ただそこにあるのは狂乱の日々。焼けつく匂いと笑い声。

 望んだ場所などどこにもなく、幼き日を過ごした愛しい記憶ももはや薄れ。きらきらとこぼれおちる砂時計はむなしく、時を消す。

 誰もが嘆いて、誰もが笑った。

 誰もが跪き、頭を垂れる。それしかできない、それしか道はない、それだけしか縋る糸はない。細い細い糸に、細い指が絡む。

 戦いはすでに始まっていたのだと、誰もが呻いた。


 色彩の女王よ、我らに恩恵を。



          イエローサイレン 18



 その声に、何の感情も芽生えなかった。

 冗談だと思ったからではない。彼女の目を見ればわかる。澄んだ瞳はよく磨かれた玉のように光輝いている。そこに後悔の色はない。決断の色もない。苦しみもなければ、笑顔もない。何もない、全く何もない色をしていた。

 それはパディも同じだった。だから何もないのだ。それは不思議と・・・ウナも同じように感じられた。


 今ここにあるのは無。音も無、色も無に。


 真っ白に還った空間にラミィは偽物の笑顔を浮かべる。


「ごめんなさい、突然・・・・。本当はこんな・・・つもりじゃなかったんです。こんなこと言いたくなかったんです。パディ様とウナ様と・・・エリエステス大佐もカルア少尉も・・・みんなでぬくぬくしてしゃべっている・・・もちろん身分の差はあります。それでも楽しく・・・過ごしていたかったんです」

 かさりと紙袋が音を立て、どこかに消える。ウナの顔が傾き、地面を見つめる。パディはラミィから目を離せず、だが睨むことなく穏やかに見つめ続ける。

「だから、なんだって・・・・」
「あたしにとってもこれは突然。でも・・・決められていたことのように思えます。予言のように」

 その言葉にウナはぴくりと耳を動かすが、まだ声は出ない。それどころか背を向けたまま、暗欝と石畳を見つめ続ける。ここでウナが何か言えば、何か感知することができれば状況はもう少し早く動くかもしれない。パディは少し期待したが、彼女のあまりに動かない口元を見てあきらめた。

 今はラミィに問いただす他ないようだ。

 パディは目を少し伏せる。まつ毛の影が頬に濃く、影を落とす。

「今、俺たちの周りに誰かいるのか?俺を捕まえるための」
「・・・いるかもしれないし、いないかもしれません。あたしにもわかりません・・・・」
「なんのために」
「・・・・国の、ため・・・なんでしょうか」
「どこの国だ」
「シャワルです」

 ラミィは隠さず、はっきりと言った。パディは顔をあげ、再び彼女を見つめる。ラミィの口はまだ笑顔を作っていた。

「俺たちをずっと騙してたのか。・・・どうして今このタイミングで」
「騙したくて騙したんではありません。・・・タイミングだって・・・パディ様が外に出ると言わなければ、こんなこと言いませんでした。城から離れなければ、あたしは行動しませんでした・・・・」

 何かが起こる。ウナはそう予見していた。していたから便乗し、こうして外に出てしまった。それがこのような結果になるのであれば、パディは出ていなかったとは・・・言えない。

 くすりと失笑じみた笑い声が漏れる。

「・・・・言ったでしょ、パディ・・・・何かが起こるって」
「てめ・・・・これを知ってたのかよ!」

 パディは声を荒げ、ウナを睨みつけるが彼女はもちろん動じない。いつもの白い目でぼんやりと遠くを眺めている。表情はなく、このまま影になりそうなほど希薄になっている。パディは舌を打つと、ラミィに向いた。まだ彼女は笑顔だ。

「ウナ様。もう予言の力があるんですね。心を読む力ももうおありだと・・・お聞きしました。・・・これも予言なんですか?あたしはどうなるんでしょうか」

 ウナはちらりとだけラミィに向くと、またどこかへと目を泳がせた。

「・・・・・色々とけりを付ける。一旦、終了しようかと思って」
「終了・・・ですか?何が終わり・・・いえ、何が始まってたんですか・・・?」

 ウナはようやくラミィを向き、くちびるだけを奇々怪々に引き上げる。鬼だ、とパディは怒りに似た感情がじわじわとこみ上げる。それなのに・・・・ラミィは笑った。どこか救済を求めていた。

「どんなに突然でも、ウナ様は動じないんですね。当たり前のように接してくれるんですね・・・・」
「違う。・・・・もうわかっていたこと。・・・・・ずっと探ってたのも知ってた。チャンスを狙っていたのも知ってた。それ以上に戸惑っていることも、その裏に・・・」

 ラミィはようやく顔を伏せて笑みを消した。それでも笑い声だけは不気味に吐き出され、肩は小刻みに揺れる。異様な二人を見て、パディは思わず意識が遠のいていきそうになった。感覚が狂っていく。

 ラミィが自分の世話役として付いた時、彼女は何を思っただろうか。微笑みながら何を思っていたのだろうか。甲斐甲斐しく食事や世話を続け、何を感じていただろうか。涙も見せず、心から笑うラミィ。それは「何」だったのだろうか。

 現実と現実がかみ合わない。段違い平行棒のように、大きくずれが生じる。その上でパディはうまく踊れない。地面に叩きつけられ、空をぼんやり見ているような感覚に襲われる。

 そのパディの心情を見てか、ウナは再び鼻で笑う。

「・・・・これは必要なこと。終わらせるために。・・・・加熱するのは確かだけど」
「何が言いたい・・・・」
「さあ?」
「クソ・・・・」

 パディは軽く舌打ちして、ラミィに近づいた。彼女と目線はそんなに変わらない。パディの方が少し高いのだが・・・今の彼女はとても小さく見えた。豆粒にまで縮み、踏みつぶされるのを恐れているようだ。その姿にもパディは舌を打つ。

「んなこと知るか。突然にもほどがある。人質とかなんだとかは今度にしやがれ!」

 パディはラミィの荷物をひったくると、背を向けた。

「クソウナ、帰るぞ」
「そうもいかないと思う」

 しれっとした顔でウナはパディを見る。白い目が徐々に徐々に移動し、ラミィへ、そしてその奥へと注がれる。日の光を浴び、ぬらりと眼球の表面が光った。パディはつられるようにして見て、眉間のしわを深めた。


 パディと似た、金色の髪が揺れる。まるで舞台から出てきたような容貌をしている姿は、静かなこの場において、非常に浮いていて異質だ。意味もなく仁王立ちし、ラミィを睨みつけている。その隣にはまるで気迫の感じられない男が立っていた。彼もまたラミィを見ているが、敵意は感じなかった。

「・・・・・おい?」

 再び訪れた「唐突」にパディはついていけず、人知れず額に汗をにじませた。その姿がおもしろかったのか、ウナはにんまりと笑っている。しかし何も言わず、同じように異質な二人を眺める。

「あなた・・・・たちは・・・」

 どうやら面識はないようだ。ラミィは首をかしげ、二人の姿を見つめている。しかし二人組はラミィから目を離さない。女の方は食い殺しかねない勢いで睨みつけている。

「あんた・・・」

 女は口を開き、じいっとラミィを下から舐めるように睨み、男は彼女の言葉に続けるように前に一歩出た。思わずパディの体は強張り、これから起こりそうなことを心に言い聞かせる。どれも後ろ向きであってほしくないものばかりだが、可能性は高い。

 そしてラミィもまた、体を硬直させ、恐る恐る唾を飲み込む。緊迫溢れる中で男は構わずラミィに目をやる。


「・・・・あんた、誰?」


 違う意味で沈黙が落ちた。隣に立っている女は一瞬に白け、軋んだ音を立てて首を回した。

「ヘーーールベルド!あんたは黙ってなさい!」
「いや、だってそうじゃん。俺、こいつ知らないし」
「私だって知らないわよー!それを今から問いただそうと思ったのに・・・!あんた、ばっかじゃない!?緊迫感ゼロにもほどがあるっての!」

 緊張は一気に解け、にぎやかい空気が戻った。猫のようにじゃれ合い始める二人を見て、パディたちは果たして緊張していいかどうなのか思わず迷ってしまった。それほど謎の二人組の空気は緩やかだ。

 だがそれもつかの間、女の方は男の頭を叩き、再びラミィを睨みつけた。

「じゃなくて!・・・・あんた、何者!?女王サマたちをどうしようとしたのさ!」
「えっと・・・あの・・・?」

 普段は緩やかでおっとりしていて何事にものらりくらりとかわすラミィも、さすがに動揺している。先ほどパディたちに言った言葉も理由も出ず、ただおろおろと目を泳がせている。パディはそれもそうだと呆れかえると、二人に堂々と近づいた。

「んだよ、お前ら」
「ああん?」

 パディのすごみに負けない、低い声が返ってくる。男の方ではなく、女の方だ。機嫌悪そうに舌打ち混じりにパディと対峙する。二人の間に軽く火花が散り、お互いの第一印象は最悪だ。

「あんた、色彩の鍵ってやつ?ふう〜ん、へえ〜ん。・・・・ちょっと黙っててくれる?結構真剣なのよ・・・」

 燃え盛る炎のような気迫がふっと冷静な青い炎に切り替わる。女はパディから離れると、ラミィに詰め寄る。

「ねえ。今さっき、なんて言った?・・・人質って何のこと?」
「あ・・・」

 ラミィは息をのみ込み、ふらりと一歩下がった。弱った獲物に食いつく勢いで、女はさらに責める。

「女王サマをどうしようっていうの?・・・誰の差し金?さっさと吐いた方がいいわよ」

 一歩、また一歩と女は近寄る。その度にラミィの顔は青くなり、くちびるは戦慄く。

「おい・・・・」
「あー、ごめん」

 ぼんやりとした調子で男はパディの行く手をさえぎる。そして後頭部をかき、ため息交じりにつぶやいた。

「俺たち、別にあんたたちに手を出すつもりはない。というより、俺たちはあんたたちの味方」
「はあ?よくわかんねーこと言うんじゃねえよ」
「いや、本当に。俺たち、多分これから味方」
「多分って、んだよ!」

 苛立ち交じりに吠えはじめるパディの肩をウナがそっとおさえる。

「睡蓮・・・・」
「はあ?」
「おお」

 三者の反応は全て違う。しかし少なくともウナと男の意思は通じているようだ。男はうんうんと頷くと、ウナを見た。

「さすが女王。読めてるもんなんだな」

 ウナは答えず、そっぽを向く。代わりにパディの耳元でそっと囁いた。

「あれは味方。でもラミィは敵」
「だから、何だって・・・・」
「助けたいんなら、助ければ?ラミィ」

 捨てるように言い、ウナはそれきり黙った。パディは舌打ちするが・・・確かに男に敵意は見られない。女もこちらに反応しないということは、ウナの言うとおり「味方」というやつだろう。だがたった今初めて出会った人を味方、今まで一緒にいた人を敵と区別することはできないでいた。

 パディは特に何も思わない。誰がどうなろうと、どうしてこうなったかも。後悔など今までしたことない。感情が生まれることもない。何もない。だからこそウナを恐ろしいとも何も思わない。どこまでも「無」だ。

 それでも、今は動揺している。何かが揺れ動いている。

 パディは荷物を捨てると、大股で女に近寄った。

「おい」
「だから、邪魔しないでって言ってるでしょ」

 女は振り返らない。それでもパディは肩を掴み、無理やり振り向かせる。その事に、女は腹が立ったのだろう。きれいな顔に青筋を立てている。

「邪魔しないでって、聞こえないの!?」
「うるっせえよ!!おい、ラミィ!とっとと帰るぞ!」

 パディは吠えると、ラミィはぽかんと口を開けた。だが様子は変わらない。どこか怯えた目は、さらに細かく震えている。女の対象から外れた今でも、まだ彼女は青ざめながら後ろによろめく。そして言う。これまでの彼女の声とはつかない、細い声で。

「無理・・・です・・・・」
「はあ?いい加減に・・・・」
「・・・するのは、あんたね」

 女は鋭く静かな声で一喝する。その声に誘われるように、男は女の傍に近寄った。

「シェルリ」
「わかってるわ」
「何するんだよ・・・・!」

 パディの声に二人は反応しない。事態が飲み込めないまま、二人を、そしてラミィとウナを見る。誰もが理解しているように見えた。誰もがこの先のビジョンを思い浮かべているような気がした。パディだけが取り残され、白い静けさにぽつんと立つ。


 暗雲が垂れるように、黒い影がかすめた。その塊は一瞬にしてウナをさらう。


「しまった・・・・!ヘル、何で女王サマ見守ってなかったのよ・・・!」
「いや・・・・」

 女は苦虫をつぶしたようにしわを寄せ、現れた影に威嚇する。だが影は彼女を無視し、ラミィに向く。ラミィは死神でも見たように「ひ」と小さく悲鳴をあげ、ぺたんとその場にしゃがみこんでしまった。

「ラ・・・・」


 パディは近寄ろうとしたが、目の前が暗くなった。影が、雲が、太陽を隠す。


 影の一つが傷口を開くように口を開く。


「ご苦労だった、ラミィ・ラン」
「あ・・・・そ、そんな・・・・・」

 ラミィの視界が暗くなる。光は失せ、徐々に人形と化していく。

「・・・・・あんたたち・・・・シャワルの・・・!」
「出し抜こうとしたのか。無駄だったな、睡蓮たち」

 影はそれだけ言うと、さらにラミィも影を覆った。あんなにも晴れていた空が真っ暗闇に落ちていく。

「待ちなさい!」

 しかしその声はむなしく、暗い空に消えた。

「くそ・・・・やっぱり見張ってたのね、あのメイドのこと・・・とっとと倒しておけばよかったわ・・・」

 女は悔しそうに歯を食いしばり、ぽかんとする男の頭を叩いた。

「いで」
「痛、じゃないわよ!あんたがちゃんとしてたら・・・・」
「どっちにしても、誰かが連れていかれればその時点で俺たちの負け。三対二の状態だったから、あのメイドに近づいた時点で負けは確定してたね」
「冷静で腹立たしいわ!・・・とにかく、リーダーに報告しましょ」
「でもまだ、ラスティカ城にいるし、シャワルの人間は入れないんじゃあ・・・」
「もう入れるわよ。何といっても、向こうは手を組む以外残されてないんだから。私たち、睡蓮とね。それにそんな悠長なこと言ってられないわ・・・・女王サマも鍵も裏切り者も連れていかれたんだからね・・・・。急ぐわよ」
「了解」

 男は敬礼のまねごとをすると、先に駈け出した女の背中を追いかけた。







 何かが開花しようとしている。
 泥の中から、はじけ出すように。
 そしてその泥は、花を押しこもうと這いずり始める。
 生ぬるい水の中で、乾ききった空中で、誰もがもがく。







 ウナは目を開く。

 何もかも見ていた光景。予見していた動き。

 わかっていつつも、選択した。選択しなくても、勝手に動いていただろう、今現在。

 ウナは顔に出さずに笑う。心の中にもう一人の自分を思い描き、にちゃりと不愉快そうにくちびるを動かす。


「お目覚め?」


 強い花の匂い。息を小さく吸っても無理やり入ってくる甘い匂いはアルコールのように頭を酔わせる。そのまままどろめればよかったと、ウナは息を吐く。吐いた息まで甘くなりそうだ。

 その甘い匂いを強調するように、一面張り巡らされたクリムゾンカラー。灼熱をイメージして造られた部屋は、目の前に立つ「彼女」のイメージをそのまま映し出す。


「・・・・初めまして、女王様」

「初めまして。ディアンダ・トール・シャワル」


 さあ、始めようか。

 ウナは人知れず失笑し、己の力に絶望することとなった。





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