明くる日も明くる日も、剣の交わる金属音が訓練場から響き渡る。

 鈴の音のようなひ弱さはない。時間が過ぎるにつれて、苛烈に軋み、耳をつんざく悲鳴となる。しかし悲痛な音ではない。むしろ心地よいと感じさせてくれる、心の声だ。

 剣は銀色の弧を描くと、下に回り直線を貫く。剣先は一つの点となり、風を切り裂きながら腹部へとぶれることなき道筋を行く。

 しかしもう一つの剣は同じ鉄とは思えないほど軽やかに舞い上がり、迫りくる銀の線を上からたたき落とした。

 かきん、と軽々しく鉄は鳴り、剣はあっけなく下に落ちた。

「った・・・・・」

 レイシーは剣から伝わる彼女の気迫に手を痺らせ、奇々怪々なオブジェのように反りかえる指をもう片方の手でさすった。

「勝負あり、だな」

 誇らしげに笑い、レイシーの前で仁王立ちするのはもちろんエリエステスだ。彼女は得意げに鼻を鳴らすと、膝をつくレイシーに手を伸ばした。

「私の勝ちだ」

 いつになったらこの手を受け取らずに済むのだろう。逆に、彼女の手を取るのはいつの日か。

 レイシーは心地よい負けに苦笑しながら手を取った。彼女の手に肉刺がいくつかあるのがわかるが、それでも男の骨とは違う優しい骨がしっかりとレイシーを掴む。どこにこんな力があるのかと思うと不思議だった。

「まったく・・・いつになったら勝てるんだろう」
「さあな」

 二人は顔を見合わせ、笑った。



       グリーンメモリーズ 3



 剣を習う学校とはいえ、ようは軍人になるための通り道だ。力だけを純粋に求める者としては、少々退屈な部分もあった。

 レイシーは教師のつまらない話を聞き流しながらあくびをかみ殺した。

 剣を習う者の心得や、世界の成り立ち、女王について。

 一番苦手な授業だった。特に世界、女王と単語が続くと痛くもない腹を探られるような苛立ちが込みあがる。

 レイシーはどうも、世界が偽物のように見えて仕方がない。
 眩しい日差し、甘そうな黄緑の新緑、風の温かさ、花の麗しさ。一寸の疑いもなく世界に広がる色彩が、不安で仕方がなかった。しかもそれが一人の女・・色彩の女王によって成り立っているだなんて。なぜか信じられない。

 教師が女王の話を得意げにしている。会ったことでもあるのか、と聞きたくなるほど意気揚々と女王のすごさはどういうものかと熱弁している。

 この話は教師の妄想にすぎない。実際、女王は庶民の前に出ない。ラスティカの城にひきこもったまま、出てこない。過去に女王ではなく、王と呼ばれるものが代わりに出てきた人物をレイシーは見たことがある。あれは傀儡だ。一発で見破ることができた。否、それは正解ではない。正しい答えは返ってこないが・・・それでもレイシーはあれを操り人形だと思った。

 たどたどしいしゃべり、貧弱な体。あれが王なら、自分は神じゃないかと思うほど王の存在はいい加減だった。

 そんな王も、数年と経たない間に死んだ。あっけなかったし、葬儀も城だけで行った。庶民は誰一人、頭を下げなかった。祈りもない。

 なんて虚しいんだろう。

 レイシーは時折教室に吹く風に目を細め、頬杖をついた。

 ああ、早く昼にならないだろうか。




 授業終了の鈴の合図が学校中に響き渡った。

 生徒たちは待ってましたとばかりに体を浮き上がらせ、廊下をもう突進していく。先ほどまでうとうとと机と一体化しそうになっていたのはどこの誰だろう、と思わず皮肉の一つや二つ言いたくなるほどの現金さだ。

 レイシーもその一人だ。彼は適当に机の上を片付けると、いそいそと食堂へ向かった。

「あ」
「お」

 出たところでエリエステスの顔があった。唐突なことだったので、二人は肩を飛びあがらせ、一歩引いた。

「なんだ・・・レイシーか。ん?ここで授業だったのか?」
「ああ。今日は歴史もあってね・・・・退屈だったよ。エースは?」
「それは大変だったな。私は、戦術の授業だった。エルーダはよくやろうと思うな・・・私はさっぱりな上に、性に合わない。やはり剣を持っている瞬間が一番いいな」
「その通りだよ。で?今日も?」

 その問いかけにいつもだったら数秒の間も置かず「いいね」と笑う彼女だったが、今日はなぜか黙ってしまった。それでも口元は笑みを何とか浮かべている。レイシーは瞬きを一つすると、腕を組んだ。

「用事でもあった?」
「まあ・・・そんなところだ。その、食事も・・今日は遠慮するよ」

 その答えにレイシーはさらに目を見開いて彼女を見た。具合でも悪いのだろうかと頬を見たが、いつも通りの血色をしている。とりわけ、元気がないようにも見えない。

 その視線に気づいたのか、エリエステスは片手を挙げ「何でもない」と無理に笑うだけだった。

「じゃあ、すまない。また授業が終わった後か・・・明日に」
「・・・・・ああ」

 レイシーはしぶしぶ頷き、片手を挙げ返した。

 彼女は他の生徒にまぎれるように駆けていき、その姿はすぐに消えてしまった。レイシーは残念そうに頭をかくと、退屈な授業のせいで極限まで減った腹を抱えて食堂へ向かった。

 相変わらず食堂はありが群れるようにものすごい人の詰め込みようで息がつまったが、友人・エルーダの姿を発見すると多少気が紛れて呼吸が楽になった。

「よう、レイシー」
「いいか?ここ」

 もちろん、とエルーダは肉をつつきながら頷き、レイシーの周りを見渡した。

「ん?麗しのエースがいないじゃないか」
「用事があるそうだ。今日の訓練はなし」
「へえ。そりゃあつまらないな。よし、景気付けに噛み切れない特製ソテーをプレゼントしよう」
「意味わかんないし。それにそれ、筋と脂身の部分だろ。遠慮しとくよ」
 へへ、とエルーダは鼻で笑うと、つまんだ肉を口に放り投げた。
「意外と悪くないぜ、これ。タンパク質だと思って摂取しちゃえばいいのに、軍人候補さん」
「生憎、足りてるんでね。それでも食べて頭の回転でもよくしたらどうだ?指揮官候補」
「・・・・ちぇ」

 エルーダはガムでも噛むようにくちゃくちゃと肉をすりつぶしながら、器用に舌打ちをした。レイシーは不敵に笑うと、一口水を飲んだ。ぬるくて飲めた代物ではないが、今は楽しいので気にならない。

「あーしかし、エースがいないとなると今日は剣技が見られないのか。残念だな」
「俺も手合わせできないから残念だよ。用事みたいだけど・・・何だろうな」

 エルーダはようやく飲み込むことができたのか・・・それでも辛そうに顔をしかめながら肉を喉に通し、薄い口元を引き延ばした。得意の、大きな意地悪笑顔だ。レイシーは嫌な予感を覚えつつ、肉を刺した。

「気になるんだったら、本人のところに行ってみればいいじゃないか」
「今いないだろ」
「ふっふ。甘いなあ、レイシー。部屋まで行けばいいじゃないか」
「・・・・は?」

 レイシーは肉つきのフォークを置くと、友人をまじまじと見つめた。彼は至って普通に、そして面白そうにレイシーを眺めている。

 この学校は寮制だ。どんな身分の人間も同じ部屋に入れられる。とはいえ、個室だ。自分の家のように使用することができた。それはレイシーもエルーダも同じ、そしてエリエステスといえども例外はない。ついでに言うなら、男女で寮塔は別れていない。女の比率が非常に少ないせいか、同じ塔にあった。一応階は違うが、たった一つの違い。会おうと思えばいつでも訪れることができる。

 レイシーは何となく彼の言いたいことがわかった。肉がついたままのフォークを取ると、再び食事を再開した。

「エルーダ。何か勘違いしてないか?」
「何を?どう?詳しく教えてくれよ」
「その言い方。俺とエースはそうやって笑いたくなるような関係じゃない」
「へえ?じゃあ、単なる剣友達だと?」
「そうだ」

 エルーダが突き付けた肉よりは筋っぽくなかったが、やはり噛むのに苦労する。レイシーは眉間にしわがよるのを感じながらくちゃくちゃと、何度も咀嚼した。肉は次第に味が落ちていったが、全く気にならない。それよりもエルーダの目線が、回りから来る「あの」視線と似ていたので苛立った。

「んー、そうか。自覚なしか」
「だから・・・・」
「そう苛立つなよ。お前の悪い癖だ」

 悪いのはお前だろう、と出かかった口を肉でふさぐ。それでも、と言葉が続きそうになるのはやはりエリエステスを気にしてのことだろうか。レイシーは軽く自問自答すると、フォークを置いた。

「ありゃ?もう行くのか?」
「ああ。今日は部屋でゆっくりすることにしようと思って。午後は授業もない」
「そうか。羨ましいな。指揮官候補さんは、年中無休のみっちりだ」
「せいぜい、脳味噌が腐らないように気をつけろよ」
「ありがとよ、我が剣士さん」

 気色悪い、と言葉を残してレイシーは立ち上がった。生徒の数はまだ減っていないたいめ、レイシーの席はすぐに埋まった。食器を片づけ、その場から急いで退散した。





 
 エルーダの言葉をそのまま受け入れることはできなかったが、やはり調子が狂う。消化不良というものだろうか。

 気がつけばレイシーの足はエリエステスのいる階を歩いていた。今の時間は皆食事に行っていて誰もいない。

 よかった、とレイシーは密かに胸をなでおろした。一応女ばかりの階だ、誰にいつ遭遇してどんな風に見られるかわからないスリルを回避できたのだから。
 以前聞いた部屋の番号をたどり、扉の前に立つ。やはり男子階と変わりはない。

「エース、いる?」

 数度ノックをする。いないのだろうか、と首をかしげていると扉の奥から人の気配がした。なんだ、いるじゃないかと思ったと同時に扉は開いた。

「・・・・レイシー?珍しいな、部屋に来るなんて」

 レイシーは思わず一歩引きそうになった。

 彼女の服装は大体、丈の短いジャケットにハイネックのシャツ、足の形がしっかりわかるパンツを着ている。学校に制服はないため、私服だ。どんな格好でも構わない。特に部屋にいるときはもっと無防備で・・・

「ん?ああ」

 エリエステスは視線に気づき、苦笑した。

「シャワーを浴びていた。見苦しくてすまない」

 言いながらタオルで髪を拭く。彼女によく似合う黒のノースリーブに、膝より上の短いズボン。日にさらされていない白い足は造り物のように真っすぐ伸びていた。

 レイシーは少し目のやり場に困ったが、すぐにある部分に目が集中して緊張などどこかへ消えてしまった。

「エース・・・その傷は・・・」
「・・・・とりあえず、入って。コーヒーでもおごるよ」

 レイシーは言われるままに入り、エリエステスは扉を閉めた。

 入ると目の前はいきなり六畳の部屋になる。その奥に簡易キッチンとシャワールームが付属している。レイシーのいる部屋やエルーダの部屋と変わりはない。それどころか、彼らの部屋よりも物が圧倒的に少なかった。観賞植物の一つも見当たらない、簡素すぎるものだった。ベッドとクローゼットに机だけが、唯一の家具として存在しているが生活の空気はまったく見られない。ここで寝泊まりしているかも怪しく見えた。

「座って待ってて」

 そう、ベッドを示され、レイシーは恐る恐る座った。

「何か用だったか?」

 奥からコーヒーの香りと共にエリエステスの声が届く。レイシーは体を前に倒すと「まあ」と曖昧に答えて口元を押さえた。

「エースこそ、用事は?」
「・・・ん、まあ・・・。・・・はい、コーヒー」

 今の隙にタオルは置いたのだろう、そして上着も羽織っていた。普段着ているジャケットとは違い、丈が長く、それもクリーム色というパステルカラーのカーディガンだった。

 レイシーは似合わないな、と思いながらコーヒーを受け取り、エリエステスを見つめた。

 彼女は目の前の床に座ると、コーヒーを一口飲み、彼の視線の先にあるものを覗き込んで苦笑した。

「これか?」

 いつもならハイネックで隠れている部分があらわになっている。やはり日に当たってないせか、色が白かった。下の血管がうっすら見えている。

 しかし、彼女の胸は稲妻が走っていた。剣を交わす瞬間に見える、猛々しい気配。それを具現化したような恐ろしさだ。

「その傷は・・・・?」

 もう随分経つのだろう。みみずばれを起こしている傷口は、他の皮膚と一体となり胸にへばりついていた。

 エリエステスは傷口を指でなぞると、少し黙った。コーヒーの湯気だけがしゅうしゅうとしゃべり、カーテンがほのかに揺れた。

「・・・・レイシーは、なぜ剣を取る?」
「・・・え?」
「・・・・志すものが、あるのだろう?」

 エリエステスは顔を上げた。笑っているように見えたが、いつもの快活さも純真さもない。子供のような無邪気な顔は一変し、強い憐れみに似た母性がにじみ出る。優しさとも違った。愛しい者を、見るような。慈愛・・そう、慈愛だ。誰かを慈しんでいる。

 紫紺の瞳がうるんでいる。

 その先に誰がいるのだろう。

 少なくとも、自分ではない。

 レイシーは胸に疼く歯がゆい気持ちと格闘しながら、コーヒーを一気に飲み干した。

 灼熱の液体は、喉や肺を引きちぎりながら胃を熱した。







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