がどれだけ欲したか。刺しても死なないということは、生きていないのよ。人間ではないのよ。どれ一つ私は少女のころと変わりはない。なのに……私は人間ではないと、非人間性を隠そうとこの城は私を押し込めた。苦痛だったわ」
「しかし」
「跪きなさい!」

 ふらりと近寄ろうとするエリエステスを、落雷のような声が御する。エリエステスの体は途端に硬直し、力なく膝をついて頭を垂れた。泣いているのだろうか――絨毯に黒い染みが滲んだ。

「ゼファーナ様……それでは、私はこの先どう目的をもって生きろいうんですか。私はあなたのために生きたいと願い、ここまで来ました。私はあなたに従うという道以外、見えません……。あなたという存在を失うのが悲しい」
「甘えないで、私のエース。あなたはずっと私を見ていたわ。けれど……別の道もあるの。あなたはどうしてそれを否定するの?」
「私は女王のものです」
「でもエリエステスという個人よ。私に囚われすぎないで」

 女王は子供をあやすようにエリエステスの頭をそっと撫でた。その顔に哀れみが浮かび、次に嘲笑が浮かぶ。

「女王は……人間であることを望むわ。だって、人間は人間に似た化け物を否定するから。だからこの城は砦。私を守るための壁なの。でもこれは、本来いらないもの。囚われてはいけないのよ……」

 エリエステスは何も言えず、ひたすら絨毯を見つめた。思考できないでいた。それでも女王はエリエステスをあやし続けた。

「エース。私は死にゆく者よ。あなたはあなたと共に歩める人を選んで、私が生かしたその命を大切に使ってちょうだい。あなたは普通に死んでしまう人間なのだから」

 女王は一旦まぶたを閉じると、ゆっくり開いた。その目は凜と輝き、女王としての光を宿す。毅然と背筋を伸ばした姿はまさしく神々しい女王の姿。世界を統べる女王の輪郭が淡く輝いた。

「私は見た。私は預言する。近い未来、私は死ぬだろう。私を慕う臣下に見守られ、死を迎えるだろう。年を老いて死んだと、誰もが思うだろう……」

 朗々とした声は恐ろしいほど威圧的にエリエステスを押さえつける。

「そして誰もいなくなった後。私は本当の死を迎える」

 女王は目をつむり、しばし沈黙した。重々しい無言の時を経て、女王は口を開いた。

「赤き軍人は私を殺すだろう」

 エリエステスは心の中で問う。――それが、望みですか?私はそのための存在ですか?与えられたこの命は、あなたを殺すために、与えられたのでしょうか。

「哀れな子よ、泣かないで。これはあなたの運命。私と唯一交わることのできる、運命よ」
「私は……」

 拳が震える。形にならない感情がエリエステスの胸でぐつぐつとたぎり始める。それに名をつけることなどできないまま、時はエリエステスの死の直前で形成されることとなる。

「私は、あなたを殺しましょう」

 その日を境に女王の力は弱まり、地上に黒い点が徐々に浮かび上がる。それは後にブラックテューマーと呼ばれる、平和に対する悪の存在と化する。絶対の平和を約束されていたはずの世界にあるはずのない色――それははたして、まったくのない色なのだろうか。それに気付く者はおらず、その意味に気付く者もまたいない。後に、色彩の鍵と呼ばれる少年だけがそれを理解し、次の色彩に導く事になろう。

 女王ですら知らない未来が、黒い染みと共に広がりつつある。

 そしてレイストロ歴1145年。女王が死んだ。預言よりも早い死の訪れはすでに歯車を狂わせ、早くも次の女王を生み出す。一人の少女――ウナの運命もまた同時に狂った。すべては――この時より始まり、一つの過去は幕を閉じた。


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