| エリエステスは扉を開けた。あまりの勢いに怖そうな悲鳴をあげ、きしんだ。音はしばらく灰色の空間に響き渡り、やがてぼわんとした余韻と共に消えた。 エリエステスは自分が興奮していることに気づいた。熱くもないのに頬が火照る。寒くもないのに全身が粟立ち、それなのに背中はぐっしょりと汗をかいている。幼馴染にして睡蓮のリーダー・エルーダと対峙した時にはなかった興奮と焦りだ。 彼女を突き動かすのはやはり「女王」なのだ。無意識でも意識していても、エリエステスの心は女王に満たされていた。 ここまで焦り、女王について考える自分を異常だと感じたことがある。だから彼に問うたのだ。健全だと信じている狂人ではないと言い切れるか、と。今思えば、自分は切迫していたのかもしれない。 今となっては曖昧だ。それよりも女王のことだった。 捕らわれたウナは、時期女王はディアンダによって殺される。確実に、その刃は心臓を貫く。 まだ誰も知らない。わかっていない。気づいていない。 この呪われたサイクルに捕らわれる女王たちのことを、そしてエリエステスが敬愛する女王のことも。 誰も。 イエローサイレン 21 痛みとは何だろうと考える。体と心が剥離する白い闇。眩すぎる白い眼前。ナイフと皮膚が重なると同時に起こるほんの一瞬の白昼夢。何が起こったか理解できない、ここではないどこかへの意識の旅立ち。 どの言葉を出そうとしても曖昧な単語しか出てこない。夢に近い、とろりとした言葉ばかりが流れ落ちる。 そして次の瞬間、それは襲う。 痛みと言ってはいけないほどの、灼熱地獄。体は何かを求め彷徨い、無意識に手を伸ばす。誰に助けてほしいかわからないが、手は探り続ける。その間、意識は痛みよりも恐怖に支配されている。怖くて怖くて、気がつくと涙と嗚咽、つぶれた悲鳴をあげている。 あふれ出る何かを押さえたいのに吐き出したいこの衝動をどうしてくれようか。 「・・・・・女王サマ、どう?」 ディアンダは嘲り、ナイフを翻した。生々しく、鉛色に絡みつく鮮血は真新しすぎて現実味がない。滴り落ちる赤い液体は長い間放置したインクのようにドロリと濃いが、透明だ。雫の向こうにのたうつウナが映り込む。 「急所は外してあげたから、まだ死なないわよ。・・・聞こえる?私の声。・・・・ねえ、痛いでしょ?死にそうでしょ?このまま死にたい?・・・・死にたくないわよねえ?どちらにしても、私に女王の座を頂戴。受け渡してくれたら、ちゃんと助けてあげる。受け渡してくれたら・・・・そうね、医務室には連れてってあげるわ」 子供のおねだりのような甘い声にウナは笑う。その額には脂汗があふれ出て、体は蛇のように床を這いずっているが、それでも笑った。笑わずにはいられなかった。 その姿を見ていないのか、ディアンダは一人優越感に浸りながら朗々と言葉を続ける。 「さあ、どうするの?女王サマ。・・・ああ、でも死なないと力は受け継げないのよね。死んだと同時に女王の力ってくるんでしょ?ふふ、まあいいかあ。色彩があろうとなかろうと、女王になるのは私。そしてこのシャワルを救うのも私だし恩恵を渡すのも私。全部全部私よ」 歩くたびにスリットから褐色の太ももがこぼれおち、色香というよりまだ若い健康的な生気を振りまく。そんな無邪気さにもウナは笑った。 「・・・・やっぱり、馬鹿なやつ」 「・・・・・なんですって?あなた、自分の状況が飲み込めてるの?」 「嫌なほどわかってるわ」 ウナはすっくと立ち上がった。数秒前の出来事などとうに過去のもの。ここにあるのは現実で、痛みはもうない。 それが答えで、不完全なもの。 ウナは自分の血液のようににちゃりと笑い、肩を揺らしながらディアンダに一歩近寄った。その瞬時に形成は逆転した。いや、最初からウナは「絶対」であり、勝ち負けなどという瑣末なものはどこにもない。そもそもの思い違いはそこにもある。ディアンダがウナに「勝とう」としたその心こそ愚かな証拠。 ウナは呆れると同時に笑い、笑うと同時に嘲り、ふつふつと煮える心に怒りを覚えた。感情がまぜこぜだ。 「ひ・・・・な、何なのよ・・・・!」 「あれ?ラミィからの報告は来てないわけ?ふうん・・・・なら、あんたの手で立証すれば?・・・もうわかってるだろうけど」 ウナは独り言のように一人続け、つまんなさそうに鼻を鳴らして背中をかいた。幸い、血液は固まっていない。手には自分の鮮血が絡みつき、ちゃんと現実に刺された事実があるのを確認できた。 「最近、こうでもしないと本当に自分が刺されてるのかどうか、わからなくなる」 「何よ、それ!あんた・・・刺されたんでしょ!?痛いってさっきまで・・・・」 「それはさっきまでのこと。もう痛みなんてない。・・・・教えてあげる?呪われた体を」 「呪い・・・呪い呪いって、何なのよ・・・・!」 ウナは片目をつむり、くすりと息を漏らした。そして徐にチャックを下げ、衣服を脱ぎ棄てる。 ウナはそろそろ18歳になる。普通の女子ならば、成長の兆しが皮膚や触ると熱くて熟れた肉にありありと目に見えてわかるはずだ。だがウナは残念なことに、そういった成長が見られない。止まってる、と言っていいほどだ。 精神ばかりが年をとり、肉体は永遠にとどまろうと考える。そのくせ150年経てば朽ちていく。 「都合のよすぎる体・・・・嫌になる」 下着だけとなったウナは無防備どころか、その威風堂々とした姿に圧迫すら感じる。 「見るがいい。・・・・呪われた体を」 ウナはディアンダに背を向けた。そこには乾いて茶色く変色した血がかさかさにこびりついていた。 「な・・・・何よ・・・・!」 「刺した痕がどうしてない、って言いたい?それとも?」 今度はウナが質問する側だ。威圧し、ディアンダに攻め寄る。ディアンダはぺたりと尻もちをつき、嗚咽をこぼしながら震え、上目にウナを見た。 「どうして死なないかって・・・・聞きたい?」 呪われたサイクルにいるうちは、150年間は死なない・・・死ねない。世界を保つための色彩を吐くため、そして世界を生み出した神のわがまま、親が子を守るために。もう朽ち果てた伝説のために、女王になってしまった人たちは他の人と違うサイクルで生き続けなくてはならない。 死ねない、誰ともつながれない、生きることを感じられない。 そんな150年間にウナは絶望し、でもまだ希望はあった。 脳内に突如広がるこことは違う部屋での出来事。所謂「予言」が眼前に展開される。 「次期女王候補はまだ死ぬことができる」 朗々とした声。女王と共に生き、死ぬ世界の樹木・・・セロとラス。 誰も矛盾に気づいてない。 世界の樹木・セロとラスが証明し、エリエステスだけが真実を知る。 それを公表すればいい。そうすればウナは少なくても可哀そうと言われる・・・人としていることができる、気がする。 だがエリエステスは、残念なことに狂っている。幼少のころ、女王に出会ったために・・・否、出会うと予言されたために狂った。自分も周りも気づかない間に精神は蝕まれてるはずだ。今も見えないところは腐り落ち、狂いに狂っている。 ウナは呆然とするディアンダを見据える。哀れな姿だ。 ディアンダばかりを責め立てても仕方がない。彼女は女王たちが生み出し吐き出す予言の必要悪とも言える存在に近い。よくよく考えれば彼女も可哀そうな存在だ。それでもウナはシャワルの現状を思い出し、やはりディアンダを憎らしく思う気持ちが前に出る。 誇り高い精神が間違った方向に曲がり、国共々倒れようとしている。 その高慢さが生んだディアンダの両親、元々シャワルを統括していた王の暗殺。 自然と生まれる女王への憎しみ。自分でも気付かない間に、ディアンダも女王と言う魅惑の言葉に騙されている。 「本当に・・・馬鹿だ」 ウナは久々に言葉を発した。目の前は相変わらずディアンダの情けない姿、そして「予言」するセロとラスの姿が重なり合うように見えて夢うつつのようだが、鋭い目はしっかりと前を見つめる。 「女王は、神と呼ばれるものによって150年間生きなくてはならない。なぜ150年?それは人間の最大寿命であり、150年が女王の肉体の限界だから。そのぎりぎりまで生きて、色彩を紡ぐ・・いいえ、神のわがままによって無理矢理生かされる。・・・その間、私たちは死ぬことを許されない」 ディアンダが唾を飲み込んだ。人の話を聞くのが苦手なわがまま姫も集中している。ウナは再び笑う。 「どういうことか、わかる?」 ディアンダの鼓動が聞こえる。脈拍が崩れている。体が小刻みに震えている。 「ようするに、私」 ウナの声が突然からっと晴れる。あっけらかんと開き直り、肩をすくめる。 「不死身ってやつなのよね」 ウナは自分で言っておいて、なんて虚無な言葉だろうとがっかりした。所詮、自分でどうこう思っていても言葉にして見れば陳腐なもの。何の重みも裏もない。言葉通り、死なない体。言葉は苦痛を背負わない、残酷なものだ。 でも今日で終われるかも、と期待してみた。 なぜか。それは目の前にうっすら広がる「予言」が言っている。 ディアンダの向こうでラスティカの城にいるはずのエリエステスの姿が映る。まだ呆然としているディアンダは言葉を発さない。その変わりセロとラスが悠々と言葉を紡ぐ。 予言・・・いや。今、時を同じくしてエリエステスは城の中を駆け回り、セロとラスのいる部屋に飛び込んだ。切迫した顔は最早強気な軍人ではない。ディアンダと同じく、女王という言葉に弄ばれた哀れな女の顔をしている。 エリエステスは息をするのも忘れ、セロとラスの横を通り過ぎた。彼女が確認したいことは、彼女がわかっていることは、彼女が最も切望するものは二人の巫女の言葉でもそのものでもない。 そう、彼女はいつだって女王の姿しか見えていない。 エリエステスはさらに走る。ウナはディアンダをすり抜けてその姿を見据える。未来を見つめる。 セロとラスのいる部屋はほぼ真四角だ。壁は灰色だが丁寧に磨かれているために鏡面に見える。二人の巫女の体をからめ取るワイヤーやチューブが根っこのように絡み合い、所々光を放つ。その光は鏡面の壁を反射し、ぼんやりと幻影的な明かりを生み出す。 あの場によく来たパディは気付かなかったのだろうか。一度、エリエステスが「そこ」から出てくるのを見てたはずなのに。ぎゃあぎゃあと喚く割に、ちょっとした口ならば回るくせに頭は回らないらしい。あの時気づいていれば・・・何かしらおもしろいリアクションが見れたかもしれない、とウナはため息をつく。 城の人々を含む全国民は巫女の部屋の奥に「それ」があることを知らない。 それ以前に、もう「それ」は失われたもの。記憶に残っていても形には決してならないものがそっと置かれている。 エリエステスはあるはずのないとされている、セロとラスの部屋のさらに「奥」へ突き進んだ。誰も知らない秘密の花園を目指す。彼女の人生を決定づけた「それ」に出会うために。 ばん、と扉が開く。鏡面の壁とおぼろげな光はちょっとした隙間をひっそりと隠していた。エリエステスはそこを押して開けたのだ。 エリエステスは心臓を拳で押さえる。動機が速い。乱れている。頭がうっ血し、真っ白になりそうだ。手足が震える。打ち上げられた魚のように体がびくんとはねそうになる。それでも彼女は進む。 隠された部屋は三畳ほどしかない小さな空間だった。明かりがないため、壁は真っ黒に見える。 扉の亀裂とエリエステスの影から侵入する光が部屋をゆっくり侵食する。 エリエステスは跪く。倒れるように前にのめり、這いずりながら目の前のものにすがりついた。 「女王・・・・・!」 ウナは知っている。わかっている。そこに何があるか。影で見えないが、それが何なのか。 時間を固めるとこういう感じになるのかもしれない。凝固、という言葉が似合う気がした。 そこにあるのは透明な、ガラスの棺。 そしてそこに眠るのは、 「ゼファーナ様・・・・・!」 胸に剣を生やし、ガラスの中でひっそりと横たわる。その姿は在りし日の姿と変わらない。 変わるはずがない。 「ウナは死ぬよ、エリエステス」 「ウナは死ぬよ。女王が」 「女王が、生きている限り」 「半分しか生きていない哀れな女王」 「半分の力しかない哀れな娘」 「ディアンダに殺されるよ」 「まだ死ぬことができるよ」 「だって、まだ150年の呪縛は解けていない」 「解けるはずがない」 「女王は死んでない。死ぬことを許されない」 150年のパズルが、完成していたと思われていたパズルが解体され、もう一度構築される。 そこにあるのは偽りの事実。 そう、女王は生きている。 だって、150年の呪縛は続いているのだから。 |