首席・レイシーと貴族で女・エリエステスの勝敗結果はすぐに知れ渡り、レイシーは堂々と廊下を歩けないでいた。

 教室でも運動場でも訓練場でもどこでも、好奇の目はついてまとう。入学時に感じた目線とはまた違う色はレイシーを嫌でも不愉快にさせる。

 それだというのに、とレイシーは思わず目を点にした。持っていたフォークが落ちそうになるが、なんとか意識を・・やはり落ちた。

「大丈夫か?」

 彼女は思いの他低めの声で言うとそっとしゃがんでフォークを取った。そしてもう一度同じセリフを言う。

「同席してもいいか?」

 今度はナイフを落としそうになったが、その前に彼女は目の前に座った。
 そして目が合うと、屈託なく笑うのだ。つい先ほどまで、対決していた顔に向かって。

 次に出てきた彼女の印象。

 なんて、清々しい。



     グリーンメモリーズ 2



 昼休みとはいえ、長い時間は休めない。食堂に集まった生徒たちはそれぞれ食べ終わると足早に外に向かったり教室に向かったりと、自分のやりたいことに走って行った。

 息がつまるほどみっちりと詰まっていた人口密度は徐々に減り、残るところ数人となった。昼休みも残りわずかな時間。調理人もどこかに消え、カウンターは閉鎖された。

 その中で、レイシーとエリエステスは顔を合わせながらまだ食事をとっていた。
 噂の貴族、そして勝者であるエリエステスの見た目はとても貴族とは思えないほどがっちりとたくましい。優美さはまるでなく、肉食動物のように獰猛な印象だ。しかしどこか儚げな瞳に食べ物を口に運ぶ指や手の仕草は滑らかで無駄がない。時々落ちてくる黒く短い髪を耳にかける動作などはやはり、女だった。

 レイシーはちらちらとエリエステスの姿を見ながら食べるが、どうにも味がしなくて食べた気になれなかった。それでも一応平らげたが、腹以外の部分が満腹となった。

 始終、会話は全くなかったが、レイシーは自分が食べ終えると同時に口を開いた。くちびるというのはこんなにもたつくものなのか、となぜかうまく開けない口に悪戦苦闘したが、一言目を言うとすらりと声は出てきた。そんな自分を腹立たしく思いながら、その怒りをエリエステスにもぶつけた。

「なんでここに」

 エリエステスも食べ終わり、ハンカチで口を拭っている。彼女はきっちりハンカチを畳むとポケットにいれながら彼を見た。乾いて見えた瞳は、今は穏やかだ。

「仕方ないだろう。場所が開いていない上に、座ろうとするとみんな嫌な顔をする。そうしたらここが空いていたし、目の前のやつは知っている人。ちょうどいいと思ったんだ」

 彼女はすらりすらりと滞ることなく、流暢にしゃべった。どこか男らしい口調だが、なめらかなトーンは女性的だ。

「そういえば、名前を聞いてなかった」

 エリエステスは思いついたように瞬きをすると、前にのめって手を差し出した。

「私はエリエステス・ランファル・フィルデフィラ。エース、と呼んでくれ」

 レイシーは手を見て、一歩引いた。勝敗を決めた後に伸ばしてきた手と同じ手だ。

 それでもしぶしぶ受け取り、気づかれないように息をついた。

「俺は・・・レイシー・コーズウェル。レイシーで構わない」
「OK、レイシー。よろしく」

 軽く手を振り、そっと離した。こういった形でもう一度手を取るとは思わず、レイシーは少しだけ緊張した。

 そんなレイシーにエリエステスは気付かず、話を続けた。晴々とした笑顔はどこにも染みがなく、真っ白だった。なぜこんなにも明るくいられるのだろう、とレイシーは眩しい気持ちと苛立ちを交互に浮かばせた。

「ところで、人がどんどん減ってくが・・・みんなどこへ?」
「行きたい所に」

 レイシーは思わずぶっきらぼうに言い放ってしまったが、彼女は全く気にせず「ふうん」と鼻を鳴らすだけだった。

「そうか。それもそうだな。じゃあ訓練場に行けば誰かしらいるんだな?」
「そうなるね」
「では、私は行こう」

 エリエステスはトレイを持ち上げると「お先に」と軽く頭を下げ、爽快な足取りで片付けに行った。レイシーもこれ以上ここに留まる必要はないと思い、彼女の後ろを追う。

「訓練でもするのか?」

 二人は食器を置くと、隣を歩いた。エリエステスは無言で頷くと、歩きながら両手を組んで指をほぐした。

「もっと闘って力をつけたい」

 エリエステスの紫紺の瞳が鋭く光った。レイシーの目の前を一閃した剣先に似た冷たい輝きだ。

「強くならなくては・・・・」

 腹の底から地響きが聞こえ、エリエステスの声は重く吐き出された。

 なんて強いものを、まだ出来上がっていない体に詰め込んでいるのだろう。レイシーの苛立ちは次第に鎮火していき、代わりに尊敬に近い感情が湧いて出てきた。山から噴き出る清涼な水のごとく、レイシーの全身に沁み渡る。そして理解した。彼女もまた、自分と同じく志すものがある。それもとても強大なものを。

 レイシーは初めて彼女に笑いかけ、肩を叩いた。思ったより小さな肩だったが、これが自分を倒したとなると俄然興味がわいてきた。

「よかったら、相手になるよ」
「へえ?」

 エリエステスは目を細め、猫のようにいたずらに輝かせた。

「また負けを見たいのか?」
「冗談。今度は本気さ」
「ふうん・・・本気?次負けたら言い訳できないが、OK?」
「もちろん、OKさ」

 二人は顔を合わせると、砕けるようにとたんに笑い始めた。何もおかしいことはなかったが、笑わずにはいられなかった。

 レイシーは彼女の純粋な笑みに笑い、エリエステスは彼のムキにつっかかる事に笑う。笑っている間にも滲み出てくる人柄に、二人は満足そうに笑い合うのだった。






「へえー・・・」

 じっとりと湿った目が剣を睨みつけるが、それに二人が気付いたのは数分後だった。

 最初にレイシーが気付き剣を止めるが、エリエステスの剣先は待ってくれない。レイシーは寸でのところで交わしたが、灰色の髪が音もなく数本落ちていった。

「待て、エース!」
「もう待ったか?言う割に大したことない」
「違う!」

 レイシーは顎で向こうだ、と示す。そこには半眼で二人を眺めるエルーダの姿があった。彼は床と同化するようにどっしりと座り込みながら上目にレイシーを睨んだ。

「随分とまあ・・・仲良くなったもんだなあ?レイシー」
「それは・・・・・」
「レイシー、誰だ?そいつは」

 エリエステスは汗一つかいていない顔でじっとエルーダを見つめた。不審がるというより、ただ単に気にしているだけのようだ。エルーダは半眼をけろりとやめ、立ちあがって手を伸ばした。

「俺はエルーダ・ヴェイン。麗しのエリエステス嬢に会えて光栄だよ」

 エリエステスは少し顔をしかめたが、すぐに笑顔を取り戻して手を受け取った。

「エリエステス・ランファル・フィルデフィラだ。・・・・その言い方はやめてくれ。私のことはフィルデフィラ家の者だと思わないで接してほしい」

 彼女は心底そう思っているようだった。念を押すように握りしめた手に力を込め、するりと離す。

 エルーダは肩をすくめると「悪かった」と鼻の頭をかいた。

「じゃあ改めて、よろしくエリエステス。ああ、俺のことは呼び捨てでいいからな」
「ありがとう、エルーダ。私のこともエースでいい」
「エース、なるほどいいね。あんたは新しい「エース」だもんなあ」

 エルーダは歯を見せて意地の悪い笑顔をレイシーに向けたが、彼はもう怒らない。それどころか「そうだよ」と笑顔で肯定し、エルーダを驚かせた。

「どうしたんだ、レイシー。昨日と人が違うぞ」
「認めたんだよ。エースは俺よりも強い」
「はは、ありがとう。しかしレイシーも中々強い。相手に不足なしといったところか。ところで、エルーダの実力は?」
「いんや、俺はてんでダメだ。生憎と、俺は分野が違ってね」
「へえ?」

 エリエステスは興味津津に目を見開き、一歩エルーダに近づいた。ここにきて間もないのだから、何もわからず全てが新鮮で、気になるのだろう。その顔は怖さを知らない子供のように楽しそうだ。エルーダも嬉しそうに笑顔を作ると、得意げに指を立てた。

「俺は戦術を習っているんだ」
「戦術か・・・・作戦を練る側か」
「そう、その通り。そして二人はそれを実行する側だな。はは、頼りになる剣士が二人もいて俺も錬り甲斐があるってもんだよ」

 二人の間にレイシーも入り、半眼でエルーダを見据えた。先ほどの彼と同じ目だ。

「へえ〜よく言えたもんだよ。ただ進めーしか言えな奴がさ」
「どういうことだ?」
「起承転結の起ばかりで承や転がない。結が来る前にやられておしまいってところだよ」
「う、うるさいぞレイシー・・・!あれはだなあ、進むべき軍人が弱かっただけで・・・」
「言い訳無用」

 レイシーは片目を吊り上げて彼を責めたが、口もとは悪戯に歯を見せていた。エルーダは頭を抱えると「今に見てろよ」と上目にレイシーを睨むのだった。そんな彼らのやりとりを見て、エリエステスは腕を組んで笑い声をあげた。

「はは、どうやら私はいい人たちに出会ったようだ。心から感謝するよ」

 紫紺の瞳が嬉しそうに揺らぎ、頬がほんのりと赤く染まった。

 ああ、笑えばそれなりに女だな。

 レイシーは屈託なく笑う彼女の姿を見て笑い、エルーダは悔しそうに口を引きつらせたがやはり笑った。

 どこまでも透明な空気が青い空まで包み込んできらびやかに光って見える、在りし日の日常だった。







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